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第24回
近藤 恒夫氏インタビュー(その4/全5回

近藤氏

回復者から薬物依存者へ
受け継がれていく回復への意思
国家と連携し、より広い範囲で
薬物問題に取り組む

日本ダルク代表/NPO法人アパリ理事長近藤 恒夫

最初のダルクができてから22年。その間にダルクは全国各地に広がり、現在では全国に50のダルクが開設された。そのすべてのスタッフは元入寮者。ここにダルクならではの強みがある。

こんどう・つねお

1941年秋田県生まれ。30歳のときに覚せい剤を覚えて以来、薬物乱用者となり、37歳で精神病院に入院。それでも覚せい剤をやめられず39歳のとき逮捕。半年の拘置所生活を経て執行猶予付き判決で出所。
釈放後は回復を誓い、アルコール依存症者の回復施設の職員を経て、1985年日本初の民間による薬物依存者回復施設「ダルク」(現東京ダルク)を開設。以降薬物依存者の回復支援に尽力。
2000年にはアジア太平洋地域の国々の依存症問題に取り組む研究機関「NPO法人 アパリ」を設立。国家行政機関、法律家、医療者、研究者などと連携し、国内外の薬物問題に取り組んでいる他、学校や刑務所などでの講演も精力的に行っている。
1995年、東京弁護士会人権賞を受賞
2001年、『薬物依存を超えて』(海拓舎)で吉川栄治文化賞受賞

ダルクで回復した人がダルクをやる

1985年に最初のダルクができてから年々増えてって、今は全国に50くらいあるのかな。でも組織化してないから、基本的に運営は各ダルクに任せてある。連携は取ってるけど、各ダルクの責任者からの相談に乗る程度だよ。各ダルクによってルールは微妙に違うけど、NAの12のステップを基本にした回復プログラムを実践してるっていう点は共通してる。

その全部のダルクのスタッフは、元ダルクの入寮者です。つまり、薬物依存でダルクに入寮して回復した人たちがダルクの中のスタッフになったり、別の場所で新しくダルクを作ってるわけ。

ほとんどが自分から言うよね、今度どこそこでダルクをやりたいって。僕はやるって言った人に反対したことはないよ。ダルクで回復した人がダルクをやるんだったら誰でもいいんだよ。それが一番大切なことだからね。

以前、ダルクに入寮してきた100人くらいの薬物依存者に「回復しようとしたときに何が一番役に立ったか」ってアンケートを取ったことがあるんだけど、その中で一番多かったのって何だと思う? 薬物依存から回復した元ヤク中の人たちだよ。ダルクを出た後も一生懸命やめ続けようとして、毎日ミーティングに出てる人たちだよ。そういう人たちはダルクのスタッフになって他の仲間の回復を手助けしたり、社会復帰してもお金とか資材とかいろいろと支援してくれてるんだよ。

共通の問題をもったところから立ち上がった人たちが、次の人たちの回復をサポートする人として一番理想的なんだよ。一番痛みをわかってて、次の人たちを手助けするモチベーションの高い人たちだから。回復への12ステップのひとつに「次の人たちを手助けする」というのがあるんだけど、それを忠実に実践しようとしてる人たちだからね。ダルクの運営に一番役に立ってるのはダルクの仲間ですよ。

ダルクは不変ではない

ダルク内では基本的に上下関係はない。スタッフも入寮者も、みんな薬物依存から回復を目指している同じ仲間だから、先輩とか後輩とかはないんだよ。実際、仲間っていう表現しかしてない。

だいたい一般的な社会の共同体っていうのはいったん上下関係ができると、それ以降ほぼ変わらないよね。例えば会社でも社長が部下になることはないし、学校でも先生が生徒になるってことはないでしょう? でもダルクは不変じゃないんですよ。いつも変化してる。昨日のスタッフが今日のビギナーになりえる。だから生き生きしてんだよね。

スタッフはつぶれるけどダルクは残る

これまでつぶれたダルクはひとつもないよ。つぶれたスタッフはいるけどね。スタッフには何かとストレスがかかるから一番危険なんだよ。だけどダルクは残る。不思議だよ。後を継ぐ人がいるんだよな。

近年、近藤氏は薬物依存者の回復支援の功績と実績が認められ、国会に招聘されて政治家や官僚に薬物問題についての提言をしている。しかし1985年に最初のダルクを立ち上げて以来、国の援助は一切受けないで運営してきた。現在でもダルクの運営は経済的に厳しいが、それでも援助を受けてこなくてよかったと近藤氏は言う。

ダルクは国から援助されてない

僕らは最初から国なんてあてにせずに、自分たちの病気は自分たちでなんとかするってやってきたからね。そもそも俺は国から援助されるのがあんまり好きじゃない。援助されたら国からの指示や思惑にダルクの活動が左右される危険性があるでしょ。経済的には苦しかったけど自由にやれたから、国に頼らなくてよかったと心底思ってる。

だからこの間の国会に参考人として呼ばれたときにもこう言ったんだよ。「ほんとにあなたがたに援助されないで助かりました。援助されてたらどうなっていたかわかりません」って(笑)。

でも現実問題として、昔も今も経済的に苦しいのは間違いないよ。開設当初の「ダルクにつながってくるすべての人を受け入れる」というモットーは今も崩してないから。

ダルクの入寮費は月に16万。内訳は、毎日入寮者に2500円を生活費として渡してて、あとは家賃とプログラム料。だから月に16万もらってもスタッフひとり雇えない。入寮者が10人いてやっとスタッフひとり雇えるくらいだね。

入寮者のほとんどは生活保護から入寮費を払ってる。最近は刑務所で刑期を終えて来る人たちが多くなってるんだけど、この人たちはお金も住む家も何もないわけ。だから役所に連れてって生活保護の申請をしたりもしてるんだよ。ほんとはそんなのは国がやればいいんだけどさ(笑)。中には露骨にいやな顔をするケースワーカーもいるんだよ。

でも中には生活保護が受けられない人もいる。これまではそういう人たちも受け入れてきたんだけど、もうそろそろ限界だね。昔はロイさんがメリノール宣教会に支援を頼んだり、スポンサー活動をしてお金を集めてきてくれてたから、お金が払えない人でも受け入れてこられたんだけど、今はロイさんが死んじゃってお金を集めてくれる人がいないからね

でも、だからって完全に見捨てるようなことはしないよ。ウチが見捨てたら他に行くところがないような人ばっかりだからね。東京のダルクでどうしても受け入れが難しい場合は、他のダルクを紹介したりする。全国に50くらいダルクはあるから、どこかには引っかかるよ。

このままではダルクはつぶれる

だけどこのままだったらダルクは間違いなくつぶれる。だから国会で「ダルクは国から金をもらわずに自力で回復支援をしてるのに、どうしてつぶそうとするのか。ダルクをつぶさないでください」とも言ったんだよ。国が施設を借りてくれたり、場所だけでも提供してくれたら少しは楽になるんだけどね。国はたくさん使わない資産もってるでしょ。こういうことに使わせてほしいよね。

写真:近藤氏の書斎には数々の賞状や感謝状がならべられている

それから巷には老人福祉とか児童福祉とかがあるのに、矯正福祉ってのはないでしょ。だから「刑務所から出てくる人たちをダルクに押し付けるだけじゃなくて、その人たちの矯正施設を作ってください」ともお願いしたんだ。

2000年、近藤氏たちはダルクに加え、NPO法人「APARI=アジア太平洋地域アディクション研究所」を設立。各機関と連携しながら薬物依存問題を研究し、広く国内外で活動している。

より広く社会に訴えていくために

 「我々はヤク中だけど助けてください」って社会に訴えるのは、おこがましいでしょ。ダルクでは自分たちの病気は自分たちで治そうって頑張ってんだから、それはそれでいい。でもヤク中の場合は、薬物の問題だけじゃない。離婚問題とか借金問題とか、ヤク中になるまでにいろんな問題を複合的に抱えてるわけ。

当然、法的・医療的な問題も絡んでくるんだけど、ダルクではとても太刀打ちできるようなレベルじゃない。だから行政、弁護士、研究者、医療関係者などと連携して、薬物依存問題に取り組むシンクタンクが必要だと強く感じるようになった。それで2000年に設立したのが特定非営利活動法人「アパリ」なんだよ。

アパリの正式名称は「Asia Pacific Addiction Research Institute」で、各単語の頭文字を取って「APARI」と名づけた。日本語の正式名称は「アジア太平洋地域アディクション研究所」。その名のとおり、日本だけじゃなくてアジア太平洋地域の国々の依存症問題に取り組んでる民間の研究機関だね。初代の理事長にはロイさんになってもらったんだ。

図:アパリと各機関の連係図

わかりやすく言うと、ダルクが薬物依存者個人の支援を目的に活動する施設だとしたら、アパリは薬物依存問題を研究し、社会に対して訴えていく機関ってことだな。今は警察庁とか法務省とか国の行政機関と連携していろいろ決めて、それをダルクが実施すると。だからダルクを支援する役割も担ってる。今はこのアパリでの仕事がメインになってるね。

薬物乱用者は年々増加しているが、回復者を増やすことは困難を極める。それは、これまでの国の政策にも原因があると近藤氏は言う。そして今、法務省や警察庁などと連携し、国家レベルで薬物依存問題への取り組みが始まった。

「ダメ、ゼッタイ」は役に立たない

日本の人たちはクスリに負けた人に対して、どうしてそんなものに負けるんだと言う。でも現実には戦っても絶対負ける。負けたやつは刑務所に入るわけだけど、今、覚せい剤取締法違反の罪で4万人も入ってる。彼らはこれから戦わない生き方を選ばなきゃならないのに、刑務所ではまだ薬物と戦えって教えてるんだよね。でも薬物と戦っても勝てるわけがないんだよ。

国家は何回も刑務所に入ってる人たちに何を伝えてるかというと、「ダメ、ゼッタイ」と伝えてる。でもおかしいでしょ? ダメになって刑務所に来てるのに、そこでまた「ダメ」っていうのは意味ないでしょ?(笑) ダメだということは刑務所に入ってる人もわかってんだよな。親の死に目に会えないのをわかっててもクスリをやめられなくて刑務所に入ってるのに、また「ダメ」のポスター貼ってどうすんだって。

彼らが必要なのは回復のための情報なんだから、それを伝えるようなものでないとダメなんだよ。例えば「もしあなたがクスリをやめようと思ってるんだったら、こういうところに相談しなさい」っていう情報を入れるとかさ。

これも国会で話したら、早速刑務所に帰ってポスターをはがした所長がいたよ。中には話がわかる人もいるんだよね。

刑務所でミーティング

ようやくそういうことを国もだんだんわかってきたようで、今、法務省に頼まれて、受刑者の回復支援のために全国各地の刑務所を回ってます。週の3回くらいはどこかの刑務所に行ってる。

何をするかというと、受刑者の話を聞いて一緒に悩むんだよ。彼らの悩みを共に感じて、共に悩んであげる。それだけだよ、できることは。人の人生を変えられるほどの力はないからね。絶対にああしろ、こうしろとかは言わない。それは刑務官の仕事でしょ? ただ、あなたがよろしければ、出所してから一緒にやっていきましょうよという話だけだよね。

でも問題があってさ。僕のミーティングに参加できるのは、初犯とか刑の軽い人や帰る家や仕事があったりする人たちで、同じ犯罪を繰り返して刑務所を出たり入ったりしてる人、刑の重い人、身元引受人がいない人は参加できないんだよ。でもこういう人たちこそ受けるべきなんだよね。もうクスリをやめたいと思ってるのにどうしたらいいかわからないから、また同じことを繰り返しちゃうわけだからね。

日本は症状の軽い人を大切にしてるけど、それより再犯10回の人を減らしていくべきなんだよね。それが犯罪の減少につながるんだよ。簡単なことなんだけどね。

警察庁と連携し、再犯防止プログラムを実施

今度、ダルクは警察庁とも連携するんだよ。ダルクで違法薬物の再犯防止プログラムを実施することになってね。近々、法律改正で覚せい剤で捕まった場合、初犯なら10日から2週間で出てこれるようになる。俺みたいに半年も拘置所の中にいられない。そうやってクスリをやめるなんてモチベーションもないまま出てきたら、またすぐクスリをやっちゃうでしょ。それで捕まったら今度は3〜4年の実刑だから。警察庁としても刑務所の過剰収容の問題もあるからなるべく再犯を増やしたくないわけ。

だから執行猶予がついた人で回復したい人はダルクで1年間、俺たちが作った再発防止プログラムを受ける。基本は週に1回のミーティングに出ること。その様子をチェックする。でもクスリをやったらミーティングには出てこないから、チェックしなくてもわかるよな。先週まで来てて今週来なかったら100%クスリをやってるってことだよ。それはこれまでダルクで回復プログラムを運営してきた経験でわかる。もしミーティングに来てないって人がいたら警察に知らせる。そこからクスリをやってるかどうかは警察が調べるっていうプロセスだね。

海外でも積極的に支援活動

アパリは国内だけじゃなくて海外でも活動しています。そもそもアジアの依存症の問題をなんとかしようというのがアパリの趣旨だからね。アジア・パシフィックだから、韓国、タイ、ニュージーランドからハワイも含めて環太平洋の国々だよな。このエリアは日本と直結してるから麻薬もバンバン入ってきてるしね。まだ薬物依存問題に対して有効な対策が取れていない地域で、少し私たちができることをやっていこうということだよ。

実際に韓国では我々がNAの立ち上げも手伝ったし、麻薬退治センターっていう恐ろしい名前の施設とも連携を取って活動してる。これまで日本でやってきたことをまだ回復施設のない国でやってるわけ。あと、フィリピンのミンダナオでも回復施設を援助しようという計画がある。今年、JICAの予算がついたらウチからスタッフが何人か行くと思うよ。人的交流だよね。

この間はカメルーンの大臣が来たよ。カメルーンではシンナー中毒者が多いんだって。それでサワ族っていう部族にはコンドーって苗字が多いんだって。だからぜひ来てくれって(笑)。

でも今はまだまだ国内の刑事・司法的なサポートが多いかな。そっち方面のスタッフが多いから。でもそうじゃなくて、日本はまだまだ豊かなんだから、今後は発展途上国の援助の方に力を注いで行きたいなと思ってるんだけどね。

近藤氏が最初のダルクを立ち上げてから22年。その間にダルクは全国各地に増殖し、回復者を確実に増やしている。かつては覚せい剤依存症に陥り、逮捕されたこともある近藤氏だが、釈放後は薬物依存者の回復を支援している側となるばかりか、国会に法律制定の参考人として呼ばれたり、東京弁護士会人権賞を受賞するまでになった。 近藤氏を突き動かしているものは何なのか。シリーズ最終回は、近藤氏にとって仕事とは何か、働くとはどういうことなのかについて熱く語る。

「ダメ、ゼッタイ」じゃ絶対ダメ

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