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転職研究室私の転職体験レポート関東
関東|バックナンバー
- 遠まわしの退職勧告!会社に容赦なく切り捨てられ唖然……
- 会社方針の転換により、私も該当していた『中間管理職ポジション』が不要になりました。はっきりと退職勧告されたわけではありませんでしたが、少しずつ、 仕事を後輩に引き継がされ、徐々に自分の居場所がなくなってきていることに気がつきました。
- 成功の分かれ道は自分に合った人材紹介会社をさがすこと
- 前職は父の介護の為、やむを得ず離職。ひと段落ついたので、新たに再就職先を探すことにしました。転職活動を始めた最初の3カ月は、求人サイトのみに応募 していました。管理職候補の案件を探していたのですが、結局面接の機会を与えられたのは1社だけ。経済情勢も最悪の時期に加え、私は42歳という年 齢……。自力で求人案件を探す事に限界を感じていました。
- 家族一緒に暮らすため、関東へ転職綱渡り状態で臨んだ最後のチャンス
- 小さかった息子と娘も、ある程度大きくなってきました。東北で生まれ育った私ですが、どうしても子供の進学や就職は関東近辺になってしまいます。今後のラ イフプランを考えた時、年老いてから、なかなか子供に会うことができなくなるのは寂しい……。年齢的にも行動するなら今しかない!ということで今回の関 東への転職を決意しました。
- 妥協しなくて良かった!半年間の転職活動、頂いたのは納得の内定!
- キャリアアップの布石として働いていた前職場。しかしそこは経営理念が見えず、企業の一員としてのやりがいは皆無に近い状態でした。また、給与カットにまで及ぶ会社の経営状況にも不安を覚え、今回転職を決意しました。
- キャリア設計に苦しんだ転職-今は自分のキャリアに自信をもてます
- ある店舗の店長として働いていたのですが、自身のキャリアをここで締めくくっていいものか、疑問を感じていました。ただ、会社にはポジションが不足してい ましたし、プロパーの年功序列も強かったため、キャリアアップは見込めませんでした。そこで、それならいっそ別の企業で挑戦しよう、と思い転職活動を始め ました。
- 妹を見習って人見知りの性格を克服-派遣から正社員を目指す強き妻
- 主人が職を失いました。私は派遣社員として働いていたのですが、家族の為に、何か私にできることはないのかと考えた結果、正社員を目指して転職することを 心に決めました。しかし実は私、とても人見知りで緊張しやすい性格。そのためか、初対面の人に自分の考えを伝えることが大の苦手で、面接に対しては特に不 安感が募っていました。そんな時ヒントになったのが、妹の行動でした。
- やりたい仕事のため、会社のネームバリューを捨てた……転職したからこそ聞けた妻の言葉
- 大手の企業に勤めていたのですが、会社の業績悪化に伴って給与削減と希望していない部署への転属を命じられました。この希望していない部署への転属がどうにも我慢ができず、転職することにしました。
- 新天地での転職、支えになったのはキャリアコンサルタント
- 群馬で派遣社員として働いていましたが、不況のあおりを受けて契約延長ができなくなりました。2月の段階で契約が打ち切りになり、実際の退職は6月だったので、私はテレビで言われる派遣切りの状況ほど、切迫している状態ではありませんでした。
- セカンドキャリアを夢見て転職を決意-厳しい現状を乗り越えた52歳の成長劇!
- 長きにわたり食品業界で働き、満足のいく収入も得ることができました。住宅ローンもすでに完済して、子供もおらず教育費もかからないため、会社の「セカンドキャリア支援制度」に応募し、転職することを決めました。
- キャリアコンサルタントと信頼関係を築き、諦めずに勝ち取った天職!
- アパレル業界で生産管理の仕事に携わってきましたが、自分にとってそれが本当に天職なのか、生涯賭けてやりたいことなのかという疑問を感じていました。定年まであと少し、残り僅かな時間、自分にぴったり合ったやりたい仕事に就きたいと思い転職活動を始めました。
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