結局専門学校には1年目の2、3カ月で行かなくなっちゃったのですが、すごくいい加減な学校で、全然行ってないのに2年に進級できちゃってたんです。しかもそれがわかったのが2年の3月、つまり卒業直前だったんですよ。その頃学校からウチに電話かかってきて、「おたくの息子さん、全然学校に来てないので、このままだと卒業できません。でも来年1年留年すると卒業できますがどうしますか?」って。すごい学校ですよね(笑)。実際、常勤の職員がひとりしかいなかったっていうひどい学校でした。
もちろん両親にはめちゃめちゃ怒られましたよ。授業料を払ってたのは親だし、僕が学校に行ってるものだと思ってましたからね。浪人も失敗、その上、専門学校も2年間行かずに、おまえは一体どういうつもりだって。それで、もうどこでもいいから就職しろと言われちゃいまして。まあ当然ですよね。
でも就職するにしてもやりたいことがあるわけでないし、あてもなかったんですよね。そういったことをたまたま福祉作業所に行ったときに職員に話したら、「せっかくここでボランティアをやったんだから、福祉関係の仕事がいいんじゃないの?」って言ってくれたんです。そして「各県庁所在地に福祉人材センターっていうのがあって、福祉関係の就職先を斡旋してくれるから行ってみれば?」って教えてくれたので、水戸の福祉人材センターまで行って「すいません、よくわかんないんですけど、どこか紹介してもらえる施設ってありますか?」って聞いたところ、「新しくできる重度の障害者用の福祉施設がある」ということだったので、そのまま「そこでいいですからお願いします」って応募したら運良く採用になっちゃったんです。何の希望も期待もなく、流されるまま、す〜って(笑)。「めちゃめちゃ福祉施設で働きたい」と思ってたわけでもなかったですしね。もうしょうがないだろうなあ、ここで働くしかないなあって感じで。でも一緒にその施設を受験した人たちと意外とその場で仲良くなって連絡先を交換できたりしたんで、単純に「ここで働くのは楽しいかも」とは思ってましたね。
重度の障害者の方の施設でしたが、たいへんそうだなあとか嫌だなあといった抵抗感はなかったですね。そもそも就職できるならどこでもいいって感じでしたから。
1994年、22歳で福祉施設に無資格で就職した岡田氏。介護するのは車椅子や寝たきり重度の障害者、介護士としての知識も経験も皆無に等しい上に、勝手がわからない新設の施設。通常なら不利な条件ばかりが重なるつらい現場だが、岡田氏にとってはすべてが好材料だった。ここから岡田式介護術が芽吹いていった。
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