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魂の仕事人 第22回 其の一
やりたいことがわからず さまよっていた20代 偶然の出会いから道が開けた
事故や病気などで手足を失った人のために「手足」を作る仕事がある。義肢装具士と呼ばれるその職人の中でも、ひときわ異彩を放っているのが臼井二美男51歳。彼の作る義足は切断障害者の生活ばかりか、心、果ては人生までも変えてしまう。あくなき探究心と優しき心で依頼者に夢や希望を与え続ける義肢装具士の第一人者に、これまでの歩みと仕事の意義を聞いた。  
義肢装具士 臼井 二美男
 

やりたいことがわからなかった

 

臼井氏の職場。ここで年間100足以上の義足が生み出されている


 義手や義足を作る義肢装具士を目指そうと思った直接的なきっかけは、28歳のときに見つけた職業訓練校に貼ってあったチラシです。当時僕は今でいうフリーターみたいな感じで、いろんなアルバイトをしながら生活してたんです。

 僕は前橋出身なんですが、地元の高校を卒業後、東京の私立大学の文学部に入学しました。文学部を選んだ理由も特になく、経済学部や法学部よりは文学部かなと(笑)。高校を卒業するときも特になりたい職業はなかった。実家は農家で、僕は次男だったので、親は公務員とか学校の先生とか銀行員になれとかしか言わなかったですね。

 中学、高校に上がっても、親は農家しか知らないから、その話に「こういう職業はこんな感じで」といったような具体性がないんですよ。世の中にはいろんな職業があるのにね。まあ確かに田舎だからそもそも職業の選択肢が少ないんですが。だからただひたすら公務員や銀行員などの安定した無難な職業に就けとしか言わなかったですね。

 だから高校を卒業するときも、何になろうとかイメージが湧かなかったですね。なりたいものがなかったというか、分からなかったです。そういう決断をする材料や情報があまりにも乏しかった。

 だから東京に出て、自分でいろんなアルバイトを経験したり人と会ったりする中で見つけていくしかないと思ってました。

大学中退、フリーターの道へ
 

 それで東京の大学へ入学後、いろんなアルバイトをやるわけですが、そっちの方の比重が重くなってしまって、3年生で中退しちゃったんですよ。元々、文学が勉強したくて大学へ進学したわけじゃなかったですしね。実家にいるよりは東京へ出て、人生経験を積んで、なりたい職業を探すというのが目的でしたから。

 大学在学中から中退後もアルバイトはいろいろやりましたよ。例えばガードマン、バーテン、ワゴンでTシャツとかを売る露天商、音楽事務所でのコンサートの企画、それからトラックの運転手もずいぶん長くやりました。

 特に中退後は生活費を稼ぐのが目的になってましたね。やっぱり親に高い学費を出してもらって中退でしょ。心情的には申し訳ない気持ちでいっぱいなわけですよ。だから食べるくらいは自分で稼がなきゃって思って。

 21歳から28歳ころまでアルバイト生活でしたが、その間、不安は常に感じてました。俺の本当にやりたいことってなんだろう、この先、自分はどうなっていくんだろうって、常に模索して、悶々としてて、ほんとにさまよってるって感じでしたね。自分が何に向いているのかとか、きっかけとか入り口みたいなのが、なかなか分からなかったですからね。

 実家へ帰省すれば、親にもっとちゃんとした仕事をしろって言われるのがわかってるから帰るのがすごく嫌だった。親は何か悪いことに手を染めてるんじゃないかって心配してね。麻薬とかを売ってるんじゃないかとかさ。だからたまに実家に帰って風呂場へ入ると、親に腕をさっと捲くられたりね。注射の跡があるんじゃないかってチェックするんですよね。その頃はけっこう髪の毛も伸ばしてたから(笑)。

 もちろんちゃんとした会社に正社員として就職しなきゃという気持ちもありましたよ。でも当時70年代は情報源がないわけですよ。今みたいにインターネットもないし、就職・転職雑誌もない。あるのは『アルバイトニュース』くらい。それにしたって載っているのはほんとのアルバイト、ビラ配りとか工事現場の人足とか。だから28歳まで正社員を目指した就職活動はしたことがなかったです。

21歳から8年間、フリーターとしてさまざまなアルバイトで食いつないできたが、28歳のとき正社員として働くことを決意する。その大きな理由となったのは、内的なものではなく、外的な要因からだった。最初はやむにやまれずといった感じで始めた就職活動だったが、その過程で臼井氏の人生を変える「出会い」があった。

結婚を考えてフリーター脱出を決意
 

 28歳ころ、今の奥さんになる彼女ができて、その人と結婚したいと思うようになったんです。結婚するためには仕事も正社員でちゃんとやんなきゃダメかなと。彼女の親にもちゃんと就職しろって催促されてましたからね。やっぱりそれが大きかったですね。

 どうせやるなら手に職をつけられる仕事をしてみたいなと思って、職業安定所や職業訓練校に通ってみることにしたんです。ある日、相談に行った職業訓練校の帰りに、もう一校別の職業訓練校を見つけたので寄ってみると、掲示板にいろいろ職業訓練コースの張り紙が張ってありました。洋裁とか和裁とかあって最後に「義肢科」というのを見つけたんです。

 その瞬間、子供の頃の思い出がフラッシュバックのように突然蘇ってきたんです。その思い出というのは、小学校の先生のことです。6年生のとき、担任の女の先生が夏休みが明けても学校に来なくなっちゃった。病気でしばらく休みますと。1カ月ほどして教室に現れた先生は足を引きずってた。そして自分で「私はこっちの足が義足になっちゃいました」って言ったんです。骨肉種という病気で大腿部から下を切断してたんです。

 でも子供だからそれがどういうことかよくわからなくてね。義足がどういうものか想像がつかないわけですよ。そしたらある時、先生がスラックスの上から触らせてくれてね。そしたらちょっと固くて。人間の足とは全然違う感触で……。そのときはやっぱりショックでしたよ。先生の足が機械みたいなものになっちゃったというのは、子供心にもすごいショックでしたね。

「義肢」の一言で
16年間封印された思い出が蘇った
 

 でも12歳から28歳まで、その先生の義足のことを思い出すことはなかったんですよ。完全に記憶の底に沈んでました。東京へ出てきてからは特に、日々いろんなバイトに明け暮れてましたからね。

 でも職業訓練校の張り紙で「義肢」という文字を見てばーっと思い出したんですね。ああ、あの先生がつけてた義足のことだと。それで興味が沸いたので、思い切ってその職業訓練校に入っていっちゃったんですよ。日曜日だったんですが、もし誰かいたらちょっと話くらい聞かせてもらえるかなと思って。

 そしたらちょうど義肢科の主任の先生が出勤していて、その人に「実は今、手に職をつけたいと思っていて、いろんな専門の学校を探しているところなんですけど」って言ったら、「じゃあぜひウチへ入学しなさい。手続きもすぐやってあげるから」って言ってくれた。いろいろ話を聞くと、入学試験も簡単で労働省から助成金をもらっているから入学金もいらないと。そのときちょうど2月くらいで、「4月からウチに来なさい」って言われたので、じゃあお世話になりますってその場で約束しちゃったんですよ。

「思い立ったが吉日」で
義肢製作所へ飛び込む
 

 でも家に帰った後、少し考えちゃったんですよね。義肢科の張り紙を見て思いついてぱっと学校に入って、とんとん拍子に話は進んじゃったけど、よくよく考えてみれば、義肢の現場って全く知らないんですよね。どういう仕事でどういうところで働くのかとか。普通はそういうことをある程度調べてから学校へ行きますよね(笑)。

 だからとにかく義肢製作の現場を見てみたいと思って、電話帳で「義肢」のつくところ、「○○義肢製作所」って書いてあるところを調べたんですよ。思いついたらけっこう行動的になっちゃってね(笑)。

 まず高円寺に個人でやっている義肢屋さんを見つけたのでそこへ電話したら、「ウチは個人でやってるから、こんな所を見てもあまり勉強にならない。東中野にある鉄道弘済会なら義肢職人も多いし仕事の内容もいろいろあるから、見学するのにいいよ」って教えてくれた上、鉄道弘済会に電話してくれたんですね。「今から若い臼井くんというのがそちらへ向かいますのでよろしく」みたいな感じで。すごくいい人ですよね。

 それでその日に鉄道弘済会へ行ったんです。ちょうどその時課長さんがいて、「4月から職業訓練校へ入るんだけど、一回現場を見たいので見学させてください」ってお願いしたら快く了承してくれて。工場には20人くらいの職人さんが働いていたんですが、多くは手や足がない人でした。もともと鉄道弘済会って、鉄道の仕事で手や足を失った職員のその後の仕事のために作られた義肢製作所なので、そういう人がたくさんいたんですよね。

 で、その職人さんから最初に「君は足があるの?」って言われたんです。「足があって五体満足なのにどうしてこんな仕事したいの? もっとまともな仕事を探しなさい」って。みんなそういうことを言うわけですよ。びっくりはしましたが、そんなこと言われたってやりたいという気持ちが強かったので、やっぱりやめようかなとは思わなかったけどね。

 一応見学はさせてもらいましたが、なにしろ初めてだから具体的に義肢製作についてはよくわからなかったですね。そもそもとにかく義肢製作の現場を知りたくて未知の場所に飛び込んでいったみたいな感じだったので。それで向こうが受け入れてくれれば、話を聞いて帰るくらいのつもりでしたからね。

すんなり就職決定
 

 ところが一通り見学して帰るときに、そこの課長さんに「明日また来ないか」って言われたんですよ。なんでかな、今日見られなかった所があったのかなとか思って「わかりました。明日も来ます」って約束して、次の日も行ったんですよね。そしたら「実は欠員が1人出たから、もしよかったら学校へ行くのをやめて見習いでウチに来ないか」って言われたんですよ。本来なら学校で義肢の勉強をした人が就職するところだけれど、学校へ行ったらやっぱり1年か2年はかかっちゃうし、それを考えたら早いほうがいい、未経験でもちゃんと教えるから大丈夫って。

 その申し出はうれしかったんですが、ここに来る前に職業訓練校の先生に4月に入学するって約束してましたからね。前に約束してた方を蹴るのって失礼じゃないですか。そういうことを言ったら、「職業訓練校の先生もよく知ってるから、ウチの事情を話して、ちゃんとお詫びをしておく。学校はキャンセルしてウチで働くということで話をすすめてあげるから」って言ってくれたんですよね。

 それで、じゃあ4月からよろしくお願いしますって鉄道弘済会で働くことになったんです。だからすごくラッキーですよね。学校へ行かないでいきなり義肢製作の現場で働くことができる。条件もとりあえず6カ月間は見習いで、その後正社員になれるということだったので。また義肢科を卒業しても、簡単には義肢製作の会社に就職できないってことも聞いてましたからね。

 だからその時の課長さんには今でも感謝しています。突然来たどこの馬の骨だか分からない、ちょっと危なそうにも見える人間をすんなり受け入れてくれたわけですからね(笑)。

これまで苦しんだ8年間のフリーター生活がウソのように、まさにトントン拍子で就職が決まった臼井氏。しかし義肢製作については何の知識も経験もない素人以下。それでも未知の世界へ飛び込めたのは、フリーター時代の経験を通して得た教訓があったからだった。

一生懸命やってればなんとかなる
 

 学校へ行かずにいきなり義肢製作の現場に飛び込んでいくということに関して、確かに不安はありましたよ。でもね、28歳までいろんなバイトをしてきたわけじゃないですか。大した仕事はやってないんですが、それを通じてどんな仕事でも一生懸命やってれば大抵のことはなんとかなるというのが、何となく自分の中にあったんですよ。だから医学とか機械とか義肢専門の勉強はしてないけれど、おおよそ人間がやってることというのは、一生懸命言われたことをやってれば、そんなにできないもんじゃないだろうって。これまでのバイト時代でも、辞めるときに、もっといてくれとか店長にならないかとか、結構言われてましたからね。

 また先輩たちだって、勉強していない人間にそんな無理な注文はしないだろうし、ある程度僕のレベルに合わせて仕事もやらせるだろうと。あとは自分の向上心があればなんとかなると思ってました。だから自信もなかったけど不安もあんまりなかったですね。

 

28歳にして義肢装具士見習いとして新たなスタート切った臼井さん。最初は偶然から始まった思いつきレベルの動機だったが、経験を重ねるにつれ、義肢製作の世界にのめりこんでいく──。

次回は臼井さんの修行時代、そして「一人前になるために必要なこと」を語っていただきます。乞うご期待!

 
2007.5.7リリース @やりたいことが分からず 苦しかった20代
2007.5.14リリース A充実していた修行時代 5年間でひとり立ち
2007.5.21リリース Bスポーツ義足に目覚め 陸上クラブを創設
2007.5.28リリース C欠かせないのは コミュニケーション
2007.6.4リリース D仕事は損得でやるものではない 約束があるからやるだけ

プロフィール

うすい・ふみお

1955年群馬県生まれ。義肢研究員・義肢装具士。大学中退後、8年間のフリーター生活を経て28歳で財団法人鉄道弘済会・東京身体障害者福祉センターに就職。以後、義肢装具士として義足製作に取り組む。

89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作も開始。91年、切断障害者の陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」を創設、代表者として切断障害者に義足を装着してのスポーツを指導。やがてクラブメンバーの中から日本記録を出す選手も出現。2000年のシドニー、2004年のアテネパラリンピックには日本代表選手のメカニックとして同行する。

通常義足でもマタニティ義足やリアルコスメチック義足など、これまで誰も作らなかった義足を開発、発表。義足を必要としている人のために日々研究・開発・製作に尽力している。

その類まれなる技術力と義足製作の姿勢でテレビ出演等多数。

【関係リンク】

■臼井さんが代表を務める切断障害者のスポーツクラブ
ヘルス・エンジェルス

■臼井さんが勤める財団法人鉄道弘済会・東京身体障害者福祉センター

魂の言葉 魂の言葉
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取材・構成/山下久猛
写真/キッチンミノル
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