人材バンクからは、たくさんの紹介案件が送られてきた。そこで見つけたのが(※3)、食品メーカーの工場のライン長の仕事だった。製造の仕事をしてきたので、これなら関連も深い。業務内容と賃金の話を少し聞いたくらいで、すぐにその会社で働くことを決めた。会社も2度ほどの面接であっさり入社が決まった。
「一流会社の系列会社でしたので安心感があったんですよね。工場をたたんですぐにでも仕事に就きたいという焦りもあって、あまりよく調べもせずに決めてしまいました。年齢もそのとき34歳。どうせ仕事に就くなら早い方がいいと、早く決まったところにそのまま入社してしまったのです」
しかし、実際入社して仕事をしてみると、全く予想もしていない過酷な労働条件だった。工場は朝5時から夜11時まで稼働し、その間、2交代制で仕事を行う。しかし、そのシフトはほとんどでたらめで、朝から夜までぶっ通しだったり、早番と遅番の組み合わせが不定期だったりで、いずれも生活のリズムがとれないものばかりだった。途方もない残業時間になることもしばしばだったが、残業代はほとんどまともに支払われなかった(※4)。
「そんな無茶苦茶なシフトになるのも、従業員が次々に辞めてしまって長続きしないので、うまく組むことができないからだったようなのです。いわゆる悪循環ですよ。職場の先輩たちは口々にここは社員使い捨てだから気をつけろ、と忠告してくれました(※5)。そこで、ここはダメだと反射的に判断したのです」
人材バンクへの登録はそのまま残していたので、相変わらず案件は送り付けられて来る。そのなかで、ある会社の募集に目が止まり、応募。意外とあっさり採用が決まった。東証一部上場企業の関連会社。結局、入社後わずか1カ月で退職することになった。
「わずか1カ月での転職。年齢も35歳。もう転職するにはギリギリの状態でしょう。しかも、妻子がいるのです。今度こそ、という気持ちでした。これでまた転職しようものなら、もう、そのときの私の履歴書をまともに見てくれる人など、この社会にはいないだろうなどと、想像したりしていました」
しかし、その「想像」は現実のものとなった。もう後がないというところで、上司も同僚も信用することができず、安心して働くことができないという最悪の状況に陥ってしまったのだ。なぜ、行くところ、行くところ、問題がある会社ばかりなんだ? 問題は、会社にあるのか。それとも……。
梶原さんが、夜、かつて自分の工場の景気がよかった頃のことを夢に見るようになったのは、この会社に入って数カ月が過ぎた頃だった。
ここにいてもいいのだろうか──。その不穏な雰囲気は、入社直後からそれとなく感じ始めていたのだった……。
|