キャリア&転職研究室|キャリレボ|「会社のために頑張る」からの脱出

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キャリレボ
自分のキャリアで迷ったり、煮詰まったり、悩んだりと壁にぶつかっているなと感じたときは、もしかしたら自分の判断基準や価値観を、一度、疑ってみることが必要かもしれない。壁を乗り越えるとは、それまでの自分を乗り越えるということだから。日々の小さな自分レボリューションで明日をつくろう

「会社のために頑張る」からの脱出

保守的な人間だったと、自分で思う。
福井真一(仮名・35歳)は、大学を卒業したとき、ある会社に"就社"した。
10年ちょっと前の話だ。

入ったのは、中堅ゼネコン。一級建築士を持っていた自分には妥当な選択に思えた。
仕事場は、体育館、劇場、駅、高架施設——。来る日も来る日も現場に出かけ、朝礼をする、その日の進行の指示をする、図面通りに進んでいるかチェックをして回る、次の日の打ち合わせをする……そんな毎日を送っていた。

会社は、留学をさせてくれた。
アメリカの大学で建設マネジメントを約2年学んで帰国したとき、上司は言った。
「学んだことなど、現場じゃ何ひとつ役になんて立たない。忘れろ」

「会社なんて、こんなものだろう」と、このときはまだ、思えていた。

ある日、成果主義型人事制度が導入されることになった。期待に胸を膨らませながら、思った。
「これからは、頑張って仕事をしたら、その分しっかりと評価がなされるようになる」
しかし、その認識は誤りだった。

これまでと何も変わらない。上司が付けた評価を、そのまた上司が最終的に決定する。部下がどんな仕事をしているかなんて、直属の上司だってわかってはいやしないのに。結局は「全体が横並びになるよう」に、評価を改ざんされ、一ランク評価が下がった。納得がいかなかった。

「もう、この会社のために頑張らなくてもいいか——」
ぷつり、と糸が切れた。

自分の働きの意義を、この手に感じたい

建設の現場では、いろんな人が、いろんな流れの中で働いている。大きな仕事ができる分、自分のやったことの軌跡は目に見えない、感じられない。苦労と努力を重ねて仕事をしても、周りに流され仕事をしても、そんなことお構いなしにビルは建つ。たとえ自分がまったく仕事をしなかったとしても、結果は同じなんじゃなかろうか。そんな思いが、燻り続けていた。もしかしたら、「頑張った自分」を誇りに思える充実感を、ずっと求めていたのかもしれない。「今度は、自分の働きの意義を、実感できる仕事に就きたい」。

社会人になって8年目だというのに、職務経歴書に「○○の現場で施工管理」としか書けないことが情けなかった。しかし、これが自分の現実だ。変えたい。そのための転職活動。

コンサルタントになりたかった。自分の働きの結果が、良くも悪くもそのまま返ってくる仕事に思えたからだ。6社に応募し、建設の経験を生かせるコンサルタントとして、なんとか採用された。従業員の人数、1000分の1の会社だった。

それから、3年。
社員が10人に満たない小さな会社で、営業も、コンサルティングも、何でも自分でやってきた。クライアントが成功するようにと腐心して、仕事をしてきた。転職後の3年間は、濃い時間を過ごせたと思う。

会社が、建設コンサルティング事業から撤退することになり、年明けから転職活動をした。今の職務経歴書には、前回とは比べものにならないほどの量の「やったこと」を書くことができた。どこかすぐ見つかるだろうと思えた。示せる実績があるという自信。2社応募して、さくっと決まった。年収も150万円アップした。

転職して人生が変わったな、と思う。
ずっとあのまま、あの会社にいたら——会社人生をぼんやりと送ることが、働くことだと思ったままだったかも、しれない。組織の掟に諦めながら従う分、生活が保証されたサラリーマン。今は、違う。いつも頭の片隅で、明日を考えなくてはならない。将来の保証は、自分の頑張りだけという人生。ぼんやりとは、過ごせない。

一生のうちにあと何回か、転職するだろう。
転職とは、「自分を磨く」ことと同じ意味だと感じている。
自分のために頑張る自由を、手に入れた。


次回は7月11日配信予定
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取材・文/中村 陽子(編集部)
デザイン/東 聖子(編集部)

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