第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その6-仕事なんて何でもいい 重要なのは「どう生きたいか」 独立して9年が経った今でも、会社を辞めるときに選択した、人生の時間を自分でコントロールする生き方を実現している。完結編の今回は須藤氏にとって仕事とは何か、何のために働くのか、そして幸せとは何かに迫った。[2009/6/22] vol.172
第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その5-目指すは意識のバリアフリー 次男の誕生を機に、健常者と障がい者が自然に共存できる社会の実現を目標とした須藤氏。「意識のバリアフリー」をコンセプトとして動き始めたそのプロジェクトは「ネクスタイド・エヴォリューション」と命名された。[2009/6/15] vol.171
第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その4-次男の誕生をきっかけに独立 福祉業界の変革を決意 本社の役員に逆らったことで飛ばされた支店で孤軍奮闘していたころ、私生活でも大きなライフイベントが発生した。次男の誕生である。この出来事が須藤氏の人生を180度変えていくこととなる──。[2009/6/8] vol.170
第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その3-苦節5年で夢の宣伝課へ 1年間の命懸けの債権回収業務で結果を出した須藤氏は、丸井の花形・渋谷のヤング館へ栄転。ジュニアマネージャーとして現場の販売員を束ね、業績アップに貢献した。その後、半年間の商品部の係数管理業務を経て、カード企画部への異動の辞令が下った。これが夢の宣伝課への布石となった。[2009/6/1] vol.169
第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その2-命の危険を感じる仕事も 夢のために頑張れた 大学最後の海外放浪から帰国した須藤氏は本格的に就職活動を開始。子どもの頃からの夢を追い求めようとするが、しかし、またしても思い通りにはいかなかった。[2009/5/25] vol.168
第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その1-障害者と健常者の垣根を壊す 熱き社会起業家の仕事魂 ファッションで世の中を変えようとしている男がいる。ネクスタイド・エヴォリューション代表・須藤シンジ45歳。コンセプトは「意識のバリアフリー」、目指すは障がい者と健常者が混ざり合った社会の実現。「違いは個性。ハンディは可能性」を旗印に福祉の世界に切り込んだ男の熱き生き様に迫った。[2009/5/18] vol.167
第39回 「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 藤澤克己-その5-仕事とは社会の中での役割 「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げ、メンバーの僧侶と共に自殺念慮者や自死遺族の支援に力を尽くしている藤澤氏。今後さらに活動を拡大していく予定なのだという。自殺問題を解決するための壮大なビジョン、そして藤澤氏にとって仕事とは、働くとは、を語っていただいた。[2009/5/4] vol.166
第39回 「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 藤澤克己-その4-安心して悩める社会のために 宗派を超えて僧侶が集結 ビフレンダーズやライフリンクでの活動を通し、自殺したいほど苦しんでいる人や自死遺族の魂の叫びを聞くことによって、自殺問題に取り組む独自の団体の立ち上げを決意した藤澤氏。まずは身の回りで呼びかけたところ、僧侶が一人またひとりと宗派を超えて藤澤氏の立てた旗の下に集結し始めた。[2009/4/27] vol.165
第39回 「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 藤澤克己-その3-自死遺族との交流で取り組み方が変わった 日本の自殺者年間3万人前後。何とかしたいと自殺対策の世界に飛び込んで丸3年。電話相談業務では、数百人の苦しむ人の魂の声に耳を傾けてきた。さらに自死遺族との交流を通して、当初の動機が間違っていたと思い知らされた。気付きが、「自殺対策に取り組む僧侶の会」の設立に繋がっていく。[2009/4/20] vol.164
第39回 「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 藤澤克己-その2-自分にしかできない仕事がある 45歳で21年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、僧侶として自殺問題に取り組む決意をした藤澤氏。在職中から自殺防止のための電話相談員の研修を受け始め、さらに、日本の自殺対策を語る上で絶対に外せない団体との出会いで藤澤氏の運命は大きく変わっていく。[2009/4/13] vol.163
第39回 「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 藤澤克己-その1-自殺対策に人生を懸ける 行動する僧侶の仕事魂 日本の年間自殺者数は11年連続で3万人を突破した。そんな中、自殺対策に人生を懸けている男がいる。安楽寺副住職・藤澤克己47歳。IT企業から自殺対策の世界へ「転職」し、翌年「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げた。藤澤僧侶に、自殺という“いのち”の問題に向き合うことの意義を聞いた。[2009/4/6] vol.162
第38回 ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル-その6-仕事は人に価値を与えるもの 18歳のアフリカでのボランティアから始まった国際協力への道。時には人間に絶望し、傷つき、立ち上がれないほどの挫折を味わった。それでもあきらめず、ゴスペルによる国際協力を事業として成立させるまでになった。しかしナナさんにはまだ大きな夢がある。その今後の夢について語っていただいた。[2009/3/23] vol.161
第38回 ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル-その5-サークルから事業へ 人生を賭けたゴスペル×国際協力 社会に出ることで改めてゴスペルの素晴らしさを再確認すると同時に、恋人の後押しで次第にゴスペルを仕事にすることを考えるようになったナナさん。そしてあるNGOとの出会いで道は決まった。[2009/3/16] vol.160
第38回 ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル-その4-絶望のどん底から復活、新境地へ 19歳の冬、うつ病から復活したナナさんは、「FAFA GOSPEL HOUSE」の活動と平行して、米軍基地内の黒人教会に入会。聖歌隊の一員として毎週礼拝で歌うようになった。その縁で新プロジェクトに中心役として参画。目の前のことに全力投球することで、また新たな道が開けてきた。[2009/3/9] vol.159
第38回 ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル-その3-アフリカでの生活で芽生えた 国際協力活動への興味 18歳の夏、西アフリカ・トーゴの村に約1カ月滞在したナナさん。長年憧れていたアフリカの文化や生活を思う存分堪能でき、満足感に浸りつつ帰国した。その一方、実際に現地の状況を目の当たりにすることによって、新たな問題意識が芽生えてきた。現在のナナさんのもうひとつの活動の柱「国際協力」への目覚めの瞬間だった。[2009/3/2] vol.158
第38回 ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル-その2-高校生でゴスペル講師に 18歳で念願のアフリカへ 10代で現在の基礎を築く 中学3年生のときに観た映画の影響で、高校では合唱部でゴスペルを存分に楽しんだナナさん。その一方でアフリカに強い興味をもち、その大地に立つことを夢見た。後の国際協力活動の原点がそこにあった。[2009/2/23] vol.157
第38回 ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル-その1-新しい国際協力の形を作った ゴスペルの若きカリスマの仕事魂 若干27歳で、「楽しみながら国際協力」を実践している女性がいる。NGOゴスペル広場代表、ナナ・ジェントル。ゴスペルで得た収益金の一部を、発展途上国の人々の自立支援に役立てている。この若き社会起業家に「自分の好きなこと」と「誰かのために」を結びつける秘訣と仕事の意義を聞いた。[2009/2/16] vol.156
第37回 介護福祉士・理学療法士 岡田慎一郎-その5-仕事は遊びであり趣味 結果として社会に還元されるもの 現在、古武術介護をメインとした身体運用の講師、講演、取材、執筆と活躍中の岡田氏。自宅に帰れないほどに多忙な日々を送っているが、ストレスは全く感じていないという。シリーズ最終回の今回は岡田氏にとって仕事とは何か、何のために働くか、そしてこれからどこへ向かうのかに迫った。[2009/2/2] vol.155
第37回 介護福祉士・理学療法士 岡田慎一郎-その4-「古武術介護」だけではなく 汎用的な身体運用理論の実践 常に、今が失敗でありたい 2005年に初めてカルチャーセンターの古武術介護の講師を担当、徐々にファンを増やし、DVDブックの出版で一気に岡田氏の知名度は上がった。講習、メディア露出、執筆の3本柱の相乗効果で瞬く間に全国区の人気介護講師となっていった岡田氏。彼が考案した古武術介護とはいかなるものなのだろうか。[2009/1/26] vol.154
第37回 介護福祉士・理学療法士 岡田慎一郎-その3-古武術の達人との出会いで 運命が変わった 最初に就職した施設は仕事内容、人間関係に恵まれたが、異動先の施設ではいじめに遭い、転職先では激務で倒れた。苦難の連続だったが、最初に就職した施設に戻ってからは、再び平穏な時を取り戻した。しかしそれから数年後、31歳のときに施設を辞職。介護職になってちょうど10年目だった。[2009/1/19] vol.153