キャリア&転職研究室魂の仕事人第9回船医・作家 西丸與一さん-その1-38年間の監察医時代「自分」は二の次だった
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魂の仕事人 魂の仕事人 第9回 其の一 photo
38年間続けた監察医も 好きでやってたわけじゃない でも誰かがやらねばならない仕事 「自分」は二の次だった
  齢79歳にして現役バリバリの医師がいる。彼の診察室は大洋の上をゆく客船の中。医師の名は西丸與一。「法医学教授・監察医」→「老人福祉」を経て「海」にたどり着いた。ベストセラー作家や劇団実行委員長などの横顔ももつ人生の大先輩に、働く意味、生きる意味を聞いた。  
横浜市立大学名誉教授・「ぱしふぃっくびいなす」船医・作家 西丸與一
 
医者への道を志したのは
半分不純な動機だった
 

 小さい頃から医学の道に進みたいと思っていました。というのは、身内がみんな医者だったんです。父方の祖父が広島県の呉で開業した第1号の医者だった。それから叔父が生理学者、母方の一族も医者だったからね。こういう環境だったから自然と自分も医者になるんだなって思ってたんでしょうね。

 あ、そうだ。あともうひとつ理由らしきものがあります。母方の祖父が開業してた病院にある看護師さんがいたんです。母がずっと病弱だったので、子供の頃はその人が僕の養育係みたいな感じだったんだよね。仕事が終わると僕に勉強を教えてくれたり、カゼなんかひくといっしょに寝てくれたり。今でも覚えてるけどおっぱいなんかおっきくてね(笑)。そういう女性的な優しさで接してくれた人が看護師さんだったというのも影響してるかもしれない。そういったことも含めて、なんとなく医者になりたいと思ったんだろうね。動機が不純なんだよ。そもそも(笑)。

 だから医者になるということには幼少から大人になるまでずっと抵抗がなかったね。途中で違う道に進みたいと思ったこともなかった。でも戦争中は海軍へ行きたいと思ったことはあった。負ける戦争だというのは分かってたけど、誰かがやんきゃならないという時代だったから。愚かな方向へ突っ込んじゃったんだけどね。

医師を志し、横浜医科大学に進学した西丸氏。卒業後は、横浜市立大学医学部の助手として法医学教室に勤務。この選択が後にベストセラー作家の肩書きを得たり、叙勲の受章につながるであろうことは想像だにできなかった。しかし法医学の道も自ら進んで選んだ道ではなかった。
叔父の呪縛から逃れたい……
ちょうどそのとき法医学から誘いが
 

 そもそも法医学の道へ進もうと思ったのは、これまた半分不純なんだよね(笑)。

 さっきも話したけど、僕の叔父が有名な生理学者だったから、周りは当然、その叔父の後を継いで生理学者になるだろうと思ってたわけ。僕自身もその頃から生理学がおもしろいと思っていたんだけどね。

 でもある本を読んで考えを変えたんだ。

 森鴎外の息子さんで森於兎(オト)という人がいるの。東邦大学の解剖学の教授で偉い人なんだよ。だけど、常に「あいつは森鴎外の息子だ」って言われる。だから「どこへ行っても僕という存在がない」と、ある随筆に書いてあるのを読んだ。

 で、このまま僕が生理学の道に進んだら、どこへ行っても「あいつ(叔父)の甥だ」って言われると思った(笑)。この於兎さんと同じようにね。そこで反旗を翻すじゃないけど、生理学方面へ行くのはやめにしたんだ。

 卒業する年は「小児科医にでもなろうかな」と思ってたんだよ。小児科医だときれいなお母さんと接する機会もあるでしょ(笑)。

 でも、その年の夏休みに血液の勉強をしに法医学の教室へ行ったことが運命を変えたんだな。そのときの先生が桑嶋という先生でね。監察医として下山事件(※1)とか帝銀事件(※2)を担当した人なんだ。

 卒業直前にその先生から手紙が来てね。「法医学をやらんか」って。その頃は僕も25歳だったから純粋でね。早くも「教授に声をかけられた」ってノボせちゃって。喜んでその誘いを受けちゃったんだ。

(※1 下山事件)1949年(昭和24年)7月5日、下山定則国鉄総裁が常磐線の北千住と綾瀬駅間で、轢死体となって発見された。司法解剖の結果、「死因はわからないが、死んだ後に轢かれた」という結論が出された。他殺か自殺か、ことの真相は今もってわかっていない。「戦後史最大の謎」と呼ばれている事件

(※2 帝銀事件)1948年(昭和23年)1月26日、東京都豊島にあった帝国銀行(後の第一勧業銀行、現・みずほ銀行)椎名町支店で12名の行員が毒殺され、多額の現金が盗まれた事件 


桑島教授の法医学教室に助手として勤務し法医学を学ぶ傍ら、その翌年、神奈川県の監察医になった西丸氏。33歳のときに死体解剖資格を取得。以後38年間の長きに渡って監察医を勤める。その間解剖した死体9000体。そこから多くのことを学んだ。

 法医学を学ぶと監察医の仕事ができるんですよ。とはいえ、本職はあくまでも大学の教職員。監察医ってのは副職みたいなもの。特に収入がたくさんあるわけじゃないんだけどね。

 たまたま神奈川県の監察医務室が大学内に置かれてあったんで、同じ部屋で法医学と監察医の二枚看板でやっていたというわけ。

 そのうち大学内にこもって研究や解剖ばっかりやっててもおもしろくないからって、監察医の話を書いた。それも「どうやって解剖するか」なんていう技術論じゃなくて、ある人が死んだ時に周りの人とかが何を考えただろうといったことを心理的というか文学的というか、そうした視点から書いたものが『法医学教室の午後』(※3)という本なんだ。

(※3 『法医学教室の午後』)法医学、行政解剖、司法解剖の世界を技術専門書としてではなく、普通の人が読んで楽しめるエンターテインメントとして初めて描かれた作品。初版は1984年。すぐにベストセラーとなり、『法医学教室の午後 続』『法医学教室との別れ』と相次いで続編も出版、人気を博す。ドラマや映画(「助教授一色麗子・法医学教室の女」)にもなり、監修も勤める。 「最初は篠ひろ子さんが女の助教授役で解剖とかやってるんです。刑事になったのは山下真司くんかな? それを3年くらいやって、それが終わってから名取(裕子)くんがやって……あと宅間伸くん。この間、10何年ぶりかにみんなと会って『あの頃はみんな若かったなぁ』って言ったら名取くんが『私は今でも若い!』って(笑)」(西丸氏)

行政解剖と司法解剖
監察医と鑑定医
 

 検死解剖にも行政解剖と司法解剖の2種類がある。殺しなんかは司法解剖。これは刑法とか刑事訴訟法に基づいて行うもの。行政解剖というのは死体解剖保存法第8条に基づいて行う解剖。行政というだけあって事件には関係ないんです。病死や餓死とか事件性のないものを扱うのが行政解剖。監察医の仕事は、死因を究明することなんですが、これもひとつの研究なんですね。また同時に伝染病の蔓延を防ぐこともできる。病死した人を詳しく検死したら伝染病だったとか、事前にわかるからね。その行政解剖を行うのが監察医ってわけ。

 でも「行政」のつもりで入っても解剖の途中で殺人とわかって「司法」に切り替えることもある。事件になると今度は扱う法律が変わってくるからね。刑事訴訟法とか刑法とかそういう法律に従ってやんなきゃなんない。そうすると警察、もしくは検察、裁判所が「ある人」を指名してその人に事件を委ねるんです。どういう人に委ねるかというと、監察医とかではなくてね……。とても日本の法律はおかしいと思うだけど「色んな知識を持っている偉い人」を指名しなければならないと。そうすると大学の教授なんていうのが一番都合がいいわけだ。だから自動的に……さっきは「行政」解剖してたけど、看板を「司法」解剖に切り替えるんだね。監察医ではなくて鑑定医として、裁判医として解剖を続けて行ったりしたんです。僕は同じ建物の中にいたから二枚看板でやってきたってことね。

肺ガンで死んだ老人の中身を見て愕然
 

 そんなわけでこれまでたくさんの解剖をやってきた。38年間で9000体くらいかな。その過程において、僕らが死因を決定してるのに、解剖した人から大切なことを教わったということもたくさんあるよ。今でも強烈に覚えているのは「肺ガンのおじいさん」。

 ある一人暮らしのおじいさんが自室で亡くなっていたのが発見されたの。長い間病床にふせっていた。それで、そのおじいさんを解剖したら,肺ガンだった。そのときは普通の病死の解剖だから、あまり深刻じゃないわけだ。殺人事件とかじゃないし。いつも通りに普通にやった。

 その日、僕が変だったのか、その亡くなったおじいさんが死んでなお何かを訴えたかったのか……未だにわからないんだけど。その日に限ってその肺ガンの様子を見て、衝撃を受けたんだ。ガンに侵された体はとにかく、ものすごく酷い状態だった。体の中がボロボロになってたんだ。

 それを見てこう思った。「こんなになるまで人間って生きられるんだ」と。人間ていうのは外から見ただけじゃわからないけど、中はガンに侵されてムチャクチャになっている。そういうのを見ているとね、なんだろう……人間てこんなになるまで生きられるんだ。強いんだな、とすごく驚いた経験があるんだ。

 それ以前にもそういうのは見ているはずなんだけど、そのときはなぜだか強くそう感じたんだね。

人は生きるために生まれてきたと痛感
 

 それと同時に、なぜそうなのかと考えてみると、人間ていうのは細胞が集まってできてるでしょう?  細胞のかたまりなんだね。僕らがケガするでしょ? そのまま放ったらかしてるとやがてバイ菌が入って化膿するでしょ。膿が出る。膿っていうのは、バイ菌と闘ってくれた白血球の死体なんだよね。僕らがそうしろと言っていないのに細胞たちが本能的に戦ってくれているわけだ。

 だからみんなもそうだろうけど、もう散々お酒を飲んで二日酔いになってね、「胃が痛てぇ」、「もう明日は飲まねぇ」なんて思いながらも、翌日夕方になったら街の明かりに誘われて「ちょっと寄ってくか」なんてなるじゃない。それは僕らが寝てる間に細胞が荒れた胃を一生懸命に治してくれていた、ということなんだ。

 今まで誰も恨まずに「しょうがねぇヤツだな」と思いながら修復してくれていたんだと思うけどね。でもすぐまた飲むから「治し甲斐のない野郎だ」と思ってるよ。懲りない面々だと思われてるよ(笑)。

 僕が治してくれなんて言っていないのに本能的に治してくれていた。細胞ってのはそういうものなんだね。だからこの頃は年をとったせいか「細胞」なんて呼び捨てにしないで「細胞さん」とか「細胞くん」とか呼んで感謝してるんだよ(笑)。

 人間はそういうものの集合体だから……もともと人っていうのは生きるように、生きる方向に進むようにできている、だから、やっぱり人ってのは生きようとするのが自然というか、生きるために生まれてきた動物だと思うようになったんだ。

 今でも、よくそのおじいさんのことを思い出すんだ。一人暮らしのおじいさんに医療費がたくさんあるわけでもなく……つらかっただろうと思うけどね。身体の中でガン細胞に対して細胞が毎日毎日がんばって戦って、段々やられていったんだと思うよね。でもそれを我々は知らないし、グチひとつ言わないんだよ細胞さんたちは。

 これまでの解剖の中でも「人間とは何か」について教えてくれたとても大事な、僕には大事な話なんだ。

なんとしても生きろ、この野郎!
 

 それ以来、自殺に関しての考え方も変わった。昔は若い人の自殺した現場に行って遺書なんか読むと「なるほど、この人にとっては自殺するほどつらいこともあったんだろうな」なんて自殺を容認してた。でもそのおじいさんを解剖して以来、やっぱり自殺なんて敗北だと思うようになった。だから若い人が自殺するなんて許さないって言ってるし、そういう話を聞くと「なんてバカなことをするんだ」思うようになった。自殺を容認とか美化する気持ちは全くなくなったね。

 そうはいっても生きる気力が萎えるほどつらくなるときってあるんじゃないかって? それは確かにそうだよ。僕だって昔ね、女房が病気になっちゃったときは相当つらかったよ。誰だってつらいことやつらい時期はあると思う。どんな人でもね。でもさ、みんなそれをなんとかして乗り越えるわけでしょ、生きていくために。つらいことや苦しいことばかりじゃなく、生きていればいいことだってあるじゃない。そうなっていくようにできてると思うんだ、人間って。だからそんなに簡単に親からもらった命を捨てるようなことはいけないと思う。昔は「お前のつらい気持ちもわかるよ」と慰めの言葉もかけてあげたかった時代もあるけど、最近はそうは思わない「なんとしても生きろ、この野郎!」という感じかな。 そうじゃないと「身体」に、「命」に申し訳ない。

 人間ていうのはやっぱり生きるために存在している……そういうふうにできているんだね。そう思いはじめた。それが解剖やっていて学んだことのひとつです。

仕事の喜び、誇りは
後からついてくる
 

 監察医の仕事のやりがい? それはちょっと複雑な話なんだよ。

 最初、教授からお声がかかったときは、喜んでやった。でも6、7年経ったころ「失敗だったかな」と思ったけど、もうドップリ浸かっちゃって辞められなかったんだな。

 だって毎日毎日死体ばっかり見てさ……。来る日も来る日も死体を解剖するなんて、誰でもやりたいことじゃないでしょう。臨床ではなく、研究室だからね。半分は。その頃、僕は麻薬やってたし……やってたといっても打ってたわけじゃないよ(笑)。麻薬の研究してたからね。動物実験やったり、たまに人間が来るかと思うと死体ばっかりだしね……果たして俺の人生、これでいいのかなとか思ってた時期もあったよ。でも、誰かがやらなきゃならない。そういう気持ちでやってました。

 この監察医というのは、ある人が変死した場合、殺人か事故か、刑事事件であれば警察と一緒に調査したり書類を出さなければならない。普通の病気なのか伝染病なのか。そういうことをハッキリさせていく仕事。やっぱりハッキリしないことをハッキリさせるということは大切だと思うんだよ。そして、それを行政とか一般の社会に役立てていく、というのが監察医の使命だから。

 そういうことを誰かがやらなければならないと思ってやってきたんだよね。もちろん安易な方向へ走ることもできたんだけどね。誰かがやらなきゃいけない、そんな一念でやったんじゃないかしら。そういう意味では、「少しは社会のお役に立てたんじゃないか」……そう思えることがやりがいかな。で、良い具合に定年になったので逃げだした、というわけ。

 大学にいたときは今思うと誇りを感じてたからじゃなくて、当然のこととしてやっていたんだけど、若い学生諸君を育てたりね、教授としては研究とかがメインだし。結局、社会に役立っていたと後になってわかった監察医の仕事があったり……そういうのを総合して辞める時に「あぁやってて良かったなぁ」って。そのときは印象に残っていないけど、やっぱり一生懸命になれたってことでしょうね。やっぱり終わって、振り返った時に「誇りだったんだ」と感じられるものじゃないかな。そこから後は誇りとしてずっと持ち続けてるからね。

 

38年間の長きに渡って監察医を務めた後、西丸氏は全く別の方向へ進む。今後急速に進むであろう高齢化社会を見据え、横浜市に働きかけ、老人介護、福祉、精神病患者のケアなどを請け負う横浜市総合保健医療センターの設立に参画。普通なら引退している65歳で初代センター長に就任したのでした。

物言わぬ死者を相手にする仕事から180度の方向転換。さらにその後は仕事の舞台を大海原をいく客船へと移します。次回は大胆なキャリアの舵切り、その裏側に迫ります。こうご期待!

 
2006.3.6 リリース 1 38年間の監察医時代「好き」よりも「使命感」
2006.3.13 リリース 2 老人福祉から海へ ようやく趣味を仕事に
2006.3.20 3 客と船員が一体になった 思い出深い人命救助
NEW! 2006.3.27  4 働くとは生きること 誇りは後からついてくる

プロフィール

にしまる・よいち

1927年(昭和2年)3月 横浜生まれ 79歳 
横浜医科大学卒業後、1954年から1992年の38年間、横浜市立大学医学部に勤務し、法医学の研究、教育、鑑定に尽力。その間3期6年に渡って医学部長を務める。

1956年に神奈川県監察医となり、以後大学教授と監察医の二束のわらじを履く。監察医としては9000体を超える遺体を検死解剖、裁判関係の鑑定を担当。事故と見せかけた殺人を検死で暴くなど、事件解決に尽力。関わった主な歴史的大事件・大事故は、全日空羽田沖墜落事故、JAL御巣鷹山墜落、浦賀横須賀沖第一富士丸と潜水艦なだしお衝突、東海大の安楽死事件、オウムの坂本弁護士一家殺害など。

1992年に大学を退官後、自ら市に働きかけて立ち上げた、横浜市総合保険医療センターに赴任。初代センター長に就任し、高齢者や精神障害者のよりどころとして6年間勤務。

現在は豪華客船ぱしふぃっく びいなす」の船医として1年の半分以上を海の上で過ごしている。

勤務以外でも横浜夢座実行委員会委員長、テレビ神奈川番組審議会委員長、横浜ジャズプロムナード実行委員長、野毛MONZEN町の創る会会長、横浜遊学校校長など、文化的活動も精力的にこなしている。

表彰も多数。監察医、鑑定医としての数々の功績が認められ、神奈川県警察本部長表彰(1969、1974、1977)、第三管区海上保安庁本部長表彰(1971、1974)、神奈川県知事表彰(1975)、法務大臣表彰(1981)、警察庁長官表彰(1981)など、表彰多数。2005年11月には瑞宝・中綬章(国家または公共に対し功労があり、公務等に長年従事し、成績を挙げた者に与えられる勲章)を叙勲した。

医学研究者としては1973年横浜市立大学医学部教授、1981年横浜市立大学医学部長、1992年横浜市立大学名誉教授に就任。海外でも、1987年メキシコ・グアダラハラ自治大学名誉教授に就任。法医学の進歩、後進の指導に国内外の学究機関で多大なる貢献を残す。アメリカコネチカット州ニューブリテン市、ブリッジポート州の名誉市民、カリフォルニア州の名誉州民の称号をもつ。

作家としても活躍しており、これまで14冊の本を出版。特に監察医時代の体験を記した『法医学教室の午後』『続 法医学教室の午後』『法医学教室との別れ』(いずれも朝日新聞社)は文庫化された後も売れ続けている。さらに『助教授一色麗子法医学教室の女』や『法医学教室の事件ファイル』として映画化やテレビドラマ化もされ、こちらも高視聴率を記録している。他にも
・新法医学(中央医学出版)
人生の教科書「よのなか」(筑摩書房)
こころの羅針盤(かまくら春秋社)
ドクター西丸航海記(海事プレス社)
ドクター・トド 船に乗る(朝日新聞社)
など、医学書、エッセイなど著書多数。

海事プレス社発行の船旅専門誌『月刊クルーズ』にも「シップドクター西丸與一の船から、あの人へ」を連載中
 
おすすめ!
 

『法医学教室の午後』(朝日新聞社)
『法医学教室の午後』
(朝日新聞社)

西丸氏を世に知らしめた代表作。監察医時代に行った検死をエッセイ風に記録。老若男女さまざまな人の検死の模様を通して、人間という生き物の悲哀、愚かさ、暖かさ、法の矛盾を描いた一冊。1984年1月に出版されるや話題を呼び、映画化、ドラマ化された。20年以上を経た今も放映中。文庫版も売れ続けている。

ちなみにこの後、検死本が相次いで出版されたが、その内の上野正彦氏の『死体は語る』は執筆前に西丸氏がアドバイスしたようだ。

 
 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
●河出書房新社
●魂の仕事人ブログ

 
魂の言葉 人は生きるために生まれてきた 人は生きるために生まれてきた 人は生きるために生まれてきた
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写真/bushi-HONDA
取材・構成/山下久猛(編集部)
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