キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第9回船医・作家 西丸與一さん-その4-「今この瞬間」を頑張ってみ…

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第9回船医・作家 西丸與一さん-その4-「今この瞬間」を頑張ってみろ

魂の仕事人 魂の仕事人 第9回 其の四 photo
「働く」とは「生きる」こと つらい仕事でもへこたれず、「今この瞬間」を頑張ってみろ
  79歳でありながら、一年の半分以上、海の上で働く西丸氏。さらに陸でもさまざまな団体、イベントの実行委員長を務めるなど、多忙な毎日を過ごしている。西丸氏は言う。人間は働いてないとダメになると。西丸氏にとって仕事とは? 働くとは? そして人生とは──?  
横浜市立大学名誉教授・「ぱしふぃっくびいなす」船医・作家 西丸與一
 
セミリタイアなんて言ってる人は
愚かだと思う
 

 これまで仕事上で壁に当たって絶望して方向を変えたってことはないですね。いや、確かに「困ったな」って思うことはいっぱいあったけど、なんとか切り抜けてこれた感じだし。だから、今振り返って考えれば、「あれは壁だったかな」ってことはあるけど、そのときは夢中だからね。なんとかコレを克服してやろうって考えてやってたと思う。押してダメなら引いてみたり、回り道したりって……。カベだと自覚する余裕すらなかったというか。まあそういう性格なんだろうね。苦しいことがあったかと言われればあったんだろうけど、そういったことを感じられないような性格なんだな。あるいはものすごくいい意味で感じてない(笑)。

 だから、何か困難にぶち当たったら、苦しくても「なんとかなるよ」という楽観的な気持ちで乗り越えてきたんじゃないのかな。あんまりナーバスじゃないんですよ、キャラクターが。だいたいB型人間ですから。適当なの(笑)

 79歳でも現役で働いてつらくないかって? 全然。むしろ当たり前のことをしていると思ってるよ。よく歳とってリタイアして何もしないって人がいるけど、バカだと思うよ。人間は動かしてなきゃ病気になっちゃうよ、いくつになってもね。お金を稼ごうと稼ぐまいと、他人のためでも自分のためでも……。とにかくやることなければ自分の家の前を掃除したり、人の家の前でも掃除してあげたっていいんですよ。

 なんでもいいから身体を動かして、働いてないとダメになるんですよ、人間って。それが自分のためでもいいけど、世のため人のためになるならもっといいでしょ?

 でも今の若い人は、早くお金を稼いで50歳くらいでリタイアしたいって人が多いらしいよね。プチリタイアとかセミリタイアとか? 僕から見たら愚かだと思うよ。かわいそうだとも思うね。人は生きてるかぎり使い道があるんだよ。自分で摘むことないでしょ。

 最近は株とかで20代で莫大なお金を得てしまう人もいるよね。でも僕は株って大嫌いなんだ。人のフンドシで相撲をとって、それで儲けた金で遊ぶなんて絶対イヤだね。そういう気持ちだけは今の若い人に持って欲しくないね。

現在、フリーター、ニートといった定職に就いていない若者の激増が社会問題になっている。中には「やりたいことがみつからない」といつまでも「自分探し」に逃避している若者も多いが、西丸氏はそれは単なる甘えだと言い切る。好きだと思えない仕事でも全力でぶつかってみる。そこから道が開けてくることもあると。
自分の仕事を好きになろうとしているか
 

 今、職業を聞かれて「フリーターです」って言う人がいるけどさ、それって職業じゃないでしょ。「あなたは何で食ってるんですか?」って聞かれて「フリーターで食ってます」ってそんなバカなことはない。考えが古いと言われるかもしれないけどね。

 演劇や音楽などの夢を追って、戦略的に定職に就かず、フリーターでいる人はまだしも、好きなことややりたいことが見つからないからフリーターとかニートになっちゃう人がいるでしょ。そういう人たちは自分でその仕事を好きになろうと頑張ったり、努力したり、そういう気持ちがないんじゃないかな?

 僕は法医学とか解剖という人のイヤがる仕事を選んじゃって途中で「しまったな」と思ったけど、飛び込んじゃった以上はちゃんとやろうと頑張ってみた。やっていくうちにね、仕事の意義も分かってくるし、この仕事で救えた人もいる。そうしたことの積み重ねで、やってきてよかったなって思える。でもそれは今だから思えることで、当時はもう必死だからそんな余裕なんてなかったよ。

 やってくうちに、その人の生きる道すらも見つけることもできるだろうしね。もっと知恵を働かせて、こうすればもっと良くなるんだとか、もっと他の方法があるんじゃないかとか、次の発見とかそういうものにつながっていくと思う。イヤな面だけ見て離れていくんじゃなくて、それにしがみついてやってみる。それにいいアイディアが出ればさ、上司だって「おぉ」と思うだろうし。いい話だってついてくる。最初から「ダメなんだ」と思うのはもったいないよ。とりあえずは「そのとき」を夢中に頑張らなきゃダメだと思うんだよ。いやな仕事でもへこたれないでね。

 でも一方ではそういう若者が増えているというのは、我々大人の責任でもあるんだけどね。だからやっぱり僕らの年代の人にはまともに人生を歩いてもらいたいですね。そういう教育がなかったから若い世代に悪い影響を及ぼしたということだから。

仕事に行き詰ったら少し工夫してみる
 

 仕事に関する誇りは? って言われても特に何にもないなあ。ただ、当然、誰でも自分の仕事に誇りを持っているだろうから、「さすがだな」とか「アイツらしいな」って言われるような働きっぷりをしたい。それだけかな。

 仕事も「人の役に立つために」と思ってやってるんじゃなくて、誰かがやらなきゃならないんだと思ってやってたというのが正直なところかな。

 研究でも同じ。迷い込んで、こんなこと毎日やっていていいのかな? って頭を抱えた時期もあったよ。「こんなことやってないで、もっとすげぇアイディアないかな?」とかね。もっとひらめきがあって頭のいい人ならノーベル賞になるんだろうなとかね。

 けど、こういう効果が出たって認められたり賞をもらったりすれば、やっぱりやって良かったなと思うしね。

 仕事に関して誇りがもてないで悩んでいるビジネスマンに対しては、少しでいいから工夫してみればと思うね。仕事のやり方を変えてみるとかね。毎日同じことをしても、ちょっとやり方を変えてやることで、結果がこう変わった、みたいなね。そういうのが一般社会でもあるんじゃないかなぁ。

 あとは偶然よくなるってこともあるよね。ある研究者がさぼって研究室に放ったらかしといたモノがあって、それに青カビが生えて、そのカビの下の細菌が全部死んでたっていうのがペニシリン発見のいきさつでしょう? コツコツやってたんじゃなくて、放ったらかしといたら偶然そういうものを発見してね、そこでひらめいてペニシリンが生まれたとかね。やっぱり僕は研究室の人間だから、そういう話がとても参考になるね。

 逆にいうと、結果だけ見たらOKなんだけど、そのときはそうしようと思ってやったんじゃなくて、結果は考えずにとりあえずこうしてみよう、ああしてみようってやってみる。お昼になったらそば食って、ボーッとして帰ってくるんじゃなくて、昼休みに何か違うことをやってみるとかね。何かあるんじゃないかなぁ。

何事も加減が大事
 

 仕事に誇りをもつことも大事だけど、ただ誇りが強くなりすぎると危険だね。それは「横柄」とか「頑な」になったりするから。

 儒教の教えに「五典」ってあるでしょ? 「仁」「義」「礼」「智」「信」っていう。それを戒めに使っていた彫刻家がいたんだ。朝倉文夫(※1)さんっていう日本を代表する大彫刻家で、儒教の五つの教えは大事なんだけど、それぞれが過ぎてはいけないというんだ。

 仁も過ぎれば弱となる
 義も過ぎれば頑(かたくな)になる
 礼も過ぎれば諂い(へつらい)になる
 智も過ぎれ偽りとなる
 信も過ぎれば損となる

 すべて大事なことなんだけど、あまりに過ぎるとこうなると。朝倉さんはこの5つの思いを込めた石を自分の庭に置いて「五典の配石」といって自分を戒めていたらしんだ。やっぱり「ほどほど」が大事なんだな。だからこれと同じように自分の誇りをあまり表に出すと鼻持ちならなくなるんじゃないの? 誇りとかやっててよかったなあと思えるのって、後からくるものじゃないのかなぁ。一生懸命やって、その後からくるご褒美じゃないかな。

(※1朝倉文夫)1883-1964 彫刻家。大分県生まれ。自然主義的彫刻を得意とし、帝国美術院会員・帝室技芸員となるなど日本彫刻界の重鎮として活躍。代表作「墓守」「島津斉彬公像」など。
働くとは生きること
 

 僕にとって働くとは生きることですね。やっぱり人間ていうのは生きるために生まれてきたんだから、生きてる限りは動き、働くことが本来の姿だと思う。だって誰も文句言わないけどさ、心臓なんて生まれたときから動き続けている、人間では絶対作れない精密機械だよね。だから我々も必死に働いてあげなきゃ。

 僕は人生って1本の道だと思ってる。よく生と死って二元論でものを考える人がいるけど、僕は「生と死」じゃなくて「生の延長に死がある」と思ってるんだ。

 いつでも人生は登り坂なんだよな。この坂を我々は一歩一歩登っていく。その登り詰めたところに死があるっていう考え方なんだ。この登り坂という考え方がとても大事でね、毎日、今日も明日も登らなきゃいけない。一歩登るごとに悔いのない登り方をしてほしいと若い人に思うんだ。

 そして登りきったところに死が待っている。そのときには、きっと僕も満足して死に委ねられると思うんだ。怖がらずにね。一歩一歩登って悔いがなく過ごしていけば、あぁ、来たんだな、と思うと思うんだ。

 歳をとるとね、いいことがあるんだよ。例えばね、いろんなことを食べながら考えたり、海を見ながら考えたりしてると、すごく良いことを思いつくんだよ。若い時には絶対思いつかないようなことをね。そんなとき歳とるっていいな、と思うんだ。けどね、困ったことにそういうことをすぐ忘れちゃう。何にもならない(笑)。そこでメモをするってことをおぼえたんだ。これが大事なんだよな。

 もちろん、遊ぶことも大事。僕ね、遊びも学びだと思っているんだよね。昔から「よく学び、よく遊べ」というけど、僕は「よく遊び、よく学べ」だったな。よくいるじゃない「遊び人」てさ、飲み屋へ行ってヤケドすることもあるけど「いい人生経験だ」っていうでしょ。みんな学びなんだよ。そういう考え方してるから。

 江戸時代の儒学者、佐藤一斉の言葉でいいのがあるんだよ。『言志四録』の中の一節なんだけど、

 少にして学べば則(すなわ)ち壮にして為すことあり
 壮にして学べば則ち老いて衰えず
 老いて学べば則ち死して朽ちず

 ね、いいでしょう、これ。学ぶことがいかに大切かを説いた一説なんだけど、読めば読むほどいい言葉だよね。

西丸氏は本業以外にも、さまざまな市民、文化的活動にも引っ張りだこだ。横浜夢座(劇団)実行委員長、横浜ジャズプロムナード実行委員長、野毛MONZEN町を創る会会長、横浜遊学校校長などなど。まさに老いて益々盛ん。そして船を降りた後のこともそろそろ考え始めているようだ。
引き際も考え始めた
 

 だんだん誰かを育ててね。後を継がせようかと。引き際は大事ですからね。そろそろ考えはじめました。2007年の世界一周あたりを目処にしようかな、と思ってるんだけど。あと1年。でも、なかなかね……ドクターで船に乗ってくれる人っていないんだよ。いそうに思うでしょ?  楽しそうでいいじゃないかなんて思われるけど。

 医者のお客さんがいてね、「一度乗ってみたいよ」って言う人がいたから最低でも「1カ月」って言ったら「1カ月もダメですよ」って言うんだ。聞いてみたら「オレ糖尿なんだもん」って。まずは健康でないと。病気持ちの医者はダメ。体力もなくちゃ。患者が重なるときは2晩3晩徹夜になることもあるしね。外国の港を見つけてフルスピードで走ってもらって、予定よりも3時間早く着くとかね、そういう計算をしてもらったり、向こうの病院に連絡して、救急車を手配したり。それはみんな我々の仕事だからね。だからカタコトの英語でもできないと仕事にならない。そうするとなかなかいないんだよね。

 若い医者はいるけど若いうちから船医なんてやっちゃうと将来がないって思う人が多いからね。

 船を降りたらどうするかって? まだ具体的には考えてないんだけどね、書き残していることがあるから、また本でも少し書こうかな、と。今、ときどき、科学専門雑誌の中で随筆を書いてるコーナーがあったりして そういうのをまとめておこうかと。演歌でも歌いながらね(笑)。

 今後の目標? もう夢を見る歳じゃないからね。79だもん。で、そういうのはないから、健康でいたい、今やってる仕事を誇りを持って貫いていきたい。多くの人や若い人に尊敬されるような老人でいたいってことかな。

 
2006.3.6 リリース 1 38年間の監察医時代「好き」よりも「使命感」
2006.3.13 リリース 2 老人福祉から海へ ようやく趣味を仕事に
2006.3.20 3 客と船員が一体になった 思い出深い人命救助
NEW! 2006.3.27  4 働くとは生きること 誇りは後からついてくる

プロフィール

にしまる・よいち

1927年(昭和2年)3月 横浜生まれ 79歳 
横浜医科大学卒業後、1954年から1992年の38年間、横浜市立大学医学部に勤務し、法医学の研究、教育、鑑定に尽力。その間3期6年に渡って医学部長を務める。

1956年に神奈川県監察医となり、以後大学教授と監察医の二束のわらじを履く。監察医としては9000体を超える遺体を検死解剖、裁判関係の鑑定を担当。事故と見せかけた殺人を検死で暴くなど、事件解決に尽力。関わった主な歴史的大事件・大事故は、全日空羽田沖墜落事故、JAL御巣鷹山墜落、浦賀横須賀沖第一富士丸と潜水艦なだしお衝突、東海大の安楽死事件、オウムの坂本弁護士一家殺害など。

1992年に大学を退官後、自ら市に働きかけて立ち上げた、横浜市総合保険医療センターに赴任。初代センター長に就任し、高齢者や精神障害者のよりどころとして6年間勤務。

現在は豪華客船ぱしふぃっく びいなす」の船医として1年の半分以上を海の上で過ごしている。

勤務以外でも横浜夢座実行委員会委員長、テレビ神奈川番組審議会委員長、横浜ジャズプロムナード実行委員長、野毛MONZEN町の創る会会長、横浜遊学校校長など、文化的活動も精力的にこなしている。

表彰も多数。監察医、鑑定医としての数々の功績が認められ、神奈川県警察本部長表彰(1969、1974、1977)、第三管区海上保安庁本部長表彰(1971、1974)、神奈川県知事表彰(1975)、法務大臣表彰(1981)、警察庁長官表彰(1981)など、表彰多数。2005年11月には瑞宝・中綬章(国家または公共に対し功労があり、公務等に長年従事し、成績を挙げた者に与えられる勲章)を叙勲した。

医学研究者としては1973年横浜市立大学医学部教授、1981年横浜市立大学医学部長、1992年横浜市立大学名誉教授に就任。海外でも、1987年メキシコ・グアダラハラ自治大学名誉教授に就任。法医学の進歩、後進の指導に国内外の学究機関で多大なる貢献を残す。アメリカコネチカット州ニューブリテン市、ブリッジポート州の名誉市民、カリフォルニア州の名誉州民の称号をもつ。

作家としても活躍しており、これまで14冊の本を出版。特に監察医時代の体験を記した『法医学教室の午後』『続 法医学教室の午後』『法医学教室との別れ』(いずれも朝日新聞社)は文庫化された後も売れ続けている。さらに『助教授一色麗子法医学教室の女』や『法医学教室の事件ファイル』として映画化やテレビドラマ化もされ、こちらも高視聴率を記録している。他にも
・新法医学(中央医学出版)
人生の教科書「よのなか」(筑摩書房)
こころの羅針盤(かまくら春秋社)
ドクター西丸航海記(海事プレス社)
ドクター・トド 船に乗る(朝日新聞社)
など、医学書、エッセイなど著書多数。

海事プレス社発行の船旅専門誌『隔月刊クルーズ』にも長年連載、2014年7月号では引退クルーズの模様を紹介している。
 
おすすめ!
 

『法医学教室の午後』(朝日新聞社)
『法医学教室の午後』
(朝日新聞社)

西丸氏を世に知らしめた代表作。監察医時代に行った検死をエッセイ風に記録。老若男女さまざまな人の検死の模様を通して、人間という生き物の悲哀、愚かさ、暖かさ、法の矛盾を描いた一冊。1984年1月に出版されるや話題を呼び、映画化、ドラマ化された。20年以上を経た今も放映中。文庫版も売れ続けている。

ちなみにこの後、検死本が相次いで出版されたが、その内の上野正彦氏の『死体は語る』は執筆前に西丸氏がアドバイスしたようだ。

 
 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
●河出書房新社

 
魂の言葉 いつでも人生は上り坂。悔いなく登りきったら安心して死に委ねられる いつでも人生は上り坂。悔いなく登りきったら安心して死に委ねられる いつでも人生は上り坂。悔いなく登りきったら安心して死に委ねられる
第10回 弁護士 宇都宮健児さん「その一」へ
 
 
取材後記

「医療・医療機器・福祉関連/医師・技師」の転職事例

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第9回船医・作家 西丸與一さん-その4-「今この瞬間」を頑張ってみろ