入ってからわかったんですけど、慶應大学病院の内科のリウマチ研究室にいる医師って、内科でトップクラスのむちゃくちゃ優秀な人ばかりで、世の中勉強こそすべてだ、という人の集団だったんです。もちろん「今日、スポーツのことで話があるんですが」などと言えるような雰囲気では全然なかったんですよ。尊敬している先生もいたんですけど、とにかく勉強あるのみ、暇があったら勉強してください、みたいな研究室だったんです。
そのリウマチ研のトップに君臨していた教授はリウマチの世界でものすごく有名だったんですが、その教授が僕がリウマチ研に入って1年後に定年で退官することになったんです。医局の教授が辞めるということは、新しいボスを決めるための教授選が行われるということで、それが1年後に行われるということになったんです。
教授選には助教授や講師が立候補します。リウマチ内科は、リウマチが主流で、あとは血液内科と感染症内科がそろった大きな研究室でした。各科にも派閥があって、リウマチ内科に4つ、血液内科に2つ、感染症内科に1つあって、全部で7派閥がありました。僕はその中のリウマチ内科の中の、ステロイド骨粗しょう症という骨の代謝を研究してる派閥に入っていたんですが、この派閥の先生も教授選に立候補しました。
教授選に勝つと、その派閥は天下を取れます。ところが負けると、教授選に立候補した人だけではなく、その派閥に属する者は全員、大学から出ざるをえなくなるんです。一般企業でいうと、自分が属する派閥の部長が派閥争いに負けて社長になれなかったら、その派閥は新入社員まで含めて本社から異動させられるようなものです。だから非常に厳しい世界なんですよ。
そこで僕は考えました。もし僕らの派閥のボスが教授選で負けて研究室を出ざるをえなくなった場合、スポーツ医学の道へ進むという選択肢もある。でもそれは嫌でした。「負けたからスポーツ医学へ行く」という図式が自分自身で納得できなかったんです。
一方、教授選に勝った場合は、もう一生この研究室にいることになるだろうなと思ったとき、それもどうなんだろうと。こんな「勉強こそ人生のすべて」と思っているような人たちの中で一生を研究に捧げることが、果たして俺が本当に望む人生なのだろうかと思ったんですね。
そういうことを考え抜いた結果、教授選に巻き込まれる前に、リウマチ内科を辞めようと決意したんです。そこで週に1日ほど通っていたスポーツ医学研究センターの先生に、「教授選が始まる前にリウマチ内科を辞めて先生のところで働きたいのですが」とお願いしたところ、「無給ならいいよ」という答えだったので、スポーツ医学研究センターに移ることにしたんです。
リウマチ研究室にいたときも無給でしたからね。出張病院から大学病院に戻るとまた無給なんです。結婚してるのに無給。研究室の中で給料をもらえるのは教授以下、助教授、講師、助手までなんです。研修医よりも数年上の僕らレベルまでは、有給の枠に入ってないんです。だから慶應病院の8割は研修医が終わっても無給で働いてて、他の病院でアルバイトして生活しているんです。
僕も固定のアルバイト先があって生活費は何とかなるから、無給でも全然問題ありませんって、慶應大学リウマチ内科を辞めて、スポーツ医学研究センターに移ることにしたんです。内科医と結婚したはずの妻の驚きが今でも忘れられませんね。 |