スポーツ義足の中で特に印象に残っているのは、2000年のシドニーパラリンピックの走り高跳びに出場した鈴木徹(注1)くんの義足かな。
そのとき作った義足が本格的なスポーツ義足の最初の作品なんです。本番までにかなり苦労したんですよ。鈴木君もその当時20歳と若かった上にパラリンピックに出るのは初めてだし、僕も作るのは初めてだったから。お互い経験が少なかったから、いい記録を出すための義足がどういうものなのか、切断部に合ってるのか合ってないのかの微妙なところなどがなかなかわからなかった。1年で何度も作り直したりいろいろやってね。ほんとに毎日が試行錯誤の連続でした。
ああでもないこうでもないとやってる間にパラリンピックが始まっちゃって。慌ててシドニーに乗り込んだって感じでしたね。結果は6位入賞でした。日本人として初めてパラリンピックの走り高跳びに出場しての6位だから悪い結果ではないのですが、鈴木君も僕もとても悔しかったですね。本来の実力ならもっといけるはずでしたからね。
一番大変だったのは、鈴木君の気持ちと義足の調整を図ることでした。鈴木君はナーバスになったときや記録が出ないときは原因を義足に求める傾向が強かったんですね。こちらから見れば義足には問題はないんだけど、どうしても義足に目がいっちゃう。その辺の気持ちと義足の調整をうまくやって本人の気持ちを落ち着かせるということがたいへんでした。鈴木君に限らず若い選手はだいたいみんな同じです。まだ精神的に未熟だからしょうがないんですよね。
選手から義足に問題があると言われたときには、とりあえず「よしわかった。義足をなんとか調整する」って言うんですが、実は大したことはやらないんです(笑)。でもこの効果は結構大きくて「任せろ。なんとかしてやる」と言うと、選手の気持ちも前向きになって調子が上がったりするんですよ。プラセボ効果(注2)のようなものですね(笑)。 |