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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第21回(前編) 森田さやかさん(仮名)33歳/法務
33歳からの方向転換 前向きな気持ちと「出会い」が 苦渋の日々をあっさり変えた

弁護士を目指し、大学卒業と同時に司法試験にトライし続けた森田さやかさん(仮名)。3度に及ぶ挑戦もかなわず、断念。法律事務所で働くことにした。しかし、小規模の事務所では、未来が見えないことに気づくのにそう時間はかからなかった。できれば法律に関わる仕事を続けたいと願う森田さんの将来は、風が吹くままにひらめく一枚の葉のような状態だったのだ。

ありふれたアクシデントが
思わぬ大事件に発展
 

 それは、ほんのアクシデントに過ぎない、ありふれたできごとのはずだった。

 法律事務所に転職してまだ1カ月ほどだった森田さんは、まだ業務を完全にこなすことはできないでいた。その日もちょっとしたミスで席を立とうとした瞬間、右腕に激痛が走った。

「バシッ!」

 森田さんを制止しようと、隣にいた同僚の女性が彼女の腕を叩いてしまったのだ。その力は思いのほか強く、思わずその場にうずくまってしまうほどだった。

 同僚の行為自体は悪意のあるものではむろんない。しかし、その後叩かれた箇所は今まで見たこともないような青あざになり、痛みも引かなかった。念のため医者に診てもらったところ、全治10日という診断が下されてしまった。

 問題はそこからだった。叩いた同僚からはなんの謝罪もなかった。さらに一応業務上でのアクシデントなので、医師の診断書を上司に提出したところ、彼はあからさまに不機嫌な顔になり、威圧的にこう言った。

「こんなモノを出してきて、一体どういうつもりなのだ」

 単なるアクシデントだったことは森田さん自身も認めている。それをとやかく申し立てようというのではない。ただ、森田さんとしては、業務上の事故があったことは明らかにしておきたかったし、せめて叩いた同僚に対して上司が注意なり、何らかの対応をしてくれればそれでよかった。

 だが、上司の対応は、予想外だった。

「このことはきみの親にも知らせたのかね?」

上司は明らかに、この事故をなかったものにしたがっている。私や私の両親がこの件を訴訟のネタにすると考えて恐れているのだ──。

 森田さんは、従業員一人ひとりのことではなく、事務所の体裁だけを考えるこの上司の態度を見て、身体の中の血がすっと引いていくような感覚に襲われた。

 これは、ありふれた事故ではない。事務所がそこで働く者たちに向ける態度の象徴なのだ。なぜ事務の人間と受付の人間との関係がぎくしゃくしているのか。なぜ正社員とパートとの仲が冷たいのか。入社後3カ月に満たない森田さんにも、その理由が見えてきたように思えた。

 以前勤めていた法律事務所も決してよい労働環境とは思えなかったが、それでも6年間勤め上げた。そんな森田さんだったが、この新しい職場はすぐにでも辞めるべきだと考えるようになった。

司法試験をあきらめ法律事務所へ
 

 学生時代から法律家を目指していた森田さんは、大学卒業時には就職はせず、アルバイトをしながら司法試験に挑戦していた。「3回までは挑戦させてほしい」と両親を説得し、また自分もそれを限度として頑張ることに決めていた。

 アルバイトは、当初はゲームソフトなどの販売(※1)をしていたが、勉強しながらでもよいということでパート採用してくれた法律事務所に入り、そこでパラリーガルの仕事も経験することができた。裁判所に提出する文書のタイピングから訴訟手続きなどの書類作成、裁判で必要な資料の収集など、一通りの仕事は任せられたので、とりあえず法律事務所の業務の一通りはできるようになった。

 その後、司法試験は最終合格には至らず、アルバイトではなく正規の仕事をしなければと、新聞広告を見て正社員を募集している個人経営の法律事務所に就職。新しい職場では、6年間働いた。

 

「給料の支払いを忘れるなどとんでもないことが多々あったり、仕事は忙しく、大変な思いもしましたが(※2)、当時としてはまだ珍しかった知的財産権や企業倒産、M&Aなどを扱った案件も多く、いろいろと勉強をさせたもらったと思っています。ただ、どうしても小規模だったので、これ以上のキャリアアップ、つまり昇給や待遇などは望めないばかりか、弁護士の先生が引退することになれば、そのまま私たちも失業することにもなります。そこで、さまざまな業務の引き継ぎなどが済んだ段階で退職し(※3)、もっと大きな法律事務所、せめて共同経営の事務所で働きたいと考えるようになったんです」

アルバイト期間の1か月で
業務を完璧に!?
 

 森田さんは2006年の4月に退職。インターネットで見つけた人材紹介会社に登録をしつつ、新聞の求人欄に掲載されていた弁護士事務所に応募。その中で、弁護士が約20名、事務局がパートを含め約40名という法律事務所から5月の連休明けに内定を獲得。6月の入社ということになっていた。

 当初希望していたのは、これまでの経験が活かせる法律事務職だったが、必要だといわれたのは受付業務。しかし、これまではあらゆる業務をこなさなければならない小さな事務所にいたので、受付も経験もあり、人との応対の仕事は嫌いではない。スタートとして問題はなかった。

「法律事務所としては大きなところでしたので、例えどんなところでも、とにかく3年は頑張ってみようと考えていました。もともと楽天的に考える方でしたし、何にしても前職よりはよくなるだろうという期待がありました」

 しかし、入社する前から、森田さんが聞いていた話と食い違いが露呈。正式入社は6月という話だったが、前任者の退職の関係で、急に8月からの入社となり、それまでの間はアルバイトとして来て、仕事を覚えてほしいというのだ。

 研修的な意味だと思えばそれも仕方ないと7月から出社した森田さんだったが、まず驚いたのが、正式採用となる8月までに業務のすべてを完璧にこなせるようにと言われたことだった。

 

「聞けば、これまで受付はパートやアルバイトの人がやっており、正社員は私が初めてだということでした。8月からはアルバイトに指示を出す立場なのだから、すべてをきちんとこなせるように、というのです」

 法律事務所の業務は煩雑で、臨機応変な対応が必要であり、「1カ月で完璧に」という要求は、個人の資質がどうあれ、実質的にはかなり困難なものだ。実情を踏まえた対応が必ずしもできてはいないのではないか。森田さんはまずそう感じた。しかも、仕事はそれだけでは終わらなかった。事務所に来てすぐに気づいたことなのだが、受付の人たちと事務の人たちとの関係が良好とはいえず、仕事のやりとりが、どこかぎくしゃくしているようなのだ(※4)

「受付に正社員として私を配属したのは、事務と受付のこじれた関係を修復するという思惑もあったんだなと気づきました。そうなるとただ業務を完璧に覚えるほかに、対人関係の調節もしなければならない。これは覚悟しなければならないなと感じました」

面接時の話と全然違う!
昇給のしくみにただただ呆然
 

 森田さんの予想通り、仕事は日に日に苦しい状態になっていった。「1カ月で完璧に」という無理難題を実現させようと、上司は常に森田さんの仕事ぶりに目を光らせる。

「例えば、指示した仕事がその通りに処理されていないと、すぐさま叱責されます。確かにこなさなければ業務の多い部署ですが、私にはその指示が全体を見渡したなかでの適切な指示とは思えず、自分なりに仕事の総体を考えての処理を考えていたつもりだった場合もあるのですが、その意見は通らず、一方的な指示ばかりで。『これまでの経験を活かして迅速に』と言う言葉と、『ここでのやり方を勝手に変えないで』という言葉が交差して、私としては、途方に暮れてしまいました」

 職場の人間関係の構築、仕事の振り分けや責任の所在が曖昧なまま、実際に大量の業務をこなさなければならないために、どこもかしこもぎくしゃくしているのではないか。しかし、それが返って人間関係を悪化させているのではないか。森田さんはそう思っていた。

 7月はあわただしく過ぎ去り、8月に入って、正社員となるにあたっての条件を記した書面が配布された。これを見て、森田さんは仰天した。

 

「面接の段階では、給与は年齢・経験を考慮するとはいわれていましたが、実際は短大卒程度の初任給と同額で、就業規則にある年齢給にも届いていませんでした。結局、年収は100万円ほどダウンしました。さらに、就業規則では年齢が高くなるにつれ昇給の幅が押さえられているうえに年齢の上限も決まっているので、10年以上勤務したとしても前職の年収に追いつくかどうか、あやしい状態でした。前職よりかなりの年収ダウンは予想していたのですが、『毎年きちんと昇給する』と言われたので、それを信じて、事務所の将来性を買って入社を決めただけに、さらにショックでした」

 しかし、今さら嘆いてもしょうがない。とにかく3年は頑張ってみよう。仕事で認められれば何かが変わるかもしれない。そう思いつつ業務に没頭した森田さんは、業務の改善を図り、アルバイトと正社員との橋渡しになろうと上司に提案をしてみた。時間管理をもっとしっかりすること、無理のないスケジュール調整をすること、クレーム対応などは責任ある者が率先して行うこと……。しかし、それぞれの担当者が抱えている仕事が多く、なかなか迅速な改革ができない。結局、その場限りの責任のなすり合いでことが終わっている状況で日々は過ぎていった。

 3年はなんとしても、と考えていた森田さんではあったが、こうした人間関係、昇給などの期待もできないこの職場で、果たしてこれからずっと頑張れるだろうかと不安を抱えていた矢先(※5)、受付業務での怪我というアクシデントが起こった。

「医師の診断書なんて、提出してどういうつもりだ」
「このことはきみの親にも知らせたのかね」

 事務所と自分たちの保身しか頭にない上司の対応。森田さんは、ただ夢中で飛び込んでしまった場所が、考えていたものとはことごとく違っていたことに大きな失望感を覚えた。このままここにいていいのだろうか。しかしまだ入社して1カ月しか経っていない……。森田さんは悩んだが、決断を下した。

 

「確かに1カ月程度での退職は大きなマイナス要素だとは思いました。しかし、職場の状況や業務内容、将来性を考えた場合、早く見切りをつけなければかえって状況は悪くなる。そう考えて、一歩を踏み出そうと決めたんです」

 司法試験制度が大きく変わっている現在、大きな法律事務所で働くには、より厳選された人材に限られる方向にある。司法書士や弁理士といった高度な法律知識が認められる資格や専門レベルの英語力などが不可欠になっているとも言われている。そんな中、森田さんの場合、法律事務所での業務経験はあるものの、必ずしも高く評価されるカードをもっているとはいえない。しかし、だからといって、将来の見えないこの場所にずるずるいても……。

 きっとなんとかなる。少なくとも今、ここにとどまるよりも前に進んだ方がいいはずだ。森田さんは、とにかく次のステップを踏もうと決意した。

 
プロフィール
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埼玉県在住、33歳。大学卒業後司法試験に挑み、3年間勉強を続けるも失敗。受験勉強をしていた期間、アルバイトとして働いていた法律事務所の経験を活かし、その後、個人経営の法律事務所に正社員として入社。そこで6年間働くが、個人経営の事務所では、それ以上のキャリアアップは見込めないと弁護士、事務職を含め総勢60人ほどの法律事務所の受付に転職。しかし、職場環境や人間関係になじめず2カ月程度で退社。現在はIT企業の法務職として精力的に業務をこなしている。

森田さんの経歴はこちら
 

ゲームソフトなどの販売(※1)
森田さんは、もともとwebのコンテンツ、例えばオンラインゲームなどを趣味としていることもあり、とりあえずと始めたのがゲームソフトの販売のアルバイトだった。こうした森田さんの趣味嗜好は、後々就職する上で大いに役立つことになる。(詳しくは後編で)

 

大変な思いもしましたが(※2)
企業倒産の案件を扱っていた時期は、消費者、労働組合、果ては暴力団関係者からの電話などの応対で1日が終わるという日々が続いたという。「その分、社会経験もさせてもらったとも思っています」。

 

退職し(※3)
最小限の人数で業務をこなすため、1人でも休むと全体の仕事が滞る。そのため皆、無理しても出勤していたため、森田さんは風邪をこじらせ、気管支炎にまでなってしまった。その上、体調不良と仕事のプレッシャーとの狭間で気分的にも落ち込んでいき、ついには、鬱病の症状まで出てしまった。「そのことも仕事を変えなければならないかもしれないと思う一因になりました」。

 

どこかぎくしゃくしているようなのだ(※4)
例えば、来社したクライアントを長時間待たせるというような不測の事態が起こると、事務局と受付それぞれがお互いの処理の悪さのせいにしようとする。その結果、人間関係が悪化していってしまうのだ。これが森田さんから見た職場の様子だった。

 

不安を抱えていた矢先(※5)
退職を決心したのは、受付でのアクシデントがあったことが直接の原因だったが、森田さんは正社員となった8月の半ば頃から、転職を意識しており、取りあえず情報の収集だけは開始していた。

 
 
 

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