自分の働きの意義を、この手に感じたい
建設の現場では、いろんな人が、いろんな流れの中で働いている。大きな仕事ができる分、自分のやったことの軌跡は目に見えない、感じられない。苦労と努力を重ねて仕事をしても、周りに流され仕事をしても、そんなことお構いなしにビルは建つ。たとえ自分がまったく仕事をしなかったとしても、結果は同じなんじゃなかろうか。そんな思いが、燻り続けていた。もしかしたら、「頑張った自分」を誇りに思える充実感を、ずっと求めていたのかもしれない。「今度は、自分の働きの意義を、実感できる仕事に就きたい」。
社会人になって8年目だというのに、職務経歴書に「○○の現場で施工管理」としか書けないことが情けなかった。しかし、これが自分の現実だ。変えたい。そのための転職活動。
コンサルタントになりたかった。自分の働きの結果が、良くも悪くもそのまま返ってくる仕事に思えたからだ。6社に応募し、建設の経験を生かせるコンサルタントとして、なんとか採用された。従業員の人数、1000分の1の会社だった。
それから、3年。
社員が10人に満たない小さな会社で、営業も、コンサルティングも、何でも自分でやってきた。クライアントが成功するようにと腐心して、仕事をしてきた。転職後の3年間は、濃い時間を過ごせたと思う。
会社が、建設コンサルティング事業から撤退することになり、年明けから転職活動をした。今の職務経歴書には、前回とは比べものにならないほどの量の「やったこと」を書くことができた。どこかすぐ見つかるだろうと思えた。示せる実績があるという自信。2社応募して、さくっと決まった。年収も150万円アップした。
転職して人生が変わったな、と思う。
ずっとあのまま、あの会社にいたら——会社人生をぼんやりと送ることが、働くことだと思ったままだったかも、しれない。組織の掟に諦めながら従う分、生活が保証されたサラリーマン。今は、違う。いつも頭の片隅で、明日を考えなくてはならない。将来の保証は、自分の頑張りだけという人生。ぼんやりとは、過ごせない。
一生のうちにあと何回か、転職するだろう。
転職とは、「自分を磨く」ことと同じ意味だと感じている。
自分のために頑張る自由を、手に入れた。
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