キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第33回 バトントワラー 高橋典子-その5-仕事とは自分を磨いてく…

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魂の仕事人 第33回 其の四
世界最高峰のショーの舞台へ ストイックなまでのプロ意識で 驚異的な肉体を維持
KAのアーティストになって3年半、出演したステージは1500回以上。その間、様々な出来事があった。中には命の危険を感じることも──。シリーズ最終回の今回は、シルクの一員としてKAに出演することの喜びとつらさ、そして高橋氏にとってバトンとは何か、働くということとは何かを語っていただいた。  
バトントワラー 高橋典子
 

命の危険を感じることも

 

 1500回以上も舞台に立っていれば、いろんなことが起こります。あるときは上から何かが振ってきて、目の前のバトンに当たりました。よく見ると長さ15センチの釘でした。頭に当たったらと思うとぞっとしました。

 中でも一番怖かったのは2007年9月のある日のショーでの出来事です。1回目のショーの戦いのシーンで、他の出演者に不意に頭を蹴られて倒れてしまったのです。その後踊らなくてはならなかったのですが、半分意識がないのが分かりました。休憩時間にある程度回復し、2回目のショーにも出たのですが、途中で頭の中がゆるくなる感じがして、気持ち悪くなり、演技中に意識が一瞬なくなりました。「もうこの一回が最後になるかもしれない」とまで思いました。初めて舞台の神様にお祈りしながらなんとか最後まで踊りきったのですが、この先も踊れるかどうか不安でたまらず、涙が止まりませんでした。終了後、理学療法士に診てもらったところ、脳震盪(とう)を起こしていただけとのことでした。

 確かに危険なこともあるし、気にはなります。ただ、釘の件にしても当たらなかったんだから怒ってもしょうがないし、脳震盪の件もそのときは怖かったですが、大事に至らなかったんだから辞めようという気にはなりません。

 そのほかにも停電したり、あるべきところにフルート(バトン)がないとか、いろいろと突発的なトラブルは起きるので、「うわっ!」となったときに咄嗟に機転を効かして対応しないといけません。私は頭の回転が遅いから大変なんですよ(笑)。でもこういうトラブルってKAが始まったころからよく起きているので、だんだん慣れてきて、どうやってこの場面を乗り越えていこうかと考えることを楽しめるような余裕も出てきました。

シルクのショーの中でも設備、装置、スタッフなど最大規模を誇るKA。それだけに一瞬たりとも気が抜けない(写真提供:シルク・ドゥ・ソレイユ)

マイナスをプラスに
 

 シルクには世界中の国からいろんな人が集まってきているので、価値観や考え方の相違から摩擦が生じることもあります。

 人から何か嫌なことを言われたときは、落ち込みます。でもそれは、きっと私に至らない点や足りないことがあることを気づかせてくれているのでしょう。私に何も落ち度がなければそういう態度も取らないでしょうから。そういうふうに言ってくれたことは自分で気づいていない何かを直すきっかけになると思うんですよね。だから、逆に私の至らない点を教えてくれたんだなと感謝するようにしています。もちろん、時にはそれを乗り越えるのにすごく時間がかかることもありますけどね。

 自分の周りに限らず、起きていることにはすべて意味があると思うんです。人間関係だけではなく、いろんなトラブルやアクシデントも困難な状況を乗り越える機会を与えてくれているとも言えるんですよね。そう考えると、トラブルでも、嫌なことでも、「神様はできない試練を与えないと言うし、人間として大きくなれる時なのかな」と思えます。だからあまりマイナスな気分を引きずることはないですね。きっと、自分は人間ができていないということがすごくわかっているので、そう思うのでしょう。

いろいろなトラブルや問題を抱えながらも前向きに自分の仕事をまっとうしようとしている高橋氏。しかし、根本的な点で、この先も同じ場所にい続けることに違和感を持ち始めているのだという。その真意とは──。
アーティストとしてのこだわりと
ビジネスの狭間で
 

 最近つらいと感じているのが、会社(シルク)と考え方がなかなか噛み合わなくなっているということです。というのは、私は、お金を払って観に来てくださるお客様の前で演技する以上、毎日その日にできることを精一杯準備した上で、本番の舞台に立ちたいと思っているんです。それでもときには失敗してしまうこともあるのですが、できる限りのことをしていればお客様には申し訳ないのですが、まだ自分では納得できますから。だから毎日早めに劇場入りして本番前に練習するんです。失敗する・しないに関わらず、とにかく自分ができる精一杯のことを毎日やりたいんです。

 こちらとしてはプロのアーティストとして完成度の高いものをお客様に見せたいのですが、会社としてはショーはビジネスとして成り立っていればいいという考えが意外に強いのです。ここ数年、シルクは拡大路線を取って急成長してきたのですが、ビジネス指向が強まった反面、クリエーション時のこだわりがなくなってきているのです。

 でもそのこだわりをなくしたら私は私ではなくなる……。儲かる・儲からないという問題ではなく、お客様に見せるんだから、できるだけいいものをつくって演じたいという気持ちが強いんです。だから最近、会社と噛み合わない感じなんです……。

自分が自分でいられなくなったら終わり
 

 また、バトン以外のところ、芝居をしなければならない部分が増えつつあることも大変です。2008年の1月ころ、ショーの中で、私に関わるシーンで重要な変更があったんです。しかし、演出家から具体的に「こうしろ」という指示がなく、どうすればいいか何もわからない状態で舞台に立たなくてはならなくなりました。

 何かをするときに、始まりから終わりまでの一連の流れがある程度イメージできれば、動きようもあります。でもそこにはストーリーがなく、始まりと終わりが決まっているだけで、その間のことが何も分からない状態で「舞台に立って、適当に何かやっておいて」と言われたんです。私には何のためにこの芝居が必要なのかがわからないまま適当に芝居をすることはできません。しかし、舞台に上がった以上何とかするしかないのです。これはつらかったですね。

 何とか演技を終えた後、やっぱりそのシーンは気になるから、終了後、録画を見るんです。具体的な設定がなくてもちゃんと芝居で埋められていればいいのですが、やはりなかなかうまくできていないわけです。こういう状況にまだ慣れていないので、舞台での動きをどうしたらいいかという悩みが常に頭から離れず、精神的にもどうしていいかわからない状態になりました。

 こういう状況でも、俳優さんだったらきっとうまく対処できるんだろうなと思ったりします。でも私は俳優としての経験もないので難しいところです。これまでのシーンやキャラクターはクリエーション時代からディレクターと一緒に作り上げてきたものだったので、あまり演じているという意識がなかったのですが、今要求されているのは「芝居をする力」なんです。まだ芝居ができるほどには自分の恥ずかしさの殻が破られていないのかもしれません。

 そもそもあの大きな舞台で俳優でもない私が芝居をすることはお客様に対して失礼だと思うんです。バトンなら胸を張ってできるのですが……。でも今は何とかしていくしかないので、自分なりに試行錯誤していくしかないと思っています。ひと皮向けるか、このまま終わるか、ひとつの勝負どころなのかもしれません。

 この世界は自己満足で終わってしまってはいけないと私は思っています。会社側が「その程度でいいよ」と言っても、自分が納得できなければダメなんですよね。自分の中だけで完結する競技バトンではなく、あくまでお客様あってのショーバトンなのですから。ちゃんと自分ができることを生かせる場所で仕事をしなきゃいけないと思っています。

自分を生かせる場所で仕事がしたい

 私は本番前の準備と終了後のケアにある程度の時間を割いています。本番前に早めに劇場に入って身体を動かしたり、通し練習をしたり。終了後は次の日のために体を整えます。

 すごいプロ意識? いえ、プロ意識というよりも、単に心配だからなんです。もっと身体の条件のいい人だったらそんなことをする必要はなく、本番10分前に準備体操して舞台に出て、終了後も何もしないで帰ってもいいでしょう。でも私の場合は、それでは自分がしなければいけない仕事ができないから、毎日やっているだけであって、それは「プロ意識があるかないか」ということではないでしょう。私にとってはやって当たり前のことなんです。

 だけど、シルクの中でも「普通だったらするでしょう」と思うことをしない人、「舞台に立つ人間としての意識が足りない人」はたくさん見受けられます。そういうところでがっかりすることはけっこうあります。

 会社がビジネス本位の考え方だからアーティストもパフォーマンスを高めたいという意識ではなく、ビジネスっぽくなってきてしまうのでしょう。特に最近入ってきたアーティストはその辺を深く考えていないように感じます。

 そういう中で活動するのをつらく思うこともあります。こういう人たちと働くのはどうなのかと思い始めたこともあり、今年1年、いろいろ考えようと思っています。場合によってはシルクを離れる選択をするかもしれません。やっぱり志の高い人たちの中、自分を100%生かせる場所で仕事をしたいですからね。

つらくて辞めたいと思ったことはない
 

 長くやっていればいろいろとたいへんなことや苦しいことはありますが、バトンそのものがつらくなったとか嫌になったということは一度もありません。もちろん辞めようと思ったこともないです。

 なぜか? 例えば、何か壁にぶつかったときとか、やりたいことができないときでも、簡単にできないと言いたくないんです。とにかくやれることは全部やってみたいという思いが強くて、なかなかできなくても必ずまだ他に何か方法があるはずだと思うんです。あきらめが悪いというか、しつこいんでしょうかね(笑)。もしかしたら壁を乗り越えるために、いろいろと方法を探したり、試行錯誤すること自体が好きなのかもしれません。元々こういう性格なのかもしれませんし、バトンをやりながら備わっていったものかもしれません。そのへんはよくわかりませんね。

 でも結局はバトンを回すことが大好きで、バトンを続けたいという思いが、いろんなつらいことよりも勝っていたということでしょうね。そもそもどんなことをやっていくにしても、何かしらつらいことがあるでしょうし。それがつらくて辞めていたら、きっとほかのことをやっても続かなかったと思います。

 だから、難しいことなのかもしれないけれど、長く続けられるものに出会えたことはすごく幸せで、ありがたいことですよね。自分にできることがひとつでもあってよかったかなと。いろんなことができる人と違って私はたくさんのことはできないけれど、バトンだけでも続けられてよかったと思います。

 そして、バトンを続けたことが人間形成に大きく影響しているとも思います。もしバトンをやっていなかったら違う人間になっていたでしょうね。これもバトンを続けられてよかったと思う大きな理由です。

バトン一筋30年超。まずは競技バトンの世界で頂点を極め、ショーに移ってからも世界最高峰の舞台で賞賛を浴びている。そんな高橋氏にとってバトンとは何か、高橋氏を突き動かしているものとは何か。そして彼女の瞳が見据える先には何があるのか──。
「アーティスト」よりも「バトントワラー」として
ショーの中、主役の恋人役という重要な役柄を演じている高橋氏。世界各国から集まったアーティストの中でも、ソロの演技を披露することを許されているのは高橋氏のみ。フルートをバトンに見立てて披露している高度で華麗な演技に、毎夜詰め掛けた多くの観客から喝采が送られている。

 KAのアーティストとしてのやりがいはいろいろあります。中でも、舞台の上で自分がイメージする最高のパフォーマンスができたときに得られる満足感に加え、観客からいただくエネルギーのようなものが自分の体を自由に動かしてくれていると感じられる瞬間があるんですよ。それがすごく不思議な感覚なんです。きっとこの仕事をしていなかったら感じられないことだと思うので、すごく幸せなことであり、うれしいことであり、今、最大のやりがいになっていますね。

 私の肩書きはKAのアーティストとも言えますが、自分ではバトントワラーと言いたいです。そのバトントワラーとしてKAのショーに出ることは、私にとって仕事という感じではあまりないんですよね。「仕事」というと、「生きていくためにしなくてはいけないこと」なのかもしれないですが、今私がしていることは、単に「仕事」と割り切って言えるものではないような気がします。

「私にとってバトンとは何か?」と問われれば、「自分を磨いてくれるもの」と答えます。現在もKAの舞台に立つことによっていろんなことを経験して、それ以前の私とは違った私になっていますし。そう考えると、仕事であると同時に、自分を磨いてくれるものであり、自分を成長させてくれるものだと思います。バトン=仕事となった今、自分を磨くことが、私という人間がこの世に生きるために必要なことなのかもしれません。

「自分を成長させたい」という気持ちは常に持っています。これまで私を突き動かしてきたのはこの思いです。バトンをやっていると、「これができたから終わり」ではなく、「これができるなら次にこれもできる」ということがわかります。終わりがないんですよね。人間も、自分が行き着きたいと思うところにはなかなか行き着かなくとも、そういう気持ちで歩み続けていれば成長もできるし、発展もできると思います。だからきっと人としての成長も終わりはなく、様々な可能性を試しながら、その過程を楽しみ、成長していくものなのでしょう。

人のために働ける人間になりたい

 仕事をするということは、もちろん生活してくためということもありますが、この仕事が私を育ててくれたバトン界の発展に役立つのであればこの上なくうれしいことです。KAにバトントワラーとして出演することで、少しでも好きなバトンを発展させることにつながればいいと思っています。

 自分が精一杯やった仕事が、誰かのためになっていればいいなとは思います。でも私は誰かのために何かができるというほどできた人間ではないので、誰かのためにやろうというよりも、まずは自分が精一杯する事が先になってしまいます。いずれは、そのような「人のために働ける人間」になれたらいいですね。

 日本に帰る可能性ですか? それは今のところありません。この仕事にやりがいを見いだせ、いい緊張を持って舞台に立つことができる限りは、続けたいと思っています。ラスベガスでの生活が気に入っているんです。のんびりと、ショーと練習と体づくりに集中できる環境はありがたいです。日本に帰ったら何かと忙しく、そうもいかないでしょうからね(笑)。

 バトン以外にやりたいこともたくさんありますよ。例えば、前々から思っているのですが、砂漠に行って緑を増やしたいだとか。今私がやっている仕事って、極論すれば世の中になくてもいい仕事なんですよね。人が普通に暮らすことができた上で楽しむ「余暇」の仕事ですから、人が生きていく上で絶対になくてはいけないものではない。だから人が生きるために本当に必要なことをもしできるなら、やってみたいという気持ちはあります。同じような理由で、バトンを引退して、歳を取ったら農業ができるところで暮らしてみたいとも思っています。

 ほかに私の個人的な夢というか願いとしては、素敵な人間になりたいなと思っています(笑)。


 
第1回 2008.8.4リリース 6歳からバトンの道へ 世界的バトントワラーのあゆみ
第2回 2008.8.11リリース 驚異的な強さで世界女王に 壁を乗り越え継続
第3回 2008.8.18リリース 地道な努力で開けた夢への扉 憧れのシルク・ドゥ・ソレイユへ
第4回 2008.8.25リリース 世界最高峰のショーの舞台へ ストイックなまでのプロ意識
第5回 2008.9.1リリース 原動力は終わりなき成長欲求 いずれは他人のために働きたい

プロフィール

たかはし・のりこ

1970年横浜生まれ。6歳からバトンをはじめ、全日本選手権には小学3年生で小学校低学年の部に出場、5位入賞。18歳の時トゥーバトンで初優勝して以降、グランドチャンピオンに輝くこと17回。全個人種目を制覇。同大会連続25回出場。世界選手権にも通算15回の出場、金メダル7つ、銀メダル2つ、銅メダル3つを獲得。この記録は現在も女子では破られていない。2004年にシルク・ドゥ・ソレイユと契約。シルク史上最大規模を誇るショー「KA(カー)」に主役級の役柄として抜擢。2004年11月からショービジネスの本場・ラスベガスのMGMグランドホテル内の特設会場で出演開始。これまで出演回数は1500回を超えた(2008年現在)。ショー中、ソロの演技を披露できる機会を与えられているのは高橋氏のみ。

【関連リンク】
●高橋氏ブログ
  のんのん太陽の下で

●シルク・ドゥ・ソレイユ

1984年にカナダで生まれたサーカス集団。フランス語で“太陽のサーカス団”(CIRQUE DU SOLEIL)という意味。40カ国・3,500人が在籍、年間チケット売上4億5,000万ドル超。サーカスと大道芸を融合させた新しいエンターテインメントショーを公演しており、全世界で4,000万人がシルクのショーを最低1回は観たといわれている。日本でも『サルティンバンコ』、『アレグリア』、『キダム』などは、大勢の観客を集めている人気のショー。2008年6月には東京ディズニーリゾート内に日本初の常設劇場「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」が完成。10月1日から新作ショー「ZED(ゼッド)が開演される。

●KA(カー)日本語版
英語版

シルク・ドゥ・ソレイユ始まって以来、最大規模といわれるショー。ラスベガス・MGMグランドホテル内の専用劇場は、総制作費187億円、観客席1951席。165人のスタッフと90人の出演者が毎日2回のショーを行っている。舞台装置も圧巻で、特殊装置を備えた広さ70畳、重さ175トンの巨大な舞台が自在に動き、さまざまなものに姿を変える。そんなとんでもない舞台で演技を繰り広げるアーティストはまさに超人。また、シルクの中で唯一ストーリーをもつショーとしても人気を博している。

●トワルアイバトン教室
高橋氏を世界トップクラスのバトントワラーに育て上げたバトン教室。旧・高山アイコバトンスタジオ。

 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
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