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魂の仕事人 第33回 其の一
6歳からバトンの道へ 世界最高峰のショーで輝く アーティストのバトン魂
世界のショービジネスの最高峰で観客を魅了し続けている日本人がいる。バトントワラー・高橋典子37歳。長年、競技バトンの世界女王として君臨していたが、34歳でシルク・ドゥ・ソレイユのアーティストに転身。準主役、唯一のソロ演技者という重要なポジションのプレッシャーと戦いながら、ショービジネスの本場・ラスベガスで1日2度のステージをこなしている。その裏には求道者としての厳しさとバトンを始めた少女のままの純粋さが同居していた。  
バトントワラー 高橋典子
 

ラスベガスで開催中のシルク・ドゥ・ソレイユ最大のショー「KA(カー)」に、準主役級の役で出演中の高橋氏(写真右/提供:シルク・ドゥ・ソレイユ)

祖母の勧めでバトンを始める

 

 バトンに初めて出会ったのは6歳のときです。祖母が敬老会の催しでバトンを回している子を見て、「典子もやってみれば」と勧められたのがそもそものきっかけです。それで母が近所のバトン教室に見学に連れて行ってくれたんです。

 そのとき体験のような形でバトンをやってみたんです。最初はあまり興味がなく、自分からやりたいとは思わなかったのですが、母に「やってみる?」と聞かれたとき、「嫌だ」と言えなかった(笑)。内気で恥ずかしがり屋の性格だったので、断れなかったんです。

 それでバトン教室に通うことになったのですが、習い始めはバトンを回すことというよりは、同じ教室に通う友達に会えたり、バトンを持って遊んだりというのが楽しかったんです。あとは、横浜では国際仮装行列という4キロくらいの長いパレードが毎年開催されていて、そういう行事に出るのは楽しかったですね。パレードをちゃんと歩き終えた達成感といった喜びは感じていました。

 バトンが本当に楽しいと思ったのは、多分小学校3年生か4年生くらいですね。当時は屋外でよくバトンの練習をしていました。あるとき、友達が住んでいる団地の近くで、その子とバトンの練習していたのですが、途中でお母さんに呼ばれて友達が帰ってしまったんです。その後も、そこで私はひとり練習を続けていたんですね。時間的にはどのくらいか覚えていないのですが、自分なりに一生懸命練習していたら、とても気持ちよくなってきたんです。そのときにバトンを回す楽しみを覚えたんだと思います。それ以降、練習をすることに楽しみを見出すようになりました。学校が終わったら、寒い日でも毎日ひとりで外で自主練習していました。

 もちろん、バトンを回すこと自体のおもしろさもありますが、できないことが練習によってできるようになる過程がおもしろかったですね。たとえば先生からひとつ新しい技を習ったときに、当然すぐにはできないわけですよ。それをどうやったらできるようになるのか考えて、あとはひたすら練習する。そしてできたときが、ものすごくうれしいんですよね。その繰り返しでどんどんバトンにのめりこんでいきました。

小学3年生で全日本、6年生で世界大会へ
 

 全日本バトントワリング選手権大会に初出場したのは小学校3年生のときです。第5位でした。また、4年生のときには競技バトンの世界大会第1回の代表選手選考会に出場しました。その頃は、まず早朝、バトンの先生のお宅でマンツーマンで練習した後に学校へ行き、また放課後に練習するという日々でした。当時は先生が隣町に引越してしまったので、毎日祖父が自転車で送り迎えをしてくれていました。

 でも、割とのんびりした性格だったので、大変だとか嫌だとか思った覚えはありません。練習、学校、また練習という生活が当たり前だと思っていたんですよね。バトンが好きだから、自然とそういう環境に入っていけたのでしょう。「もっとバトンがうまくなるために、絶対毎日練習するんだ」という強い意志はなかったのかもしれません。

 当時は屋内で練習する場所がなかなかなくて、放課後は屋外で練習していました。家の近所で暗くなって街灯がつくまでバトンを回していました。また、青果市場でもよく練習していましたね。地面はコンクリートで壁がないから冬は風が吹きさらしで寒いのですが、広いし、天井も高いし、雨の日でも雪の日でも練習ができたので。たくさん積まれた白菜のすぐそばでバトンを回していました(笑)。

 小学6年生のときには初めて世界大会に出場したのですが、そのときもっと上のレベルを目指すならバレエと体操が必要だと思って習い始めました。

バトン一色の日々
 

 中学、高校時代もバトン一色の毎日でした。学校にバトン部はあったのですが、部活に入部してではなく、従来所属していたバトン教室で練習していました。部活動よりももっと専門的なことを習っていましたから。

 高校生のときに、表現力をつけるのにプラスになる何かを習わなきゃいけないと思って、ジャズダンスを取り入れてみることにしました。だけど、親にレッスン代を出してほしいとは言えませんでした。そこで、当時はバス通学だったので、もらっていた定期代をジャズダンスのレッスン代にあてて、高校までは歩きか自転車で通っていました。もちろん親には内緒で。引き続きバレエと体操の教室にも通って練習していました。

 こんな感じだったので、遊ぶ暇はあまりなかったですね。でも子供の頃からずっとそういう生活だったので、遊ぶということがよくわかってなかったのでしょう。忙しい毎日でしたが、自分が遊んでいないとは思っていなかったというか。そのまま高校に入っても疑問に感じなかったんです。

 でも高校生活はすごく楽しかったですよ。学校にいる間に、友達と遊ぶ楽しさを味わえていましたから。もちろん放課後も全くどこにも行かなかったわけではなくて、例えば放課後、友達と一緒にアイスを食べたりとか、たまには時間を見つけてどこかに遊びに行ったりしてましたから。物足りないということはなかったですね。周りの友達もすごく個性的でいい人たちばかりでしたので、高校時代は人間形成に大きな影響を与えてくれたと思っています。

高校生活も終わりに近づくころ、進路という問題に直面する。バトン、進学、将来の夢──。さまざまな思いに心は揺れたが、ある出来事で進む先が見えてきた。
最初の夢はスポーツトレーナー
 

高橋氏がショーで実際に使用しているバトン(フルート)

 高校生のとき、膝の調子が悪かったので、整形外科に行くと、「まだバトンなんかやってるんだ」と言われたのです。その「バトンなんか」という言葉がすごくショックでした。一般的にバトンは小さい子がやるというイメージなんでしょうね。

 だから、体のことを勉強して、バトン選手を専門にサポートする人になりたいと思ったんです。ちょうどその頃スポーツ医学や栄養学がはやっていて、興味を持ったということもあります。それでスポーツ医学的なことを勉強できる大学に進学したいというひとつの方向性が決まりました。

 あるとき体育の先生が、アメリカに渡ってアスレチックトレーナーの勉強をしている先輩がいると紹介して下さり、電話をしました。するとその先輩に「人間の身体的なことを勉強したいのなら、本場であるアメリカに来た方がいい」と言われたのです。どうせなら本格的に勉強したいと思っていたので「アメリカに行こう」と思いました。

 受験シーズンを迎えたとき、気持ちは大きくアメリカの学校に傾いていたのですが、一応、日本の大学も受けておこうと思って、スポーツ医学について勉強できる大学を調べて、受験しました。でも合格できませんでした。それでやっぱりアメリカの学校へ行こうと。もしこのとき合格していれば人生変わっていたでしょうね。今、現役でバトンを回していないかもしれません。きっと「バトンを続けなさい」ということだったんでしょうね。

運命を変えた指導者との出会い

高橋氏が幼少のころ通っていた幼稚園にて。帰国した折には子供たちにバトンの指導をしている

 その頃、バトンに関してもこの先どうしようかと悩んでいました。バトンが歯を磨くのと同じような、日常的なことの一部になっていたのです。もちろん競技バトンの選手として練習をしたり大会に出たりしていたのですが、実力もそれほど伸びていたわけではなく……。それで「このままだらだらと続けていていいのかな」と思っていたのです。

 そんなことを思っていた88年、高3のときに、日本でバトンの世界大会が開催されることになりました。せっかく日本で開催されるので、世界大会に出場した経験のある選手が集まって、デモンストレーションのようなことをしようということになったのです。

 そのイベント企画の中心となっていたのが当時の「高山アイコバトンスタジオ」、現在の「トワルアイバトン教室」(以下、トワルアイ)でした。それまで所属していた教室は、私が最高齢でそのほかは小さい子供たちが多かったのですが、トワルアイには同年齢の人も、私より年上の人もいらっしゃいました。こういう教室なら今までと違った形でバトンに接することができ、充実するかもしれないと思ったのです。

 また、それまでバトンを教えていただいていた近所のバトン教室の先生もだんだんお子様のことなどでお忙しくなってきて指導する時間が十分に取れなくなっていました。そういったこともあり、小学生のころから十数年教えていただいた教室から、思い切って高校を卒業した翌日に、トワルアイに移籍することにしました。これが結果的に私の運命を変えることになったのです。

 この時期には、これまで私を育ててくれたバトン界に何か恩返しをしたいという強い思いもありました。そのうちのひとつとして、バトン教室の先生になって後進を育てていくという道が考えられました。

 しかし、私はバトンの技術を教えること自体は好きなのですが、バトンの振り付けをするのがあまり好きではないのです。恥ずかしがり屋で、表現をするのがあまり得意じゃないので。それがバトンの先生になることを考えたときに、すごくプレッシャーだったのです。振り付けを考えて、教えるということがバトンの先生の重要な仕事のひとつですから。だから何かほかのことでバトン界に恩返しできないかと思っていました。

18歳で全日本初優勝。世界へ
 

 トワルアイに移籍することは決めましたが、競技バトンを続けるつもりはありませんでした。トワルアイにはいろいろなバトンの仕事が入り、依頼されたイベントなどに出演すると出演料がいただけます。そういうことも楽しみながらアメリカに行く準備ができたらいいかなと思っていたのです。

 しかし、その考えは入会初日に吹き飛びました。入会手続きをした日に、先生が「バトン持ってきた? 体育館があるから行きましょう」と言いました。私は手続きだけのつもりだったので、何も持ってきていなかったのですが、先生がバトンを貸してくださり、指導してくださいました。そうしたら、日常生活の一部になっていたバトンが「こんなにおもしろかったんだ! こんなに楽しいものだったんだ!」と改めて感じられたのです。

 入会してから1カ月後には全日本の大会と世界大会の選考会に出ることになっていたのですが、その間、とても気持ちよく練習できました。バトンに対する先生の考え方は今までと違っていました。高度な技術を求めるより、大会で完成度の高い演技をできるように指導してくださったんです。大会では完成された演技を見せなくてはいけないのが大前提ですから。

 先生は、どういうふうにしたらバトンがきれいに見えるかを最も重視されていたので、難しい技でバトンが汚く見えるくらいなら、難易度は下げてもバトンの流れをきれいにしようと、演技の中身を組み替えてくださいました。

 新しい先生のご指導のおかげもあり、競技種目で一番基本となるソロトワールという種目で、思いがけず全日本チャンピオンになりました。さらに、世界大会の代表選手に選ばれたのです。世界にいけるなんて夢にも思っていなかったので、とてもうれしかったですね。

 

新しい指導者との出会いによって、バトンの概念が変わり、競技者として飛躍的に成長した。これがさらに、高橋氏の人生すらも変えることになる──。

次回はバトン界の無敵の女王として君臨するまでの過程、バトンに対する思いを熱く語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回 2008.8.4リリース 6歳からバトンの道へ 世界的バトントワラーのあゆみ
第2回 2008.8.11リリース 驚異的な強さで世界女王に 壁を乗り越え継続
第3回 2008.8.18リリース 地道な努力で開けた夢への扉 憧れのシルク・ドゥ・ソレイユへ
第4回 2008.8.25リリース 世界最高峰のショーの舞台へ ストイックなまでのプロ意識
第5回 2008.9.1リリース 原動力は終わりなき成長欲求 いずれは他人のために働きたい

プロフィール

たかはし・のりこ

1970年横浜生まれ。6歳からバトンをはじめ、全日本選手権には小学3年生で小学校低学年の部に出場、5位入賞。18歳の時トゥーバトンで初優勝して以降、グランドチャンピオンに輝くこと17回。全個人種目を制覇。同大会連続25回出場。世界選手権にも通算15回の出場、金メダル7つ、銀メダル2つ、銅メダル3つを獲得。この記録は現在も女子では破られていない。2004年にシルク・ドゥ・ソレイユと契約。シルク史上最大規模を誇るショー「KA(カー)」に主役級の役柄として抜擢。2004年11月からショービジネスの本場・ラスベガスのMGMグランドホテル内の特設会場で出演開始。これまで出演回数は1500回を超えた(2008年現在)。ショー中、ソロの演技を披露できる機会を与えられているのは高橋氏のみ。

【関連リンク】
●高橋氏ブログ
 のんのん太陽の下で

●シルク・ドゥ・ソレイユ

1984年にカナダで生まれたサーカス集団。フランス語で“太陽のサーカス団”(CIRQUE DU SOLEIL)という意味。40カ国・3,500人が在籍、年間チケット売上4億5,000万ドル超。サーカスと大道芸を融合させた新しいエンターテインメントショーを公演しており、全世界で4,000万人がシルクのショーを最低1回は観たといわれている。日本でも『サルティンバンコ』、『アレグリア』、『キダム』などは、大勢の観客を集めている人気のショー。2008年6月には東京ディズニーリゾート内に日本初の常設劇場「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」が完成。10月1日から新作ショー「ZED(ゼッド)が開演される。

●KA(カー)日本語版
英語版

シルク・ドゥ・ソレイユ始まって以来、最大規模といわれるショー。ラスベガス・MGMグランドホテル内の専用劇場は、総制作費187億円、観客席1951席。165人のスタッフと90人の出演者が毎日2回のショーを行っている。舞台装置も圧巻で、特殊装置を備えた広さ70畳、重さ175トンの巨大な舞台が自在に動き、さまざまなものに姿を変える。そんなとんでもない舞台で演技を繰り広げるアーティストはまさに超人。また、シルクの中で唯一ストーリーをもつショーとしても人気を博している。

●トワルアイバトン教室
高橋氏を世界トップクラスのバトントワラーに育て上げたバトン教室。旧・高山アイコバトンスタジオ。

 
お知らせ
 
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魂の言葉 魂の言葉 バトン一色の日々でも 好きだったから苦ではなかった バトン一色の日々でも 好きだったから苦ではなかった
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