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第24回
近藤 恒夫氏インタビュー(その5/全5回

近藤氏

他人のためでは続かなかった
仕事は好きだからやる
夢は薬物外交官

日本ダルク代表/NPO法人アパリ理事長近藤 恒夫

最初のダルクができてから22年。その間にダルクは全国各地に増殖し、回復者を確実に増やしている。その最初のひとつぶの種をまいたのが近藤氏。かつて覚せい剤依存症に陥り、逮捕され有罪となったが、釈放後は薬物依存者の回復を支援する側となるばかりか、国会に法律制定の参考人として呼ばれたり、東京弁護士会人権賞を受賞するまでになった。近藤氏を突き動かしているものは何なのか。最終回の今回は、近藤氏にとって仕事とは何か、何のために働くのかについて聞いた。

こんどう・つねお

1941年秋田県生まれ。30歳のときに覚せい剤を覚えて以来、薬物乱用者となり、37歳で精神病院に入院。それでも覚せい剤をやめられず39歳のとき逮捕。半年の拘置所生活を経て執行猶予付き判決で出所。
釈放後は回復を誓い、アルコール依存症者の回復施設の職員を経て、1985年日本初の民間による薬物依存者回復施設「ダルク」(現東京ダルク)を開設。以降薬物依存者の回復支援に尽力。
2000年にはアジア太平洋地域の国々の依存症問題に取り組む研究機関「NPO法人 アパリ」を設立。国家行政機関、法律家、医療者、研究者などと連携し、国内外の薬物問題に取り組んでいる他、学校や刑務所などでの講演も精力的に行っている。
1995年、東京弁護士会人権賞を受賞
2001年、『薬物依存を超えて』(海拓舎)で吉川栄治文化賞受賞

ダルクに「つながる」糸は、回復へのくもの糸

ダルクに来ることを「つながる」という言い方をしています。「ダルクにつながってきた人」とか。薬物依存者はダルクと目に見えない糸のようなものでつながってる。それはとても細い糸だけど、つかんで離さなければ先に希望が見えてくるんだよね。

僕はその糸を離さないできたからとりあえず27年間、拘置所から出所してからは一度もクスリをやらないでこられた。だけどこの糸を離したら自分はどっかに行っちゃうんじゃないかと思うよ。

いつまたヤク中に戻っちゃうかわからないと今でも思ってる。薬物依存からの回復は生涯治療、だから「これで大丈夫」なんてことはないよ。何十年やめてても関係ない。30年、40年やめてても、たったの1回が命とりになった人をたくさん見てきた。だから“Just for today”なんだよ。目標なんか持たなくていい。今日だけの目標でいい。

やはり1日1日、今日一日だけ頑張る。その積み重ねしかないんだよ。それが死ぬまで続くわけです。別に薬物依存じゃなくてもさ、慢性疾患を持ってる人たちはみんな同じだと思うよ。世の中には治らない病気はたくさんあるわけで、そうなったら自分の病気とどう仲良く付き合っていくかってことを考えるわけでしょ。薬物依存も同じなんだよ。

「出会い」で助かった

僕は自分だけの力でシャブ漬けの生活から抜け出せたなんて、これっぽっちも思ってないよ。そんな強い意志とか、絶対にこうしようという意図的な計画があったわけじゃなくて、ほんとに自分を越えた大きな力が働いたと思うんだよね。

近藤氏の書斎にはロイ神父の遺影が飾られている

たまたま人とのめぐり合わせがよかったから助かっただけ。ロイ神父や僕を裁いた裁判長や生活保護の担当者といったたくさんの人たちが支えてくれたから今があるってことだよね。そういう人たちとどうやって出会ったのかもわからないね。そう考えるととてつもない「計画」だったんだなあというのがわかる。

特にロイさんと出会えていなかったら、もっと言えば彼の両親が彼を生んでなかったらどうなってるかわかんないね。僕は意志の強い人間でもないし、道徳的に良いことをやってきたわけでもない。どちらかというと反社会的なことの方が好きだったから、ロイさんと出会わなかったら刑務所に入れられてる率の方が高いんじゃないかな。再犯しては刑務所を出たり入ったりしてたと思うよ。

またロイさんがいなかったらダルクもできていないよね。ダルクができてから彼が亡くなるまでの20年以上、ニューヨークとかフィラデルフィアの教会からお金を集めて、ダルクにつぎ込んでくれた。それは億っていう単位の金だよ。彼は2006年の1月に亡くなったけど、死ぬまで頑張ったよね。そのおかげで救われた依存症者が何人いるか。僕も含めてね。

ハイヤーパワー

要するに我々は自分を越えた大きな力に助けられ、生かされているってことだよね。例えば空気とか太陽って当たり前に存在してるんだけど、よく考えれば不思議なことでしょ? 誰が作ったわけじゃないのに、我々はそれによって生かされてる。

そういう自分を越えた大きな力を「ハイヤーパワー」っていうんだけど、何も出会いとか自然の摂理といった目に見えない力だけじゃない。僕にとってクスリをやってたときは警察がハイヤーパワーだったよね。自分がやめられないことを止めてくれたんだから。あと薬物依存者にとってはNAやダルクもハイヤーパワーなんだよね。

世の中には自分だけでは乗り越えられないことっていっぱいあってさ。そういうことを考えるとやっぱり自分っていうのは無力なんだなと。まずそこを認めること、そこから再起への第一歩は始まるんだよ。

ダルクはNAに行かせるための小学校のようなもの

僕らにとってのハイヤーパワーのひとつであるNAは、薬物依存者の自助グループで世界114カ国にある世界的なグループなんだけど、実はこのNAの方がダルクよりも大事なんだよ。

というのは、ダルクにいられる期間は限られているけど、NAとは一生の付き合いになるから。ダルクでクスリをやめてNAで回復と成長をしていく、つまりダルクで動機づけしてNAに行かせるという二重構造になってるわけ。ダルクはNAに行かせるための小学校のようなもんなんだ。だから大事なのはダルクを出た後なんだよな。ある意味ではダルクは刑務所みたいなもの。でも刑務所の場合は出た後のアフターサービスがないでしょ? だからまた刑務所に戻るわけ。でもダルクの先にNAがあるから、そこで一緒に歩いてくれる人を見つければいい。だから出会いの演出だよ。いい人と出会えば回復できるから。

写真:日本ダルク本部に掲げられていたNAのフラッグ

AAの回復への12ステップでは「アルコール」という物質に対して人間は力をもたないって教えてるんだけど、NAは「依存」そのものに対して力がないって言ってる。病的依存、「アディクション」を変えていくってことなの。だからクスリ以外でも、「アルコール」にも「ギャンブル」にも「人」にもなんにだって対処できるんだよ。

僕はその日本のNAのミーティングに発足当時から参加してたんです。ワールドカンファレンスにも日本代表で出席して、日本の状況を説明したりしてたんだ。今年で27年目になるけどね。そうやってくうちに日本中に220の自助グループができた。はじめは1カ所しかなかったんだよ。今では1週間に250回くらいミーティングをやってる。だからダルクの回復プログラムにもNAのミーティングに出ることを入れ込んでる。むしろダルク以外のミーティングの方を大事にしろと言ってるくらい。回復するには数多くのミーティングで数多くの人に出会うことが大事だからね。

だから回復した人には、「あなたは僕やダルクに助けられたんじゃなくて、NAに助けられたと思ってください」って言ってるんだ。

薬物依存からある程度回復しても問題が解決するわけではない。むしろその後の社会復帰等、問題は山積みだ。しかし現状の日本社会では、一度薬物依存の烙印を押された者はなかなか社会に受け入れられ難い。近藤氏は薬物依存者の社会復帰の支援にも取り組んでいる。

挫折した人を「ダメ」にしてはならない

日本は「ダメ、ゼッタイ。」(※1)の世界だから、一回クスリを使っておかしくなっちゃうともう生涯ダメで、その人たちが立ち直れる土壌がないわけね。つまり失敗しても立ち直ることを社会が認めない。一般の社会、学校とか会社では一回大きな失敗しちゃったら切られちゃうでしょ。退学になったりクビになったり。

「ダメ」ってのはすごく強烈な言葉で、僕は差別用語だと思うけどね。どんな人だって1回や2回は嘘をついたことはあるし、失敗や挫折をしたことはあるでしょう。そういう人たちを全部ダメにしちゃうと日本の国がダメな人たちばっかりになるよね。そのダメな人たちを刑務所や病院などの日の当たらない場所に追いやって、自分たちだけがクリーンでまともである、そんな自分たちだけで社会生活を営んでいこうというのは健全な社会だとはいえない。ダメの烙印を押された人たちは社会的に無視されていくわけですから。無視された人間は立ち直れずに犯罪を繰り返す。それは社会にとっても大きな損失なんだよ。そういう人たちを大切にしていかないといい国にはならないよね。

ダメなものを切っていくのは簡単なんだよ。でも「まとも」と「ダメ」の狭間にあるものは永遠になくならないから、そういう人たちをフォローアップしていくものが社会資源のひとつとして地域社会の中にないとダメだと思うんだよね。ダルクはそのモデルのひとつとして存在してるんだよ。僕たちはお金がなくてもこういうことはできるよってことを、社会に対して示しそうとしてきたわけです。

人生に失敗はない

僕自身、これまでたくさん失敗してきたよ。そんなときロイさんに「いやあまた失敗しちゃって」って言ったら、彼は「人生に失敗はない。だからそれも失敗じゃないよ」ってよく言ってたね。クスリをやめてたのに何かのきっかけで再犯して刑務所に戻った人にも、「本当の失敗というのは死んじゃったり、2度とダルクやNAのプログラムにつながらなくなることだから、失敗と思わないでください。またダルクに戻ってきて一からやり直せばいいんですから」ってよく言ってたよ。そういう勇気付けをたくさんの人によくしてたし、僕自身もそうしてます。

「失敗と認めない」っていうのは、この仕事をしていく上で非常に大事なことなんだよ(笑)。何回でも自分の気の済むまでやって、どうしてもダメだったら一緒にやりましょうっていうことだからね。

薬物依存者の社会復帰のために

だけど、ダルクに来てる、再犯10回とか懲役に何回も行ってるような人たちは、ダルクを卒業した後、自分で仕事や住む家を探してまともな社会生活を送ろうとしても正直難しい。年齢的な問題もあるしね。だからそういう人のためのジョブトレーニングセンターみたいなものを作りたいと思ってます。たくさん土地や工場をもってる人とか立派な社長さんとか、地域社会の人たちに協力を仰いでね。やはりダルクでやるんじゃなくて、地域社会の中でやるってことに意味があるんだよ。懲役5回以上の人だけが入れる会社なんかを作れればいいよね。社長は懲役10回以上の人じゃないとなれないとかね(笑)。

やっぱりこういう人たちをちゃんとケアできる施設なり会社が受け入れられるような社会じゃないと、薬物依存症者の再犯は減っていかないんだよ。

罰則から治療へ

それから、人間が痛みをもってる以上、薬物はこの世からなくならない。だからもうそろそろ、薬物使用者をゼロにするなんてバカなことを考えないで、ひとりでも減らしていくっていう具体的なことをやっていかなきゃダメだと思うよね。罰則だけ与えるんじゃなくて治療の方向にシフトしていく。そうすれば将来の社会的損失も少なくできるしね。

写真:これまでの活動と実績が認められ、東京弁護士会人権賞他、たくさんの賞を受賞している

犯罪者を増やさない仕組みをつくることも大事だよな。ひとり刑務所に入ると1カ月に40万円かかるんだよ。それが今10万人入ってる。そのうち4割は覚せい剤の人たちだよ。すごい数でしょ? 今はその対策は司法の手に委ねられてるけど、司法だけにやらせずに、ダルクの人たちを使えばもっと減るよ。やろうとしてるところだけど、それがなかなか実現できなくて困ってるんだけどね。

これまで多くの薬物依存者の社会復帰を手助けしてきた近藤氏。その長年の活動と実績が認められ、1995年には東京弁護士会人権賞を受賞、2001年には『薬物依存を超えて』で吉川英治文化賞を受賞している。しかし近藤氏は他人のためにダルクやアパリを運営しているわけではないという。では何のために働くのか。近藤氏にとって仕事とは何なのか──?

「他人のため」では続かない

22年間ダルクを運営してきたけど、薬物依存からの回復率は決して高くない。これまでも10人中7人はリハビリ途中で死んじゃったり刑務所へ戻っちゃったりしてる。

電話がかかってきてもいい話はほとんどない。ほとんど警察につかまっちゃったとか死んじゃったとか、そんな話ばっかりだよ。だから電話なんか出たくない。そりゃイヤになることもあるよ。こんな報われない仕事だから、他人を救うためにって思ってると続かないね。

だけどグッドニュースもたまにあるんだよ。おかげさまで回復して仕事を始めましたとかさ。だから回復者はゼロではない。残りの3割は生きてるんだよね。助かって社会で生きてる。それがあるからやり続けられるんだよ。それを1、2年見てるわけじゃないから。ずーっと20年以上見てるわけだから。

つまり回復者を増やすためにやってるんじゃなくて、回復する人がひとりでもいればいいと思ってやってるってこと。

仕事という意識はない

今いろいろ行っている活動は「仕事でやってる」という意識はないね。僕自身、楽しんでやってる。そうじゃなかったらやってらんないよ。365日24時間だからね。ほぼ毎日ここ(ダルク本部)に泊り込んでるんだから。仕事と思ったらつらいよな。

では僕にとっての仕事とは? なんだろうな……。イヤだったら辞めればいい。辞めないってことはイヤじゃないんだろうな。だから僕にとって仕事とは「好きなこと」かな。好きだからやってんだよな。遊びですよ、遊び。暇だから仕事やるかって感じ(笑)。

けど好きなことをやったって、思うようにはならない。だったら今日一日頭の中は楽しいこと、「妄想」とも言ってるけど(笑)、楽しい妄想を描きながら、ひとつ終わったらまた次の楽しいことを描いて、それをやっていくと。それしかないんじゃないかな。

使命感? それもないな。ひとりでもよくなればいいとは思ってるけどね。そもそも僕が何かをやったからどうなるってもんでもないからね。ダルクにつながってきた薬物依存者たちが自分でどう感じて、どう立ち直るかだからね。

だから今の仕事を天職だなんて全然思ってないよ。僕はロイさんに助けられて、彼の手助けをしてるうちにこうなっただけだから。彼の影響はすごく大きかったよね。

バースデイ・ミーティング

この仕事をやっててよかったなと思うことのひとつは「バースデイ・ミーティング」だな。ダルクではクスリをやめて新しい人生を始めた日をその人のもうひとつのバースデイとして、毎年みんなでお祝いするんだよ。

写真:吉川栄治文学賞の授賞式にて(写真提供:日本ダルク本部)

僕の場合は27年前の11月26日、拘置所から出所した日が生まれ変わった日。そっちの方が自分の本当の誕生日よりもうれしいんだよ。毎年この日を迎えてみんなにハッピバースデイを歌って祝ってもらうとき、「ああ、クスリをやめててよかったな」と思う。どんなえらい人から賞状をもらうよりもうれしいよ。

祝ってもらう方はクスリをやめててほんとによかったと思うし、祝う方も僕も頑張ろうと思うんだよな。そういう場面を迎えるとみんなが本当にうれしそうだから、僕もすごくうれしい。この仕事をやっててよかったと思う瞬間だよな。自分の喜びと他人の喜びのふたつを同時に味わえるのがとてもうれしいんだよ。

薬物依存に苦しむ人々は国内だけではなく、世界中にいる。そんな「仲間たち」をなんとかしたい──。近藤氏の目は世界に向けられている。

夢は薬物外交官

僕の夢? 日本脱出かな(笑)。これからは半分は日本、半分は環太平洋のアジアの国々の薬物問題に苦しむ人々とともに歩いていきたいと思ってる。

僕はアジアが好きなんだな。取り急ぎアジアのほんとのマイノリティの人たちをなんとかしたいと思ってる。これからアジアでまだ行ってない国に行ってメッセージを伝えようと思ってます。NAのプログラムを実践すれば回復できる、ミーティングさえやってればよくなるからあきらめないで一緒にやろうよっていうメッセージをね。言葉なんてわからなくていい。誰かしら助けてくれるし、そのくらいの言葉だったらどこに行ってもしゃべれるからね。世界共通のプログラムだから。

私たちの唯一の目的は、苦しんでる依存者にメッセージを伝えるっていうこと。会費も月謝もいらない。自分たちの問題は自分たちで取り組んでいこうということだから。

だから国には薬物外交官という制度を作ってほしいな(笑)。薬物問題で苦しんでいる人は全世界にいるからね。

人生に失敗はない

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第24回 日本ダルク代表・NPO法人アパリ理事長 近藤恒夫-その5-他人のためでは続かなかった