キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第16回 機動救助隊長 宮元隆雄さん-その二-災害現場の最前線に行…

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魂の仕事人 魂の仕事人 第16回 其の一 photo
災害現場の最前線に行きたい 人命救助のプロ・レスキュー隊へ 極限の現場で大きく成長
 
ポンプ隊員、はしご隊員を経験した後、さらなる高みを目指し、全国の消防士の憧れ「レスキュー隊」に挑戦した宮元氏。特訓が実を結び、狭き門にもかかわらず、一発合格。ここから、人命救助のプロとしての本当の戦いが始まった。
東京消防庁第二消防方面本部 消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー) 機動救助隊長 宮元隆雄
 

救助活動の最前線を目指しレスキュー隊へ

 

 20歳のとき、レスキュー隊に入りたくて選抜試験を受けました。やはり人命救助において、知力、体力、技術、すべての面でトップといえばレスキュー隊だと思ってましたから。災害や事故現場の最前線、最先端で活躍できる隊員になりたいと。

 当時は割と早く一般の消防士からレスキュー隊に行けたんです。でも私はそれは嫌だった。同じ寮に、レスキューの資格を取ってすぐレスキュー隊に異動した先輩がいたんですけど、実際に燃えている火災の現場をあまり経験しないで行っちゃったから、それで本当に大丈夫なのかって思ったんですよね。

 レスキュー隊というのは、誰よりも先に火の中へ入っていく。十分な経験なしにそういうことができるのかと思ったんですよ。だから上司に、お前もレスキューの試験を受けて研修に行けって言われた時に、レスキューへの憧れはあったのですが、あえて、1年間待ってくださいって行かなかったんです。もっと現場、ポンプ隊の火を消す方の経験をしたかったんです。もう少し自分も消火の経験を積んで、自信がつかなければ、救助活動におけるトップであるレスキュー隊でやっていけないんじゃないかと。ただ名前だけのレスキュー隊員になってしまうように感じていました。

 そして1年後、試験に合格するために、非番の日に走りこみ、懸垂、腹筋、腕立てなど、試験科目に合わせたトレーニングを始めました。それだけに合格したときはうれしかったですね。でもそこからがつらかった。合格した後、約1カ月半、知識、実技ともにより高度な救助活動を行うためのレスキュー研修を受けたのですが、この訓練が厳しかった。朝から晩まで毎日訓練漬けで、手の皮がむけるくらいは当たり前。へとへとになった訓練後も翌朝の訓練の準備や座学の予習復習などで寝るのは深夜でした。でもレスキュー隊員としてより災害や事故の最前線で人命救助がしたいという目標があったので頑張れました。

災害現場を再現した消防救助機動部隊の訓練場。ここで日夜厳しい訓練が行われている

厳しい研修を乗り越え、レスキュー隊員の資格を得た宮元氏。かといって、すぐに憧れの「オレンジ」を着れたわけではなかった。正規のレスキュー隊員になれたのは、その4年後だった。

つらく、苦しかった予備隊員時代
 

 まずは、当時勤務していた矢口消防署にはレスキュー隊がなかったので、レスキュー隊がある消防署への異動願いを出しました。それから2年後に芝消防署への異動が決まったのですが、正規のレスキュー隊ではなく、予備隊員として配属されたんです。

 芝消防署へ配属されたばかりのころはつらかったですね。自分の技術や体力が追いつかないんですよ。レスキュー隊は知力・体力・技術力、すべてにおいてレベルが高いですから。いくらレスキューの研修を受けたとしても、普通の隊員として働いていた人間が、異動したとたん高度な知識と技術を求められるわけですからね。

 しかもレスキュー隊の証であるオレンジの制服を着ていたら、一般の人や火災現場にいる人にとっては正規も予備もなく、「レスキュー隊員」ですから。オレンジの制服を着ている以上、正規隊員と同じ技術と知識を持ってる人間としか周りの人は思わない。それにふさわしい自分を作らなきゃいけないわけです。でも追いつかないんですよ、そんないきなり、すぐには。だからそこに追いつくまでがキツかったです。肉体的にも精神的にも。

2年後にようやく追いついたかな?
 

 追いついたかなと思ったとき? 先輩が無言でうなずいたときですかね。先輩は叱咤激励の意味でも、結構厳しく注意とか説教をするんですよ。一番厳しい災害の現場で人命救助をする、さらに自分や他の隊員の命もかかっているから当然なのですが。そうやって先輩から言われている間は「なにくそ」と思って頑張ってました。いつか先輩に追いついてやるぞって頑張っていくうちに、だんだん追いついてくるんですよ。自分でもわかるんです。そうなったら、先輩の言い方とか、態度でわかるんですよ。そういうのはあまり口にしないですけどね。それで「追いついた」と思ったら、今度は「抜いちまえ」って頑張る。

 完全にではありませんが、多少なりとも追いついたかなという感じにはなるまでには2年はかかりましたね。本来なら着任してすぐにそうならないといけないと思うんですが。

2年間予備隊員として経験を積み、自信をつけた宮元氏は、1987年、25歳で晴れて正規のレスキュー隊員となる。人命救助のプロとして経験を積む中で、一般の消防士とレスキュー隊の違いを身体で覚えていった。

消防士とレスキュー隊員の違い
 

 一般の消防士もレスキュー隊員も、どちらも災害の現場に行くのは同じ、そして人の命を救う、燃えているところを消そうという気持ちも同じです。ただ、違いがあるとすればその役割ですね。

 レスキュー隊は、消防の第一目的である人命救助の現場で、先頭に立って行くっていうことですね。例えば、火災の現場でポンプ隊員が燃えてる建物の入り口でホースを持って待機してたら、そのホースを活用して、即座に判断し、進入するのがレスキュー隊。燃えているものの近くまで行って、順序良く水をかけなきゃ炎は消えない。遠くから水をかけても効果ないんです。どこに当たってるかわからないですから。

 やっぱり、普通のポンプ隊だと、煙が充満してて、真っ暗で先が見えないところへはなかなか入れないんですよ。どうしても躊躇しちゃう。暗闇の中だと、5メートルが10メートルにも15メートルにも思えますからね。

 そこをレスキュー隊は、真っ暗で、ライトで照らしても足元しか見えなくても、体全体を使って感じ、最善策を考え、進入します。でも、ポンプ隊が行けないところに行けるというのではなくて、ただ経験の差だけなんです。

 私も若い頃に、先輩が先頭に立って行くぞって言ってくれたから、その後について行けたんです。レスキュー隊として最前線にいられるっていうのは、その「行く、行かない」を数多く経験できるってことなんですよ。ポンプ隊員は、その経験が多い人もいれば少ない人もいる。若くて全く経験のない人もいる。それだけの違いなんですよね。

 真っ暗闇の煙の中に入っていくような経験をどれだけ先輩からさせてもらっているか。そういった先輩からの継承、経験の蓄積っていうのが自分を作ってるんじゃないかと思います。最初からやれっていっても無理です。

 例えば、木造建築の火災の場合、建物や燃え方の状況によっては、消火中に2階の床が抜けることがあるんです。その、床が抜ける限界がどのくらいなのか、ここまでは大丈夫、ここから先は危ない、というのは、周りの状況を把握できないとわからないんですよ。こういう場合は壁沿いに行けば大丈夫とか、そういう判断は自分の体験が元になってます。

訓練に裏打ちされた自信
 

 また、一般の消防士と違う点は日々の訓練の中身ですね。レスキュー隊の訓練は、人命救助を目的として行われています。火災現場はできて当たり前。常にプラスアルファを求めているので、常に厳しく、正確で、冷静でなければなりません。

 例えば真っ暗な空間で煙を炊いてとか、実際にボイラーを炊いて室内の温度を上げた中で訓練したり。そんな中、天井に水を放水したりね。そうすると天井からやけどしそうなほど熱い水滴が顔に落っこちてくる。そういったより火災現場に近い状態の中での訓練でも、一般の消防士以上のことを求められ、解答を出さなければなりません。その積み重ねが自信になってると思います。また自信がないと救助活動なんてやっていけませんし、そういうところが違うんだと思いますけどね。

一般の消防士がなかなかいけない、より厳しい災害・事故現場の最前線で救助活動を行うレスキュー隊。それだけに危険度も増す。宮元氏も一歩間違えば……という経験をしていた。

呼吸ボンベの残圧がゼロに
 

 かなり昔の話ですが、火災現場でヒヤっとしたことがありました。煙が充満する建物の中に突入するときに、中で呼吸できるように空気ボンベを背負って行くんですけど、その空気の残圧がほとんどなくなったことがあったんです。

 あのとき私は、レスキューの資格はもっていましたがまだ正式には配属前で、はしご隊員でした。23か24歳のころですかね。火災が起きて出場がかかったのですが、その日はたまたまレスキュー隊の欠員が出た日で、予備隊員として火災現場に向かったんです。

 火災建物の中は煙が充満してて真っ暗闇で、消火しながら逃げ遅れた人を探していたのですが、建物内は放水ホースでぐちゃぐちゃになってたので自分がどこにいるのか分からなくなっちゃったんです。そうこうしている間に空気ボンベの空気が残りわずかになっちゃった。そのとき2階にいたのですが、隊長が私の首ねっこをつかまえて、「こっちだ!」って、ぽーんと投げたら、運良くその先に階段があって、どどどどどーって降りて外に出られたんです。外に出たときはボンベの中の空気がほとんどなくなってました。

 いろんな条件が重なってそうなったんですが、結局、自分がいけないんですよね。これも経験のなさだと思います。でもそれがあったおかげで、常に自分のボンベの残りを確認するとか、隊を絶対に離れてはいけないとか、身に染みて分かりましたしね。自分の体がそれを覚えたんで、忘れることなく、以後、プラスにしてやってます。

 逆に、満足してしまう現場なんてないです。消火して救助できた火災でも、ほかにもっといいやり方がなかったかとか、条件が変わっていたらどう対処したらいいかなどを考えますね。

現場は生きている
 

 レスキュー隊として「一人前」というのはないんじゃないかと思います。なぜかというと、現場は生きてますから。「Aという災害が10日後にまた起きる」というんだったらそれに対応できますけど、火災とか、人を助ける現場っていうのは、絶対に、二度と同じ現場はないですから。

 現場が変化するのと同じく、人間も成長しないと次の現場で100%の力を出せません。だから日々勉強です。このような中で、常に百点満点の活動を実行しようとしている私には「一人前」という言葉はありません。しいていうならば、退職するときに、「我が消防人生に悔いなし」と思えたときでしょうね。また、そう思えるようになりたいと考えています。

 人にある程度指導できるようになったかなっていうのは、レスキューに入って3、4年後くらいですかね。その頃になると後輩が入ってくるので、今度は前に出て、その後輩を連れて燃えている建物に入らなければならない立場になりますから。

 

さまざまな過酷な現場で救助経験を重ね、着実にレスキュー隊員として力をつけていった宮元氏は、37歳でレスキュー隊の隊長に就任。そしてその5年後の2004年にはついに消防救助機動部隊、通称ハイパーレスキューの隊長に抜擢された。

次号はハイパーレスキューならではの救助活動などについて熱く語っていただきます。乞うご期待!

 
2006.11.6 1.自分の性格に最も合っていた 消防・人命救助という仕事
2006.11.13 2.レスキュー隊へ 極限の現場で大きく成長
2006.11.20 3.人の死に直面しても あえて引きずらない
2006.11.27 4.ひとりでも多くの 笑顔を見るために

プロフィール

みやもと・たかお

1962年鹿児島県生まれ、44歳。

高校卒業後、東京消防庁消防学校に入学。半年の訓練を経て19歳で大田区矢口消防署に配属。以後、ポンプ隊員、はしご隊員、レスキュー隊員、レスキュー隊隊長を経て、2004年4月、東京消防庁第二消防方面本部・消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)機動救助隊長に就任。以後、6人の精鋭隊員を率い、災害・事故現場で人命救助と訓練に励んでいる。

主な経歴は以下のとおり。

19歳 消防学校入学
大田区矢口消防署に配属。

21歳 レスキュー隊の試験にパス。

23歳 港区芝消防署へレスキュー隊の予備隊員として赴任。

25歳 正規のレスキュー隊員に。

33歳 消防士長として目黒消防署へ。

37歳 消防指令補として麹町消防署へ。レスキュー隊隊長に就任

41歳 ハイパーレスキュー隊長として第二消防方面本部・消防救助機動部隊

 
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