キャリア&転職研究室|転職する人びと|第7回・前編 うつ病で退職、暗闇の2年間

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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第7回 前編 岡崎佐智子さん(仮名) 28歳/貿易事務
うつ病で退職、暗闇の2年間 それでも衰えなかった仕事への情熱
大学卒業後、SEとして某大手システム会社に就職した岡崎佐智子さん(仮名)は、過労のため自律神経失調症とうつ病になってしまい、約2年間の休養を余儀なくされる。20代の貴重な2年間を奪われた岡崎さんが復帰へのきっかけをつかんだのは、技術専門学校でのある出会いだった。
深夜まで続く残業と不規則な生活で
自律神経失調症とうつ病に
 
 午前8時。都心へ向かう電車の中は会社や学校へ向かう人びとでまさにすし詰め状態だった。その中に、今回の主人公、岡崎佐智子さん(仮名・当時24歳)も乗っていた。

 電車が揺れるたびに体が押しつぶされそうになる。化粧、香水、汗の臭いなどが渾然一体となった空気も耐えられない。こんな狭苦しい空間にこれだけの人が一度に乗るなんて。酸素さえも足りなくなるんじゃないか。

 そんなことを思っていると、本当に息苦しくなってきた。いくら呼吸をしても楽にならない。次第に気持ちも悪くなってきた。もう限界だ。目的地まであと3駅というところで、たまらず電車を降りた。

 最近あまり眠れないし、疲れがたまっているのかしら。なんだか微熱も続いているし……。

しかし、岡崎さんはまだこのとき自分の体に起きつつある異変に気づいていなかった。

 岡崎さんは大学を卒業後、某大手システム会社に就職。3カ月の研修後、金融系の統合システムプロジェクトに配属、駆け出しSEとして働いていた。仕事は楽しく、やりがいもあった。

「新卒でSEとしては素人同然なのに、経験年数2年未満のSEは加えてもらえないビッグプロジェクトに参加させてもらいました。期待されている喜びを感じたら、自然とやる気もわいてきましたね。上司、先輩、同僚など人間関係も最高でした」

 しかし、忙しさはハンパではなかった。毎日終電までは当たり前。トラブルが発生すると、深夜でも呼び出された。

 1年半が経ったころ、体に異変を感じるようになっていった。微熱が続き、めまいや立ちくらみは日常茶飯事。電車に乗るだけでも気持ち悪くなる。夜眠れず、朝も起きられない。顔中に大きな吹き出物が出た。食欲もなくなり、1カ月で体重が7キロ減った。毎日フラフラだった。

 病院にいってもなかなか病名が分からなかったので、心療内科で診てもらったところ、自律神経失調症と診断された。とりあえず病名がわかってほっとした岡崎さんはその後も薬を飲みながら働き続けたが、やはり限界はすぐに来た。ある日仕事中に倒れてしまったのだ。

「とりあえず3カ月間休職したのですが、その間、回復してもSEの仕事を続けたいのかと考えたところ、私の中から出てきた答えは『NO』でした。仕事はやりがいがあり、会社の人びとも好きだったので辞めたくはなかったのですが、ひとりで黙々とマシンに向かう仕事は自分に向いてなかったのかもしれません。本当は苦手なのに、完璧にこなそうとしていた。そこにストレスがたまっていったのでしょう」

 2001年4月、入社から丸2年後、岡崎さんは退職願を提出した。
2年間続いた暗闇の日々
復活のきっかけは職業訓練校
 

 退職後、自宅療養に入っても、岡崎さんの体調はなかなか元に戻らなかった。

 慢性的な倦怠感、微熱、食欲もない、電車に乗れない、人の多いところに行くと息が詰まるから外出もできない、お風呂に入るのや化粧をするのも面倒に思うくらいの無気力、起きている時間より寝ている時間の方が多い──。

 こんな状態が1年半も続いた。生きているのか死んでいるのか分からないような毎日。そんな生活は精神にも悪影響を及ぼした。心療内科の医師は岡崎さんをうつ病と診断した。

「このまま死ぬこともあるかもしれないと思っていました。このまま完治せず、苦しみ続ける人生は嫌だなと……。母に『私が先に死んだらごめんね』と言ったこともあります」

 しかし、1年半が経ったころ、徐々に食欲が復活。体重も戻り、精神状態も前向きになってきた。

「理由は自分でもよく分からないのですが、心身ともに限界まで行くと、その反動で体が急に元気になろうとするんじゃないですかね(笑)」

 回復の兆しはあったが、やはりいきなり正社員はまだ怖かったので、まずアルバイトを4カ月経験。働きながら体調回復の手ごたえをつかんだ。その後、本格的に仕事に復帰できる自信になると思いひとりで1カ月の海外旅行へ。帰国したのちはほぼ普通の生活に戻ることができた。

 帰国後、本格的に仕事に復帰したいと思った岡崎さんは東京都立技術専門学校(※1)に通い始めた。コースは貿易実務科。高校、大学時代に身に付けた語学を使って、人と接する仕事がしたいと思ったからだ。

 勉強はおもしろく、瞬く間に半年が経ってしまったが、就職活動に関してはやる気が起きなかった。

「勉強したことを生かしたいとは思っていましたが、自分が本当にどういう業界に行きたいのか、どういう仕事がしたいのか、分からなかったからです」

 そんなとき、同じクラスで授業を受けていた同じ高校出身の先輩に、「こんな会社、いいんじゃない?」と、食品を扱う小さな商社の求人広告を見せられた。募集職種は貿易事務だった。

 ほかに行きたい会社もなかったので早速応募。とんとん拍子で採用が決まった。岡崎さんは26歳になっていた。

食品を扱う商社で完全復活
仕事は楽しかったが不信感で転職を決意
 
 

 2003年10月に食品商社に入社した岡崎さんは貿易部に配属、製品の輸出入に関する事務作業のほか、海外での新規輸入品の買い付けや通訳、取引先との契約交渉など、一般の貿易事務の範囲をはるかに超える職務に携われた。

 楽しい仕事なら結果も出せる。岡崎さんは入社後1年で二段階昇格。与えられる権限も、仕事の幅もさらに広がった。

「やはり好きな英語を使う機会が多く、人と関わる仕事だったので、楽しく、やりがいがありました。簡単には行けない国や会えない人など、この会社じゃなかったら経験できなかったような仕事もできましたし」

 

 仕事は順調、人間関係も悪くなかった。前職のようなハードワークではないので体を壊すこともない。しかし岡崎さんは1年半が経過するころ、転職を考えるようになる。

 最大の理由は会社の経営方針に疑問を抱いたことだった。

「守秘義務に反する恐れがあるので、詳しくはいえないのですが、ある事件をきっかけに会社のやり方に疑問を持ってしまい、それが徐々に不信感へと変わっていったんです」

 自分の信条に反することを平気でやる会社にはこれ以上いたくない。2005年2月、岡崎さんは転職活動を開始した。

 
退職動機
●経営方針に疑問
  ●入社前と入社後の条件が違う
 ボーナスの額、残業代など
  ●仕事量に比べ年収が低すぎる


もっと信頼できる会社で働きたいと転職活動を開始した岡崎さんは40社近くの企業に応募するが、不採用通知の山。希望どおりの企業に転職することは不可能なのか。不安を感じながら日々の仕事をこなす毎日。そんなある日、一通のスカウトメールが届いた。ここから劇的に転職への道が開けていった。
以下次号「後編」に続く

 
プロフィール
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東京都出身の28歳。大学卒業後、大手システム会社でSEを2年経験したのち体を壊して退職、2年間の休養期間を経て都立技術専門学校に入学、貿易実務を勉強。修了後は食品商社へ入社。貿易部門の主任を務めるまでになったが、会社への不信感から転職活動を開始。今年7月から新天地の外資系食品商社で新たなスタートを切った。
岡崎さんの経歴はこちら
 

※1 東京都の職業訓練校
半年間で身に付けたものは、商業英語、貿易実務、英文会計など。これらは今でもすべて役に立っているという。「通って本当によかったと思ってます。受講料は無料だし、コースも多数あるので利用しない手はないですね」

 
 
 
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