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転職研究室私の転職体験レポート営業・海外営業
営業・海外営業|バックナンバー
- 「お父さん、今日も休み?」子供に心配かけぬよう外出…一日の長さを痛感する転職活動期間
- 前の会社は成長の見込みがなく年俸も下がり気味でした。ある日突然、親会社から新任社長がやってきて、現場の意見を無視した無謀な方針を打ち出した。それ だけならまだしも、自分に意見する社員を閑職へ追いやろうとしたんです。何を隠そう、私も新任社長ににらまれた一人。役員が「事を荒立てないでくれ」とい うので、会社都合の退職ということですべては決着しました。今でもあの社長に対する怒りは消えていませんよ。
- うまくいかない原因は「年齢」じゃなく「職務経歴書」-納得できるまでとことん書き直しました
- 契約社員として勤務していましたが、ついに契約終了の時が。次の仕事先を探そうにも、すでに38歳。このまま派遣社員を続けるのも不安だし、なんとしても正社員になろうと決めました。
- そんなに流暢に話せないのに、1時間の英語面接…必死さが奇跡を生み、年収150万円アップで転職成功
- 機械メーカーの技術営業として勤めてきました。しかし、実際は技術を駆使するよりもサービス色の濃い仕事でした。しかも高いところや狭い場所での危険な作業が多く、将来が不安で転職することにしました。
- 転職を機に「本当にやりたかったこと」に挑戦-この思い、必ず理解してもらえる!と信じて
- 退職を打ち明けたとき、周囲からは「出世コースを歩いているのにどうして?」と聞かれました。たしかにそうでしたが、社内は平均年齢が高く、なかなか上の ポジションに就けないのは明らか。それに、たとえ役職が上になっても、やりがいが見出せない気がして。他の会社で自分を試してみたかったし、早く経営に関 わる立場で仕事をしたかった。それで、思い切って転職することにしたのです。
- 成果を認めてくれない会社にサヨナラ-希望業界の全体像を見ることができ満足の転職
- 営業は数字が命。私は広告代理店の営業職として、それなりに成果を上げてきたつもりです。クライアントからは喜ばれ、やりがいも大きかった。でも、どういうわけか社内では「下っ端の出過ぎた行動」ととられ、業務に支障が出る始末。とても我慢ができませんでした。
- 内定取り消しからの大逆転 30歳、未経験→コンサルタントに転職成功
- 生命保険会社の営業職として働いていた渡辺大輔さん(仮名・30歳)。営業スキルは身についたし、ずっと続ける気もなかったので、3年で転職を決意。「次 の仕事が見つかるまで」のつもりで営業時代の顧客先に誘われ契約社員に。しかし、気づいたときには1年が経過。やっと本腰を入れ転職活動を始めたが、スキル不足と契約社員という中途半端な立場がネックとなり、なかなか内定に至らない。できることならこの1年の経歴を隠したい……との思いもよぎったのだが。
- 「面接は笑顔で明るくハキハキと」当たり前?でもやっぱりこれが大事
- 仕事のやり方に不満があったんです。上司に相談を持ちかけたり、自分の意見をまとめた稟議書を提出したりしましたが、効果なし。上司は親身になって話を聞 いてくれるのですが、それ以上のことは何もしてくれない。経営状況も悪化する一方で、こんなんじゃとてもついていけないと思い、転職活動を始めました。
- すべての希望条件を満たす会社は少ない-選択を迫られたときの判断基準は必要
- 前職では、海外営業として中国関連の業務を担当していましたが、部門が縮小されることに。対中事業に力を入れている会社で貢献したいと思ったのが転職のきっかけです。
- 目的が漠然としていたせいで2社の内定を辞退-気持ちが前向きになれた会社に決めた
- 転職は2回目。前回はリストラがきっかけの転職で、焦っていたせいか、内定が出た会社にすぐに飛びついてしまいました。そうして入社した結果、給与が一人 暮らしの私には厳しい金額であり、未経験で始めた仕事も我慢して続けるだけの魅力を感じなかったため、再び転職活動をスタートすることにしたのです。
- 手取り月収17万円。接待ゴルフで超ビンボーからの脱出
- 社員9人の小さな会社で在庫管理・購買の仕事に就いた山岡健二さん(仮名・28歳)。何でもこなさなくてはならない分、キャリアを深めることができないの が悩みの種だったのだが、さらに追い討ちをかける出来事が! それは……取引先との接待ゴルフ。コンペ参加費3万5000円(自腹)。手取り月収17万円 なのに。何のために働いているのかわからない! 一念発起で転職活動をスタートした。
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