前任者の引き継ぎがなかったこともあり、休日出勤、残業は当然多かった。もちろん、それらの手当はほとんどつかない。新人の自分にやるべきことが多いのは当然だし、仕事が遅い分、長く仕事をするのはやむを得ない。しかし、慣れている人が少しでも教えてくれれば、もっと早く終わるのに。そしてその分、自分から職場に還元することもできるのに──。しかし、各自それぞれの仕事にだけ打ち込んでいる。自分以外は、みな敵だといわんばかりに。
だが、そんな中でも、梶原さんを認めてくれる人が全くいないわけではなかった。入社当初、上司にあたる人物は、彼のそうした努力、人とのコミュニケーションを大事にし、場の雰囲気を変えようとする積極的な姿勢に一目置いて、何かと声をかけてくれた。
その上司がある日、一緒に昼食をとりながら、ささやいた一言。その言葉に、梶原さんは衝撃を受けた。
「この会社はもうダメかもしれない。関東地区の事業所は、近々半分ほどに縮小される。当然、辞めさせられる者も出る。残っても、その分負担が増えるだろう。その人は、そう耳打ちしてくれました。そして『君はどうするかね(※2)』、と入社してまだ何カ月も経っていない私に言ったのです。そう言われても、まだ仕事も完全に覚えているわけでもないし、30歳半ばですでに転職を繰り返しているので、なんとかここで頑張るしかないと思いました」
しかし、1年が過ぎ、さらに会社の事情が分かってきた(※3)ころ、その上司が言ったとおり、事業縮小の動きが見え隠れしてきた。
そのさなか、営業部の中に、法律に触れるギリギリの際どい仕事をしている社員がいることが分かった。
「ある上司と話をしているときに、その話が出ました。そこで、もし違法行為を犯すようなことに陥ったら大変ではないですかと言ったところ、『お前もその覚悟で仕事をしろ』と言うのです。俺たちは、みな腹をくくって仕事をしているんだ、と」
梶原さんは断固食い下がった。それは意気込みなどの話ではない。犯罪にまでいかないにしても、信用を失ったり、人間関係を保てなくなったりしては、最後には自分たちの会社に跳ね返ってくるのではないか。もっと別の方法で売り上げを伸ばすべきではないのか。
しかし、その上司は、梶原さんを逆に甘いだけの“ボンボン”と思っただけだったようだ。
「こうした日常の中で、ストレスはたまっていきました。もがけばもがくほど深みにハマる感じ。いく晩も自分がうまくいっていた頃の夢を見ました。そんな感じでしたので、もしかして、という気持ちもあって、また転職活動を再開しました」
入社して、まだ1年半ほど。それで転職するのは、履歴書としては、よくないことは明らかだ。しかし、とどまっていても先が見えないことはわかっていた。
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