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TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その5-目指すは意識のバリアフリー

第40回
須藤シンジ氏インタビュー(その5/全6回

須藤氏

目指すは意識のバリアフリー
次なる潮流の進化を目指して
NextTidEvolution、始動

フジヤマストア代表/ネクスタイド・エヴォリューション代表須藤 シンジ

次男の誕生を機に、健常者と障がい者が自然に共存できる社会の実現を目標とした須藤氏。「意識のバリアフリー」をコンセプトとして動き始めたそのプロジェクトは「ネクスタイド・エヴォリューション」と命名された。

すどう しんじ

1963年、東京都生まれ。有限会社フジヤマストア、有限会社ネクスタイド・エヴォリューション代表。3児の父。
大学卒業後、丸井に入社。販売、債権回収、バイヤー、宣伝など、さまざまな職務を経験、その都度輝かしい実績を打ちたてる。特に30歳のときには丸井の新しい業態「イン・ザ・ルーム」、「フィールド」の立ち上げに主要メンバーとして参画。丸井のイメージの一新に貢献した。次男が脳性まひで出生したことにより、14年間勤務した丸井を退職。マーケティングのコンサルティングを主たる業務とする有限会社フジヤマストアを設立。
2002年、「意識のバリアフリー」を旗印に、ファッションを通して障がい者と健常者が自然と混ざり合う社会の実現を目指し、有限会社ネクスタイド ・エヴォリューションを設立。以降、世界のトップクリエイターとのコラボで、障がいの有無を問わず気軽に装着できるハイセンスなユニバーサルデザイングッズや障がい者を街に呼び込むための各種イベントを多数プロデュース。ネクスタイド・エヴォリューションが手がけたスニーカーはあのイチロー選手も愛用しているという。
年を経るごとに須藤氏のコンセプトに賛同する企業は増え、意識のバリアフリーの輪は少しずつだが、確実に広がっている。

世界のアーティストと協働

フジヤマストアを立ち上げて間もない頃、仕事を通してニューヨークの有名デザインスタジオ代表のジェフ・ステープル(Jeff Staple)と知り合いました。彼は世界トップクラスのアーティスト兼クリエイターにして、世界のトレンドメーカーのような男です。

あるとき、彼に「日本の福祉を取り巻く環境はすごく地味で遅れているから、ファッションとデザインで変えて行きたいと思っている。でも僕には世界のデザイナーとのネットワークはない。ただ、ビジネススキームを組み立てる力はあるんだけど」というようなことを話しました。すると彼は「ファッションとデザインの力で従来の福祉の価値観を変えていくというテーマは世界でも非常に新しいアプローチでおもしろいね。俺には世界のデザイナーのネットワークはあるから一緒にやろう」と言ってくれたんです。

それで2002年に「ネクスタイド・エヴォリューション」(NexTidEvolution・以下、ネクスタイド)を設立したわけです。プロジェクト名はnext(次の)とtide(潮流)とevolution(進化・形成)をくっつけた造語で、次なる潮流を進化・形成していこうという意味を込めて名づけました。

「違いは個性、ハンディは可能性」

ネクスタイドのコンセプトは「意識のバリアフリー」、キャッチコピーは「違いは個性、ハンディは可能性」です。ミッションは、健常者も障がい者も、広義に解釈すれば国籍、人種、年齢、性別問わず、いろんな人たちが自然に混在している欧米のような社会をファッションやデザインという手法で作っていくこと。ハンディを可能性に変え、意識のバリアを壊し、みんなが当たり前のように混ざり合っている社会を実現していきたいと考えています。最近は「人びとの行動をデザインする」という言い方をしてますけどね。障がい者と健常者が混ざり合うにいたる行動をデザインするってことです。

バリアは意識の中にこそあるんです。これは健常者の僕らもそうだし、障がい者の子どもを人目に触れさせたくないという親御さんの中にもある。

もちろん、今の環境から外に踏み出せない障がい者の中にもあります。彼らは、どうせずっと家の中にいるんだから着る物はジャージとトレーナーのままという場合も多く、ファッションという概念、すなわち他者から見られることを前提とした服選びという概念が持てない方も多いんです。

このように障がい者は人目に触れにくいからこそ、日本の健常者は彼らに関する事実に基づく情報が圧倒的に欠落している。リアリティがないんです。彼らは子供の頃から学校でも「特別支援クラス」と称されたクラスに入れられ、一般学級と分けられています。僕らの時代は「特殊学級」と呼ばれていましたから、それに比べれば名称の進歩はあるのですが。いずれにせよ一般の子どもたちには、幼い頃から彼らとの「違い」を強烈に認識する構造が用意されており、親たちの中には「勉学の進捗スピードが落ちるので障がい児とは分けてくれ」なんて、平気でクレームをつける方もいます。従って、障がい者のリアルな動向や障がいの理由や種別に対して「無知」なのです。

「無知」ということはややもするとお化けや地球外生命体と同じで、その裏側には「恐怖」に似た感情が隠れているのだと思います。

だからほとんどの一般の健常者は障がいをもつ人に対して「なんと声をかけていいやら分からない」のです。彼らを「かわいそうな人」「弱者」と定義して、こちらは「救済側」に身を置くと定義することで本質的な意識改革が行われてこなかったのが、戦後日本の60年だと思うんです。次男を障がい児としてもつまでは、僕もその「救済側」にいたのも事実です。

だからまずは当事者である障がい者たちも意識のバリアをフリーにして街に出てきてほしい。そのために従来のものよりもファッション性、機能性ともに優れているグッズの商品開発を目指そうということにしたのです。

世界のトレンドメーカーをクリエイティブ・ディレクターに

そのため、ジェフにネクスタイドのクリエイティブディレクターに就任してもらい、まずは、ネクスタイドの主旨に賛同してくれるクリエイターを増やしていくために、彼の友人の世界各国のトップクリエイターを紹介してもらうことから始めました。「あのデザイナーが今ロンドンにいるから話をしてみろ」というところまでつないでもらって、すぐロンドンに会いに行って直接コンセプトを話して協力を仰ぎました。そんな感じで1人ひとりと直接契約をするという活動を始めたところ、ほぼ全員が主旨に賛同してくれて、見る見るうちにネットワークは広がっていきました。

クリエイティブディレクター(※1)はジェフに3年間担当してもらった後、2007年からはナカガワ・アイコさんという、これまたニューヨーク在住の有名な日本人デザイナーにバトンタッチしました。彼女の元で、毎年5〜10名の世界のアーティストに新しく参加してもらってます。

その世界のトップクリエイターたちにネクスタイドの思想を表現するデザインや、障がい者でも楽に着用できたり利用できるおしゃれでかっこいい、あるいはかわいいグッズのデザインを起案してもらっています。機能の面ではハンディをもつ子どもの父親としての僕の意見も色濃く反映されています。

この、「意識のバリアフリー」というコンセプトと海外のトップクリエイターのネットワークをコンテンツとして企業に提供するというのが、ネクスタイドのビジネススキームです。いわばブランドのライセンシングに近い形で、企画とデザインとノウハウを企業にお売りするわけですよ。だから我々がやるのは企画までで、実際にグッズを作るのは我々のコンセプトに賛同くださったメーカーさんです。これまで商品開発の面では、アシックスさんやムーンバットさんなどと、販売の面ではシップスさん、ユナイテッドアローズさん、丸井さんを始めとする各百貨店さんなどとコラボレートしてきました。ありがたいことに年々我々のコンセプトに賛同してくださる企業は増えています。

※1 クリエイティブディレクター──初代クリエイティブディレクターのジェフ・ステープル氏は、須藤氏と出会った頃はNIKEやSONYなどがメインクライアントだったが、最終的にルイヴィトンのセリュックスという業態のディレクターを務めるまでになり、今や世界中で引きも切らない有名クリエーターとなっている。2代目のナカガワ・アイコ氏は、2008年、オークションで有名なイギリスのサザビーズで新規設立された「ストリートアート部門」で、ルイヴィトンとの協業で一躍クールジャパンの立役者となった村上隆氏と共に初代のアーティストとして選出された。また、早くも100万部を突破した村上春樹氏の新作『1Q84』の海外翻訳本のカバーイラストも担当している。文字通り、世界で活躍するトップクリエーターがネクスタイドのクリエイティブディレクターとして参加している。

多岐にわたるグッズ

開発グッズはTシャツやスニーカー、傘、バッグなど多岐に渡ります。スニーカーを例に取ると、靴紐タイプのスニーカーは着脱に手間がかかるので、たいていの障がい者の方はマジックテープのシューズしか履かなくなってしまいます。でも、この紐も重要なデザインの一部なんですよ。だから紐部分のデザインを残しつつ、履きやすくするためにジッパーをつけています。このジッパーのデザインにもひと工夫しているところがミソなんです。つまり我々は機能性を追及するあまり、デザイン性を犠牲にすることはしないんです。

このスニーカーは丸井フィールドさんとコラボしたもので、北京パラリンピックの女子車椅子バスケットボールの日本代表選手たちに遠征用にプレゼントしたところ、とても喜んでもらえました。ちなみにアシックスと作ったスニーカーは、マリナーズで活躍中のイチロー選手が気に入ってくれて、去年のオフに履いてくれていたようです。

左:女子車椅子バスケットボール選手たちにプレゼントされた、ネクスタイドと丸井フィールドさんとのコラボスニーカー 右:ボタンひとつで簡単に閉じられる傘

最大公約数的なものづくりではない

こういう商品を長年福祉の業界に携わってきた人たちだけで開発すると、どうしても機能性重視になってしまうんですよね。例えば、手先が不自由な人はこの素材だと滑りにくいだろうっていう議論になっちゃうんですよ。確かにナイロンで滑りやすく開閉しやすいジッパーはあるのですが、視覚的にダサくなっちゃう。一口に障がい者といっても10人いれば10通りの障がいの度合いがあるので、そこにはあまりこだわっていません。

イメージ的には、「すべての障がい者にとってベストな商品」といったNHK的、つまり最大公約数的な無難なものづくりじゃなくて、どちらかというと視聴率2%取れて喜んでる深夜番組のような世界なんです。100人中10人くらいにgoodと言ってもらえればOK、みたいな。100の部分に向けてのものづくりは私たちの企業態では不可能ですね。万人に向けた商品作りはむしろファッションの対極に位置し、おもしろ味のないものになるリスクの方が大きいので。

要するに、広大な海に赤色のインクを1滴たらしても、海の色って変わらないじゃないですか。だからまずは小さないけすを狙って、そこを真っ赤に染めてやろうぜっていう戦略なんですよ。

裏で努力してるテーマとしては、ファッションとデザインという切り口で福祉の世界に切り込もうとしても、実際にモノを作ってくれるメーカーさんに儲かってもらないと続かないので、いかにライセンス先であるメーカーさんが継続して利益を上げられる状態を作っていくかということです。

そのためには売り場も重要(※2)で、そういう意味では丸井さんとのコラボは非常に価値があります。丸井さんは一等地に店舗をもっているので、一般客への影響力は大きく、そこに魅力を感じるメーカーさんもライセンスに興味をもってくださるのだと思います。そこは、丸井さんで働いていた頃の経験をベースに提案しています。ただ「良いことをやるので協力してくれませんか」と頼むだけでは難しい。メーカーだって慈善事業でやってるわけじゃありませんから。それプラスアルファ、ビジネスプランとして提案できるという点が僕らネクスタイドの強みなんですよね。

さらに、この丸井さんとのコラボは丸井さんの若手社員の力で実現したんです。そもそもは、ネクスタイドの活動を新聞で知った丸井さんの若手社員が「ネクスタイドを丸井が支援すべきだ」と、トップに自ら企画を通したことで、ネクスタイドへの支援が決定したんです。それで今年(2009年)4月29日に念願の改装オープンを果たした丸井新宿本館の1階入り口脇の一等地に、ネクスタイドのコンセプトショップがお目見えしたんです。

※2 売り場も重要──2008年6月、丸井有楽町店で、「e-SUM RECORDS with TOGETHER for NEXTIDE@有楽町マルイVol.1」を開催した。丸井FIELDとコラボしたシューズやムーンバットとコラボした傘、世界のトップデザイナーがデザインしたTシャツを販売した。売り上げの一部は福祉関連施設・障害者アーティストなどに寄付された。写真はそのときの模様(写真提供:須藤氏)

障がい者のグッズだけでなく

我々は障がい者用という視点を脇に置き、まずは今時のイケてる男女にこそ買いたいと思わせるものでなければならないと考えています。なぜなら彼ら・彼女たちこそこれから父となり母となる人たちなわけで、かつての僕のように戦後日本の教育や社会の中でできた「分ける」価値観をもった方々の考え方を「懐柔」させることよりも、将来の育児の担い手にメッセージすることこそ重要だと考えているからです。

そんな商品でも、第一義に「かわいい」か「ヤバいか」という視点をもちつつ、そこにプラスするカタチで「ハンディのある方にも使いやすい機能」を開発、付加しています。女子車椅子バスケの日本代表選手にプレゼントしたスニーカーも、そもそもは今時の若者に向けて、イケてるスニーカーとして丸井フィールドさんとコラボしたんです。おかげさまで若い健常者にも好評でした。

我々が企画・開発するTシャツなどの商品には、ネクスタイドの活動主旨やデザイナーの思い、すなわち、「意識のバリアフリー」というテーマを彼らなりにどう解釈してデザインに落とし込んだのかということをタグとしてつけているんです。これは健常者に向けた一種の啓蒙活動です。

従来、障がい者自身が制作した商品、例えば腕の不自由な人が口に筆をくわえて描いた絵葉書などはたくさんありますが、買わなきゃいけないかなという思いで買う人も多いと思うんですよね。でも、我々の商品はそういう要素を一切排除して、今時の若い子に受け入れられるか否かという基準で考えているんです。商品を企画開発する際もそうですし、バイヤーさんに買い付けていただく際も同じです。

消費者にもまずはかっこいいか・かっこ悪いか、かわいいか・かわいくないかという基準で判断して買ってもらって、後から「意識のバリアフリー」というタネに気付いてもらおうという戦略です。「かわいそう」ではなく、先に「かっこよさ」をアピールする。非常に遠回りなんですけど、こういう順番の方が説得力があるかなと思うんですよね。

須藤氏率いるネクスタイドでは、障がい者用のグッズの商品開発だけではなく、障がい者がそれらを身につけて街に出てきたくなるような様々なイベントも仕掛けている。2008年からは身体障がいから知的障がい、視覚障がいをもつ人々にまで対象の幅を広げており、今後も増やしていく予定だ。

ソーシャルプロモーション

健常者と障がい者が自然に混ざり合った社会を実現するためには、障がい者の方々にもっと街に出てきてもらう必要があります。そのためのイベントを丸井などの企業と組んで企画しています。

つまり、ハンディのある人とない人が自然に混ざり合っている状態が当たり前、と思える価値観を創っていくためのソーシャル・プロジェクトなんです。

例えば、昨年(2008年)は視覚障がい者の方に家の近所ではなく、日本のトレンドの発信源のひとつである銀座に出てきてもらおうと、「視覚障がい者のためのファッショントレンド講座」を丸井有楽町店で開催しました。丸井有楽町店でファッションレクチャーを聴いて、じっくり今年の流行のファッションを触っていただいた後、街に出ていただくというイベントです。

視覚障がいを持つ方々は盲導犬を利用している場合が多いのですが、出かける際、盲導犬のトイレに苦慮してるということだったので、イベント会場の一番いい場所に盲導犬用のトイレを設置してもらいました。銀座でウインドウショッピングして盲導犬のトイレに困ったら丸井に来てどうぞっていう環境を整えたわけです。これが予想以上に好評で、今年(2009年)は丸井有楽町店に加え新宿店でも開催していただいています。

これは盲導犬を利用している人向けのイベントですが、電動車椅子を使用している人や知的障がいを持つ人にもファッションの最前線に出てきてもらうようなイベントも今年(2009年)は全部で5本企画しています。

2009年6月8日から新宿マルイ本館1階で「JWBF with MIXTURE for NEXTIDE 2009」が始まった(写真①)。初日のレセプションではネクスタイドに参画しているデザイナーなど大勢の人々で賑わった(写真②、③)。新宿店では6月21日まで、有楽町店は28日までの開催。会期中はネクスタイドデザインのユニバーサルグッズにじかに触れられるほか、さまざまなイベントが催された。

海外のアーティストの反応が早い

こういった「意識のバリアフリー」という理念や活動に対しては、比較的海外からの反応が早いんですよね。フィンランドですごく有名な「ドン・ジョンソン・ビッグ・バンド」というヒップホップバンドはライブで僕らのデザインしたウエアを着てくれています。ちなみに彼らはU2のボノやビヨンセなどと一緒に世界最大の人権団体であるアムネスティインターナショナル関連の活動もしているバンドなんですよ。

また、2008年の夏にはフィンランドの政府からお声がかかりました。フィンランドは環境と福祉が2大産業なので、10年後を嘱望される環境系や福祉系の企業と我々のような日本企業が協働してお互いに末永く一緒に発展していこうということでお招きいただいたんです。

そのときSECCO(セッコ)(※3)というブランド名で廃材を使ってアクセサリーやバッグなどを作っている女性経営者を紹介されて、彼女と一緒に何かできないかという話をしました。現在、スポンサーシップも含めて準備しているところです。

※3 SECCO(セッコ)──ニーナ・パルタネンが2003年に創業したフィンランドのリサイクル・デザインブランド。環境問題への意識の高まりから、世界的に注目を集めている。

左上:フィンランドデザイナーたちと 右上:フィンランドの起業家たちと一緒に。左下・右下:フィンランドには家族同伴で赴いた。フィンランドの湖畔で遊ぶ息子たち(画像提供:須藤氏)

また、2009年の3月にはアイルランド工科大学、アメリカでいうところのマサチューセッツ工科大学のような大学の教授から、ネクスタイドの理念や活動が学生たちへのひとつのキーワードとして非常にユニークだという評価をいただき、学生たちにネクスタイドの活動について講演してほしいというオファーを受けました。まだスケジュールが合わず実現できていないのですが、調整でき次第現地に赴くつもりです。

やっぱり外国、特にEUの方が話が早いですね。国民が真剣に自国のことを考えてるし、政治家も、自分たちの将来は自分たちでなんとかしようというスタンスで選びますからね。当事者意識が非常に強い。だから我々の活動もすんなり受け入れられる。日本の対極にあると感じます。

将来は拠点をニュージーランドに

一方、一般の日本人の当事者意識といったら、自分自身と自分の子どもといった自分の家の中に関することしかないように感じます。こういう国の「今」は推して知るべし、ですよね。だから僕の息子たちは日本の価値観から離脱させるために、ニュージーランド(以下ニュージー)に留学させているんです。去年(2008年)の4月から障がい者の次男坊とこの春から6年生になった三男坊が、日本人が極力少ない田舎の公立の学校に通ってます。今年の4月から長男も合流しています。

ニュージーランドで暮らしている須藤氏の家族。左:学校のガールフレンドと一緒に。次男・KAZUくん。右:ニュージーランドの雄大な自然をバックにピースするKAZUくん。隣は須藤氏の奥さん(それぞれクリックで拡大。画像提供:須藤氏)

そのため、現在の僕自身の生活スタイルも、毎月3週間日本でしっかり働いて、最後の1週間はニュージーで家族と一緒にゆったり過ごすというふうに変わってきてます。

ニュージーほど子どもを育てるのに最適な場所はないんですよね。治安もよくて自然も豊かなので、息子が通ってる学校なんて様々な国の子どもたちが留学しています。

当初、ハンディキャッパーの次男の昨年春の進路は、地元公立中学の「特別支援クラス」か「養護学校」でした。どちらの学校も、その真摯な運営は地元でも評価の高いところでしたが、毎日「大人」の先生との時間共有が大半を占めるという現実は否めません。一般の子どもたちとは「区別された時間」が多くなるのです。

その点ニュージーは全部混ぜこぜ。ましてや地方の公立中学でも17カ国からの留学生が当たり前のように混ざっているんです。語学のサポートなどは補習が充実しているのですが、ハンディのある生徒はあくまでも一般クラスに混ざり、その事実に対して大人ではなく、周りの子ども達がサポートします。ニュージーはフィンランド同様、我が家の事情ならびに価値観においてはとてもすばらしい環境なのです。

だから子どもたちが高校を卒業するまではニュージーで暮らさせたいと思っています。でも今三男坊が11歳になったところなので、父親の僕があと7年間、日本で単身赴任するのはきつい。だからニュージーに会社を立ち上げてニュージーを生活と仕事の拠点にするというのも選択肢のひとつとして準備しているところです。

非常にシンプルな話なんですよね。会社もニュージーに移した方が、より家族と暮らす時間が増えるじゃないですか。ニュージーに会社をつくりたいから家族で移住する、という順番ではないんです。

要するに自分の理想とする生き方が家族を中心に明確に思い描けているので、それを実現するためにはどうするかということです。まさに家族を中心に時間を自分でコントロールするというか、家族との幸福感をどういうふうに勝ち得るかが最大の目的なので、仕事や収入はそのための手段にすぎないんですよね。

往々にして欧米先進国の人々はそういうふうに考えてますよ。例えば、僕の息子が通ってるニュージーの学校の55歳の校長先生は、大学に入ったのが30代後半です。それまでは空軍や農場で働いていました。でもやっぱり羊や牛じゃなくて人と関わりたいと思って30代後半で大学へ入学して、4、5年で教員免許を取って地域の学校の先生になった。初めて教壇に立ったのは40歳過ぎで、そこからおよそ10年で校長先生になったんですよね。彼を見ているとこういう順番っていいなあって思いますよね。

今の僕の時間の使い方とこの考え方はニアイコールなので、こういう考え方があるということを知るためにも早いうちから子どもを海外に連れてってよかったと思ってます。

会社を辞めるときに選択した、人生の時間を自分でコントロールする主導権を優先する生き方を具現化している須藤氏。その活動範囲は狭い日本では収まりきらず、世界へと広がっている。

まずは小さないけすを真っ赤に染める

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