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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第17回(後編) 北原伸太郎さん(仮名)26歳/SE
不安と絶望のつらい日々も あきらめなければ道は開ける こんな僕でもできたのだから 転職はだれでもできる!
大学卒業後、地元・北海道で生涯続ける仕事を見つけたはずの北原伸太郎さん(仮名)は、2年数カ月の間に出向辞令が相次ぎ、ついに神奈川県・川崎市で生活することになった。さらに、その川崎で新しい職場に就いた途端、わずか2カ月で千葉県・我孫子へ行くように指示される。「会社は、それほど自分のことを軽く考えているのか……」。北原さんは、そんな会社を捨て、新たな可能性に賭けようと転職を決意した。
モノ扱いをする会社にこのまま居たら……
10年後の自分に思わず身震い
 

 川崎市の企業へ出向後、わずか2カ月で我孫子へ行くように言われた北原伸太郎さん。彼の脳裏には、「まるで会社は自分に嫌がらせをして、わざと辞めるように仕向けているのではないか」という疑惑が浮かんでいた。

 このままでは、会社に潰されてしまう───。

 最初の出向で関わったプロジェクト、北海道からいわき市に移った時に出向を命じられた部署は、過酷ともいえる職場だった。連日の深夜にいたる残業、休日出勤は当たり前という日々で、果ては同僚ばかりかリーダーまでが体を壊し出社しなくなるという状態だった。

 それでも歯を食いしばりながら1年間勤め、身も心もボロボロになったところで、突然の川崎への出向命令。そこでは、もはや仕事に対する意欲も薄れ、会社が期待するだけの仕事をこなしていたとはいえなかったかもしれない。

 しかし、たったの2カ月あまりで……。
 
 会社に振り回されるのはいやだ、という思いから(※1)、北原さんが転職を決心したのは、部長から出向辞令を受けた、まさにその瞬間だった。

 

「入社して2年余り。まだまだ自分には学ばなければならないことがあると思っていました。しかし、こうも異動が続いては、自分の技術を高めることもままならないと強く感じていたのです。中途半端な技能しかないからこそ、会社はそれを高めてくれる場を設けてくれてもいいのではないか。そうして一人前になれば、それからいくらでも会社に貢献して、恩返しができるのではないか。そう思っていたのです」

 しかし、会社が残したかったのは、決められたプロジェクトで期待通りの成果を上げた人だけ。そのふるいから落ちた人は、働けるだけ働かせ、年齢を経て仕事ができなくなったら、躊躇なくポイッと捨ててしまうのではないか。

「お荷物」扱いをする会社。無造作なほどあっさりと出向を命じる会社。このままここでずっと働いて、本格的な開発といった仕事も任されないまま、ただひたすらプログラマの単純な仕事だけをやり続けていたら……。

 北原さんは十年後の自分の姿を想像して、思わず身震いした。

コンサルタントは丁寧に話を聞き
「きっとうまくいきますよ」
 

 新しい仕事はどうやって見つけたらいいだろう。北原さんは頭を抱えた。大学を卒業してから、会社にいわれるがままに仕事を続けてきた彼にとって、転職活動はたやすくイメージできるものではなく、さまざまな試行錯誤があった(※2)

 そんな折、ふと友人と雑談をしている中で、人材紹介会社というものを知った。登録すれば、コンサルタントが求人案件を紹介してくれることはもちろん、転職に関するさまざまなアドバイスや情報を提供してくれるというのだ。さらに友人は続けてこう言った。

「その人材バンクが200社以上集まったサイトがあるんだよ。つまり、そのサイトにアクセスすれば、一度に200社以上もの人材バンクの情報が見られるんだ。さらにキャリアシートを匿名公開しておけば、人材バンクの方からメールで求人を紹介してくれるらしいよ」

 そのサイトは【人材バンクネット】といった。へえ、そんなものがあるのか……。これが北原さんの最初の道しるべになった。我孫子での仕事を始めた2005年12月頃のことである。

 北原さんは、さっそく【人材バンクネット】に登録して、キャリアシートを提出、匿名公開をした。SE・プログラマ希望。経験3年未満。こんな自分にどれくらいの人材バンクが関心を示すのだろう。不安に思う北原さんだったが、予想を超える反応があった。数日の間だけでも30通ほどのスカウトメールが届いたのだ。

「そのなかで、人材バンクの株式会社リーベルという会社をみつけ(※3)、会ってみることにしました。規模こそ大きくはないのですが、ITを専門に扱う面倒見のよい会社だという印象を受けたからです」


 リーベルのコンサルタントである若色信昭氏に実際に会ったのは、スカウトメールが届いてから1週間余りが過ぎたころだった。仕事が忙しくてなかなか時間を取ることができなかったのだ。

「若色さんの第一印象は、マジメで信頼の置けそうな人、でした。面談では、これまでやってきたことから、これからどんな環境で仕事をしたいか、とにかく思うままに打ち明けました」

 若色さんは、そのひとつひとつを丁寧に、長い時間をかけて聞いてくれ、そして最後に力強く言った。「きっとうまくいきますよ」と(※4)

「若色さんは、自分のことを『コンサルタント』ではなく『サポーター』だと表現されていました。つまり、一段上からアドバイスするのではなく、私たちのすぐ後ろに立ち、常に注意深く見つめ、助言と声援とを送るのが役割だというのです。もちろん、あくまでもサポーターですから、主役である転職者自身が、しっかりしなければならないという意味も込められています。どっしりと構えてなんでも受け止めてくれそうな若色さんに相談できて、自分は幸運だなと感じました」

自分に足りないものは
「コミュニケーション能力」?
 

 しかし、そんな若色氏に紹介してもらった案件でも、スムーズに進んだわけではなかった。ある企業では、SPIテストではなかなか優秀な成績を出すものの、最終面接でつまずいてしまった。

「最後の社長面接で、『きみにはコミュニケーション能力が足りない』と言われたのです。やっぱりショックでしたね。というのは、会社に入って以来、あるいはそれ以前からかもしれませんが、同じことを言われたおぼえがあったのです」

 コミュニケーション能力は、どんな業界、どんな職種であっても必要不可欠。それが欠けているということは致命的なことではないのか。

 

「人の話を最後まで聞かず、言葉がどんどん口をついて出てしまうという傾向があると思ってはいたのです。面接でも、緊張するととりとめもなくどんどんしゃべり出してしまうことがある、と。相手の話を最後まで聞き、相手が何を求めているのかきちんと理解した上で、自分の頭にあることを整理し、相手に伝える。これが大切だということは重々承知しているつもりなのですが、いざ現実の場では、空気が読めずつい夢中になってしゃべってしまい、ふと気づくと周りの人が引いている、ということがしばしばありました。その会社の社長は、そのことを『コミュニケーション能力が足りない』と指摘されているんだなと思ったのです」

 若色氏は、その結果を聞き、それはある程度予想できたことだとでもいうようにうなずいてみせた。

「北原さんは自分の欠点に気づき、克服しようとしている。これが大切なことなのです。自分の弱点はどこなのか、どうすれば改善できるのか、少なくともその答え探しを一生懸命にされているじゃないですか。その姿勢こそが成功につながるんですよ」

 若色氏のそんな励ましに、北原さんは大きな自信を得た。

 これまでの職場でも、そういう面がなかったのではないか? 上司は、なかなか仕上がらない北原さんの仕事にイラついて、いろいろな言葉をかけてきた。もちろん、必ずしも適切な助言ばかりではなかったかもしれない。しかし、相手の話をきちんと聞き、相手の立場を踏まえた上で、一歩引いて考えてみる余裕が自分にあっただろうか? 傷つけられたプライドと、蓄積された疲労が混然となって、思わず飛び出してしまった言葉。そのやりとりは、どちらかに非があるかどうかはともかく、職場の環境をさらに悪化させていたのではなかったか。(※5)

 不採用の結果も成功へ向けたひとつの糧になるのではないかという気持ちが湧いてきた。次はいけるのではないか——そう思えてきた。

ズバリものを言う社長と
長時間に渡る面接。そして……
 

 2月に入ってから北原さんは思い切った行動に出る。会社に退職の意思を伝えたのだ。まだ内定の目処すら立っていないにも関わらず……。

「自分を追い込みたかったんです。当時は会社の寮に住んでいたので、退職日までに転職先が決まらなかったら職場に加え、住むところも失う。己にプレッシャーをかけ、転職活動をより真剣にやるために背水の陣をしいたというわけです」

 ここで新しい仕事を見つけること。それは、北原さんにとって、25年間の人生すべてを賭けた勝負なのだ。ここで負けてしまっては、かつて自分を軽く扱った上司や、勝手な都合で出向を命じた会社にひれ伏すことになる。

 しかし、本当に仕事を見つけることができるだろうか……。焦りと不安があったのも事実である。

 そんな中、2月下旬に若色氏が薦めてくれたある企業に応募した。小規模ながらも上り調子のIT企業のひとつだった。一次面接・二次面接とも、社長が対応。これまで臨んだ面接は、いずれも1時間程度だったのに、ここではいずれも2時間近くに渡って行われた。

「社長は、自ら現場で仕事をするタイプなので、現場で働く者の気持ちもよくわかっている人だなという印象でした。しかも、ダメなものはダメと、何でも忌憚なくズバズバと言う人でした。そんな人が、私の話を長時間かけて聞いてくれて、思ったことをハッキリと言ってくれる。コミュニケーション能力があるということは、こういうことなのかな、などと思いながら話を聞いていました。でも私自身は、こんなに長時間あれこれしゃべってしまったので、今回もコミュニケーション能力について言及され、不採用になってしまうのではと落ち込んで帰ったのです」

 しかし、北原さんの予想に反して、数日後に採用通知が届いた。

「本当にびっくりしたし、とにかくほっとしました。会社を辞める時期は決まっていて、後には引けない状態だったので。所詮、私のような人間はどう頑張ってもダメなのかなと悲観的な気分になっていましたから。自分のような人間でも努力することをあきらめなければ転職することはできるんだと、大勢の人たちに言って回りたい気分でした」

 応募した企業は全部で15社を超える。応募しても応募しても届くのは不採用通知ばかり。やはりこんな自分では転職などできないのだろうか。くじけそうになったこともあった。しかしここであきらめたら自分自身に負けを認めさせてしまうことになる。そうなったら自分の働く未来に希望はない──。その思いが北原さんを支えた。そして若色コンサルタントの献身的ともいえるサポート。それらすべてが結実した唯一の内定。うれしくないわけがなかった。

 会社の命令ではなく、自分自身で決めた新しい職場。北原さんはついにそれを手にした。

同じ状況でもポジティブに考えるか
ネガティブに考えるかで変わってくる
 

 新しい会社では、まず手始めということで、顧客管理のデータベースづくりから、社内向けのシステム開発、さらには単純なデータ入力までさまざまな仕事が与えられた。何でもやらされる会社ともいえる。何でもやらせてもらえる会社ということもできる。

 

「与えられたプロジェクトごとに相手先の企業に出向き作業するという点では、以前の仕事と変わりはありませんが、今は、新しく出会う人と会話を交わしながら笑っていることが多いですね。いろいろな会社の人が行き交うにぎやかな雰囲気の中で働けるのは、楽しいと感じています。以前は、出向を命じられるたびに暗い気持ちになっていましたが、考え方を変えれば、新しい人と出会い、新しい経験ができる場を与えられたということでもあるわけですよね。同じことでもポジティブに考えるか、ネガティブに考えるかで違ってくるものだなあと、つくづく思いますね」

 仕事はもちろん、社員旅行やバーベキュー大会などのイベントにも積極的に参加し、楽しんでいるという。

 今、北原さんは、初めて感じる仕事への期待に胸を膨らませている。自分のキャリアはたかだか3年程度。技術革新の速いIT業界では、日々学んでいかなければ追い落とされてしまう厳しさがあるが、学びたいことがたくさんあり、自分の能力やスキルを、どんどん磨いていきたいという意欲に燃えているのだ。

 本当の意味での北原さんのキャリアへの挑戦が、今、スタートしたといえるのかもしれない。今の北原さんなら、ゴールを目指して鮮やかに走れるだろう。今よりも、もっと上のスキルやキャリアを身につけながら。

コンサルタントより
株式会社リーベル
 シニアコンサルタント若色信昭氏
自らを真摯に省みようとする態度が見えたので
可能性はあると期待しました

若色信昭氏
北原さんの話をおうかがいしたところ、確かにそれまでの職場環境は必ずしもよいとはいえない状態だと思いました。転職を考える理由も理解できます。
 

また、現在、IT業界は業績を上げている分野であり、売り手市場でもあります。経験の浅い若い人であっても、その人たちを企業が育てていこうという風潮も強まっており、北原さんのような層の人材は、今、将来性も含めて高い期待がかけられています。

北原さんは、3年近い経験があり、その中では、開発に関わる業務もある程度経験しています。こうした人材への求人案件も、現在のところ多く寄せられており、そういう意味では、彼がこの時期に転職を考えたことは、よい選択だったと思います。

ただ、北原さんの、いわゆるコミュニケーション能力に関わる部分には少々危惧を感じていたのは事実です。面談をしていて感じたことでもあるのですが、北原さんは相手が話している途中で話し出してしまう、つまり「かぶって」話をするクセがありました。

人と人とのコミュニケーションは、一方的な情報伝達では成立しません。お互いが通じ合うことが重要です。それには、「伝えること」と「聞くこと」の両方が備わっていなければならないのですが、北原さんの場合は、この「聞くこと」が、ともするとなおざりになっているようだったのです。

しかし、それは矯正可能なのです。彼もまた、自分の欠点を強く自覚しており、変えようという点で意欲的でした。そこで、面接のリハーサルを重ね、相手の話を聞いてから発言するようアドバイスしました。

また、北原さんに限らず、転職する方は、どうしても前の職場を否定的に思ってしまいがちですが、それをそのまま語るのは、愚痴にしか聞こえず、ご本人にとってもよいことではないばかりか、採用する企業の目から見ても決して効果的なアピールにはなりません。

北原さんの場合は、前職の環境の悪さにこだわるのではなく、その環境を変えることでご自身の成長を強く望む態度が見えましたので、最終的によい結果に結びついたのではないかと思います。

 
プロフィール
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神奈川県在住の25歳。地元・北海道で一生を過ごそうと考えていたところ、入社したIT企業から出向命令が出され、いわき市の企業へ。だが、結局、会社が期待するほどの成果を出せず、今度は川崎の会社へ回される。しかし、さらに別の会社へ出向するように命じられ、会社の都合で振り回されるのに嫌気が差し、転職活動を開始。現在は、東京で、SEとして意欲的に働いている。
北原さんの経歴はこちら
 

会社に振り回されるのはいやだ、という思いから(※1)
このころ、北原さんは、会社の愚痴をブログに書き込んでウサをはらしていた。もちろん、具体的な会社名は書き込んでいないが、だれが見つけたのか、それが会社にバレてしまい、上司に絞られたことがある。「あるいは、こうした言動も査定の対象になっていたのかもしれませんね」。誹謗中傷は、必ずどこかで自分に返ってくるものなのかもしれない。北原さんも迂闊な行為を反省しているようだ。

 

さまざまな試行錯誤があった(※2)
当初、IT業界でエンジニアをやるという選択肢だけでなく、もっと広く、事務系の仕事でもよいのではないかと北原さんは思っていた。ITの仕事でなくても必ずPCは多用するはずだし、その専門知識を持つ人材は意外に少ないのではないか、と考えたのである。しかし現実は、「他の職種の経験をまったく持たず、また本職のITの経験も浅い自分に条件の一致する転職先は見つかりませんでした。やはりIT業界に絞るほうがよい、というより、それしか道はないんだと痛感しました」

 

「リーベル」という会社をみつけ(※3)
北原さんはリーベル以外にも2社ほど人材バンクに登録をしたが、そのなかで最も丁寧な対応をしてくれる同社1本に絞り、すべてを委ねることにした。「何社にも登録すればそれだけ案件は増えることになりますが、日々の仕事をこなしながらの転職活動ですから、どうしても時間的制限があります。それよりも、信頼の置ける1社に託した方が賢明だと思ったのです」

 

『きっとうまくいきますよ』と(※4)
 若色氏は、北原さんの話の中で、彼の「自分を変えよう」というひたむきさがあること、前職の職場環境はかなり悪く、そこに居続けるのは、能力を伸ばすのには適さないという北原さんの考えに一理あると考えていたという。そして、今、急成長を遂げているIT業界で、何より求められているもの——若さと熱意があることに注目していた。

 

職場の環境をさらに悪化させていたのではなかったか。(※5)
北原さんは前職の職場を振り返って、「何度もけんかをしそうになった人は確かにいましたが、例えば好きなスポーツのことなどを話題にしながら和やかに付き合えたなら、あれほど険悪な雰囲気にはならなかったのではないかと思うことがあります。でも、お互いノルマに追われていて、腹を割ってじっくり話をしようという余裕がなかったんです」と語った。「もし、その時に、相手の気持ちを汲み取り、理解し合おうという余裕、つまり、コミュニケーション能力があれば、状況は違っていたでしょうか?」という問いに、北原さんは、ふと窓の外に目線をそらせ「そうかもしれませんね」と答えた。

 
取材を終えて

 面接などで、緊張のあまり頭の中が真っ白になったときどうなるか、二通りのタイプがあると思います。ひとつは言葉を失って、ただ目を泳がせてしまうタイプ。もうひとつは、とにかく自己防衛をしようと必死になって言葉をつなげ、切れ目なくしゃべり続けようとするタイプです。いずれも落ち着いていれば、あんな愚かしいことはしないのにと、悔やむことになるのですが、人間ですからそううまくいくとは限りません。

 北原さんは、切れ目なくしゃべり続けるタイプであるように見受けられました。インタビューでも、話がはずんでくると、質問の答えだけでなく、さらに別の方向に話が進み、最後は、始めの質問とはかけ離れた話題になったこともありました。しかし、すぐに「ああ、話が逸れましたね」とか「ご質問の意図はこういうことですね」と、ふとご自身の言葉を振り返って軌道修正をし、われわれのインタビューに答えてくれました。これは、ご自身の努力の結果、身についたことなのだろうと感じました。

 インタビューの後、「これから書店に立ち寄って、資格試験の参考書を買います」と話されていた北原さん。このひたむきな向上心と熱意は、IT業界の若手に限らず、すべての人に必要な「姿勢」だと思いました。

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