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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第10回 前編 関 勉さん(仮名)30歳/ネットワークエンジニア
俺は社会から必要とされていないのか─薄暗い部屋でひざを抱える日々 年収200万円生活からの脱出作戦
異業種、異職種からリベンジ転職で念願のIT企業へ転職した関 勉さん(仮名・30歳)。3社目もIT企業だったが、実質アルバイトの契約社員、年収200万という驚くほどの薄給が、生活そのものを脅かしていた──。
社会人スタートはすべり止めの会社から
興味のない仕事は長く続かなかった
 

 IT業界はハードとソフトの両方が日々驚異的な速さで進化を遂げている「先端」ジャンルだ。それだけに関わっている人数や企業の数も多い。人件費節約のため、一つひとつの案件(プロジェクト)によってスタッフを適時採用するシステムをうまく使って実績を上げている企業も少なくない。しかし働く側の人間は「案件ごと」と割り切れる人もいれば、ひとつの企業の社員として継続的に働きたいと考える人もいる──。

 関さんが就職活動を開始したのはウインドウズ95の登場直後で、IT産業に熱い視線が注がれ始めていた時期だった。第一志望は地元・広島のIT企業だったが、競争率の高さは想像以上でなかなか内定がもらえない。さらに時代はバブルが弾け、就職氷河期まっただ中。希望する企業から続々と届く不採用通知。そんな中、一社だけ菓子卸業の会社から内定通知が届いた。就職浪人だけは避けたかった関さんは、正社員として入社、物流管理部門で働き始めた。しかしやはり滑り止めの会社では長くは続かなかった。

 

 「興味のある仕事ではないというだけでなく体力的にしんどかったです。拘束時間も長く、朝7時から夜の10時(※1)くらいまで働いてました。お菓子って夏より冬の方が売れるし品数も増えるんです。特に年末年始がキツかった。正月ですらスーパーの営業に合わせて荷出しをしなきゃいけなくて、満足に休めなかったんです」

 興味がない上に仕事がキツい。やはりこれでは仕事のモチベーションを保てない。また、一方でIT業界への未練もまだ捨てき

れていなかった関さんは、お菓子の卸売り会社を約1年半ほどで退社後、IT関係の専門学校に入学。2年間基礎から勉強し、MOUS Word97とExcel97の資格を取得。そして卒業後、念願かなってシステム会社に契約社員として入社した。主な仕事の内容は携帯電話やカーナビゲーションシステムのテスト業務だった。
あこがれのIT業界へリベンジ転職
しかしあまりのヒマさに転職
 

 「仕事はキツいときはキツかったけど楽しかったですね。ずっとIT関係の会社で働きたいと思っていたので。でも残念ながらそれも長くは続きませんでした」

 例えば日々高性能化する携帯電話という製品は開発に時間をかけられないという性格上、大勢のプログラマやエンジニアが集中して莫大なテストメニューをこなしていく。一時的に多くの仕事量が発生するが、それ以外は極端に手があまる職場だった。テストごとに起用される契約社員だった関さんにとって、ひとつの案件が終了すると次のオファーが入るまでは全く仕事がないという状態になる。そしてその状態は想像より長く続いた。

 「仕事がないと当然給料が入ってこないので、生活が苦しくなってきて。もっと定期的に仕事がある会社へ転職しようと思ったんです」

 そんな本意ではない理由で2年半勤めた会社を退社。次回の転職活動ではネットも積極的に活用しようと思い、「転職」というキーワードで検索している過程で【人材バンクネット】を発見。これまで人材バンクを利用したことがなかったので、登録、キャリアシートを公開してみた。自力応募よりもメリットが多いはずだ。期待に胸を膨らませていた関さんだったが、しかし、結果は散々なものだった。

 「スカウトメールがこないどころか、人材バンクのコンサルタントに、あなたのキャリアでは紹介できる企業はありませんと言われたんです。ショックでしたね」

 でも落ち込むばかりではなかった。逆に考えれば、キャリアさえ積めば転職できるはずだ。そんな

 
とき、ある求人サイトで、ネットワーク系のエンジニアを企業に派遣している会社が、エンドユーザーからの問い合わせやクレームに対応するヘルプデスクを募集していた。ただし雇用形態はアルバイトだった。しかし雇用形態うんぬんよりも、新しいキャリア、スキルを身に付けることが先決だし何より生活していかなければならないと思った関さんはこれに応募、採用、退職した翌月からインターネット接続に関してのヘルプデスク(※2)として働き始めた。
一日中顧客の苦情を聞く地獄の日々
給料も安く生活苦に
 

 「一日中苦情の電話に対応する日々は私にとっては地獄でしたね。苦情の内容で一番多いのがADSL回線を使ったIP電話の着信不良。激昂して怒鳴り散らす人よりも、静かに理詰めで攻めてくるお客さんの方が大変でした。そんな人はなかなか納得しませんからね」

 しかし、そんな仕事のストレスよりも関さんを悩ませたのが給料の安さだった。このときの給料を時給に換算すると1000円以下。勤務時間もそれほど長くはなかったので稼ぐといっても限界がある。月給は手取りで16〜17万円。仕事がないときはそれ以下の月も。まさにギリギリの生活だった。

 「就労時間がアルバイトの労働規定よりも長かったので、上司に事情を話した上で交渉して契約社員にしてもらいました」

 だからといって特別な手当てが付くわけではなく、給料は時給制のまま。メリットは年金、社会保険への加入のみ。契約社員になればなんとかなると考えていたが、それほど会社というところは甘くはなかった。

 

 「契約社員といっても実質的にはアルバイトのままなので、仕事がないときは極端に出勤日数が減りました。2、3日くらいならのんびりできていいのですが、1週間を超えると気持ちが焦ってきます。仕事をしていないと『僕は社会に必要とされていないんじゃないか』なんて思っちゃって……」

 関さんは今でもこの状態が一番つらかったと当時を振り返る。なにより極端な薄給は生活を圧迫した。外食できるほどの経済的余裕はなく、レトルトの白米にスーパーで売れ残った惣菜という組み合わせで毎日の飢えをしのいでいた。

 「スーパーの惣菜は夜9時を過ぎると安くなるじゃないですか。いつもそれを狙って買いに行くんですけど、そんな毎日が続くとだんだんみじめな気分になってくるんですよね。休みの日も外出するとお金がかかることが多いので、自分の部屋にいることが多かったし。頭に浮かんでくるのはお金のことばかり……。そんな毎日が心底イヤでした」

 なんとかこの生活と自分自身を変えたい。でもどうすれば……。悶々とした毎日を送っていた関さんの元に一通のスカウトメールが届いた。未来はここから開けていった。


次回、後編では、一度はキャリア不足で紹介できる企業はないと門前払いを食った関さんが、どうして希望する会社へ入社できたのか、その軌跡を紹介します。
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プロフィール
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神奈川県在住の30歳。大学卒業後に菓子卸業社に入り、約1年半働く。その後IT企業2社でプログラマ、ネットワーク・エンジニアを経験。契約社員という雇用形態に不安を感じて転職を決意。現在はシステム会社でネットワークエンジニアとして活躍中。
関さんの経歴はこちら
 

朝7時から夜の10時(※1)
「トラックで会社に来る業者さんのために朝7時から倉庫を開けなければならないんです。午前中はその業者さんたちからの荷受けをやって、午後は梱包を解いて翌日の営業のための仕分け。大きな段ボール箱の中に商品が結束された小箱があって、それを整理しながら並べる作業ですね。すごく量が多いので時間のかかる仕事でした」

 

ヘルプデスク(※2)
「苦情の中には『前の担当者の対応が悪い』なんてとばっちりのような内容のものもありました。ストレスがたまるので、休憩時間にはゲームセンターで気分転換することもありましたよ」

 
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