高校を卒業して東京商船大学(現・東京海洋大学)の機関科に入学しました。船乗りになりたかったわけではなく、お金がないからそこにしか行けなかったんです。商船大学は全寮制ですから、タダで住む場所もあるし、飯も安い費用で食わせて貰えます。学費と生活費は、親が爪に火をともすようにして捻出して送ってくれる僅かなお金と奨学金と港の倉庫の警備員のアルバイトで賄いました。
商船大学を選んだもうひとつの理由は、私が高校を卒業した丁度その頃に、朝鮮戦争が勃発して海運業界が活況になったことです。当時は、工学部を出てもなかなか就職口が見つからないという状況でしたが、商船大学の就職率は180%でした。当時は食っていけるかどうかということが、職業選択の第1の重要基準だったんですね。それと、海外に出たいという閉塞感打破の欲求が、少しありましたね。機関科を選んだのはエンジニアとしての技術を身につけておけば、後々つぶしがきくだろうという、ささやかな打算があったからです。後々にこの選択は大正解だとわかります。
高校時代にやっていた同人誌つくりは大学入学後も続きました。さらに図々しくも、演劇にも凝り出して、モリエール劇の演出なんかも手掛けていたんです。しかし、作家としての才能がないのがわかってきたので、文学の道は早々にあきらめました。ちなみに小説家というのは、精神病理学的にいうと精神分裂型でないと成功しないと思うんですね。妄想が次々に沸いてくるようでないと魅力的な物語はつくれません。私は躁鬱型だから、論理性依存の仕事が向いているんですね。後に、1年半の間に懸賞論文に挑戦して6連勝したことがありますが、これは論理的なチャレンジだからできたことです。
また、学生時代は、頭でっかちで短足の身体コンプレックスを吹き飛ばそうと柔道にも熱中しました。おかげで卒業時には、同級で私に敵うものは一人もいませんでしたね。最終の段位は三段です。 |