2年目のことだった。あるメーカーのコンサルティングを担当することになった。先輩コンサルタントも一緒にチームを組むものだと思っていた。しかし、一人で担当しなくてはならない事態に陥った。常識でも、前例でも、2年目のコンサルタントが一人で担当するなんて、ありえないのに。
月曜〜木曜まで、担当するメーカーの寮に泊り込み、現場に馴染もうとした。来る日も来る日も、現場の意見を聞いて回った。本当は協力し合わないといけないのに、それができないのはなぜか。いろんな立場のいろんな人たちの本音に、問題の本質は隠されている。もちろん、最初から心なんて開いてなんてくれないけれど、現場主義を貫き通しているうちに、だんだんと「あんな小汚い寮に、よく泊まっているなあ。昔はオレもなあ……」と、距離は縮まっていった。
部課長40人を集めたミーティングは、プレッシャーだった。コンサルタントとしてプロジェクトを請け負っている以上、アドバイスをしなくてはならない。経営者に報告もしなくてはならない。
「でも2年目の人間に、長いキャリアを持つその会社のエース級の部課長たちを納得させられるようなアドバイスなんて、できるわけがないんです。小手先の知識を齧ったところで、すぐ見抜かれてしまいますから」
それでも、コンサルタントとして価値は出さなくてはならないのだ。
窮地に立たされた。
「クライアント企業にしてみれば、今回のコンサルティングに何千万円も支払っているわけで、期待も要求も当然高い。でも、僕ができることなんて、限られている。上司になんとかしてくれと電話しても、『申し訳ない、本当にすまない。でも人を送ることができない』としか、言ってくれない」
朝、起きると、ストレスで目が開けられなくなった。
そんな日が続いた。
逃げ出すか、やるか。選択肢は2つしかない。
「その時点での僕がやれることを、精一杯やるしかなかった」
自分にできること。それは、現場に存在する部署間の目に見えない垣根を取り払うこと。
それぞれの立場の意見、考えを、別の立場の人たちにわかってもらえるように伝え、なんとか協力体制にもっていく。そして、現場の声を上に伝える。
「そこで価値を出すしかない、と思ったんです」
このプロジェクトで、コンサルティングに高いお金を払った分だけの満足を、してもらえたとは思っていない。いい仕事ができたとも、とても思えない。それはとても、苦しいことだ。それでも、相手が怒り出して火を噴くことなく、7カ月に渡るプロジェクトを終えた。
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