高校三年になってそろそろ将来のことを考える時期になっても、なりたい職業は特になかったですね。当時好きだった女の子と同じ大学に行きたいなあくらいにしか思ってなかったです。でもその子がすごく成績がよかったんですよ(笑)。同じ大学を受けたんですが、当然僕は落ちて彼女だけが受かりました。付き合っていたわけじゃなく片思いだったけど、つらかったですね。
結局僕はどこにも受かりませんでした。でもその後もいろいろ彼女に関する話が聞こえてくるわけですよ。で、1年勉強を頑張って彼女と一緒の大学へ行こうと思って、浪人したんですけど、心が弱くて浪人生活に耐えられなくなってしまって。最初のうちは予備校にも通ったんですが、気力が萎えて1カ月くらいで行かなくなっちゃったんです。もちろん親には内緒でした。
そのとき、これまで、みんなで一緒にいる時と、ひとりでいる時のバランスが絶妙に取れていて、それによって自分を保ってたんだなと気がついたんです。でも卒業してひとりの時間しかなくなってしまうことでそのバランスが崩れてしまった。ひとりでずっとい続けることに耐えられない……ずっとひとりでい続けるとダメになるタイプだったんですね。
それでガツーンと落ち込んでしまって、毎日裏山にあった防空壕で一日中ひとりでぼーっとしてました。親には予備校に行かなくなったことは内緒だったから家にいるわけにはいきませんからね。でも暖かくなると虫が出てきて山にもいられなくなるので、畑の真ん中で1日中ぼけーっとしたり、図書館に行って本を読んだりしてました。
そのときの気持ちは「この先どうしよう」、ただそれだけでした。不安でいっぱいで、先々のことは全く考えられなくて。
そのとき、気晴らしに遊びに行こうという発想すらなかったんですよ。町に行ってパチンコとか友達とカラオケとか、そういう気持ちにならなかったんですよね。遊びに行くということ自体が苦しくて苦しくて……。
どうしてでしょうねぇ……なんなんでしょうね……逆にどうして遊びがそんなに楽しいんですかって聞きたいです。遊びに関心がなかったんですよ。遊びは楽しいっていう発想、気晴らしで遊ぶという発想自体がなかったんですね。
人の考えたものに乗っかるということが嫌だったんですかね。結局パチンコでもカラオケでもゲームでも、「遊び」を用意した側に転がされてるだけだと思うんです。それって自分に主導権がないってことじゃないですか。主体性を他人に奪われるってことが嫌で、それが遊びをつまらないと感じる最大の理由かなと考えたんですよ。ひねくれていますね(苦笑)。単純に楽しめばいいのにそれができない。だからこそ徹底的に遊ぶことを楽しめる人は素直にすごいなと思っています。そういうことができない性分なので、今もどこか引け目を感じていますね。
だから浪人中は勉強は一切せず、遊びもしなかった。完っ全にぼーっとしてたんですよ。何をする気力も湧かずに。今で言うニートですよね。その頃はそんな言葉はなかったですが(笑)。
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