最近、またまたタバコ増税論なんかが出てきてて、ついでにタバコと健康が取りざたされたりもしているが、まったく喫煙者は肩身が狭い。
JRなんかもホーム含めて全面禁煙とかでしたっけ?
喫煙者と嫌煙者の戦いを見ていると、双方少々ヒステリックな感じもあって少し違和感を感じたりします。
ところがヒステリックなんですけど、なんかみんな良い人なんですよね。
「副流煙で健康を害したらどーするんですか!」
「これは言論統制された禁煙ファシズムだ!」
なんて応酬を聞いてると、頭の良い人の議論のような気がしてしまいます。
実は私は、この違和感をここ最近色々な所で漠然と感じているのですね。
テレビのタレントのちょっとした発言を取り上げて翌日ネットが妙な正論をぶちあげて、「謝罪しろ!」っていう書き込みで炎上してみたり。
町の飲食店なんかも、噂を恐れて妙に窮屈なサービスをしていたり。
私が働いているIT業界もそんな感じ。
J-SOXだとか、個人情報保護とか、セキュリティだとか、御社のポリシーはうんぬんかんぬんっていう、実体のビジネスより世間様に怒られない為のルールにとらわれている感じが強くて、結局実体のビジネスが窮屈になってしまっているような感じです。
世界的な不況とやらで仕事自体が減っているのに、さらにこの妙な「よいこのルール」みたいなものがどんどん増えていって、それでもってトラブルを恐れてみんなちぢこまっていて結局仕事の機会損失ばかりしているような感じがあるのですね。
なんか政治も経済も娯楽も全て、「よいこのルール」でがんじがらめにして、それを少しでも外れると糾弾されるからと、結局実体として機能していないのではないかと漠然とした思いが最近あるのです。
というわけで、「そろそろバンカラでいこう!」というご提案をしてみようかなと。
バンカラっていう言葉は、明治にハイカラ(西洋風な身なりで気取った様)っていう言葉に対するアンチテーゼとして生まれた言葉。
粗野で荒々しいっていう意味で、なんかいかつい服を着て、「オラオラ!」なんて喚く硬派な人を想像するのですが、私が提案するバンカラはそうじゃなくて、正論でがんじがらめにする「よいこのルール」を適度にぶち破る(ぶち破れる)臨機応変さみたいなものと、実業に向かっていく"熱"みたいなモノを持ち合わせた、いい意味で「規則に縛られない自由人」になろうという事。
昔のドラマなんか見ていると、オフィスにクーラーはないわ、皆くわえタバコで部屋の空気を紫色にしながら仕事するわ、昼間っからバレーボールなんかして午後はさらに汗だくで仕事するわ、夜は安い屋台でどんちゃん騒ぎするわで見ていて息苦しくなってくる劣悪な職場環境だったりするんですが、なんかみんな活発に仕事してる!っていうかむしろ"熱く生きてる!"っていう羨ましい姿に見えたりもします。
まあ現代とは経済状況も違うのでそこまで傍若無人になる必要もないのですが、でも「よいこのルール」に縛られて、みんな"ええかっこしい"でありすぎるのかなと・・・
そろそろそんな"ええかっこしい"は返上して、自らが自分の意思で自分なりのバンカラになっていこうじゃありませんかという事なのですね。
そうそう、以前大阪帝国ホテルの24階にある鉄板焼きレストランで食事していた時のこと。ここにはウェイティングバーのようなスペースがあり、食前酒だけでなく、空いていれば食後のコーヒーとデザートなんかもそこでいただけます。
(誤解のないように言っておくが、私はセレブでもなんでもないので、毎日そんな所で贅沢しているわけではありません。たまたまですよ。たまたま。)
昨今の風潮で当然店内は全面禁煙なので食後のタバコを我慢して、そこでコーヒーをすすっていました。
その時、私の胸ポケットのタバコをチラッと確認した女性のスタッフが、ウェイティングバーが私一人になった時を見計らって
「もしよろしかったらおタバコどうぞ。」
と灰皿を持ってきた事があります。
世の中が"禁煙"という事に神経を尖らせている風潮において、ましてやハイクラスのホテルでの接客という非常に緊張するセンシティブなシチュエーションにおいてその機転のきいたサービス。同じサービス業なのに杓子定規に全面禁煙した某鉄道会社とは大違い。
「接客サービスという実業」と、「よいこのルール」を天秤にかけてとっさのルール違反をして「サービスという実業」を優先させるアンテナの高さとその判断力。
彼女もまた「よいこのルール」に縛られない、ある意味バンカラなのです。
皆さんもそんな熱くてかっこいいバンカラでいこうじゃないですか。
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