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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第19回(前編) 澤田果歩さん(仮名)32歳/事務職
4度目の転職で出会えた天職 32歳でのキャリアチェンジ 年収100万円アップは あくなき向上心が成功させた

業種にはこだわらない。収入アップは理想だが、場合によってはそれすらこだわらない。条件はひとつだけ。自分が成長できない仕事を漫然と続けることだけはご免だ。そんな考えの上村啓太さん(仮名)は、ファーストフード会社から始まり、転職を重ねる。先に見据えるのはただやりがいの持てる仕事に打ち込む自分の姿。それだけだった。

ステップアップを目指せると
入社した会社の行き詰まり
 

「いつ私を店長にしていただけるのですか」

 上村さんは、しびれを切らしていた。店長とは、仕事の上では昵懇の仲。仕事のことは何でも相談していたし、また時には意見の食い違いでケンカ腰の言い争いをしたことすらある。そんな仲だからホンネの話ができる。そこで、直球で店長に相談することにしたのだった。

「うむ……。もうしばらく、もう少しだけ待ってみてくれ。次はキミだということは、上の者も考えているはずだ。ただ、今は業績が悪い。それだけなんだ」

 上村さんが予想していた通り、店長の答えは歯切れが悪かった。

 大手食品スーパーの精肉部門の主任を務めていた上村さんは、会社の経営が危ないことを心配していた。親企業の業務悪化のあおりをモロに受け、月に1店舗の割合で閉鎖が始まっていたのだ。それまで店長だった人たちが、こぞって残った店の主任として下ってきた。2005年の暮れも押し迫る頃のことだった。

 自分に能力が足りないために昇進できないのなら、評価が得られるまで努力もしよう。だが、今はそうではない。それなりの実績も出しているし、実力も認めてくれているではないか。それなのに先に進めないというこの場所にいつまでも居残ってよいとはとうてい思えなかった。

「だから明確な答えがほしいんです。よいならよい、ダメならダメ。それだけ答えていただきたいのです」

 キッパリと訴える上村さんに返ってきた回答は、「後3カ月ほど待ってくれないか」というものだった。会議にはかけているんだ。結論がまだなんだよ……。似たような答えはすでに何度も聞いている。もう決断するほかはなかった。上村さんその晩、退職願を書くことにした。次の就職先が決まっているわけではない。しかし、この道が行き止まりだと知ったのなら、ここにいる意味がない。

「キミは、もともと実力や能力があれば、どんどんステップアップできるという社風が気に入ってウチに来たんだったなあ……」

 店長は、上村さんの肩に手を置いて、最後にそうつぶやくように言った。

カプセルホテルで仮眠を取る
激務に耐えた1年半の日々
 

 上村さんは、もともとホスピタリティという言葉に魅力を感じていた。人を相手にする仕事、人を楽しませ、満足させるような仕事をしたい。そう思っていた。

 そう考えるきっかけとなったは、大学時代に働いていた人気テーマパークのアルバイトだった。それは子どもたちや若者を案内する役、アトラクションの進行をする役で、マニュアルのある仕事ではあったが、自分なりに工夫して、訪れる人たちをより楽しませること、ほかのスタッフとより効率的に動くための方法を考えること。これは、上村さんにとって、ただ言われたことをこなすだけの仕事よりもはるかにやりがいのある仕事だった。

 そして、仕事に慣れると、次第に任される領域が広がってくる。単純なアトラクションの管理から、次第に数十人のアルバイトのリーダーのようなポジションも任されるようになる。昨日と同じ仕事ではつまらない。昨日できなかった仕事が今日はできるようになる。明日はもっとすごいことができるようになるだろう。そういう日々の新しい刺激、常に上に向かっていくことが、なによりの喜びだった。

 だから大学卒業後は、人にサービスする仕事に就きたいと大手のフードサービスを選んだ。そして新しいことに挑戦できる新規事業部の配属を希望した。新規事業とは、急成長の兆しを見せていたデリバリーのお弁当を扱う店だった。ここで働けば、実力いかんですぐにでも店を任せてくれるようになる。それが志望動機だった。

 

「しかし、実際に働き出してみると、想像以上に過酷な職務環境でした。店の営業は朝9時から22時までですが、店に入るのは6時ごろ。夜、最後の配達が終わるのがおよそ23時。アルバイトたちをその時間に帰し、私や店長はそれから営業日報をつけたり売り上げ計算をしたりして、結局夜中の2時頃まで店にいることになります。それから遅い夕食を取り、翌朝6時には店に入らなければならないので、家に帰ることができません。寝泊まりは近所のカプセルホテル。睡眠時間は1、2時間程度という日々が続きました」

 売れ筋商品の把握や在庫管理の徹底など、仕事を覚えるにつれ、店の売り上げが上がる。それはやりがいのあることではあったが、なにしろ連日徹夜に近い業務。これでは身体が持たない(※1)。1年半が限界だった。退職したものの、次の転職先はまだ決まってはいない。しかし膨大な残業量、しかも使う暇がないくらいの忙しさで貯金はかなりたまってたので、それを使いながらじっくりと腰を据えて新しい仕事を探すことに決めた。

 
人にサービスしたいと見つけた
ホテルマンの仕事
 

 退職後は、転職情報誌で次の職を探しつつ、社会保険労務士や宅建の資格を取得。それも別に焦りを抱いて無理に勉強したわけでも、将来の設計を立てた上での計画的な資格取得でもない。ただ漫然として、刀をさびつかせるのが嫌だったというだけの理由だ。

「じっとしているのが嫌な性分なんです。比較的短期間で取得できたのは、ファーストフード時代、寝泊まりしていたカプセルホテルで資格取得の勉強をしていたのがよかったんでしょうね」

 そうした時期、上村さんの目に止まったのは、ホテルのドアマン、ベルボーイの仕事だった。かつてアルバイト時代から考えていた、人にサービスを尽くす典型的な職業。学生時代は英語を勉強していたので、それを生かすのにも適当だと考えて、早速転職を決めた。

 

「しかし、これは大きな誤算でした。ドアマン、ベルボーイは、お客様がいらしたときのほんの一瞬の仕事です。勤務時間のうち、実労は2時間程度でしょうか。待機時間は、テレビを観たり、本を読んだりするだけ。私としては、ロビーの掃除でも電話番でもしたいくらいだったのですが、それも決まった担当者がいるので、勝手にやることもできません。ちょうど長野オリンピックを放送している頃でしたが、そんなテレビを観ながら自分はここで何をしているんだろう、と思っていました。20年後もここで自分は、こうしてオリンピックをぼんやり観ながら、決まり切ったような仕事をしているのかと想像すると、ちょっと耐えられない気分になったんです」

上に向かうポジションのある仕事にこそ
やりがいを感じる
 

 結局ホテルはわずか1カ月で退社。再び転職情報誌で見つけた大手食品スーパーマーケットに入社、精肉売り場で働くことにした。

ここを選んだのは(※2)、当時、県内の出店を積極的に進めており、実力が認められれば、どんどん昇進させてくれると聞いたからでした。そこで、まずはだれよりも早く売り場主任になってやろうと頑張りました」

 上村さんは、人を出し抜いて偉くなろうという野心があるというより、常に上を目指して頑張ることに満足感を見出すタイプだった。常にチャレンジすることそのものが生きがいであり、仕事もそういうものだと考えている。そこで、だれに頼まれるのでもなく、自分からできることをどんどん進めていく。ひとつのことができるとさらに先へ進もうとする。ポジションアップは、次のチャレンジ目標だった。だから、逆に向かうべきポジションが用意されていない場合、その仕事、その職場はどんなに高収入であろうと、どんなに安定していようと興味が失せてしまう。

 

「昨日と同じ決まりきった仕事しかできないとなると、仕事をする意欲が減退してしまうんです。ですから店舗拡大を目指している会社ということで大きな期待がありましたね。自分にやる気と能力があればどんどん新しい仕事が与えられるだろうと思ったのです」

 上村さんは入社後、まずは売り場の主任を目指し、スタートからダッシュした。

「精肉売り場では肉を正確に切る技術も必要です。管理職である主任といえども、現場での技術が伴っていなければなりません。そこで休みの日を返上して店に行き、ひとり黙々と肉を切る練習をしたりしていました」

 朝6時に店に入り、夜12時に終わるというかなりハードな職場で、同時期に入った人は次々に辞めていった。売り場の先輩が、また今期も何人が消えたな、と当たり前のことのようにぼやいている中、むしろ生き生きと仕事をしている上村さんは特異な存在に見えたようだった。ある時、キミは辞めたいとは思わないのかね、と先輩に聞かれたところ、「前職では夜中の3時まで働いていましたから」と涼しい顔で答えると、今時珍しく根性のあるヤツだなと感心された。

 仕事は、肉を切って売ることはもちろん、販売促進のためのプランづくりまでさまざまだった。仕事をひとつずつ覚え、さらに利益を上げることを考えることは、それ自体が毎日の当たり前のように流れる仕事をよりやりがいのあるものに変えてくれた。

 連日の激務に加え、休日返上で働いた甲斐あって、上村さんはわずか3年で精肉売り場の主任に昇進。通常、主任になるまでには7、8年を要することを考えれば異例のスピードだった。

店長と胸ぐらをつかまれるほどの言い争い
 

 精肉売り場の主任として順調に仕事もこなしていき、さらにその上のポストを狙おうと考えていた頃、上村さんは仕事のやり方をめぐり店長と大ゲンカをしてしまう。

 クリスマス・年末商戦が始まる季節は、どの店でも競ってお客を呼び込む重要な時期。この時期に赤字を出すことは決して許されないことで、店のスタッフ全員が年末商戦独特の張りつめたような気持ちでいた。そんな中、店長と上村さんで意見が食い違ったのだ。

 仕入れ値の高い商品ばかりが売れてしまっては、結局売り上げは伸びても店の利益にはつながらない。そこで店長は、原価の高い商品は控えめにしてでも、利益を確保することに専念するようにと、上村さんに指示を出した。しかし、上村さんは、お客様に喜ばれなければ意味がない、売り上げを下げてはいけないと主張したのだった。片方が守りの体制、一方が攻めの体制と根本から異なる戦略を主張しているのだから、話は簡単にはまとまらない。最後は店長に胸ぐらをつかまれ、怒鳴りつけられるほどの言い争いになってしまった(※3)

 しかし上村さんは、それにひるまず、品物は華やかに陳列しつつも、原価が低く儲けの多い加工製品もクローズアップするように商品を展開するやり方を主張、それを実行することを認めてもらった。結果、その計画は当たり、売り上げも利益も前年度を上回り、全店舗でも1位の売り上げを達成した。

「数字を出すことは、店長にとっては絶対の使命でしたから、必死だったはずです。それを敢えて押さえて、自分のやり方を通すのは、少し勇気が要りました。でも、実は、私はこれまでの経験を踏まえて、かなり細かいシミュレーションを組み立てていて、これならいける、と踏んでいたのです。だから店長の立場もわかってはいましたが、敢えて自分の方法を主張しました。もちろん、結果が出るまではドキドキものでした。数字が出て、店長と顔を見合わせて笑い合ったときは本当にうれしかったですね」

会社経営の危機に
目標とすべきポストがなくなる
 

 上村さんが主任になって4年近くがたった頃、ある事件が起こり、そのあおりで上村さんのスーパーも経営が急激に苦しくなり、月に1件の割合で店舗が閉鎖していくような状態に陥ってしまった。

 閉鎖した店の店長だった人たちが、次々に残っている店に配属されるようになり、何年も勤めていた人たちのポストすら危ういという危機的状況。しかも上村さんが主任を務める店舗の業績が伸びてきて、次期店長はキミだと言われていた時期だった。これでは昇進どころではなかった。

 

「先へ進む目標がなくなってしまったんです。かといっていつまでも同じ仕事をただ漫然と続けるというのは考えられないことでした。自分の望むポストがないようであったら、選択の余地はありません。その時で既に30歳を超えており、長引けばそれだけ転職するなら不利になるはずでしょう。店長のポストを与えてくれるかどうか、ケンカをしたり、笑い合ったりした店長に、これから自分が昇進できる可能性について問いただしました」

 適当なポストを与えてくれないのであれば、別の職場に活路を見出したい。そうきっぱりと会社に訴えた。会社の側では、当初「もうしばらく待ってくれ」「会議はしているんだ」と回答を引き延ばしていたが、ついに上村さんは、会社に見切りをつけ、退社することを決めた。この段階で、次に就職先を決めていたわけではなく、有給休暇の後は、ただ真っ白なカレンダーがあるだけだった。

「でも、もともと頑張れば上に行くことができるからと入社した会社でしたから、それがかなわないのなら未練はありません。真っ白なカレンダーは、これからどんどん埋めることができるのですから、いわば白い部分はすべて可能性なんだと、不安よりも期待の方が大きかったですね。とにかくまた、いちから出直しになったわけです」

 昨日と同じことをするのではなく、今日はそれ以上のことができるようになりたいと常に願い、変化のない安定した日々を嫌う上村さん。これから、いよいよ上村さんの本領である新領域への挑戦が始まるのだった。

 
プロフィール
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大学卒業後、大手ファーストフード会社の新規事業部としてデリバリーの和食店の仕事に就くも、家に帰ることすらできない激務のため退社。ついでホテルマンの仕事に就くが、こちらは1日の実労がわずか2時間という状態に耐えられず1か月で辞め、大手スーパーに就職。約8年間勤めたが、会社の経営が危うくなり、自分の昇進するポストがないということで退社。現在は、自動車のオークションを斡旋する企業の営業マンとして活躍している。

上村さんの経歴はこちら
 

これでは身体が持たない(※1)。
「当時、私は副店長でしたが、店長は40歳代の方。店長も後に身体を壊したと聞きました。人の入れ替わりが激しい職場だとは聞いていましたが、これはうなずけると思いました」
こうしたいびつな労働形態は、人が居残らないことによる負担、残業代の負担などを考えると、会社としてもメリットにならないのではないかとも考えられる。自身の身体がもたないということもあったが、会社の将来が見えないことが上村さんの退職の理由だったようだ。

 

ここを選んだのは(※2)
食品スーパーのなかで、この会社を選んだのは店舗拡大に意欲的だったことに加え、ほかのスーパーにないホスピタリティを重視している点だった。「例えば売り場を聞かれれば、その場所まで一緒に行って案内するようなサービスを徹底していたのです。ホスピタリティの徹底は、目に見えた効果が出るものではありませんが、漢方薬のように店の信頼を高め、ひいてはライバル会社に差を付けるものだと考えたのです」

 

怒鳴りつけられるほどの言い争いになってしまった(※3)
このころ、既に店長は、会社の経営が傾いており、昇進の可能性が薄いことから、上村さんが退職を希望している旨を聞いていた。口論が激したときは、「おまえはどうせ辞めるから勝手なことを言うのだろう」「そんな無責任なことをするつもりはありません」といった言い争いがあったという。

 
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