キャリア&転職研究室|転職する人びと|第5回・前編 年収150万円アップで正社員へ復活転職!

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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第5回 前編 山本絵里さん(仮名) 29歳/営業事務
年収150万円アップで正社員へ復活転職!29歳女性派遣 貫き通した「こだわり」
大学卒業後、正社員として就職した山本さんだが、ある日突然体中に激しい痛みを感じた。このままでは心と体が壊れてしまう。危機感を感じた山本さんは退職を決意。次に選んだのは大学の派遣職員の道だった。
突然全身を襲った痛み
ストレスで退職を決意
 
 「職場や仕事が楽しければ、体を壊すこともない。それがわかったから、もう一度正社員への挑戦を決めたんです」

 山本絵里さん(29歳・仮名)は、今回の転職を決意した動機を、笑顔でこう語った。

 山本さんは都内の私立大学を卒業後、子供服のメーカーに就職。営業職としてキャリアをスタートさせた。しかし仕事は予想以上にキツかった。毎日深夜にまで及ぶ残業、頑張っても頑張っても達成できない高すぎる営業目標。休日も少なく、繁忙期には週に一日休めるかどうかという状態だった。

 就職して一年半が経とうとしていたある日、異変は突然やってきた。

 「仕事中に突然、体中に激しい痛みを感じたんです。特定の部位じゃなく、全身に痛みが走ったので、不安と恐怖で思わずその場に座り込んでしまいました」

 突然全身に襲ってくる痛みはその後も治まることはなかった。そのたびに仕事の能率は落ちた。山本さんにはその原因は分かっていた。

 「体調を壊した原因は、ハードワークや仕事の責任ではなく、ストレスだということは分かっていました。職場に溶け込めず(※1)、営業という仕事と自分の能力の相性に疑問を感じ、上司にも付いていけなかったからです」

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 また、仕事に対するモチベーションが下がったのも大きな理由のひとつだった。担当をもって、自分のやり方で仕事を回していきたかったのだが、頑張って結果を出しても上司のアシスタントからなかなか脱却できなかった。一方、同期入社の男性社員は早々に担当を任せられていた。出している結果は同じなのに。

 これまで自分なりに精一杯頑張ってきた。早く担当を持たせてもらおうと、毎日残業を重ね、休日も仕事に使うことも少なくなかった。しかしそんな頑張りの裏でストレスは知らないうちに溜まり続け、ある日突然臨界点を突破した。体を壊してまでする仕事だろうか。山本さんは転職を決意した。

大学職員専門の派遣会社に登録
4カ月後に再出発
 
 2001年7月、山本さんは大学の職員を専門に派遣する派遣会社に登録した。

 「派遣ならすぐに次の転職先が決まると思ったし、残業があまりないだろうと思ったからです。大学を選んだのは、大学という空間が好きだったからです。辞める直前は精神的にも身体的にもかなり弱っていたので、『大学に帰りたい(※2)』と思っていました」

 派遣先の大学は11月に決まった。配属されたのは主に研究費の決算処理を行う部署で、一般企業では経理や総務に当たる部署だった。前職では営業のほかに事務処理業務も任されていたが、後者の方が自信があったし、向いているのかもしれないと思っていた。しかし正社員から派遣社員になることの不安は感じていなかったのだろうか。

 「全くありませんでした。派遣も単なる雇用形態のひとつで、正社員に比べ残業は少ないだろうけど、任される仕事の内容は同じだと思ってたんです。ただ収入面にはこだわりました。自分で最低年収ラインを設定し、それをクリアできる求人を紹介してもらうまでは断り続けました」

 派遣社員の数は年々増加の一途をたどっている。厚労省の発表によると、2003年度は過去最高の236万人を記録した。一方で正社員の割合は年々減少している。正社員採用を望みながらも派遣社員として働いている人も多いだろう。しかし山本さんは自らの意思で「派遣」という働き方を選んだ。

誰にでもできる仕事を
自分にしかできないやり方で
 
 2001年12月、正社員で入社した子供服メーカーを退社し、経理・総務職の派遣社員として新たなキャリアをスタートさせた山本さんだったが、すぐに物足りなさを感じてしまう。

 「派遣社員には誰にでもできる仕事、単純作業しか与えられなかったからです。そんな仕事ばかりだとすぐに飽きるし、新しいスキルの獲得、向上にもつながりません。もっとやりがいのある仕事を任せてもらうために、『誰にでもできる仕事を私にしかできないやり方でやろう』と思って実行しました」

 
 
 当初、派遣も正社員もやることは同じと思っていたが、現実は両者の間には見えざる高い壁が存在した。しかし、山本さんはその壁を取り払おうとした。仕事に正社員も派遣もない。

 「仕事のやり方を自分で考えて実行してみると効率がアップし、こなせる仕事量も増えました。上司も私の言うことを聞いてくれるようになり、これまで派遣には任せていなかったいろんな仕事を任されるように(※3)なりました。そして、仕事を任されれば任されるほど組織が見えてきて、ますます仕事をするのがおもしろくなっていったんです」

 上司から言われたとおりに仕事をこなすのも立派な働き方だ。しかし、それでは自分の枠を広げていくことは難しい。自分で仕事のやり方を考え、プラスアルファの結果を出すと、上司から信頼を得、職務領域が拡大。それがやりがい、楽しみを生み、さらなるモチベーションのアップにつながるという好循環を生み出した。

 出発点となったのは、「誰にでもできる仕事を、自分にしかできないやり方で」という発想。多くの人材バンクのコンサルタントも、オリジナリティと創造性は正社員にこそ強く求められる能力だと語っている。一度は疲れ果てて「残業が少ない」派遣社員の道を選んだ山本さんだったが、やはり根本的な行動特性までは変わらなかったようだ。

 
 さらに、働くことに積極的になれたのは、職場環境が大きく寄与していた。

 「前職とは違って変にクセのある人もいなく、皆さんいい人で気持ちよく仕事ができました(※4)。毎日職場に行くのが楽しみなほどでした」

 仕事はひとりではできない。会社組織に属する以上、一緒に働く上司、同僚、部下との関係や、職場の雰囲気は非常に重要な要素だ。事実、人間関係や職場の雰囲気は常に退職理由のトップにランキングされている。

 自分に合う職場で伸び伸びと仕事をしているうちに3年半の歳月が経過。山本さんは27歳になっていた。

やりがいと年収アップを求め
正社員での転職を決意
 
 派遣社員の契約期間は短い。全体の9割が半年未満、7割が3カ月未満で契約を終了している(2003年度。厚労省調べ)。そんな中、3年半は異例の長期間契約といえる。職場にとって山本さんは必要不可欠な人材であったという証拠だろう。

しかし山本さんは2004年11月、転職を決意する。これまで順調に広げてきた職務領域も限界を迎えたことが最大の理由だった。

 「丸3年が経つころには、これ以上派遣社員には任せられないというところまで来てしまったんです。そうなると仕事自体がルーティーンワークになって、やりがいやおもしろみも半減しました」

 だからといって仕事に身が入らなくなったわけではないが、次々と新しい仕事をこなすことによって、自分の領域を広げていくあの喜び、成長実感は得られなくなった。この段階で初めて派遣社員という立場の限界を知った。

 
 もうひとつの理由は年収面。いくら仕事の幅を広げて成果を出しても、昇給は全くなかった。お金のために働いているのではないとはいえ、自分の働きが収入に全く反映されないのも悲しい。

 仕事を通じてもっと成長したい。自分の可能性を試したい。そして年収をアップさせたい。そのためにはもう一度正社員になるしかない。山本さんは再び転職活動を開始した。

 

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派遣社員という雇用形態に限界を感じ、再び正社員を目指して転職活動を開始した山本さん。しかし、計10社以上の企業に応募するも、そう簡単には内定は出ませんでした。ネックになっていたのは皮肉にも成長できたという実感をもてた「派遣」の経歴。しかしあきらめずに行動しつづけることで、突破口は突然開けたのでした──。

 
プロフィール
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東京都出身の29歳。大学卒業後、子供服メーカーに入社。約1年半営業として勤めた後、退職。その後某大学の事務職の派遣職員として3年半務める。今年4月から輸入食材を扱う商社に転職(写真は本人)
山本さんの経歴はこちら
 

※1 職場に溶け込めず
「入社当初から、同僚の女子社員とは話が合わず、こちらから溶け込もうとしてもなかなか仲間に入れてもらえませんでした。半孤立状態の中のハードワークだったので、かなりストレスはたまっていたと思います」





















※2 大学に帰りたい
「一時期、大学院への進学を目指したほど、大学が好きでした」







































※3 派遣には任せていなかったいろんな仕事を任されるように

大学に客員教授として招かれた外国人教授の受け入れ業務を任された。また、文部科学省からの補助金の取り扱い業務も担当。ちなみに、この業務を派遣社員が単独で担当したのは、山本さんが初だった。



















※4 気持ちよく仕事ができました

しかし、入職した当時は職場の雰囲気は暗く、味気ないものだった。そこで山本さんは自分から積極的に大きな声で話すようにしたり、クリスマスツリーなどの季節の飾り物を置いてみたりした。すると職場の雰囲気は徐々に明るくなり、一層働きやすくなったという。

 
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