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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第49回(前編) 永島栄治さん(仮名)37歳/営業職
10年ぶりの日本の職場に失望 37歳で7度目の転職に挑戦

10年ぶりに帰国し、日本のレストランに就職した永島栄治さん(仮名・37歳)はそれまで働いていた海外の店とのあまりの違いに愕然とする。このままでいいのか──。違和感は少しずつ澱(おり)のように溜まっていき、入社早々次の道を模索するようになった。

 週末の午後8時。おいしい食事とお酒を楽しむ人びとで、都内の繁華街にある人気フレンチレストランは賑わっていた。

 しかし、壁一枚隔てた厨房の中は、怒号が飛び交い、料理人たちが慌しく動き回る、さながら戦場のようだった。

「こんな味じゃダメだ! やり直せ!」

 長年カナダで人気レストランの料理長として腕を振るい、いくつもの店を繁盛店に押し上げてきた永島栄治さん(37歳・仮名)は、料理長からどやされて驚いた。料理長に教えられたとおりに作った料理なのに……。

 しかし、フランスのレストランで修業をしてきたという若者の作った料理には「うん、これでいい。さすがフランス帰りだな」とにこやかにOKを出した。

 同じ料理なのになぜだ。しかもその若者はフランス帰りだとはいっても皿洗い程度しか経験していない。

 深夜0時30分。店を閉め、後片付けを終わらせた永島さんには徒労感しか残っていなかった。

旅行会社で8年間勤務後、夢のカナダへ
 

 永島さんは修学旅行で間近に見た添乗員にあこがれ、高校卒業後、旅行の専門学校に進学。卒業後は希望通り大手旅行会社に入社し、添乗員として世界中を駆け巡った。同時に営業としても活躍。毎年売上高を伸ばし、社内で表彰されるほどの優秀な営業マンだった。しかしことごとく予算を達成し、ほぼ世界中を添乗員として回れたことで目標を失い、8年間勤めた時点で退職。海外での生活と英語習得の夢を叶えるため、カナダへ移住した。

 カナダ(※1)では、ホテルや雑貨店で事務を経験した後、以前から興味のあった料理の世界に飛び込んだ。最初に入ったフレンチレストランでは、道具の使い方の習得からスタート。昼夜問わず修業に励み、1年後にはセクションの責任者にまでなったところで、系列のフレンチレストランへ異動。料理長として季節に合ったメニュー開発などに腕を振るうほか、経営分析などの管理業務にも携わり、売り上げアップに貢献した。

 2年後、部下が育ってきたことと、イタリア料理を習得するため、イタリアンレストランに転職。料理業務と並行し、財務管理や費用計算を担当するほか、新たな客層を開拓するための広報業務も担当。旅行会社時代に培った営業力で、街一番の繁盛店に押し上げた。

帰国後、料理店に就職。しかし……
 

 カナダで10年ほど生活した後、家庭の事情で2008年4月に帰国。これまでの経験を生かしてフレンチレストランに転職した。

 しかしそこでは永島さんの実績は認められなかった。

「日本人は固定観念というか、先入観が強くて、料理の世界では『フランス帰りならいいシェフだけど、カナダだったらそうでもない』というイメージがあるんです。だからカナダのフレンチレストランで料理長を務めていて、管理職としてもレストランを繁盛させた実績をもつ僕よりも、フランスで皿洗いしかしていなかったような人の方が店では重用されていました」

 現場で働いていても、自分自身を認めてもらえない。どんなにおいしい料理を作っても、これがカナダ式だという色眼鏡で見られてしまい、正当に評価されない。

 また、働き方のあまりの違いに戸惑った。日本の飲食業はとにかく拘束時間が長い。朝6時半に起きて、夜の1時過ぎに帰宅するという生活を毎日繰り返していた。カナダではその半分以下だった。

「若ければまだ耐えられたかもしれないけど、30代後半で、しかも料理長まで経験しているのに、また下っ端の生活に戻るということにも抵抗感がありました」

 そのほかにもあまりにも理不尽なことが積み重なり(※2)、ストレスが限界に達した半年後の2008年11月、永島さんはレストランを退職(※3)した。もちろん、行く先など決まってはいなかった。

 
プロフィール
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※写真はイメージです

旅行ビジネス系専門学校を卒業後、旅行会社に入社。営業職として新規開拓、企画提案などに従事する一方、添乗員としても世界各国を巡る。7年半勤務した後、海外生活と英語習得の夢をかなえるため退社、カナダへ渡航。以後、10年間に渡りホテル、雑貨店、3件のレストラン勤務を経て、2008年帰国。都内の某フレンチレストランに入社するも、働き方に違和感を覚え、転職を決意する。

永島さんの経歴はこちら
 

カナダ(※1)
まずは入学する語学学校だけ決めて、カナダへ渡航。転職先の会社は現地の人の縁で自然と見つかったという。

 

あまりにも理不尽なことが積み重なり(※2)
「いじめに近い嫌がらせが多かったんです。下っ端時代、自分がそういう目にあったから、上に立ったときに、後輩や部下にも同じことをしてやろうという人が多かった。体育会の運動部の悪しき伝統と同じようなものです。また、海外のレストランでは、いかに後輩や部下を育てたかで評価されて、給料も決まる。しかし日本では「料理の技は自分の目で盗むものだ」という雰囲気がいまだに色濃く、料理の仕方や手順を指導しない人が多い。こういう点も強く違和感をもっていました」

 

レストランを退職(※3)
すでに入社3カ月の時点で退職を考えていたという。

 
 

※写真はイメージです

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