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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第9回後編 林 久仁夫さん(仮名)41歳/営業
心臓発作に脳梗塞、自慢の声まで喪失 さらに追い討ちのクビ宣告 それでもへこたれない41歳営業マン 不屈のポジティブシンキング
突然心臓病と脳梗塞を併発して倒れた林さんは、入院中に解雇通告をされてしまう。退院後も営業マンの最大の武器ともいえる声が不自由になり、もはや絶望のどん底。しかし、林さんはあきらめなかった。愛する家族のため、そして自分のために──。
応募全社に書類落ち
行く手を阻んだ年齢制限の壁
 

 2005年4月、5カ月の入院期間を経て退院した林さんは、心機一転、転職活動を開始した。4月に【人材バンクネット】に登録し、キャリアシートを公開。すると、まもなく7つのスカウトメール(※1)が届いた。しかし、またしても厳しい試練が襲いかかる。

 

 「スカウトメールはすぐ来たんだけどね、そのとき声がまだ出なかったんですよ。今でもコレ、出てるほうなんだけどね(※2)。反回神経麻痺っていうらしいんだけどね。心臓の手術をしたとき、声帯の左側の神経を傷つけたみたいで、筋肉がベロンと弛緩しちゃって。そうすると声がなかなか出ないんですよ。しゃべっても息が抜けちゃって」

 声は声帯を震わせて発せられるものだが、林さんの場合は、手術の後遺症で、仮声帯というところから声を出すことしかできなかった。さらに手術時に左側の胸を切っているため、肺も満足に機能していない。肺活量も極端に少なく、言葉もハッキリ言えず、その声はとても面接を受けられるような状態ではなかった。

 「声帯の手術は5月半ばにやる予定だったんですよ。担当医師によると、自然治癒するらしいんだけど、半年間様子を見ても治らなかったら、手術しましょうってことになってて。手術前にスカウトメールが来たんだけど、声がそういう状態だったので、手術後には声が出ますけど、それでも会ってくれますか? って返事をしたんです」

 通常、転職活動をスタートした場合、人材バンクのコンサルタントとの面談、応募するかどうかの検討、会社の人事担当者とのすり合わせ、提出書類の作成、書類選考、複数回にわたる面接、選考など、結果が出るまでには早くても1カ月はかかる。なるべく早く社会復帰したかった林さんは、手術前にスカウトメールを送ってきたコンサルタントと面談したかった。しかし、それでも「会いましょう」と言ってくれた人材バンクは、7社のうち3社しかなかった。中には「体調が悪ければ転職はできませんから」というコンサルタントも。

 「手術後にスカウトメールを送ってきたコンサルタントも、手術のことを話したら、『本当に大丈夫ですか?』って疑うようなことを言われて。そういうコンサルタントには『こいつら、本当にオレに仕事を紹介する気、あんのか?』って正直ムカつきましたよ。でも同時に、声が出ないストレスと不安で精神的にかなりメゲましたね」

 しかし会ってくれる人材バンクも3社はある。とりあえず動いてみよう。林さんは人材バンクに赴いた。そして応募できそうな約20社の求人に応募。しかしその結果は暗澹たるものだった。まさかの全社書類選考落ち。

 

 「ネックになっていたのは年齢だったみたいですね。いくらキャリアがあっても41歳ではやはり難しかったとコンサルタントには言われました」

 こうして手術前に面接したいという希望は木っ端微塵に打ち砕かれたが、林さんはそれほど落ち込まなかったという。

 「まあしょうがないかなと。時期的にもそんなに求人が動く時期でもないし。年齢は制限が甘いところを狙えばいいし。声もひどいしね。あせってもしょうがないので、とりあえずは声が出せるようになることに集中しようかなと」

 何かに行き詰ったら、無理してもがかず、あえて肩の力を抜き、いったん立ち止まってみる。人生、なるようにしかならない。このいい意味での開き直りが林さんの大きな強みだ。そしてこの強みが幸運を運んできた。手術後、面談に赴いた人材バンクで運命の求人と出会ったのだ。

面接で得意のトークが炸裂!
再び仕事に打ち込む決意を
 

 林さんが会いに行ったのは、特に化学、機械業界の研究開発職に強いクラレテクノ株式会社の粟野泰弘氏。しかし、当初粟野氏に対して懐疑的だったという。手術前に会おうと言ってくれたコンサルタントの中に粟野氏は入っていなかったからだ。

 「声のことを話すと、粟野さんは『手術して落ち着いてから会いましょう』と言いました。でも、どうせ会ってくれないだろうなと思ってました。他のコンサルタントと同じで、自分は使い物にならないと思ってんだろうなって」

 しかし粟野氏から1カ月後に連絡が来た。まだ転職先が決まってなかったら面談したいという。もちろん林さんはすぐにクラレテクノに赴いた。そこで粟野氏から紹介された会社は、小さな化学系の商社。健康食品部門の開発と営業の両方をできる人を探しているのだという。しかし林さんは難色を示した。

 

 「健康食品(※3)ってのがね……。健康食品はうさんくさいというイメージがあってどうも気が進まなくて。だから、最初紹介されたときは、申し訳ないけど、健康食品の会社は行きたくないって言ったんです。でも、健康食品以外に、化学系の素材をいろいろ扱ってるからって。正直言って気が進まなかったけど、こんな体になっちゃったし、あんまり会社を選べないかなと思って。小さい会社だから、ゆくゆくは化学系の部署に移れるかもしれないし。だから一応話だけ聞いてみようかなって思って応募することにしたんです」

 元々化学メーカーで開発と営業を経験し、その両方で結果を出していたこともあり、書類選考は難なく通過。1次面接は社長、専務、上司となる部長が出てきた。スタートから学生時代の落語研究会と営業経験で培ってきた持ち前のトークパワーが炸裂。面接官たちのハートをのっけからわしづかみにした。

 「あまりにも面接のこと以外の話で盛り上がったので、同席してくれた粟野さんもあきれて『あなたね、一応面接なんだから。世間話しにきたんじゃないんだよ』って(笑)。まあこんな感じで面接をとおして、ざっくばらんでいい会社だな、と思ったんですよ」

 むろん、雑談だけしていたわけではない。業務内容をヒアリングし、中国やインドにベンチャー企業を設立して、現地のいろんな会社と取引してモノを作っていることを聞いたときには、熱い思いがふつふつとわいてきた。ゆくゆくはそちらの仕事もやってみたい。

 「常務に、『私は化学式のことは全く分からないからだましだまし商売やってきたんだけど、そろそろ限界が来た。化学関係の仕事はキミに任せるからぜひやってもらいたい』って言われて。化学関係なら得意だし、ましてや、こんな体の僕を必要としてくれる(※4)ってんだから、やれるところまでやってみよう! そう思ったんですよ」

 2週間後の2次面接では主に条件面の話となった。林さんの希望年収は700から800万円。大病、大手術を経て体も今までのようには動かないし、景気もまだまだよくなったとはいえないから、正直高望みだとは思う。でも、林さんには来年中学受験を控えた子供がいる。しかも心臓病の手術で貯金をはたいてしまうと同時に借金も抱えてしまった。

 「子供を私立の中学に行かせようと思ったら、年間100万はかかる。だから生活費と学費を払ってプラスアルファの貯金ができるっていうのが理想で。そう考えるとやはり700〜800万円はほしいかなと。貯金も手術で使い果たしちゃった(※5)からね。いろいろあって、病気になる直前に生命保険を解約しちゃってたから。ツイてないときは重なるもんだよね」

 

 しかし小さな商社に高年収を期待するのはやはり無理があった。林さんと同年齢の社員の年収は会社の業績が良いときで600万円レベル。話し合いの結果、580万円からのスタートになった。理想とはかけ離れた額だが、林さんはそれほど落胆してはいなかった。

 「確かに家庭の事情もあり、年収はたくさんもらえればそれに越したことないんだけど、こんな体になっても就職できるだけでありがたいと思ってね。入院中は、もう社会復帰は難しいかもしれないって思ってたから」

試練を乗り越え内定獲得
次の夢はフェラーリでお迎え
 

 2次面接直後、粟野氏を通じて内定通知(※6)を受け取った林さん。今まで辛かったことが、走馬灯のように蘇ってきた。

 突然背中に激痛が走ったこと
 心臓の大手術をしたこと
 3週間後、病院のベッドで目を覚まして生きてる実感を噛み締めたこと
 ベッドに横になりながら、天井に映った悪夢のストーリー
 それを振り払おうと入院中に行ったMR活動
 しかし非常の解雇通告
 転職活動をスタートさせても声が出ないことで、面談すら断られたこと——。

 挫折と絶望が交互に襲い掛かってきたが、持ち前のポジティブ精神で乗り越えてきた。そしてようやく、自分の居場所を見つけ、大きな手ごたえを感じることができた。

 現在、林さんはこれまでの経験、人脈を縦横に駆使して、新天地でバリバリ働いている。上司、同僚など人間関係も良好(※7)だという。

 最後に今後の夢は? と聞くとまたまたおもしろい答えが返ってきた。

 

 「8年後、娘の高校の卒業式にフェラーリで迎えに行ってやりたいんですよ。バラの花束を抱えてね。でも娘はそんな僕を無視して彼氏と一緒にどこかに行ってしまう。一人残された僕はフェラーリの中でさびしくその後姿を見送る……ってね(笑)」

 あと8年で林さんがフェラーリを買えるほどの高額所得者になっているかどうかは微妙なところだが、もう少しで三途の川の向こう側へ行くところだった男の夢とはとても思えない。

 どんなに苦しい局面に立たされても、決してあきらめないチャレンジング・スピリッツと、ムリに頑張ろうとしない開き直りの心、それに少しの遊び心があれば、おもしろい人生を生きられる。たとえ仕事を奪われても、必ずしも好きな仕事に就けなくても──。

 取材を終え、部屋を出る林さんの背中がそう語ってるような気がした。

コンサルタントより
クラレテクノ株式会社事業部長 粟野泰弘氏
コンサルタントphoto
  キャリアと人柄
両者がマッチしたケース
 
 林さんのキャリアシートを拝見したとき、企業の求めるキャリアとのマッチング度があまりにも高かったので、すぐにスカウトメールを送りました。

 でもそのときは、まだ彼の喉の調子が悪く、声が出ないということだったので、1カ月後に会うことにしました。もちろん、その間は企業にも待ってもらって、誰も紹介しませんでした。林さんの方は断わられたと思ったらしいですけどね(笑)。

 手術後に改めて連絡して、面談しました。林さんと初めてお会いしたとき、実はこの人は商社に向いてないかもしれないなと思ったんです。それは自己主張が強いというか、思ったことを正直に言い過ぎるんじゃないかという心配があったからです。

 しかし、反面キャラクターはとにかく明るくておもしろい人で、初対面でもすぐに人をひきつける魅力をもっている人だなと思いました。とても大病をして5カ月も入院してたような人とは思えなかったですね。また数々の苦労をしてきた人でもあったので、その点で 面接では彼の人物的な魅力がいかんなく発揮され、面接官だった社長と専務もすぐに林さんのことを気に入ったようでした。聞かれたことにはもちろん、聞かれてもいないことにおもしろおかしく答えるので、ときには「雑談しに来たんじゃないんだから」って止めなければならないほどでした(笑)。

 もちろんトークのおもしろさだけじゃなく、販売戦略や会社の問題点などを即座に答えられるなど、仕事人としての高い能力を持っていました。ですので、一次、二次面接と話はとんとん拍子に進み、スムーズに採用となりました。

 特に商社の営業はただモノを売るだけじゃなくて、積極的に商品を開発して提案していく能力も求められます。さらに、自分で売り込む先を決め、走り回ってひとりでも多くの人と会い、商品のよさを分かってもらなければならない。そうしたしっかりとした技術力、営業力、人柄が採用に至った理由ですね。

 
プロフィール
photo
埼玉県在住の41歳。これまで化学メーカー、製薬会社など3社で営業を経験。前社に在職中に心臓病と脳梗塞を併発。さらに入院中に解雇宣告を受けるなどの試練を乗り越え、7月に転職。現在は化学メーカーの健康食品部署で中核社員として活躍中。
林さんの経歴はこちら

スカウトメール(※1)
「大手の人材バンクは、『とりあえず会いませんか』でした。一方、中小は最初から具体的な求人情報を紹介してくれました。会いたいと思ったのは、やはり後者。都内を往復するだけで1000円以上かかるから、紹介できる案件がなくて単に会って話をしましょうメールは断りました」


今でもコレ、出てるほうなんだけどね(※2)

林さんの声はかすれ気味で若干空気が漏れているようなしゃべりだった。時折かすかにつらそうな表情にならざるをえない状態だったが、快く長時間のインタビューに応えて答えてくださった
「今、これだけしゃべるのもしんどいの。でも、僕は営業でしょ? 
今、接待で夜からカラオケなんか行こうって言われても、歌えないしね。それがもう、悲しくて。昔はね、歌がうまかったんだよ、平井堅なんかも歌えたしね。でも今は大きな声も出せない」

 

健康食品(※3)
「販売してる素材は、アガリスクとかコエンザイムQ10とか。健康食品っていうと、青汁とかにんにく卵黄とか普通は農産物をベースにして作るんだけど、その会社が扱ってるのは、元々は医薬品として開発されたのが、健康食品に降りてくるっていうやつ。そういう素材だから、結局はベースが化学なんです」

 

必要としてくれる(※4)
「社員のほとんどが60代だから、近々に若返りを考えているということでした。で、僕の転職回数の多さを見て『腰掛けは勘弁してくれ』と。要するに長い間この会社で働く覚悟はあるか? と。そう聞かれたとき、『ずっといられるかどうか、私にもわかんないですよ』って答えちゃったんだけどね(笑)。だって仕事の内容もやってみないと本当のところはわかんないし、逆にお前なんか使えないって言われちゃうかも知んないしね。そう思って『私はその気でも、社長がイヤってなるかもしれないでしょ?』って言ってね。そしたら『そりゃあ、そうだな』って(笑)」

貯金も手術で使い果たしちゃった(※5)
「我が家の貯金では手術、入院費を到底払えなかったから、妻がお互いの両親を筆頭に、金策に走り回ってかき集めてくれたんです。だから少しでも楽させたくて、一刻も早く就職したかったんですよね。でもそれを妻に言ったら『私が一番楽になれる方法はアンタと別れることだわ!』だって(笑)。ほんと、頭が上がんないんだよね〜」

 

内定通知(※6)
でももし今回不採用だったら……。林さんはふたつのことを考えていた。
「実は前のクビにされた会社をやっぱり訴えてやろうとも思ってたんです。徒労に終わってもいい。そうでもしなきゃ僕の気が済まないと。でもそうなると転職活動をする時間も食われるし、無職でいればいるほど生活は不安定なままでしょ。もうひとつは、以前誘われたことのある、前の会社の同僚が興した会社に入ろうかとも考えていたんです。でもそれって、サラリーマンではなくて経営者ってことだから、リスクが大きい。もしダメになった場合、特に手に職があるわけでもないし、今まで"喋り"で食ってきたけど、これからはマシンガントークができるわけでもないからね。だから採用になって本当によかったですよ」


人間関係も良好(※7)
「上司は変わり者っていうか、いろんなものに手を出しすぎというか。だから先日、こう言ったんですよ。『悪いけど、部長、いろいろ手ェ出し過ぎですよ。私に本当に任せてもらえるなら、仕事を整理しますよ』って。そしたら『それでいいんだ。私もそう思う。どんどんやってくれ』って(笑)。そういうのを聞くと安心するんですよ。あ、波長が一緒だなって」

 
取材を終えて

喉の調子がまだ芳しくないにも関わらず、2時間ぶっ通しでしゃべり続けてくれた林さん。しかも、心臓病に脳梗塞、入院中のクビ宣告とシリアスな内容なのですが、取材室はかつてないほどの爆笑の渦に包まれました。

この、悲惨な現実も笑いに変えておもしろおかしく人に伝えられる能力も林さんの大きな武器のひとつだなと思いながら話を聞いていました。

現在、林さんは入社して約3カ月ですが、この会社でこのままずっと骨を埋める気持ちでやっていきたいと語っていました。

「就職も彼女と一緒だよね。縁があればくっつくし、縁がなければくっつかない。きっと、そういうものなんでしょうね」

最後に、つらかった転職活動を振り返り、ポツリと語ったひとことが印象的でした。体を大事にしながら、新しい会社の風雲児となるべく、頑張っていただきたいものです。

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