キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第9回船医・作家 西丸與一さん-その3-思い出深い人命救助 船医で…

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第9回船医・作家 西丸與一さん-その3-思い出深い人命救助 船医でよかったと痛感

魂の仕事人 魂の仕事人 第9回 其の三 photo
莫大な損害も省みず 真夜中の荒れる海での人命救助 船医でよかったと痛感
  大勢のお客を乗せてのオセアニアクルーズの航海中、グアムのコーストガードから一通のFAXが送信されてきた。内容は、人命救助の依頼。日本国籍の漁船の機関長が発作を起こしており、このままでは確実に死ぬと。西丸さんと船長は迷わず人命救助に向かった──。  
横浜市立大学名誉教授・「ぱしふぃっくびいなす」船医・作家 西丸與一
 
暗闇の中での救助活動
 

 グアムのコーストガードは、日本の漁船で重病人が出て、SOSを出していると。お前の船が比較的近くにいるから、しかも日本の船だし、なんとか行ってやってくれと言うんだよ。グアムからヘリで行くには遠すぎるし、夜中だから飛べないって。

 その漁船がね14トンの小さい船なんだよ。ちなみにこっちは2万7000トン。その漁船は沖縄の糸満の船で、年老いた船長と機関長のほかにフィリピン人のクルーが4人。それでグアムまで行くんだよ。日本から船員を連れていけないのは、若い連中はあまりの仕事のキツさに3日で逃げちまうから。

 で、機関長が熱を出して喘息発作を起こして、それが3日も続いてると。苦しくて寝てられなくてヒーヒーいってるんだけど、薬も何もないし……という報告なんだ。ところがその船が2月28日の朝7時に時速7ノットで病院のあるグアムへ向かってる。朝7時の位置はわかってて、我々はそのことをその夜の11時半に知ったわけ。そこからは計算なんだよね。一等航海士(チョッサー)とかがチャートでね、その船の現在位置を割り出すわけだ。その船は我々の船みたいに衛星通信なんて持ってなくて、いわゆる無線しかない。それで少し近くまで行って、周波数はわかってるから、なんとかその船と連絡が取れて。病状を聞いた。さらにその船で行くとグアムに着くのが翌々日になるっていう。なにしろ7ノットしか出ないから。

 そのまま行ったらどうなるか考えたら、命に関わる状態だった。おそらく死んでしまうだろうと。そこで「これは命の問題だ。キャプテン、どうする?」と相談したら「わかった」と。人命救助に向かうと決断して進路を変えたんだ。

 3月1日0時15分に急に反転してね。5時間ずーっと今までの進路と逆方向に進んで行って、朝の5時にその漁船に遭遇したの。そのときは感動したね。真っ暗な中に白い光がポッとあるだけなんだよ。行ってみたらその漁船でね。こんな真っ暗闇の大洋の上なのに、船の位置が正確に割り出せるもんなんだなってね。

 我々は患者を受け入れようとしたんだけど、すごい波だったから漁船はすごく揺れてるんだよ。せっかく近付いても引き波で離れていってしまうんだよね。一番近くに寄った時にパッと移さなきゃならない。みんな命がけでね。なんとか引き取って「受け取ったぞ!」って言ったら、大きなマグロが一匹、船の中に飛び込んできたんだ。救助に対するお礼のつもりだったんだろうな。でも、それが後で問題になってね。「マグロをくれたから助けたんだろう」って言われた(笑)。もちろんマグロが先じゃなかったんだけどね。患者を受け取ってすぐに治療にかかったから、命は助かったんだ。

乗客と会社の優しさに感激
 

 人命救助はできたけど、我々の船は逆行して救助に向かったものだから、患者を収容して本来の目的地であるグアムへ全速力で向かっても着くのは夕方の5時になってしまう。ということはお客さんたちの現地でのツアーなどの予定がすべてキャンセルになるし、その距離分の燃料も必要になる。キャプテンとしては人命救助が優先だと判断したとはいえ、予定は大きく狂っちゃったんだよね。

 損害も莫大な金額になったみたいだよ。保険も下りないようだったし。でも本社は文句ひとつ言わないどころか、「よくやってくれた」って。いい会社だよね。

 助けた機関士は沖縄の人だからノンビリしててね。元気になって「大丈夫ですか?」って聞いたら「薬なんか1日分しか持ってないからすぐなくなっちゃって。気をつけなきゃいけないな」って。その次に言った台詞が「日本にも良い病院船ができたね」って。おいおい、全然違うって(笑)。そうじゃなくて、こういうワケでたくさん乗ってるお客さんの予定がキャンセルになったりしてたいへんだったって話したら、すっかり恐縮してね。本当に申し訳ない申し訳ないって。

 夕方、グアムに着いたとき「みんなあなたのこと知ってるんだからお礼言ってくれよな」って言ったら、降りてから救急車に乗る前、船に向かって何度も頭下げたんだ。お客さんもそれを見て「頑張れよ!」「早く元気になれよ!」って声かけてね。あの光景はすごくよかったなぁ。やさしさにジーンときちゃったね。

 その後もお客は誰一人として文句言わなかった。自分が一緒になって助けたような気持ちなんだね。ああいう一体感っていうのはいいんだね。よいことをした、みたいなね。みんな「グアムなんかまた来れるよ」って、うれしいこと言ってくれたんだ。本当にありがたかったね。

 でも夜中に急に進路を変えたことで、お客さんの中には「シージャックに遭った」と思ってブリッジに電話してくる人もいたんだよ。キャプテン以下、銃をつきつけられて大変なことになっているところを想像してね。それで「どうしようどうしよう」ってなってたらしいんだ。

 翌日の朝食に、助けた機関士の船からもらったマグロを刺身にしてお客さんに出したんだけど、これがすごく美味くてね。マグロが美味かったから誰も文句言わなかったんじゃないかって(笑)。まあこれは冗談だけど、その後2、3日はその話でもちきりだったね。

 日本の客船が人命救助をしたというのは初めてのことらしいんだ。そんなにあることじゃないからね。そういうときに船医をやっててよかったなって思ったよね。

 人命救助とかっていう話じゃなくても、これまでウチの船、「ぱしふぃっく びいなす」では航海中でひとりも死者が出ていないの。重病人が出たらすぐに最寄の港に寄るから。ひとりでも乗客が死んだら辞めようと思ってる。

船の中は野戦病院と一緒
 

 船の中で手術? まずできないね。船の中って野戦病院みたいなものかな。機械はないしさ。限界があるんだ。だからできるだけね、近くの国の港につけて病院へ上げちゃう。それにウチの船だけはヘリが下りれるからね。緊急時はヘリで来てもらったりね。

 今までで一番深刻だったのは緑内障になっちゃった人。その人は一晩中苦しんでたな。メキシコの港に下ろして病院へ連れて行って、医者と話しして、手術しなきゃってことで日本から家族呼んでね。あとは心臓発作を起こしてギリギリで病院を見つけて間に合ったということもあった。こんなときは2、3日寝られない。

 でも外国で手術受けると高いんだよね。アメリカで盲腸か何かで100万円近く取られた人がいた。だから海外旅行へ行くときは絶対に傷害保険に入った方がいいよ。 でもヒマなときはほんとにヒマ。海を見ながらぼーっとしたり、昼寝したり、イルカやトビウオを眺めたりね。やっぱり自然が一番いいよね。人間の身体ってさ、85%水だっていうじゃない。やっぱり水っていうか海って人間の母親なんだよね。そういうつもりで見ているとね、すごく優しい気持ちになれるし、自然ってのはやっぱりいいよね。

 

79歳でありながら、一年の半分以上、海の上で働く西丸氏。さらに陸でもさまざまな団体、イベントの実行委員長を務めるなど、多忙な毎日を過ごしている。西丸氏は言う。人間は働いてないとダメになる──。

次回は西丸氏にとって仕事とは、働くとはどういうことか、そして死ぬときに後悔しない生き方などについて深く語っていただきます。

 
2006.3.6 リリース 1 38年間の監察医時代「好き」よりも「使命感」
2006.3.13 リリース 2 老人福祉から海へ ようやく趣味を仕事に
2006.3.20 3 客と船員が一体になった 思い出深い人命救助
NEW! 2006.3.27  4 働くとは生きること 誇りは後からついてくる

プロフィール

にしまる・よいち

1927年(昭和2年)3月 横浜生まれ 79歳 
横浜医科大学卒業後、1954年から1992年の38年間、横浜市立大学医学部に勤務し、法医学の研究、教育、鑑定に尽力。その間3期6年に渡って医学部長を務める。

1956年に神奈川県監察医となり、以後大学教授と監察医の二束のわらじを履く。監察医としては9000体を超える遺体を検死解剖、裁判関係の鑑定を担当。事故と見せかけた殺人を検死で暴くなど、事件解決に尽力。関わった主な歴史的大事件・大事故は、全日空羽田沖墜落事故、JAL御巣鷹山墜落、浦賀横須賀沖第一富士丸と潜水艦なだしお衝突、東海大の安楽死事件、オウムの坂本弁護士一家殺害など。

1992年に大学を退官後、自ら市に働きかけて立ち上げた、横浜市総合保険医療センターに赴任。初代センター長に就任し、高齢者や精神障害者のよりどころとして6年間勤務。

現在は豪華客船ぱしふぃっく びいなす」の船医として1年の半分以上を海の上で過ごしている。

勤務以外でも横浜夢座実行委員会委員長、テレビ神奈川番組審議会委員長、横浜ジャズプロムナード実行委員長、野毛MONZEN町の創る会会長、横浜遊学校校長など、文化的活動も精力的にこなしている。

表彰も多数。監察医、鑑定医としての数々の功績が認められ、神奈川県警察本部長表彰(1969、1974、1977)、第三管区海上保安庁本部長表彰(1971、1974)、神奈川県知事表彰(1975)、法務大臣表彰(1981)、警察庁長官表彰(1981)など、表彰多数。2005年11月には瑞宝・中綬章(国家または公共に対し功労があり、公務等に長年従事し、成績を挙げた者に与えられる勲章)を叙勲した。

医学研究者としては1973年横浜市立大学医学部教授、1981年横浜市立大学医学部長、1992年横浜市立大学名誉教授に就任。海外でも、1987年メキシコ・グアダラハラ自治大学名誉教授に就任。法医学の進歩、後進の指導に国内外の学究機関で多大なる貢献を残す。アメリカコネチカット州ニューブリテン市、ブリッジポート州の名誉市民、カリフォルニア州の名誉州民の称号をもつ。

作家としても活躍しており、これまで14冊の本を出版。特に監察医時代の体験を記した『法医学教室の午後』『続 法医学教室の午後』『法医学教室との別れ』(いずれも朝日新聞社)は文庫化された後も売れ続けている。さらに『助教授一色麗子法医学教室の女』や『法医学教室の事件ファイル』として映画化やテレビドラマ化もされ、こちらも高視聴率を記録している。他にも
・新法医学(中央医学出版)
人生の教科書「よのなか」(筑摩書房)
こころの羅針盤(かまくら春秋社)
ドクター西丸航海記(海事プレス社)
ドクター・トド 船に乗る(朝日新聞社)
など、医学書、エッセイなど著書多数。

海事プレス社発行の船旅専門誌『隔月刊クルーズ』にも長年連載、2014年7月号では引退クルーズの模様を紹介している。
 
おすすめ!
 

『法医学教室の午後』(朝日新聞社)
『法医学教室の午後』
(朝日新聞社)

西丸氏を世に知らしめた代表作。監察医時代に行った検死をエッセイ風に記録。老若男女さまざまな人の検死の模様を通して、人間という生き物の悲哀、愚かさ、暖かさ、法の矛盾を描いた一冊。1984年1月に出版されるや話題を呼び、映画化、ドラマ化された。20年以上を経た今も放映中。文庫版も売れ続けている。

ちなみにこの後、検死本が相次いで出版されたが、その内の上野正彦氏の『死体は語る』は執筆前に西丸氏がアドバイスしたようだ。

 
 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
●河出書房新社

 
魂の言葉 航海中にお客さんがひとりでも亡くなったら船医を辞めようと思っている 航海中にお客さんがひとりでも亡くなったら船医を辞めようと思っている 航海中にお客さんがひとりでも亡くなったら船医を辞めようと思っている
インタビューその四へ
 
 

「医療・医療機器・福祉関連/医師・技師」の転職事例

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第9回船医・作家 西丸與一さん-その3-思い出深い人命救助 船医でよかったと痛感