1927年(昭和2年)3月 横浜生まれ 79歳
横浜医科大学卒業後、1954年から1992年の38年間、横浜市立大学医学部に勤務し、法医学の研究、教育、鑑定に尽力。その間3期6年に渡って医学部長を務める。
1956年に神奈川県監察医となり、以後大学教授と監察医の二束のわらじを履く。監察医としては9000体を超える遺体を検死解剖、裁判関係の鑑定を担当。事故と見せかけた殺人を検死で暴くなど、事件解決に尽力。関わった主な歴史的大事件・大事故は、全日空羽田沖墜落事故、JAL御巣鷹山墜落、浦賀横須賀沖第一富士丸と潜水艦なだしお衝突、東海大の安楽死事件、オウムの坂本弁護士一家殺害など。
1992年に大学を退官後、自ら市に働きかけて立ち上げた、横浜市総合保険医療センターに赴任。初代センター長に就任し、高齢者や精神障害者のよりどころとして6年間勤務。
現在は豪華客船「ぱしふぃっく びいなす」の船医として1年の半分以上を海の上で過ごしている。
勤務以外でも横浜夢座実行委員会委員長、テレビ神奈川番組審議会委員長、横浜ジャズプロムナード実行委員長、野毛MONZEN町の創る会会長、横浜遊学校校長など、文化的活動も精力的にこなしている。
表彰も多数。監察医、鑑定医としての数々の功績が認められ、神奈川県警察本部長表彰(1969、1974、1977)、第三管区海上保安庁本部長表彰(1971、1974)、神奈川県知事表彰(1975)、法務大臣表彰(1981)、警察庁長官表彰(1981)など、表彰多数。2005年11月には瑞宝・中綬章(国家または公共に対し功労があり、公務等に長年従事し、成績を挙げた者に与えられる勲章)を叙勲した。
医学研究者としては1973年横浜市立大学医学部教授、1981年横浜市立大学医学部長、1992年横浜市立大学名誉教授に就任。海外でも、1987年メキシコ・グアダラハラ自治大学名誉教授に就任。法医学の進歩、後進の指導に国内外の学究機関で多大なる貢献を残す。アメリカコネチカット州ニューブリテン市、ブリッジポート州の名誉市民、カリフォルニア州の名誉州民の称号をもつ。
作家としても活躍しており、これまで14冊の本を出版。特に監察医時代の体験を記した『法医学教室の午後』『続 法医学教室の午後』『法医学教室との別れ』(いずれも朝日新聞社)は文庫化された後も売れ続けている。さらに『助教授一色麗子法医学教室の女』や『法医学教室の事件ファイル』として映画化やテレビドラマ化もされ、こちらも高視聴率を記録している。他にも
・新法医学(中央医学出版)
・ 人生の教科書「よのなか」(筑摩書房)
・ こころの羅針盤(かまくら春秋社)
・ ドクター西丸航海記(海事プレス社)
・ ドクター・トド
船に乗る(朝日新聞社)
など、医学書、エッセイなど著書多数。
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海事プレス社発行の船旅専門誌『隔月刊クルーズ』にも長年連載、2014年7月号では引退クルーズの模様を紹介している。 |
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