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魂の仕事人 第37回 其の二
やる気ゼロでドロップアウト 加速度的にニートへ転落 障害者のひと声で救われた
高校卒業後、一浪してもどこも受からず、他にやりたいこともなく、親に言われるままとりあえず通い始めた福祉の専門学校。しかし岡田氏はここでもドロップアウトしていく。このままニート人生一直線かと思われたが、ある奇跡的な出会いで本来の自分を取り戻していった。  
介護福祉士・理学療法士 岡田慎一郎
 

やる気ゼロでドロップアウト

 

僕の世代は第二次ベビーブームに生まれたいわゆる団塊ジュニアと呼ばれている世代で、受験にしても就職にしても競争が厳しかったんですね。で、僕が行くことになった福祉の専門学校には、僕を含め大学受験に失敗して仕方なく来たという人であふれてたわけです。そういう人たちがマイナスオーラを発散しまくっていて、授業は完全に学級崩壊状態。誰も先生の話なんか聞いていないどころか、みんな好き勝手やってて授業自体が成り立たない。もちろん僕も同じ穴の狢(むじな)のはずなのに、「こんなくだらない所でやってられるかよ」って、2、3カ月もしないうちに学校に行ったり行かなかったりになっちゃった。行った日でも授業には出ずに、外でぼけーっとしてたんですよ。

そのとき考えていたのは「やっぱ大学に行けたらいいなあ」とか、「でもやる気がおきないしなぁ、こんなんじゃいけないよなぁ」、「でも働くっていったって何したらいいかなんてわかんないしなぁ」、「この先どうすればいいんだろうなぁ」って感じでした。

今みたいにニートっていう言葉あれば、まだ落ち着きがあったと思うんですよ。とりあえず名称とかカテゴリーを与えて規定してくれるじゃないですか。でもなんにもないので、所属のなさにものすごい不安を感じてしまって。で、何していいんだかわかんない、この先もう何も考えられないって感じで。浪人のときと全く同じ状態ですよね。

運命の出会い
 

その日も同じく学校の前でぼけーっとしてたら、「どうしたのー?」って声を掛けられました。その人は軽度の知的障害をもつ人でした。専門学校の目の前に知的障害者施設の福祉作業所(※1)があったのですが、そこに通ってる人だったんです。

「いやぁ、まぁ、ちょっとねぇ」ってあいまいに答えてたら、その障害者の人が「ひまだったらうちにきて遊べば?」って誘ってくれたんです。それで行ってみると施設の職員の人もすんなり受け入れてくれて。その日をきっかけにボランティアみたいな感じでいろいろとお手伝いするようになったんです。障害者の方とお弁当の箱つくりとか軽度の作業を一緒にやったり、一緒に外出に行かせてもらったりとか。ボランティアは楽しかったですよ。

※1 福祉作業所──主に社会福祉法人が運営する障害者就労支援施設。比較的軽度の障害者が軽作業をすることにより賃金を得ることができる

福祉作業所での「リハビリ」
 

なぜ誘われるがままに福祉作業所に行ったか? ひとりでいることが限界だったんでしょうね。けっこう追い詰められていたと思います。他人との距離感で悩んでいた時期でもありましたし……。作業所にいるのは自分のことを知らない人たちだったので、逆にすっと入っていけたんですよね。

小中高時代はみんなの中心にいて、なおかつひとりの時間がもてたので、精神のバランスが取れてた。でも学校を卒業してひとりだけになっちゃうと、とたんにバランスが崩れてどうしたらいいんだろうと不安ばっかりになっちゃった。そんな弱みを僕を知ってる人には見せたくないから、心を閉ざしちゃってた。だから友達には会いたくなくて、ますます自分だけの世界に閉じこもってた。

みんな高校卒業後も楽しそうにやってるわけですよ。大学に行った友達はもちろん、浪人してる人だって一生懸命頑張ってるし。でも自分には何もない。何もやってないってことでさらに落ち込んで……。でもだからといって何とかしようと頑張ってるわけでもない。ものすごい中途半端だった。自業自得なんですけどね。それでもうほんとに追い詰められちゃって。自分って弱いんだなあ、最低だなあって思いこんでた時期だった。でも作業所にはそんな僕を知らない人、僕に対して先入観をもってない人ばかりだった。だから抵抗なく、すっと入っていけたんですよね。

それから段々人との交流が復活してきました。だからボランティアっていうか、僕自身が障害者の方々にリハビリしてもらってたんですよね。

でも、ここも毎日通ってたわけじゃなくて、ときどきだったんです。行ったり行かなかったりで、毎週行くこともあったし、2、3カ月間空いたこともあった。そういうゆる〜い感じでつながってる状態が2年間続きました。それがよかったんでしょうね。社会復帰へのいい感じの助走になったので。

両親の逆鱗に触れ、福祉施設へ
 

結局専門学校には1年目の2、3カ月で行かなくなっちゃったのですが、すごくいい加減な学校で、全然行ってないのに2年に進級できちゃってたんです。しかもそれがわかったのが2年の3月、つまり卒業直前だったんですよ。その頃学校からウチに電話かかってきて、「おたくの息子さん、全然学校に来てないので、このままだと卒業できません。でも来年1年留年すると卒業できますがどうしますか?」って。すごい学校ですよね(笑)。実際、常勤の職員がひとりしかいなかったっていうひどい学校でした。

もちろん両親にはめちゃめちゃ怒られましたよ。授業料を払ってたのは親だし、僕が学校に行ってるものだと思ってましたからね。浪人も失敗、その上、専門学校も2年間行かずに、おまえは一体どういうつもりだって。それで、もうどこでもいいから就職しろと言われちゃいまして。まあ当然ですよね。

でも就職するにしてもやりたいことがあるわけでないし、あてもなかったんですよね。そういったことをたまたま福祉作業所に行ったときに職員に話したら、「せっかくここでボランティアをやったんだから、福祉関係の仕事がいいんじゃないの?」って言ってくれたんです。そして「各県庁所在地に福祉人材センターっていうのがあって、福祉関係の就職先を斡旋してくれるから行ってみれば?」って教えてくれたので、水戸の福祉人材センターまで行って「すいません、よくわかんないんですけど、どこか紹介してもらえる施設ってありますか?」って聞いたところ、「新しくできる重度の障害者用の福祉施設がある」ということだったので、そのまま「そこでいいですからお願いします」って応募したら運良く採用になっちゃったんです。何の希望も期待もなく、流されるまま、す〜って(笑)。「めちゃめちゃ福祉施設で働きたい」と思ってたわけでもなかったですしね。もうしょうがないだろうなあ、ここで働くしかないなあって感じで。でも一緒にその施設を受験した人たちと意外とその場で仲良くなって連絡先を交換できたりしたんで、単純に「ここで働くのは楽しいかも」とは思ってましたね。

重度の障害者の方の施設でしたが、たいへんそうだなあとか嫌だなあといった抵抗感はなかったですね。そもそも就職できるならどこでもいいって感じでしたから。

1994年、22歳で福祉施設に無資格で就職した岡田氏。介護するのは車椅子や寝たきり重度の障害者、介護士としての知識も経験も皆無に等しい上に、勝手がわからない新設の施設。通常なら不利な条件ばかりが重なるつらい現場だが、岡田氏にとってはすべてが好材料だった。ここから岡田式介護術が芽吹いていった。

充実の介護職時代
 

実際に介護職として働き始めてみても、つらいとは感じませんでしたね。むしろ自分に合っていると感じました。やっぱり常時人と接することができて、一人の時間ももてましたから。自分の中のバランスが取り戻せたってことですね。

職場のストレスは職場で発散していたって感じで、障害者の文化祭などでみんなでダンスを踊ったり芝居をやったりしていました。そういったいろんな行事を利用者さんと一緒に企画するのが楽しかった。また学生時代の感覚が戻ってきたような感じですよね。

新しくできた施設だったので、余計にゼロからみんなで作り上げていくっていう感覚があって、それが一番のやりがいでした。自分たちで施設の基盤を作っていくんだっていうことに燃えてましたね。

「困ってる人を助けるためにやるんだ」といった気持ちはなかったですね。そんな大上段には構えていなかったし、使命感もなかったです。でも結果としてそうなったかなとは思いますけどね。みんなで充実した施設を作って、みんなで楽しく生きていけるようにしようっていう気持ちだったので、理想を振りかざすってこともなかったんです。

教わるよりも工夫を楽しむ
 

全介護が必要な方が多かったので、確かに仕事はたいへんでした。おむつ交換とか入浴や食事の介護などは全く初めてて、どうしたらいいのかさっぱりわかんないし。そんな状況でいきなり夜勤もやりました。新設の施設で先輩職員もほとんどいなかったのですが、見よう見真似でやるしかなかったんですよね。でもそれがかえってよかった。自分で考えて工夫するってことが何の制限もなくできたので。

というのは、新しくできた施設だったので新卒の職員をたくさん採用してたんですが、それぞれ福祉系の学校できちんと介護技術を習ってきてるにも関わらず、何人もの職員が腰を壊していくんですよ。施設に入っている利用者さんは自分で動くことが困難な方が多く、寝ている人を起き上がらせるときや、ベッドから車椅子への移動、車椅子からトイレ、浴室への移動など、ものすごく腰に負担がかかるんですね。

僕も最初は同僚や先輩の方法でやってみたんですけど、この方法じゃ無理だな、違う方法を考えないとダメだなって思いました。それでどうすればいいかいろいろ考えたのですが、そのときに一番ヒントを与えてくれたのが僕の幼稚園からの幼なじみ(※2)で、レスリングのインターハイチャンピオンだったんです。

※2 幼稚園からの幼なじみ──ブログ「24時・外伝」の管理人の「ミスター管理人」。中高時代の岡田氏の人となりをうかがい知ることができる

レスリングと空手をヒントに
岡田式介護術の萌芽
 

ある日、介護で腰が痛くてさぁって、彼に相談したら、インターハイで3連覇したレスリングの猛者でも、「重度の障害者を移動させるのに、普通のやり方じゃ俺でも腰を痛めるなぁ」って言ったんです。そしていろいろ考えた結果、「胴タックルって使えるんじゃないかなあ」って、レスリングの胴タックルをアレンジしたやり方を提案してくれたんですよ。やってみたら全介護状態の方の移動に非常に役立つぞと感じたんです。これは使えると。そもそもは、ここからが僕の介護術の工夫の始まりですね。

また、ちょうど同じ頃、たまたま空手の道場を開いている1つ年上の先輩と知り合いました。格闘技に興味があって見るのは好きだったんですが、やるのは絶対嫌だなと思ってたんですが、その先輩がすごく優しい人だったんですよ。「岡田君、まだ若いんだから青春の記念にちょっとやってみなよ〜」って誘ってくれたので、つい「いいですねぇ〜」って軽い気持ちで入門してしまって(笑)。でもいざ始めてみたら、いきなり本格的な組手で蹴りを受けて肉離れになっちゃって「やっぱりやんなきゃよかった〜」って(笑)。その先輩が教えていたのは、寸止めなしの実戦空手だったんです。

原点は反則技?
 

その頃の僕の得意技は反則でした(笑)。組手では殴られてばかりだったので、殴られ始めると相手に抱きついて防ぐんです。相手の身体に密着して距離を殺してしまえば殴らたり蹴られたりせずに済みますから。そして相手を投げ飛ばしてたんですよ。ボクシングの世界戦で亀田(大毅)選手が内藤大助選手を投げたじゃないですか。あの攻撃が僕の最大の得意技だったんです(笑)。道場の組み手では投げられる方が悪いという雰囲気だったので、投げまくってましたね(笑)。

そのとき、相手に抱きつく、クリンチするときにレスリングの友達に教えてもらった胴タックルの技術が生きたんです。胴タックルってクリンチに役立つなあと。それは同時に介護にも役立つと思ったんですよね。組み付いてしまえば、僕よりも重い人でも軽々と投げ飛ばすことができましたから。その技術を介護の現場に取り入れようと工夫するようになったんです。

だからそもそものスタートはレスリングの友達に教えてもらった胴タックルで、それがクリンチに応用できて、そのクリンチの技術を磨くことによって介護の技術にも生かすことができたんですよね。この3つが同時進行で起こって、うま〜い具合に複雑に絡み合って融合できた。

実際に介護の現場で試したら利用者さんをすごく楽に持ち上げたり移動させたりできました。そして利用者さんからも、お前だと安心できると言ってもらえました。これはいいや〜、オリジナルな介護技術だ〜って(笑)。おかげでこれまで腰を痛めたことがないんですよ。実戦空手ではいつも相当痛い目にあって、脚を捻挫したり骨折したりしてたんですが、介護ではそういうことが一度もなかったんです。

最初の施設で5、6年勤めた後、同じ福祉法人が経営する高齢者の施設に異動になった。将来的に現場を指導する立場などの運営側にいけるようにとの上役の配慮からだった。しかしこれが見事に裏目に出る。苦難の道が始まった。

職場のいじめで転職
 

運が悪かったことに、異動先の高齢者施設の中心的な職員達がかなりきつい人たちだったんです。当然よそから来た僕の事が気に入るわけがなく、寄ってたかってやられてしまって。平たくいうと職場のイジメですね。

もうやることなすことすべて否定されたり、嫌がらせばっかりされて。当然、僕にも足りない部分はありましたが、仕事に必要な情報を全然上げてくれなかったり、無視もされたり。とにかく陰険でした。そういうのが毎日続いて、もう耐えられなくなって半年で辞めちゃったんです。後から聞いたら僕だけじゃなくて、辞める人がかなり多かったらしいんです。外から来る人はみんな追い出しちゃうっていう福祉業界の鬼門のようなところだったんですね。

それで辞職して別の福祉法人が経営する施設に転職したんですが、そこもまたすごいところだったんです(笑)。この施設もどんどん職員が辞めちゃう。行ってびっくりしたのですが、職員が突然「あなた今日でクビですからもう来なくていいです」って言われてどんどん切られていくんです。実はそこのトップの方がかなりワンマンな人で、楯突く人をすべてクビにしちゃうようなメチャクチャな職場だった。

僕がその施設に転職したら、なぜか職員みんなにリーダー的な存在に祭り上げられてしまって、「いろんな責任、あなたにかかっているんですからね」なんて言われてしまった。だからもうがむしゃらに働いたのですが、あまりの激務に2、3カ月で倒れて、入院してしまったんです。そのうちその福祉法人はあまりにも経営的にひどくなってしまったので、法人の取り消しを受けたと風の噂に聞きました。

最初の施設に出戻り
 

で、この先どうしようかなって思ってたある日、最初に勤めた重度の障害者の福祉施設の主任さんが「今どうしてるの? ウチの方も大変だからもう一回戻ってくれば?」って電話をかけてきてくれたんです。「岡田君が異動先の施設で大変な目に遭ったってことはもう全部わかってる。施設長も会ってもいいと言ってるから」って言ってくれて。施設長も「今回のことは悪かったな。あの老人施設がああいう状況になってるってことは全然わかってなくてな。ウチの方ならば大丈夫だから戻ってこいよ」って言ってくれたので戻る頃にしました。実際戻ったら周りの仲間も元通りにあたたかく迎えてくれて涙が出るほどうれしかったですね。

 

出戻り先で数年勤め、介護福祉士・介護支援専門員の資格も取得。そして将来のキャリアを見据え、30歳で退職。この選択が岡田氏の運命を大きく変えることとなる──。

次回はいよいよ古武術との出会い、そして介護福祉界の若き開拓者として世に出ていく過程に迫ります。乞う、ご期待!


 
第1回2009.1.5リリース 人気の古武術介護士も 元ニートだった
第2回2009.1.12リリース やる気ゼロでドロップアウト 障害者のひと声で救われた
第3回 2009.1.19リリース 古武術の達人との出会いで 運命が変わった
第4回 2009.1.26リリース 汎用的な身体運用理論の実践 「常に、今が失敗でありたい」
第5回 2009.2.2リリース 仕事は遊びであり趣味 どこまでも流されていきたい

プロフィール

おかだ・しんいちろう

1972年4月茨城県生まれ。高校卒業後、事実上のニート生活を3年送った後、運命的な出会いがきっかけで障害者福祉施設へ就職。介護士として働き始めてしばらくして、同僚が腰を痛めて次々と辞めていくのを目の当たりにし、レスリング、空手の技術を介護の現場に導入。そのおかげで一度も腰を壊したことがないという。障害者施設、高齢者施設などの現場で10年間働いた後、理学療法士を目指し辞職。介護専門学校の講師を務めながら、理学療法士資格取得のための学校へ通う。そんな折、偶然見たテレビがきっかけで武術研究家の甲野善紀師範と出会い、以降、古武術の技術を介護、育児、一般生活に取り入れた独自の身体運用理論を構築。現在は古武術の技法を取り入れた介護技術の講習、講演、メディア出演などで全国各地を飛び回っている。主な著作・DVDに『古武術介護入門』(医学書院)、『古武術式 カラダにやさしい介護術』(人間考学研究所)などがある。

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