中国第二の都市、上海。発展著しい中国の中でも、とりわけ急成長を続ける大都会。その町で、林さんは生まれ育った。数学や物理など理数系科目が得意で、子どもの頃からコンピュータに夢中(※1)だった。おまけに英語が大好き。そんな林さんが、大学を卒業後、就職先に、外資系のコンピュータ会社を選んだのはごく自然の成り行きだった。
好きな英語を駆使しながら、コンピュータに向かう日々。システムエンジニアとして、それなりに充実した日々を送っていたが、ある日、最初に勤めた会社(※2)絡みで知り合った知人のR氏がこんなことを持ちかけてきた。
「日本で会社を立ち上げたんだけど、働いてみないか?」
「日本? どんな会社?」
よくよく話を聞いてみると、R氏は大阪でシステム会社を設立し、外注としてプログラミングなどを請け負ったり、中国人のプログラマやエンジニアをほかの会社に派遣したりしているのだという。
「けっこう忙しくてさ。プログラマが足りないんだ」
R氏は事業が上り調子であることをほのめかすかのように言った。
海外旅行がじわじわとブームになり始めていた中国だったが、多くの人の関心はアメリカやカナダ、オーストラリアなどの英語圏に向いており、林さんもその例外ではなかった。いつか得意の英語を生かして、カナダかオーストラリアで働いてみたいと、内心思っていたほどだ。その中で、日本という国は、ちらとも意識したことがなかったのが正直なところで、R氏の話に一瞬、面食らった。
しかし上海には多くの日系企業が進出しており、林さんの頭にも、すぐに有名な日本の企業名やブランド名がいくつか思い浮かんだ。意識したことはなかったけれど、世界に知られている技術力を持つ日本—。
「もしかしたら、何か自分のキャリアにプラスになることがあるかもしれない」
林さんは日本行きを決心し、結婚したばかりの妻(※3)を伴って大阪に降り立った。1998年秋のことだった。
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