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転職研究室私の転職体験レポート九州・沖縄
九州・沖縄|バックナンバー
- やっぱり痛かった8年間のブランク-プレッシャーをほぐしてくれたキャリアコンサルタント
- フランス留学を終えて帰国。求職活動を始めたのですが、予想以上にたいへんでしたね。8年間、学生として留学していたので、キャリアにブランクができてしまったことが非常に痛かったんです。なんといっても、もう39歳。フランス語ができるというだけでは、簡単に就職できるもんじゃな い。60もの会社に応募して、面接にたどりつけたのはたった6社ですからね。
- 目的は給与アップ!!気まずい給与交渉もキャリアコンサルタントが代行
- 前職は職場の雰囲気も良く、仕事にもやりがいを感じていました。ただ一つだけ不満がありました……。給与が低かったのです。正直、前職の給料では、生活が困難に感じるほどでした。とにかく給与アップ。これを目標に転職活動を始めました。
- 突然の会社倒産、ギリギリのラインでの転職活動……すべて家族を養うため!
- 3月後半ある日の午後、突然会社が倒産することになりました。経営側からはこれから裁判所に自己破産を申請するので、17時までに荷物をまとめて退去するようにと言われました。あまりに衝撃的でびっくりなんてものじゃなかったです。
- 転職に苦しんでいる人に伝えたいこと、自分を信じ、自信を持って取り組んで!
- アパレル関係メーカーの営業を担当していましたが、以前から業界に対する「将来的な不安」にずっと悩まされていました。そこで希望退職制度に応募し、初めて異業界への転職をすることに踏み切りました。
- 「該当企業ナシ」の厳しさを乗り越えて62歳の再出発に成功。その秘策とは?
- 食品関連の会社で顧問をしていたのですが、不利な給与条件の変更を提示されたことがきっかけで嫌気が差し、職を変えることにしました。すでに62歳ですから、私の場合は「転職先を探す」というよりは「定年後の就職先を見つける」という感じでしたが。
- 最終面接は意思確認だと思ったら…全く違っていて冷や汗たらり
- 前職は保険の営業。給与が不安定な上、仕事のやりがいが見出せず、転職を決断しました。すでに2回の転職歴があるせいか、なかなか書類選考を通過できず、大いに悩みました。でも苦しいときこそ、今の自分に何ができるのかを掘り下げて考え、紙に書き出すなどしてきました。
- 独立行政法人から民間企業へ-自分を信じていばらの道を歩き続けた
- ある独立行政法人の職員をしていましたが、制度上の制約からできることに限界があり、そのことを常々残念に思っていました。また、組織内の「親方日の丸」 的な体質や職員のモラルの低下が目につき、本当に国民にとって利益のある事業を展開しているのか、疑念を持つようになりました。悩んだ末、民間企業という 厳しい環境に我が身を置くことにより、より一層のキャリアアップと未知の世界への挑戦を図り、できるだけ社会貢献がしたいと切に思い、転職を決断するに至 りました。
- 年収100万円ダウンでも後悔なし-大事なのは今の収入よりも将来だから
- 家電量販店で販売職をしていました。もともと興味があったのはWeb関係の仕事。独学で勉強しながら転職のチャンスをうかがっていたのですが、全然うまく いかなくて。ある日、「このままではいつまでたっても夢は叶わない」と一念発起して、真剣に転職活動をスタートしました。そのとき【人材バンクネット】に 出合い、スカウトメールがきっかけで転職が叶ったわけです。今考えると、まさに運命でしたね。
- アガリ症でとても面接がニガテな私…。『二人三脚面接』で実力発揮!
- 社内SEとして働き始めて10年。以前の会社でやるべきことはやったし、蓄積した経験を生かしながら仕事の幅を広げたい、スキルアップしたいと思い、転職 活動を始めました。経験や知識にはそれなりに自信がある私ですが、実はアガリ症で面接に弱いタイプ。緊張のあまり、言いたいことが全然言えないという失態 を犯した経験も数知れず。面接でいかに緊張しないかということが最大の課題でした。
- 多くの面接をこなして早口のクセを克服-自分を必要としてくれる会社に決めました
- 以前勤めていた会社、人間関係がとても悪かったんです。私もずっと、上司から嫌がらせを受けてきましたから、身も心も疲れきってしまって…。家族と相談のうえで退職。と同時に転職活動をスタートしました。
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