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魂の仕事人 第33回 其の四
世界最高峰のショーの舞台へ ストイックなまでのプロ意識で 驚異的な肉体を維持
2カ月間のトレーニングから約1カ月後の2004年5月から、シルク・ドゥ・ソレイユの新作ショー、KA(カー)が開催されるラスベガスに移住した高橋氏。KAでは準主役級の役柄に抜擢。日本人としてももちろん、バトン界からの起用も初。さらに、ソロの演技が許されているのも高橋氏のみだった。今回はショービジネスの世界に生きるということに迫った。  
バトントワラー 高橋典子
 

ショービジネスの最高峰・ラスベガスへ
最初の通し稽古で8時間

 

 ラスベガスに移住しても、引き続き本番へ向けて練習していました。本当は本番のショーを行う舞台で練習する予定でしたが、舞台装置の設置が遅れに遅れていたので、モントリオールから一つひとつのシーンごとの大きな舞台を運んで練習していたんです。みんなで1シーンずつゼロから試行錯誤しながら作り上げていく作業を「クリエーション」と呼ぶのですが、この段階でも試行錯誤しながらクリエーションをしていました。そのうち本番の舞台がやっと動くようになったので実際に乗ってみると、舞台の動きなどが想像と違うのでまた演技やシーンを作り直さなくてはいけないということもありました。

 実際の舞台を使ってのクリエーションは、時間の掛かるなかなかたいへんな作業でした。例えば回転する舞台で行われるシーンのクリエーションでは、その舞台の上で演技をする人はもちろん、演技をしない人も呼ばれて作業をし、なかなか終わらなくて2時間そこに入りっぱなしといったこともありました。

 また、丸太がたくさんある舞台でのシーンでは、私が最初に登場することになっていました。高さ2メートル以上の丸太の上に乗って待機していたところ、舞台がなかなか動かなくて、直径40センチぐらいの丸太の切り口に30分乗ったまま待ったり。そういうことが何度もあったのです。とにかく舞台が巨大で装置も大掛かりで。こういう我慢ができないとクリエーションからは参加できないですね。

 すべてがそういう感じでなかなか進まず、舞台の初日は予定よりも遅れました。しばらくしてシルクからその年の11月にショーを始めると、何回目かの初日変更のアナウンスがあったときは、もう誰も信じませんでした。クリエーションが一通り終わり、初めて通しのリハーサルをやったときに、なんと8時間もかかったんです。本番のショーの時間は90分なのに。どうなることかと思っていました。

 結局、本番のショーが始まる直前まで、約1年間、クリエーションをしていたことになります。普通のショーは2〜3カ月でクリエーションが終わるというので、珍しいケースでしたね。

いよいよKAスタート
 

 初めて人前でショーを行ったのは2004年11月上旬でした。これはライオンズデンといって、シルクのスタッフや会場のMGMホテルの従業員をお客様として客席に招待して、ショーをするんです。それを何度か行って、本番である11月26日のソフトオープニングを迎えました。この日から、チケットを買って観に来る一般のお客様の前でショーをすることになります。この間、人前で演技をすることに慣らしていったり、ショーをブラッシュアップしていくんですね。

 そのソフトオープニングで私はバトンを落としてしまったんです。みんなが「初日のショー、うまくいったね」と喜んでいるときに、私はあまり喜べなかったという思い出があります(笑)。

 その後、2005年2月3日にグランドオープニングが行われました。本当の初日です。テレビの取材も来ていましたし、緊張しました。

 でも、舞台に立つということは、ひとりのディレクターの前でも、100人のお客様の前でも、私にとっては同じ気持ちです。また、ソフトオープニングから2カ月ほど経ち、舞台にもある程度慣れていましたので、緊張はしましたが、あがってしまうことはなかったです。

 KAは舞台装置もとても大掛かりで大規模なショーなのですが、静かに心に残る場面があるところが、私は好きです。でもあまり取材でKAのことは話さないようにしているんです。というのはKAは観る方の感性で印象が全然違うんですよね。だから、一度実際にご覧になって、どのように感じられるかをぜひ試してもらいたいのです。

 ソフトオープニングから現在(2008年8月)までで、出演回数は1500回を超えました。ショーは19時からと21時30分からの1日2回、各90分ずつ。休みは日曜日と月曜日の週休2日です。私の代役が出る日でも劇場に入って、いつでも出られるような状況で待機していなければならないんです。だから気は抜けませんね。いろんなトラブルで、「代役の代役」のような形で出演することもあります。

27年間にも及ぶ競技バトンから、34歳でショーの世界へと転身した高橋氏。同じバトンを使ってのパフォーマンスでも、競技とショーとでは、違いがあるという。
競技は技術、ショーは気持ち
 

 バトンを回すということに関しては、競技バトンもKAのようなショーも基本的には同じです。競技バトンの世界も、技術点のほかに芸術点があるので、表現性や芸術性が全くないわけではありませんし。もちろん、いろんな観点で見ていくと様々な違いがあります。

 単純に1回だけの演技で比較した場合、演技時間は世界大会が2分半、KAでのソロ演技が3分半(※1)ですが、世界大会の方がよりアクロバティックな演技をします。でもKAはほぼ毎日、しかも1日に2回本番があります。

※1 KAでのソロ演技が3分半──スタート当初の予定は2分だったが、クリエイション時に増えた。

 また、競技大会は自分が練習してきたものがどれだけ本番で発揮できるかという自分との戦いなので、どういう結果になっても自分だけの問題として済みますが、KAは高いチケット代を払って私たちの演技を観に来る大勢のお客様がいます。ちょっと今日は調子が悪かったな、ミスしちゃったな、では済まないわけです。

 ですので、1回の演技だけを考えると世界大会時代の方が体力的にはきついですが、毎日2回の本番、観客がいることによって生じる責任などを考えると、KAの方が大変かもしれないですね。

 最大の違いは、KAの場合、私は物語の中の一部として演技をするので、「どうして私がここでバトンを回さなければならないのか」ということも含めて、「キャラクターとしての気持ちを観客に伝えないといけない」という点です。バトントワリングの高度な技を見せればいいという役割ではないので。

 世界大会とは違ってKAにはバトンのスペシャリストが見に来るわけじゃないので、KAの観客がすごいと思うことと私たちが難しいと思うことは違うことがあります。そういうことを感じながら演技を作っていくことは大事ですね。

 つまり簡単に言えば、同じバトンを回すにしても、競技バトンは技術に重点をおいて、KAでは気持ちを表現するのに重点を置くということです。

バトン一筋32年。世界最高レベルのバトントワラーの手

KAでの演技は“マスト”
 

 でも、私はその表現することが苦手というか恥ずかしいと思う部分が強くて困るんです。元々なるべくなら人の影に隠れてひっそりと暮らしていたいという性格なので。表現することを仕事にしているのにおかしいですよね(笑)。

 でも私はバトンを回すことが好きなんです。それができる機会を与えられていることをありがたいとも思っています。そして本番が近づくにつれ自分の殻を一つひとつ破って、舞台に立ったときには役になりきって演技できることはわかっているんです。ただ、その本番の舞台に立つまでがたいへんなんです。毎回その繰り返しです。でも舞台に立って時間を過ごせたときの満足感や喜びはものすごく大きいので、つらいとは感じません。

 それに、これは必然だと思っているんです。たぶん、どこか空のはるか上の方に私を見守ってくださっている方がいて、その方が私の恥ずかしがりの性格は放っておいたらそのままだから、敢えて人前に出る機会を与えてくださっているのかなと思うんですよ。それがKAでの仕事で、だからこれは私がしなければならないことだと思っているんです。私は宗教家でも信じている宗教があるわけでもないんですけどね(笑)。

役になりきる

 自分の羞恥心を捨てていざ舞台に立ったら、役柄を演じるというよりは自動的にその役になって、喜怒哀楽を自分のこととして感じるんです。以前、それが高じて本番中に本当に涙が出てきて、片方のコンタクトレンズが外れてしまったことがあります。

 私の両目の視力は0.01で裸眼ではほとんど見えず、しかも片方だけ外れたから余計距離感がつかめない状態で、バトンを回しながら踊らなくてはならなくなっちゃったんです。最後にバトンを宙に投げて後ろ向きにキャッチする演技があるのですが、それまで1000回もやっているんだから、悪い方に考えず、いつもどおり平常心でやればうまくできるはずだと信じてやったら、バトンはちゃんと手の中に入ってきました。

 このときはいい緊張感が出ていたから成功したんでしょうね。アクシデントをいい緊張感に変えることができたときは、たいていうまくいきます。

 緊張にもいい緊張と悪い緊張があるんですよ。簡単に言えば、ドキドキしてわけがわからなくなっているという単に“あがっている状態”は悪い緊張感。ちゃんと心に張るものがあって、それを自分のエネルギーに変えられたときはいい緊張ですね。

 KAにはこれまで1500回以上出演していますが、いまだに悪い緊張をすることもあります。今日はなんとなく良くないなと思うこともあります。そんなときは「良くない」という状態はわかるので、それを良い状態にもっていくという作業はします。

シルクに入団して4年半。その間、世界最高峰のショービジネスの本場で、ほぼ毎日、2度のステージをこなしてきた。高橋氏は今年(2008年8月現在)で38歳。まさに驚異的である。肉体と精神を高いレベルで維持する秘訣とは──。
科学的に証明された驚異的な体力
 

 シルクに入ってからこれまで体力的にきついと感じたことはないですね。日本にいたころは、自分の練習や子供の指導などで休みはほぼなかったので、逆に休みを週に2日もいただいて、当初は何をしていいかわからなくて困りました(笑)。だからショーが始まった頃は心配だったので、バトンを持ち帰って練習していたのです。でも月日が経つうちに段々いろんなことがわかってきて、休めるようになりました。とはいっても、今でも何かしら体を動かしていることが多いですけどね。

 元々親に丈夫な体をいただいていますし、24、5歳のころ医療系専門学校の通信講座で身体のことを勉強したことも役に立っています。そのおかげで、自分で自分の体を調整できますからね。だからそれほど体力的な衰えを実感することがないのだと思います。

 そうはいっても、自分で衰えを感じていないだけで、実際には体力は落ちているんじゃないかと思っていました。年齢的にも30代半ばを過ぎていますし、毎日ショーの中でやっていることも以前ほどはハードではないので。世界大会に出ていたときはもっとアクロバティックなことをやっていましたから。年齢が上がるにつれてやることも変わってきているので、もしかしたら体力が落ちているのに感じていないだけなのかなと思っていたのです。

 でもあるとき体力測定をしてみたところ、世界大会に出ていた20代の頃と数値が同じだったんです。体力や心肺機能が全く落ちていないということが科学的に証明されたので、びっくりしました。

動かなくてもあえて動かす

 体力を維持するために特別気を遣っているというわけでもないのですが、ただ、日々の生活を大事にしようとは思っています。睡眠はきちんととるようにしていますし、体を使う前と使った後はストレッチなどをして必ず調整するようにしています。

 たまに体が動かなくなるときや動く気になれないときがあるのですが、そのままにしておくと本当に動かなくなるので、無理矢理にでも動かすようにしています。舞台がある日はもちろん、休みの日でもそうしています。動かない体で1日を過ごすのは気分が悪いし、もったいないと思うんですよね。だから無理にでも動かすのですが、そうすると段々動いてくるんですよ。私の場合、動かないまま休むというのはあまりよくないのかもしれません。

 トレーニングとしては、バトンのほかにピラティスやダンスのレッスンも受けています。休日でもなにかしら体を動かしていることが多いかもしれないですね。

 もちろん、全く休まないというわけではなくて、1、2週間の長期休暇も年に何度かあります。旅行に出かけたりするのですが、休暇を目一杯使うことはせず、余裕を残して帰ってきて、体調を整えます。休暇明けは毎回ひとりでリハーサルをしているんです。本当は休みのときは劇場には入れないのですが、もうみんな分かってくれているので、ステージマネージャーも「ノリコはOK」って入れてくれるんです。

 大きなケガもないですね。KAが始まった年の8月に1回、右手首のじん帯を切ったくらいですね。練習中におかしいなと思ったら切れていたんです。原因はわかりません。医師には、多分使いすぎじゃないかって言われました。もう30年も毎日使っているからしょうがないですね(笑)。

節制しているというわけでもない

 食事は自分の体にいいものをとるようにしています。普段はご飯と野菜が中心で、揚げ物などの油物はあまり食べないようにしています。

 かといって、肉類を全く食べないというわけではなくて、自分の体が欲すれば肉も魚も食べますよ。友達とレストランに行ってステーキなども食べますし、居酒屋にもよく行きます。基本的に食べることが大好きで、量も多く食べます。普段の食事に気を遣っているので、外に出た時まで制限はしたくないんですよね。肉も魚も一切食べないという節制はいいこととも思いませんし。

 やっぱり毎日のことが一番大切なので、毎日とるものは米や野菜中心にして、友達と外食するときにそれ以外のものを食べるようにしています。自分ではそれが気持ちいいので節制しているという意識はありませんが、他の人から見ると節制しているのかもしれませんね。

 

KAのアーティストになって3年半、出演したステージは1500回以上。その間、様々な出来事があった。中には命の危険を感じることも──。

シリーズ最終回の次回は、シルクの一員としてKAに出演することの喜びとつらさ、そして高橋氏にとってバトンとは何か、高橋氏を突き動かしているものは何か、などを語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回 2008.8.4リリース 6歳からバトンの道へ 世界的バトントワラーのあゆみ
第2回 2008.8.11リリース 驚異的な強さで世界女王に 壁を乗り越え継続
第3回 2008.8.18リリース 地道な努力で開けた夢への扉 憧れのシルク・ドゥ・ソレイユへ
第4回 2008.8.25リリース 世界最高峰のショーの舞台へ ストイックなまでのプロ意識
第5回 2008.9.1リリース 原動力は終わりなき成長欲求 いずれは他人のために働きたい

プロフィール

たかはし・のりこ

1970年横浜生まれ。6歳からバトンをはじめ、全日本選手権には小学3年生で小学校低学年の部に出場、5位入賞。18歳の時トゥーバトンで初優勝して以降、グランドチャンピオンに輝くこと17回。全個人種目を制覇。同大会連続25回出場。世界選手権にも通算15回の出場、金メダル7つ、銀メダル2つ、銅メダル3つを獲得。この記録は現在も女子では破られていない。2004年にシルク・ドゥ・ソレイユと契約。シルク史上最大規模を誇るショー「KA(カー)」に主役級の役柄として抜擢。2004年11月からショービジネスの本場・ラスベガスのMGMグランドホテル内の特設会場で出演開始。これまで出演回数は1500回を超えた(2008年現在)。ショー中、ソロの演技を披露できる機会を与えられているのは高橋氏のみ。

【関連リンク】
●高橋氏ブログ
  のんのん太陽の下で

●シルク・ドゥ・ソレイユ

1984年にカナダで生まれたサーカス集団。フランス語で“太陽のサーカス団”(CIRQUE DU SOLEIL)という意味。40カ国・3,500人が在籍、年間チケット売上4億5,000万ドル超。サーカスと大道芸を融合させた新しいエンターテインメントショーを公演しており、全世界で4,000万人がシルクのショーを最低1回は観たといわれている。日本でも『サルティンバンコ』、『アレグリア』、『キダム』などは、大勢の観客を集めている人気のショー。2008年6月には東京ディズニーリゾート内に日本初の常設劇場「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」が完成。10月1日から新作ショー「ZED(ゼッド)が開演される。

●KA(カー)日本語版
英語版

シルク・ドゥ・ソレイユ始まって以来、最大規模といわれるショー。ラスベガス・MGMグランドホテル内の専用劇場は、総制作費187億円、観客席1951席。165人のスタッフと90人の出演者が毎日2回のショーを行っている。舞台装置も圧巻で、特殊装置を備えた広さ70畳、重さ175トンの巨大な舞台が自在に動き、さまざまなものに姿を変える。そんなとんでもない舞台で演技を繰り広げるアーティストはまさに超人。また、シルクの中で唯一ストーリーをもつショーとしても人気を博している。

●トワルアイバトン教室
高橋氏を世界トップクラスのバトントワラーに育て上げたバトン教室。旧・高山アイコバトンスタジオ。

 
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