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第22回
臼井二美男氏インタビュー(その2/全5回

臼井二美男氏

貪欲だった修業時代
自分で選んだ仕事だから
不安はあったがつらくはなかった

義肢装具士臼井 二美男

8年間のフリーター生活を終え、28歳にして義肢職人見習いとして新たなスタート切った臼井さん。未経験でも一生懸命やればなんとかなるとの思いを胸に人一倍の努力を重ねた結果、めきめきと腕を上げ、5年後には国家資格の「義肢装具士」を取得した──。今回は臼井さんが修行時代をどう過ごし、職人としてどう成長していったのかに迫った。

うすい・ふみお

1955年群馬県生まれ。義肢研究員・義肢装具士。大学中退後、8年間のフリーター生活を経て28歳で財団法人鉄道弘済会・東京身体障害者福祉センターに就職。以後、義肢装具士として義足製作に取り組む。
89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作も開始。91年、切断障害者の陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」を創設、代表者として切断障害者に義足を装着してのスポーツを指導。やがてクラブメンバーの中から日本記録を出す選手も出現。2000年のシドニー、2004年のアテネパラリンピックには日本代表選手のメカニックとして同行する。
通常義足でもマタニティ義足やリアルコスメチック義足など、これまで誰も作らなかった義足を開発、発表。義足を必要としている人のために日々研究・開発・製作に尽力している。 その類まれなる技術力と義足製作の姿勢でテレビ出演等多数。

徒弟制度が色濃く残る時代に修行

義肢製作の仕事は見たことも聞いたこともやったこともなかったんですが、もともと何かを作ることは嫌いじゃなかった。中学生のときは美術部に入ってましたからね。

見習いとして入社すると、義足の方に配属されました。入ってから3年間は最後の仕上げばかりでしたね。僕が入ったころはまだ昔の徒弟制度っぽい部分が残っていて、職人の世界って感じでした。最初は患者さんになかなか会えなかったり、自分で型を取ったりはできませんでした。

多分僕は義肢の勉強をしないでいきなり入社したから、というのも当然あったと思います。でも他の職業訓練校などを卒業して入ってきた人もそんな感じだったから、やっぱり職人の技術伝達みたいな徒弟制度っぽい感じでしたね。今はそんなことはなくて、ある程度オールラウンドにこなせる人間に育てようと、最初からいろんなことをやらせますけどね。

教え方も人によって全然違ってましたね。手取り足取り教えてくれる人もいたり、そうじゃない人もいたり。やっぱり職人さんってけっこうプライドが高いから、考え方がみんなちょっとずつ違うんですよ。でも聞くと喜んで教えてくれました。聞かれる喜びみたいなのは誰にでもありますからね。

貪欲に技術を吸収

でも聞き方にも気を遣いましたよ。ただ誰にでも聞けばいいんじゃなくて、同じ事を違う人に聞くときは、最初に聞いた人がいないところで聞くとか。そうやっていろんな人に聞いていくことで弁慶じゃないけど聞いた人の数だけ刀=対処法が増えていくって感じでしたね。1つのトラブルに対してそれぞれの人が独自の対処法をいくつも持ってたので、ある人から3つの方法を教わって、別の人から2つの方法を教わって、合計でひとつの問題に対して5つの対処法を習得するとか。だからすごく勉強になりましたね。

最初は先輩からやれって言われたことは全部やりました。それが終わったら何でも手伝いますって、できるだけ自分から積極的に何でもやろうとしてましたね。朝も先輩より早く来たり、夜中まで残業したり。一度教えてもらったことは2度聞かないようにちゃんと自分のものにするとか、何かを頼まれたら締め切りより早めに作ったりしてましたね。

やってみて向いていると思ったか? 向いているというよりも、義肢を作るという仕事が嫌だと感じなかった。嫌な感じがしないということは、向いているのかなって。

トータルで作れることの喜びと不安

4年目からは「下腿義足」っていう膝から下の義足を最初から作らせてもらえるようになりました。まず石膏で足の型をとって、それを元にソケットを作ります。患者さんに実際にはめて歩いてもらって長さや角度を調整して、それで良かったら仕上げていくという感じ。要するに最初から最後までトータルでやらせてもらえるようになったんです。

やっぱりトータルで任されるのはうれしかったですね。仕上げばかりだと実際に義足を作っているとはなかなかいえませんからね。でも不安も大きかったですよ。僕が作った義足が患者さんに合わなかったら、なんだこれ、きつくて痛いとか緩くてダメだとか言われたらどうしようって。それを考えると不安でしたね。

実際に作り始めてからはやっぱり患者さんに合う義足、合わない義足、いろいろありましたよ。合わないかなと思ってたら、これいいねって言われることもあるし、いいものができたと思ったら、合わなくて痛いとか。合う、合わないの許容範囲は人によって全然違うんですよね。それを少しずつ患者さんの望むものに近づけていく。そのためには精神的な持久力が必要でした。投げやりにならないでその人がいいと言ってくれるまで何度でも作り直す、それは技術や体力だけじゃなくて精神力で合わせていくみたいな感じでした。

年数を重ねるにつれて、仕上げのみ→下腿義足→大腿義足と、義足職人として順調にステップアップしていった。作る範囲が広がるにつれて当然難易度も上がる。困難なこともあっただろう。しかしその過程で「壁」を感じたことはなかった。

最初からいいものなんて 作れるわけがない

修行時代につらいと感じたことはあまりなかったですね。自分で選んだ仕事ですからね。辞めようと思ったこともないです。

そもそも最初からいいものを作ろうとは思ってなかった。というか、最初からそんなことができるわけないと思ってましたから。10年くらいはとにかく勉強だろうなと覚悟してました。地道に頑張っていれば、時間が経てばある程度技術は身に付くだろうと。

先輩たちも最初から無茶なことは言いませんしね。成長していくステップっていうのがあって、技術というのは少しずつ時間をかけて身に付けていくものだというのが職人の世界には伝統的にあるんでしょうね。そんなに説教めいたことも言われませんでした。理屈じゃなくて体で覚えろという感じでしたね。

半人前だと悟られないように

ただ患者さんにマイナスの気持ちをあまり起こしてもらいたくないから、そういう配慮の方がたいへんといえばたいへんだったかな。たとえば、患者さんに半人前だと悟られないように気を遣うとかね。

要するに僕のような初心者やまだ学校を出たばっかりの人が作った義足って、なかなか信用してもらえないんですよ。よく患者さんに「あんた入社して何年なの?」とか聞かれちゃうわけですよ。そこで例えば「2年目です」って言うと、「こんな未熟な人に作ってもらいたくない」みたいな感じにどうしてもなっちゃう。たぶん義足を長年履いている人はみんなそう思うんですよ。やっぱり経験年数の長いベテランの人とか義足のことを良く分かっている人の方が、いい義足を作ってくれると思ってるでしょうからね。

多分、「入社して何年?」って聞かれるってことは、年齢以外にも仕事の仕方に未熟さが現れているってことですよね。だから患者さんに対する熱意とか対応の仕方に気を遣いました。分からないことがあっても患者さんの前では聞かないで、陰でさっと先輩に聞いたりとかしてましたね。

もらうばっかりじゃダメ 嫌なことでも進んでやる

その他では会社のシステムとか人間関係とかで嫌だと感じることはいろいろあったけど、それと仕事が嫌だというのは別の問題でね。基本的に会社は自分で選んで入ったわけだし、嫌なことがあったら自分も関わって変えていくとか、そういうことをしないで状況だけが良くなるってことはまずありえないと思うんですよ。だから何かを変えたかったら他力本願じゃダメ、自分も関わるくらいの覚悟がないとダメですよね。嘆いてばっかりでは何も変わりませんから。

僕自身の経験でいえば、たとえばウチの会社にも組合活動があります。でもやっぱり組合活動をするのは面倒くさいわけですよ。やらなくてすむ方法もあるんですが、片方では自分でも何か改善してほしいとか、そういう望みがあるわけじゃないですか。そういうみんなの要望をとりまとめたり、会社と交渉したりとかを誰かがエネルギーを使ってやらなきゃならないわけですよね。自分の仕事以外に。だからやっぱりもらうばっかりじゃダメだと思って、自分でも組合にエネルギーを注いでいろんなことを実現させたりもしました。仕事をしながらそういう活動もするのはたいへんでしたけど、これも仕事と同じくやらなきゃならないことだと思ってました。

国家試験に合格 でもまだまだ

入社して5年目に大腿義足の製作もできるようになりました。やっぱり膝下よりも足1本分の義足を作る方が難易度は高いわけです。それは技術的にももちろんそうですが、医学的な知識もより必要になってきます。

僕の場合は学校へ行っていないからあまり知らないんですよ。ところがちょうど運良く、僕が入社して5年後に厚生労働省が「義肢装具士」という国家資格を作ると発表したんです。受験資格は職業訓練校や専門学校で義肢科の講座を修了した人、それ以外に5年以上の実務経験をもつ人となっていたので、タイミング的にちょうどよかったんですよ。

それで入社して3年目くらいからその国家試験にあわせてみんなで勉強を始めたんです。社内の勉強会で医者を呼んで、医学とか生理学を教えてもらったりしてね。国家資格を受けるために勉強したのがちょうど実務にも役立ったからほんとラッキーでした。足を切断するといっても交通事故のほかにいろんな病気の人がいますから、医学的な知識は必要不可欠なんですよ。

勉強の甲斐あって試験には一発で合格しましたが、だからといって一人前の義肢装具士になれたとは全然思いませんでした。資格はあくまでも資格でしかないですからね。今でも自分が一人前だなんて思ってないですよ。ある程度、いろんな人に合う義足が作れると思えるようになったのは、10年ちょっと経ってくらいからかな。

義足職人として働き始めてちょうど10年、そろそろ自信がついてきた頃、たまたま見ていたある雑誌の記事に衝撃を受ける。そこには逞しく走る義足のアスリートがいた。臼井さんの職業人生のもうひとつの扉が開いた瞬間だった──。 次回はもうひとつのライフワーク、スポーツ義足製作と自ら代表を務める陸上クラブについて熱く語る。

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