キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その6…

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第40回
須藤シンジ氏インタビュー(その6/全6回

須藤氏

仕事なんて何でもいい
重要なのは「どう生きたいか」
想像もできない未来を楽しみに

フジヤマストア代表/ネクスタイド・エヴォリューション代表須藤 シンジ

現在、須藤氏の家族はニュージーランドで暮らしているが、須藤氏自身も仕事と生活の拠点をニュージーに移す予定なのだという。独立して9年が経った今でも、会社を辞めるときに選択した、人生の時間を自分でコントロールする生き方を実現している。完結編の今回は須藤氏にとって仕事とは何か、何のために働くのか、そして幸せとは何かに迫った。

すどう しんじ

1963年、東京都生まれ。有限会社フジヤマストア、有限会社ネクスタイド・エヴォリューション代表。3児の父。
大学卒業後、丸井に入社。販売、債権回収、バイヤー、宣伝など、さまざまな職務を経験、その都度輝かしい実績を打ちたてる。特に30歳のときには丸井の新しい業態「イン・ザ・ルーム」、「フィールド」の立ち上げに主要メンバーとして参画。丸井のイメージの一新に貢献した。次男が脳性まひで出生したことにより、14年間勤務した丸井を退職。マーケティングのコンサルティングを主たる業務とする有限会社フジヤマストアを設立。
2002年、「意識のバリアフリー」を旗印に、ファッションを通して障がい者と健常者が自然と混ざり合う社会の実現を目指し、有限会社ネクスタイド ・エヴォリューションを設立。以降、世界のトップクリエイターとのコラボで、障がいの有無を問わず気軽に装着できるハイセンスなユニバーサルデザイングッズや障がい者を街に呼び込むための各種イベントを多数プロデュース。ネクスタイド・エヴォリューションが手がけたスニーカーはあのイチロー選手も愛用しているという。
年を経るごとに須藤氏のコンセプトに賛同する企業は増え、意識のバリアフリーの輪は少しずつだが、確実に広がっている。

子どもの自立のために

今、僕のかみさんと子どもたちはニュージーランドで暮らしていますが、子どもをニュージーに留学させた理由は「日本の価値観から離脱させるため」ともうひとつあります。それは困難にぶちあたっても、簡単にあきらめない、自立した子どもに育ってほしいからです。

数年前から、新卒で企業に就職した人の内の3割が3年以内に辞めてしまう現象が社会問題として盛んに喧伝されていますよね。その大きな理由のひとつに「自分がやりたいと思っていた仕事と違ったから」というのがありますが、何を甘ったれたことを言ってんだと思いますね。すなわち、会社の仕事なんて、特に入社して間もない時期では、自分の希望と違ってて当たり前なんですよ。そもそも最初から自分のやりたいことができる方が稀ですから。

本来、職業人として自分のやりたいことを続けるためには、クライアントニーズに応え続ける必要があります。会社に入った時点で「サラリー=ギャラ」を提供してくれる会社は、ある意味でクライアントなんですね。思い通りにならない状況下で、いかに「クライアント=会社」を納得させ、自分の思い通りの方向に動かすか、という行為こそ、最大の訓練なんだと思うんです。まさしく職業人としての基礎訓練期間みたいなものです。それを途中で辞めるのはあまりにもったいない。

親にも責任がある

また、3年以内に辞めてしまうのは、進学や就職するときにブランドや見栄や社会的認知度の高さだけで学校や企業を選んできた結果でもあるでしょうね。有名大学や有名企業に入りさえすれば人生なんとかなる、そこに入ることが自分のステイタスを上げるブランドになると。かくいう僕も高校生の頃はそうでしたけどね。

その一因は親にもあると思いますよ。親が思ってる「これがステイタス」、「これがブランド」と思ってる学校や企業なりに子どもがたどり着いたことに満足してるという状態にむしろ危機感を抱きます。

もっと根本的なことを言うと、親はセーフティネットを張りすぎるというか、子どもにとっての障壁を極力取り除きたがるのが問題だと思います。社会に出ると障壁だらけでセーフティネットなんてないので、温室の中で育った子どもは思い通りにならない「障壁」に遭遇すると避ける傾向になりますよね。それが、入社してすぐ自分がやりたいことと違うから辞めるという行動に現れるのだと思います。

もちろんその中には、その先の道を自分で切り開いていける人もいるでしょう。しかし、やはり僕がこれまで実社会で接触してきた人々の数から考えれば、「やりたいことと違うから」という理由で3年以内に辞めてしまう人は、企業の中枢を担う仕事を任されたり、大きなプロジェクトを任されて成功させる人材になるのは難しいような気がします。

障害物は取り除くべからず

僕も丸井時代、希望してた宣伝の仕事ができるまで5〜6年もかかったし、その間、きついことやつらいこともたくさんありました。なぜそこであきらめずに踏ん張れたのかというと、ひとつは子どもの頃からいろんな障害物があったことが大きいと思います。

これまでの人生の中で多かれ少なかれいろんな試練とか思い通りにならない環境、障害物、不条理な場面があり、それを自力で一つひとつ乗り越えることで、忍耐力や簡単にあきらめない粘り強さ、困難に立ち向かっていく勇気みたいなものが身についたんだと思います。

逆境を利用して成長

もうひとつ、逆境が与えてくれた財産があります。それはマイナスの状況をプラスに変えてく作業、つまり、世の中で困難だと思われてることを克服し、よりよい状態にしていくプロセスそのものに喜びを見出すようになったことです。

世間が困難だと思う状況でも、僕自身は困難だと思わないんですよね。困難っていうのはマイナスの状態を最低でもゼロまで持ち上げるという作業だと思いますが、基本的にどんな状況でもゼロ以下だとは思わないんです。いつもゼロから上にもって行こうと考える。

そうやって頑張った結果、マイナスの状況からプラスに転じることができれば、達成感が得られます。そうするとまたマイナスの状況になったときにも、どうやってプラスに転じてやろうかとむしろわくわくしながら立ち向かっていける。

幼少期からそういうトレーニングをさせてもらったおかげかな……。中学時代のイジメに始まり、大学受験失敗、浪人、海外放浪、入社試験、新人時代、債権回収時代、K店への左遷、脳性まひの次男の誕生、独立・開業してすぐ背負った1600万円の借金などなど……。うん、今、気付いたんですが、そういう経験が人よりも多いのかもしれません。

体験が人を作る

こういった一つひとつのことを身をもって経験した結果、今の僕がある。環境というよりも、体験が人を作っていくのだと思います。行動することによって、初めて自分に返ってくる。だから何はともあれ行動してみることが大事だってことですよね。 でも今の僕があるのは、元をただせば、不条理な状況や逆境におかれたときでも、親が安易に手助けしなかったからです。僕のことを思うからこそ、見守ってくれた。だから自分で乗り越えようするクセがついた。親にはとても感謝しています。

だから僕も自分の息子たちに同じように接しようと思っているわけです。意図的に子どもたちにとって不条理な状態を作り出して、それを小さい頃に味わわせて、乗り越えさせようと。

でも子どもたちにとってはえらい迷惑な話かもしれないですけどね。このニュージーランド暮らしも彼らにとっては不条理な話だと思うんですよ。日本で暮らした方が楽に決まってますから。長男なんてこの春(2009年3月)日本の中学を卒業したんですが、ハンドボールというスポーツでそれなりの偏差値の高校からかなりスカウトが来ているにも関わらず、ニュージーランドの高校へ強制留学ですからね。彼は今、僕が無理矢理日本から引き剥がしたと思ってるわけ。でもそこを自分の力で乗り越えて、10年後、20年後に強い男になってほしいと思っているんです。

数々の困難にチャレンジし、乗り越えることで成長していった須藤氏。希望する仕事にたどり着くためには、夢を実現させるためには、自分の人生を自分の足で歩いていくために最も必要なのはどんな力なのだろうか。

継続は力なり

あらゆる意味で継続する力が大事だと思いますよ。例えば夢を持つのも、それを持ち続けるのはたいへんです。野球の場合でも、3割バッターっていっても、裏を返せば7割は失敗してるわけでしょ。だからその失敗にもめげず、トライし続けることが重要ですよね。

女の子を口説くときも同じですよ。大学時代、バイト先が同じだった僕と友達と先輩の3人でよくナンパをしてたのですが、友達は10人に声を掛けて断られて帰った。僕は明け方前まで先輩と一緒に100人に声を掛けたけどダメで帰った。翌日の昼、その先輩とバイト先で会ったときに、昨日と同じ服を着てた。どうしたんですか?って聞いたら、「須藤が帰った後にうまくいってさ。その女の子の家からバイトに来たんだよ」ってにこっと笑った。結局何かを得ようと思ったら継続が大事だということですよね(笑)。

会社が鍛えてくれた

今現在、「フジヤマストア」の経営者として独立して、ネクスタイドなどのプロジェクトを推進できているゆえんも、「継続」です。丸井時代の13年半、最初は靴売り場から始まって債権回収など宣伝からは程遠い業務でも、真剣にゼロから取り組み、砂をかじるような思いをしながらも、夢の実現のために何度も挑戦と失敗を繰り返しながらやってきたからこそですよ。念願の宣伝課に行けてからだって、最初は企画を100出して1つ通るか通らないかだったのが、あきらめずに出し続けることで徐々に1割、2割、3割と打率が上がっていった。また、新規事業の立ち上げに参画できたことで、ビジネススキームを構築する能力も身についた。そうやってトライ&エラーを続けることによって身についたノウハウが今に生きてるわけです。

そういう意味では丸井さんには本当に感謝しています。かなり鍛えてもらいましたから。まさに「ビジネス学校・丸井」ですよ。そもそも僕は映像系のマスコミ志望だったので、丸井さんに入社したことで一見遠回りをしたようにみえるんだけど、そのおかげでファッションや事業開発、あるいはマスコミなどのメディアを動かす仕組みなどを学べました。もし大学卒業後、すんなり広告代理店に入社できていたら、今の僕はなかったと思いますね。

目標を立てることがいいとは限らない

確かに、何かを得ようとか成し遂げようと思ったら、継続は大事で、そのためには夢や目標を持つことが重要です。ただね、みんながみんな夢を持つべきとか目標を立てるべきだと言うのは間違ってると思っています。なぜなら、たまたま僕個人はその都度夢や目標があって、それに向かって頑張れたのですが、それもあくまで1億2000万分の1にすぎないんですよね。

世の中にはいろんな人がいます。スポーツにたとえると、野球が得意な人もいればサッカーが得意な人もいるし、走るのが得意な人もいれば投げるのが得意な人もいる、短距離走が得意な人もいれば長距離走が得意な人もいるじゃないですか。そのペース配分や力の入れ具合は人それぞれの素質によって違いますよね。

成功した経営者の本などに「夢を持とう」とか「目標を立てろ」などとよく書かれてありますが、それが得意な人もいれば、そうじゃない人もいるんですよ。そうじゃない人に向かって、「絶対に夢を持たなきゃいけないんだ!」とか「目標を立てて手帳はこれだけ真っ黒に埋まってなきゃいけないんだ!」と言ってもあまり意味がないと思うんですよね。

だから夢や目標を持つのが苦手な人は無理にそうしなくても、その人のペースで目の前のことに一所懸命に取り組んでいればいいんじゃないかと思いますね。

人生の夢は描いていない

僕は確かに仕事上の目標はその都度設定して達成するべく全力を傾けてきましたが、10年後、20年後といった長期的な人生の夢は全く描いていないんですよね。あえて言うならば、想像もしなかった仕事なり生活なりをしている自分であってほしいとは思います。10年後に今の自分を振り返ったとき、あのときこうなるなんて想像もしなかったよなあという状態になっていたい。35歳のとき、今の自分の状態が全く想像すらできなかったのと同じようにね。 もちろん、目標に関しては、ネクスタイドのプロジェクトで提唱している次なる(NEXT)、潮流(TIDE)が形成(EVOLUTION)されるまで、本気でやり続けますよ。人生の夢は特にないけれど、目標ははっきりしてるということです。

須藤氏が独立・開業し、ネクスタイドを立ち上げるきっかけになった次男は現在14歳。重度の脳性まひで生まれたが、その後次第に動けるようになり、今では元気にニュージーランドで暮らしている。この次男を含め、家族の存在が須藤氏の仕事の意義を決定付けていた。

健常者と変わらない回復ぶり

次男は今、14歳になったばかりですが、見た感じは普通の子どもと変わりません。知能指数は実年齢の半分ほどですが、運動機能はほぼ普通の子どもと同じです。クラスメイトと普通にコミュニケーションも取れるし、ネクスタイドが開発したスニーカーを履いて動き回ってます。サイクリングやボディボードだってやるんですよ。

確かに驚異的ですね。生まれた直後は医者から一生歩けないと言われてましたから。補助器だって最初は重くてつけられないほどでした。

ここまで動けるようになった理由は正直僕自身もよくわからないんですよね。特別な治療も受けていませんし。しいて言えば気功の先生にお世話になった程度でしょうか。 あとは0歳のときから普通の児童が通う保育園に入園させてもらいました。人間が脳で理屈で考えることが動物の本能としての成長を阻害してる部分もあるというような説を何かの本で読んだ記憶があったので、より生命力に満ち溢れている子どもたちと一緒にいた方が生き延びる本能を呼び覚ましやすいかもしれないと思って。

でもやっぱり大きいと思うのは、信じる力かな。次男は絶対に歩けると、無理矢理にでも自分に対して信じ込ませてたんです。そして毎晩次男に「君は絶対に歩ける」と語りかけていました。こう言うとオカルトじみて聞こえるかもしれませんが、やっぱり信じる力みたいなものはあるんじゃないでしょうかね。そういったことがすべていい方に作用して、動けるようになったんだと思います。

仕事は目的ではなく手段

この次男の存在が僕の働く意義を決定付けていると言っても過言ではありません。僕にとって仕事とは何か。この質問をもらっていろいろ悩みました。結局のところ僕が求めているのは「幸福感」なんですよね。

子どもが重度の脳性まひというハンディキャップをもって生まれた。それが彼の幸福感を阻害したか? 徐々に動けるようになり、今ではサイクリングもやりボディボードもやりスキーだってやる。その成長を親である僕らは喜ぶ。そして、彼がハンディをもってるがゆえに手を差し伸べてくれたいろんな人びとに対して心の底からありがたいと思える。素直に感謝できる。この素直に感謝できる気持ちって、今まであったかと。これってありがたい話だなと心底思いますね。だから「今、幸せですか?」と問いかけられれば、ハッピーだよ、幸せだよって即答できる。過去にもそう答えていたこともあるけど、文字通り本当に心から幸せだなと思えるのはこの数年なんですよ。

で、この幸福感ってのは形がないものなんですよね。この、自分と家族の形なき幸福感を求めるための手段ですね、僕にとって仕事っていうのは。

原動力は家族への愛

だから当然、仕事の原動力は家族への愛です。生きる原動力といってもいい。独身だった頃は、自分のやりたい仕事をやりたいという思いや、目標達成欲などのために仕事をしていました。でも、それってしょせん利己的なもの。中学生の頃からクリエイティブな仕事に憧れていたわけですが、20代後半で宣伝の仕事に就き、30歳そこそこでビジネス上でやりたいことはすべてやり尽くしたと思ったとき、企業人として仕事に関する欲求はすっかり満たされました。その時点で僕の利己的な思いはいったん完結したんです。

それから会社を辞めてゼロからフジヤマストアを起業してネクスタイドを立ち上げたりした40代前半が終わって、これから50代に向かうわけですけど、その途上で得た次のやりたいことっていうのは、家族と一緒にいかに楽しい思い出を作れるかということ。今はそれが最も重要で一番やりたいことなんですよね。

それは非常にクリエイティブな行為なんですよ。ずっとやりたかった宣伝の仕事よりも。家族を持ってそれを知りましたね。だって家族の人生をプロデュースできるわけですから。暮らす国を日本じゃなくてニュージーランドにしようぜ、とか。広告をつくるよりも何倍もクリエイティブですよね。

言い方を変えると、子どもの頃から持っていたクリエイティブへの夢を家族の時間に見出したということです。家族を持ってみて、はたと気付いたわけですよ。結局クリエイティブな能力は、仕事だけじゃなくて家族にも使えるんだ、むしろそっちの方が人生においては本当の使い道なんじゃないかなと。

これらのことを、ニュージーランドを含めた海外の人々と交流して強く実感しましたね。まずは自分の人生をこういうふうにしたいというビジョンがあって、そのための収入源として仕事や働き方を選ぶ。仕事は目的ではなく手段というのはそういうことです。

だから仕事とプライベートははっきり分けてますね。家族との幸せな時間をもつために働いているわけですから。世の中の企業はこれだけIT化やオートメーション化によって高度に効率化されているにも関わらず、多くの企業人は空いた時間をまた次の仕事に使ってるわけでしょう? でも僕の場合は時間をうまくハンドリングして、家族と一緒に過ごすために時間を使っているんです。

家族のために働いているわけではない

だけど、家族のために働いてるかというと、ちょっとニュアンスが違う。ここが難しいんですけどね。

どんな理由を並べ立てても、究極は自分のために働いているんでしょうね。自分が家族との時間を大事にしたいから、こういう仕事と働き方を選んでいるわけですからね。もっと突き詰めれば、仕事は自分の存在意義を確認するためにやるという側面もあるので、やっぱり自分のためでしょうね。

さまざまな企業とのコラボでネクスタイドの活動が広がりを見せるに従い、ネクスタイドデザインの商品を着用する障がい者の数も増えつつある。しかしそれが直接的な仕事の醍醐味にはならないという。須藤氏の見据える目標ははるか遠く、険しいものだった。

満足感にはほど遠い

ネクスタイドの活動を通して感じる最大の醍醐味は、海外のトップクリエイターたちとの共感ですね。国内外でイベントやレセプションを企画・運営する際、彼らと一緒にひとつのテーマを共に感じながら構築していく過程、そしてイベント後のお客さんのレスポンスまで共有し共感できることが一番の醍醐味かな。

確かに障がい者の方がネクスタイドデザインのグッズを身につけて喜んでくださったりすることも仕事のやりがいにはなっています。実際うちの子どもがネクスタイドのグッズを使用して喜んでいるのを見るとうれしいですよ。 ただ、我々の究極的な目標・ミッションは「健常者と障がい者が混ざってる状態が当たり前な世の中の実現」なので、今障がい者の人たちがネクスタイドデザインのグッズを身につけて喜んでくれていることももちろんうれしいのですが、それは目標達成のために積み重ねていかなきゃいけない小さなピースのひとつであって、目的そのものではないんですよね。

それよりもむしろ混ざってる状態の実現の方が僕にとっては重要なので、そういう意味では丸井さんの有楽町店で視覚障がい者のためのイベントを開催したときに、盲導犬を連れた視覚障がい者の方たちが銀座を闊歩してる姿を見ることの方がうれしい。でも、それにしたってまだまだうれしい次元がはるか下なんですよ。世の中の新しい価値観をつくるというゴールには程遠いわけですから。そういう意味では一つひとつの仕事自体の醍醐味はありますが、目標に対して満足感を感じるというレベルにはまだまだ至っていないんですよね。

それどころか僕の言ってることは荒唐無稽で、単なるほら吹きに終わる可能性だってありますよね。今までやってきたことは実績といえるレベルじゃないと思ってますから。先のことなんてわかりませんし、まだまだこれからでしょう。可能性は無限だから(笑)。

時空を超えた繋がりも醍醐味

ここ10年くらいの座右の銘にしている言葉のひとつに、「モノより思い出」(※1)というのがあります。ご存知の方も多いと思いますが、日産セレナの広告のキャッチコピー(1999〜2004)なんですよね。僕が丸井さんを辞めて独立したころにちょうどこのキャッチコピーのセレナのCFがオンエアされていたのですが、まさにこのコピーが丸井さんを辞めた理由そのものだったので、フジヤマストアの社是・社訓にしてたんですよ。

このコピーを作ったのは、小西利行さん(※2)という有名なコピーライターで、近年クリエイティブディレクターとして活躍中の人なんですが、実はネクスタイドの「違いは個性、ハンディは可能性」というコピーもこの小西さんに作っていただいたんですよ。

このコピーは、ネクスタイドだけじゃなくてまさに僕の人生観にぴったりなんですよね。これまで苦しい状況に追い込まれてもそこから這い上がってプラスの状態にもっていけたのは、「ハンディを可能性」ととらえることができたからにほかなりません。その過程で味わう幸福感みたいなものが何物にも替え難い喜びでもありましたしね。 ほんと、ご縁ですよね。まさか小西さんに僕らのプロジェクトのコピーを作ってもらえるとは夢にも思わなかったなあ。想いを持ち続けていると必ず繋がっていくんですよね。この時空を超えて繋がったという感じも、仕事をしていてうれしいこと、醍醐味、やりがいのひとつです。

※1 「モノより思い出」──須藤氏は息子たちの小学校卒業記念に川崎の自宅から400km離れた福島の祖母の家まで一緒に自転車で行くというイベントを行っている。「長男は6年生のときに、次男と三男は5年生と3年生のときに行きました。そのときに毎日日記をつけさせていて、息子たちにやらせる以上自分もやんなきゃと思って僕自身も日記を書きました。これが『モノより思い出』のひとつの形です。ちなみにそのときの自転車をニュージーランドに持っていっていて、それで今息子たちは学校に通ってるんですよ」(須藤氏)

※2 小西利行──クリエイティブディレクター/コピーライター。博報堂を経て、2006年に独立、株式会社POOLを設立。日産自動車セレナ「モノより思い出」キャンペーン、プレイステーション「暮らし、イキ!イキ!」キャンペーン、サントリー伊右衛門、PARCO「ふたりPARCOキャンペーン」などを手がける。広告のほかに日本最大のエコ・ショッピングセンター「AEON Lake town」(越谷)などのクリエイティブ・ディレクションも担当。TCC賞、ニューヨークACC賞金賞、フジサンケイ広告賞グランプリなど受賞多数。

「幸せはいつも自分の心が決める」

ちなみにもうひとつの座右の銘は、「幸せはいつも自分の心が決める」。詩人の相田みつをさんの言葉です。独立した直後に1600万の借金を抱えたときに、やっぱり悶々としてたんですよ。丸井のサラリーマンとしての出世頭の要職を蹴って、会社を辞めた挙句、多額の借金を抱えちゃったことに対して、家族に申し訳ないと思っていました。

それで福島に住むかみさんのご両親に借金の相談をしに行ったことがあったんですよね。そのとき、かみさんの実家のトイレに入ったらみつをの日めくりカレンダーがあって、何気なく見たときに「幸せはいつも自分の心が決める」という言葉が目に飛び込んできたんです。その瞬間「これだ!」と思って。すぐに手帳に書き留めて、それ以降座右の銘として、毎日眺めているんです。

これらの言葉は座右の銘であるとともに、ロングレンジでの人生の目標というか、追い求めているものでもあるんですよね。すなわち、形なき幸福感をその時々で味わえるかというのが毎日の僕のテーマなので「幸せはいつも自分の心が決める」や「モノより思い出」はまさにそれを表しています。

人生を変えた人・出会い

ちなみにもうひとつの座右の銘は、「幸せは今の僕があるのは親をはじめさまざまな人たちのおかげですが、これまでの人生を振り返って、僕の人生に大きな影響を与えてくれた人は3人います。まず1人目は中学時代、いじめにあってるときに助けになってくれた担任の先生(※3)。2人目は広告・宣伝の道に進むきっかけを作ってくれた第一企画の中村さん(※4)。

3人目は予備校の講師です。渡辺先生っていう英語の講師だったんですが、彼の授業の3分の1は人生観に関する話だったんですよ。といっても、「人生とはこうだ」などと直接的に話すのではなくて、一見無関係な、例えば彼が愛するドイツの川の流れの話をするんですよ。Aという川とBという川が交わるところの色合いの変化の美しさに心が震えたみたいなことを延々話してくれたんですよね。あるいは詩人の詩の一節だったり、賢人の言葉だったりその時々で違うんですが、そういった大学受験のためのテクニック以外の話によって、10代のまだ多感な頃の情緒の部分を非常に掻き立てられたっていうかね。とにかくすばらしい人でした。

予備校時代はその渡辺先生の授業でいい席を取るために、夜明け前に家を出ていたのですが、ある朝、家から駅まで歩く途中、朝日が昇っていくのを見て涙が出てきたことがあったんです。そのときなぜだか渡辺先生の顔も浮かんできて、授業終了後、「先生、恥ずかしい話なんですが、今朝、朝日を見てたら涙が出てきちゃったんですよね」と先生に何度か話したことがあるんです。人の心を動かす何かを知ることができたのは、あの先生のおかげかもしれないなと思いますし、それが今、すごく生きてるんです。

僕が感動した先生の話は形のないものなんですが、今僕が追い求めようとしている幸福感も形がないものなんですよね。先生の話から掻き立てられたあの情緒感というのは今、僕が幸福感を追い求めている源泉に何らかの形でつながっているような気がするんです。

※3 担任の先生──いじめられていた須藤少年を落語に連れて行ったり、実際に落語をやることを勧めたりした。そのような行動が須藤少年の精神的な支えとなった。

※4 第一企画の中村さん──アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の第一企画(当時。現ADK)の担当者・中村建一氏。小学5年生の須藤少年の最初の目標となった人物。以降も付き合いは続き、就職の際にも親身になって有益なアドバイスを与えてくれたことで、キャリアの最初の道筋をつけてくれた大恩人。

生まれ変わってもまた出会いたい

生まれ変わったらどんな仕事がしたいか? 正直何でもいいです。仕事はあくまでも幸福感を得るための手段であって、どんな仕事をするかは重要ではありません。したがって、生まれ変わっても今やってる仕事じゃなければならないということはありません。

ただ、今のカミさんとはまた必ずや巡り会いたいと思いますね。彼女がいなければ、絶対に今日の僕はありえなかった。それは断言できます。彼女が僕のパートナーでいてくれていることが、僕や家族の幸福感の源泉だと思ってます。

というか、「魂の仕事人」にほんとに僕なんかが登場してよかったんですかね? 大きな成功を収めている方ばかりが登場するインタビュー企画で取り上げてもらうには、僕など小粒すぎだと思うんですよね。だからとても恐縮しているんです。ここまでぶっちゃけて喋っておいて何なんですが(笑)。

仕事とは形なき幸福感を得るための手段

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