キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第29回 交通事故鑑定人 林 洋-その1-交通事故鑑定の達人が語る…

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魂の仕事人 第28回 其の四
77歳でいまだ現役バリバリ 交通事故鑑定の達人が語る 仕事魂と放浪のすすめ
残された証拠から、物理法則と己の知力を武器に、交通事故の真実に迫り続けている男がいる。林洋77歳。25年間で約千件もの交通事故の嘘と真を解き明かしてきた。70代後半になっても現役バリバリの交通事故鑑定人である林氏に、一生の仕事を見つけるための極意を聞いた。  
交通事故鑑定人 林 洋
 

天職にたどり着いたのは53歳のとき

 

 私は今年(2008年)で77歳になりますが、まだ現役の交通事故鑑定人として働いています。これまで22年間で約1000件の交通事故鑑定を行って来ました。

 交通事故が起こった後、事故の発生原因や責任の所在について被害者と加害者との間に見解の相違が生じて、裁判に発展することがままあります。そういう時に、裁判所や訴訟の当事者、弁護士等からの要請に応じて、事故現場に残された証拠から「この事故は実際にはどのように起こったのか」ということを物理的、工学的な視点から推論して鑑定書にまとめて提供するのが、交通事故鑑定人の仕事です。もちろん、鑑定結果を鑑定書にまとめて裁判所に提出するだけではなく、法廷に立って証人尋問を受けることもあります。

 この交通事故鑑定という仕事は、まさに私の天職であり、紛れもなく、生き甲斐の対象でもありますが、この仕事にたどり着くまでには、紆余曲折がありました。53歳までは、サラリーマンでしたが、その間に6回転職しています。そのうちの2回はクビ同然に組織から追い出されています。惑いながら人生究極の目標を追い求めて放浪しているような若い人達には、私の放浪談は参考になると思いますよ。

職業を選べる余裕などなかった
 

 子供の頃は戦争で食うや食わずの苦しい生活だったので、将来、何になりたいかなど、まともに考える余裕なんかはまるでありませんでしたね。

 私の親父は東京大学法学部卒の銀行員で、人生の出だしは、いわゆるエリートに属する人でしたが、戦争を境にしてどんどん落ち込む人生だったという、本当に気の毒な人でした。経理の将校として戦争に召集されて、旧満州の関東軍に所属しました。戦死こそ免れましたが、ぼろぼろになって復員して、その後はいわゆる疎開乞食ですな、疎開先に取り残されて毎日の食事にも事欠くような暮らしをしていました。私は子供の目で、戦争に人生を狂わされた親父の気の毒な姿を言い表しようのない気持ちで眺めていました。父も母も善良で気の小さい、こういう時代には生きにくい人たちだったんですね。

 高校に入ってからは文学に魅せられて、同人誌つくりに熱中していました。幼年期は身体が弱く家にこもることが多かったこともあって、小さい頃から文章を書くことが好きでした。当時、人気を博していた織田作之助、坂口安吾、太宰治などの小説に心酔していたんです。貧乏だし、学業もパッとしないし、スポーツも苦手でまるでダメ、当然女の子にはモテないしとコンプレツクスの塊だったので、こういう気持ちを、当時の斜に構えて世の中を拗ねたような視線で描写する彼らの私小説のペーソスに溺れることで、紛らわしていたんでしょうね(笑)。

商船大学へ進学
 

 高校を卒業して東京商船大学(現・東京海洋大学)の機関科に入学しました。船乗りになりたかったわけではなく、お金がないからそこにしか行けなかったんです。商船大学は全寮制ですから、タダで住む場所もあるし、飯も安い費用で食わせて貰えます。学費と生活費は、親が爪に火をともすようにして捻出して送ってくれる僅かなお金と奨学金と港の倉庫の警備員のアルバイトで賄いました。

 商船大学を選んだもうひとつの理由は、私が高校を卒業した丁度その頃に、朝鮮戦争が勃発して海運業界が活況になったことです。当時は、工学部を出てもなかなか就職口が見つからないという状況でしたが、商船大学の就職率は180%でした。当時は食っていけるかどうかということが、職業選択の第1の重要基準だったんですね。それと、海外に出たいという閉塞感打破の欲求が、少しありましたね。機関科を選んだのはエンジニアとしての技術を身につけておけば、後々つぶしがきくだろうという、ささやかな打算があったからです。後々にこの選択は大正解だとわかります。

 高校時代にやっていた同人誌つくりは大学入学後も続きました。さらに図々しくも、演劇にも凝り出して、モリエール劇の演出なんかも手掛けていたんです。しかし、作家としての才能がないのがわかってきたので、文学の道は早々にあきらめました。ちなみに小説家というのは、精神病理学的にいうと精神分裂型でないと成功しないと思うんですね。妄想が次々に沸いてくるようでないと魅力的な物語はつくれません。私は躁鬱型だから、論理性依存の仕事が向いているんですね。後に、1年半の間に懸賞論文に挑戦して6連勝したことがありますが、これは論理的なチャレンジだからできたことです。

 また、学生時代は、頭でっかちで短足の身体コンプレックスを吹き飛ばそうと柔道にも熱中しました。おかげで卒業時には、同級で私に敵うものは一人もいませんでしたね。最終の段位は三段です。

転職人生の始まり。まずは船乗りに
 

 大学を卒業して、船の機関士として商船会社に就職しましたが、仕事が嫌で嫌でしょうがなかった(笑)。北米航路の船に乗ると、東京からサンフランシスコまでの航海日数は12日、その間に昼夜2回、各4時間のエンジン監視を計24回するのですが、この間は当然何事も起こらないのがいい。で、実際エンジントラブルなんて滅多に起きないわけです。こういった驚きのない、決まり切ったことを繰り返してやるという仕事が、私には一番合わないんですね。だからストレスがたまります。上司ともソリが合わなかったので、よく船の中で酒を飲んではボットム・エンジニア(最下層の機関士)の分際で、暴言を吐いたりしていました。鼻つまみ者もいいところです。そんな状態で2年を過ごし、もう限界だということで、会社の勧奨に従って辞表を提出しました。

水産高校の教師に
 

 船を下りた後は、水産高校の機関科の教師になりました。会社の斡旋でした。「こういう相談が来ているが、お前、行かんか」ということです。会社としては、問題社員の私をていよくお払い箱にしたかったんでしょうね(笑)。無理もありません。辞めるときには、一人くらいはやめとけといってくれるかと見回しましたが、誰もそう言ってくれる人はいませんでしたね。

 教師の仕事は最初こそおもしろかったのですが、2年3年と経つうちに飽きてきました。生徒が劇的に成長していく過程にある小学校ならもっと続いたかもしれません。しかし、高校生は人としてはある程度固まっていますからね。人間を形作るおもしろさがあまりありません。知識伝達の仕事の方は毎年変わらないですから、わがままでルーチンワークに弱い私は、次第につまらなくなっていったんです。

航空自衛隊へ入隊
 

 教師になって3年半が経ったころ、何かの折に航空自衛隊の技術幹部コースに入ると海外留学できるというフロック情報を耳にして、軽率にも採用試験を受けました。合格したので教師を辞めて自衛隊に入ったんです。技術幹部コースでは実践的なエレクトロニクス技術を学べました。勉強は楽しかったのですが、技術系とはいえ自衛隊は自衛隊ですから、非常に規律が厳しくて、わがまま勝手なやさぐれ精神の私にはとても耐えられませんでした。ここもすぐに嫌気がさして1年ともたなかったですね。

 今だから、ぶっちゃけて言ってしまいますが、私は非常に軽薄な性格でして、何か思い付いたら熟考することなく、すぐに行動に移してしまいます。私の両親はものすごく真面目な人たちですから、「洋はそんなにいつまでもふらふらしていて、いずれはルンペン(ホームレス)になるに違いない」と確信して疑わなかったようですね。心配をかけて、本当にすまなかったと思っています(笑)。

これまで行き当たりばったりの生き方で、職を転々としていた林氏。しかし次に入社した会社で、時間を忘れて打ち込める仕事に出会うことになる。30歳にして始めて職業人生の軸が決まった。

自動車エンジンの実験屋に
 

 幸い、自衛隊を辞める昭和36年の当時は高度成長期だったので、求人募集がたくさんあり、私のような放浪児には好都合な社会状況でした。でも、どの会社の中途採用試験を受けてもなかなか採用してもらえなくてね。造船所も落っこちたし、飛行機の整備会社も不採用、電力会社もダメでした。そんな中で、ようやく受かったのが二線級の自動車メーカーでした。当時はまだ小さい会社だったから入れたのでしょうね。

 入社するとエンジンの実験部門に配属されました。自動車メーカーの開発部門は、大きく分けて二つあります。ひとつは設計部門。ここは開発業務の中心でエリートが集まるところです。もうひとつの実験部門は、新しく開発した車の性能や耐久性を、世の中に出す前にチェツクしたり、既に世の中に出ている車に起こるトラブルを速やかに察知して、急ぎ対策する部門です。マーケット・トラブルの例を挙げると、三菱自動車の車輪が外れた事故(※1)があるでしょう。あんなのは氷山の一角で、小さい事故やトラブルなどは次々と起こるわけです。そうしたときに、速やかに事故車を回収してトラブルの原因を究明して対策を講じるのです。そのためにトラブル・シューティングの実験をやります。

 この実験部の仕事は、工員さんたちと一緒に油だらけになって、技術の現物と取っ組み合うものです。人員的には、開発部門の「落ちこぼれ」が集まる部門といえましたね。エリートは専ら新車の開発を担う設計部にいるんです。そこから病気で長期休暇を取ったというような、ドロップアウトしたエンジニアが実験部に配属されて来るわけ。私のような30過ぎの中途採用の補充要員なんかは設計部に行けるわけがない。当然、実験部に配属になります。

※1 三菱自動車製の車輪が外れた事故──2002年1月、三菱自動車製の大型トレーラーのタイヤが脱落し、これに直撃されて、当時29歳の主婦が死亡し、4歳の長男とベビーカーに乗っていた1歳の次男が怪我を負った。死亡した主婦の母親が三菱自動車と国を相手取って、制裁的慰謝料1億5800万円の損害賠償を求めて訴訟を起こしていたが、2007年9月、裁判所は国の過失は認めず、自動車メーカーに550万円の損害賠償金支払いを命じ、判決が確定した。

30歳にして初めてのめり込める仕事に出会う
 

 実験現場というのは飯場みたいなところでしてね。いつも油まみれになって試験品の組み付けなんかをしている。汚れていて、決して格好よくない。しかし、実はこういうところに、技術の神髄に直に触れるチャンスが沢山あるんですよ。

 この実験屋の仕事は私の性格に非常に合っていました。問題を発見して、原因を究明して、解決策を見つけ出すという仕事。これが実におもしろかった。「ここに原因がある」ということを突き止めたときの感動といったら、もう、堪らない(笑)。

 また、ただ実験して事故原因を究明するだけではなく、実験用の計測器の自作も盛んにやっていました。このときには、前職の航空自衛隊の技術幹部コースで勉強したエレクトロニクスの知識が非常に役に立っています。だから、特に私と同じ、放浪型(今の派遣社員にも多いかもしれません)の技術屋の皆さんには、「放浪者の知恵を大事にしなさい」と言いたいですね。古くは木下藤吉郎の知恵がこれですよ。詳細は後の方で(笑)。

革新的な仕事を連発
 

 実験仕事が余程私の性分に合っていたのでしょうね、夢中になって実験仕事に取り組んで、密閉式冷却水系の理論体系構築、高速機関のエンジンクランクシャフトの捩れ振動の測定方法の考案、潤滑油系の放熱能力の解明などなど、当時としては革新的で独創的だと言われるような仕事を次々にこなしていました。

 さらに、それらの研究の結果を論文にまとめて、毎年のように自動車技術会や機械学会に発表していました。当時の会社はたいへんおおらかなところで、こんな私に対して別段文句を言うこともなく、自由にさせてくれていました。当然、社内の評価も上がりましたよ。ところが、そうしているうちに次第に雲行きが怪しくなってきたんです。

 

30歳にしてようやく打ち込める仕事に出会い、会社からも認められこのまま順調に自動車技術の世界でキャリアを重ねていくものだと思われていたが……。

次回はまだまだ続く波乱の人生を熱く語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回 2008年2月18日リリース 6度の転職を経て天職に 放浪のすすめ
第2回 2008年2月25日リリース 5社目で交通事故鑑定の世界へ 53歳で独立
第3回 2008年3月3日リリース 真相究明が仕事の醍醐味 依頼者のために戦う
第4回 2008年3月10日リリース 交通鑑定人の究極の覚悟 志をもって生きる
第5回 2008年3月17日リリース 趣味や勉強では魂は燃やせない 一生仕事人であり続けたい

プロフィール

はやし・ひろし

1931年、東京生まれ。77歳。交通事故鑑定人。船の機関士、教師、自衛隊、自動車メーカーの技術者など6度の転職を経て、53歳のときに自動車事故の工学鑑定を行う「林技術事務所」を設立。以降、数千件の交通事故鑑定書を作成、交通事故鑑定学の学問体系の確立と実行に努める。77歳の現在も現役の交通事故鑑定人の第一人者として活躍中。「実用・自動車事故鑑定工学」など著書多数。日本技術士会のプロジェクトチーム「科学技術鑑定センター」の名誉会長も務めている。

【関連リンク】
■交通事故鑑定人 林洋のページ

 
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