それまでは、自分にとって仕事はお金を稼ぐ手段であって、それ以上のものではなかったんです。でもやっぱりそれだけじゃ仕事なんてつらいだけですよね。だから続かなかった。
これまでいつも「自分はここにいる人間じゃない」と思っていたけれど、ここで初めて「こういう世界で定年まで働くのも悪くないな」と感じました。
でも5年が経ったころ、20代の後半にさしかかると、また「このままでいいのかな」という思いが頭をもたげてきました。もう20代が終わろうとしているのに、自分はまだ何もなしえていないという焦り。
ちょうどその頃、自分と同世代の大森一樹さん(※2)が城戸賞(※3)を受賞して、そのシナリオで映画を撮ったんです。そのほかにも若いシナリオライターが活躍しだして、焦りに一層の拍車がかかった。
(※2 '79年に城戸賞受賞作品『オレンジロード急行』で監督デビュー。『ゴジラ対キングギドラ』('91年)、『T.R.Y.』('03年)など作品多数)
(※3 新人脚本家養成のため、社団法人日本映画製作者連盟が毎年開催している映画シナリオコンクール。小林監督も後に受賞)
でも、仕事を辞めることは、すごくリスキーですよね。それは自分でも分かっていました。せっかく安定した働き口があって、60歳まで勤め上げれば年金ももらえるし、それを捨てていいのか、と。「安定」を取るか「夢」を取るかでかなり悩みました。
そうすると仕事のほうに意識が向かなくなってきて。これじゃあまたどっちつかずになって、同じことの繰り返しになってしまう。それで、退職を決意して、フランスに渡ったんです。敬愛するフランスの映画監督、フランソワーズ・トリュフォー(※4)の弟子になるために。
(※4 フランスを代表する映画監督。“ヌーヴェル・ヴァーグ”の旗手としても名高い。代表作に『大人は判ってくれない』('59)など)
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