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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第37回 (前編) 山口友義さん(仮名)45歳/営業
このままではダメになる!ぬるま湯の会社を捨て 44歳で転職を決意

山口友義さんは大学中退後、外資系商社で仕事のノウハウを覚え、大きな業務を手掛けながら力をつけてきた。紆余曲折を経て、業務用機器メーカーに入社。「古い体質を改善する」というミッションを受けての入社だったが、山口さんが提案する改善策に、社長はなかなか手を着けようとはしなかった。

 午後7時。会社を出て最寄りの駅に向かう道すがら、いつも考えることがあった。

「俺は一体、何のために採用されたんだろう……」

 山口友義さん(仮名・45歳)が勤務する業務用機器メーカーは、他社にはない技術を持っており、長年にわたって安定した業績を上げていた。あまり努力しなくても売上が確保できるせいか、社内は緊張感に欠けていた。

「当社は昔からの古い体質から抜け出せない。どうか、山口さんの力で変えてほしい」そう期待されて入社したはずだった。

 入社当初、はりきって業務改善案を作成し社長に提出したとき、社長は意外な言葉を口にした。

「まぁまぁ、そんなに急ぐことはない」

 その後、何度も提案を試みたが、そのたびにはぐらかされた。それならばと営業に力を入れようとしたが、営業に関する決定権はすべて東京の本社が握っており、埼玉支社の人間が独自に動くことは許されず、全く身動きがとれなくなった。

 入社して数カ月が過ぎても、仕事らしい仕事をさせてもらえなかった。やれることといえば、機器を納入している顧客先に赴き、修理の打ち合わせをする程度。そのほかは、朝から晩までじっと机に座っているのは、苦痛以外の何物でもなかった。

 自分は一体、何のために採用されたのか。このままこの会社にいていいのだろうか……

 自問自答を繰り返すようになっていた。

「黙って時間をやり過ごすだけで収入を手にできる。こんな楽なことはない。でも、40代といえば働き盛り。このぬるま湯に慣れてしまえば、自分がダメになってしまう!」

 悩みに悩んだ末、山口さんの心は決まった。

自分の力で物事を動かす
商売の醍醐味を知る
 

 山口さんの父親は埼玉で建築資材を扱う会社の経営者(※1)だったが、山口さんが20歳のときに他界。まだ幼かった弟や妹のため、大学を中退して働き始めた。

 営業担当として外資系の商社に入社。最初に扱ったのは建築資材で、アジア各国の業者と取引しながら、商品知識や輸入に関する業務などを覚え、メキメキと力をつけていった。

 その会社には自分のやりたい仕事を見つけ、積極的にチャレンジする社風があったため、山口さんは入社から数年たったころ、食品メーカー向けに容器を開発する仕事に着手した。容器を製造するメーカーと食品メーカーの橋渡し役となり、スーパーや食品メーカーなどを回って新しい容器を提案するなど、精力的に仕事をこなした。自分の力で物事を動かす、商売の醍醐味を味わった。

 課長職となって活躍を続けていた30代半ば、妻が病気で倒れてしまった。これまでのように、出張で頻繁に家を空ける仕事は続けられないと判断し、退職を決めた。

飲食店から機械のプログラムまで
あらゆる仕事に携わる
 

 妻を看病しながらできる仕事として、山口さんは知人が経営する飲食店で働くことを選んだ。学生時代のアルバイト経験を生かし、厨房で腕を振るった。「社員にならないか?」と声をかけられるほど(※2)、仕事ぶりが認められた。その後、大型自動車免許を取得して運送会社での運転手のアルバイトもした。

 妻の体調が落ち着いてきたのを見計らって、飲食店や駐車場の経営を手掛ける会社に入社。営業職だったが、業務改善、集客、人材の採用、社員教育など何でもこなした。

「社長職と経理職を除くほとんどの仕事をしました。力を入れるほど成果が出るのでおもしろかったですね。会社もそれを認めてくれて、最初の1年で6回も昇給しました」

 ここで自信をつけた山口さんは、いよいよ自分の手で事業を起こすことを決意する。商社勤務時代に培った人脈を活用し、食品容器製造機械を中心とする工業用機械のプログラマーとして2003年に独立を果たしたのだ。

「最初のうちは非常に好調でした。アテネオリンピックを間近にした時期だったので、機械の需要も多かったんです。しかし、製造業は浮き沈みの激しい業界。次第に需要が減り、このまま続けても経営は上向きにならないことが目に見えていました。就職したほうが得。そう考えて見切りをつけることにしたんです。私は即断即決タイプ。未練はありませんでした」

改革の担い手として入社した会社で
思いもよらない事態が……
 

 山口さんが新たな職場に求めたのは、安定した収入と自分の力を発揮できるポジション。さまざまな仕事を経験してきた山口さんには、業界や職種などのこだわりはなかった。むしろ、新しいことにチャレンジできる環境こそ望むところ。その希望を満たしてくれそうだと思ったのが、ある業務用機械メーカーだった。

 その業務用機械メーカーは他社にはない特殊な技術を持っていた。その技術を応用してさまざまな機械を作り出し、多業界と取引。安定した売上を誇る企業だった。

「業績は好調だが、古い体質からなかなか抜け出せない。これからも勝ち続ける企業になるには改革が必要。私はあと数年で後進に社長の座を譲るつもりだ。そのときがチャンスだと思う。さまざまな企業で仕事をしてきた山口さんに、ぜひ改革を成し遂げてほしい」

 面接の場で社長から直々にそう言われ、山口さんはこの会社なら自分の力を発揮できると確信。幹部候補として採用された。

 入社早々、意気込んで社内の状況を調べ、改革案を練る山口さんに対し、社員の反応は冷ややかだった(※3)。あちこちでこう言われた。

「あんたも、そのうちわかるわ……」

 社員たちの言葉の意味はわからなかったが、かすかな不安を感じた。

 その不安が現実のものとなったのは、できあがった改革案を社長に手渡したときだ。社長の意見を聞きながら、どうやって改革案を推進していくかを話し合うつもりだったのだが、返ってきたのは思いもよらない反応だった。

「まぁまぁ、そんなに急ぐことはない」

 山口さんは肩透かしをくらった思いがした。その後、何度も改革案の提出を試みるが反応は変わらず、不信感が募っていった。

座っているだけで給料がもらえる
会社は本当に楽なのか?
 

 しばらくすると、状況が読めてきた。社長は息子に経営を任せるつもりだったのは確かだが、まだその体制が整っていないようだった。自分が社長の間は何も変えたくないということだと理解し、営業に力を入れようとしたのだが、そこでも壁にぶつかった。

「営業の中心拠点は東京にあり、埼玉ではその方針に従うだけ。要するに、勝手に営業するなということです。顧客は東京に本社を置く大手企業が中心でしたから、それも仕方のないことだと思いましたが、釈然としませんでしたね」

 やれることと言えば、機械を納入している顧客先で修理の打ち合わせをすることぐらい。それも毎日あるわけではなかった。意気込んで入社したにもかかわらず、山口さんにやるべき仕事はなく、机に向かって時間が過ぎるのを待つ(※4)しかない状態になっていた。

「会社にいるだけで毎月の収入は確保される。考えようによっては、こんなに楽な仕事はないじゃないか? と考えもしました。入社してまだ1年も経っていませんでしたし。でも、だからといって本当にこれでいいのか? 安定した給料さえ手にできれば満足なのか? と、自問自答を繰り返す日々が続きました。自分は一体、何のために採用されたのか、不思議でした」

 しばらくは転職という選択肢を考えないようにして過ごしてみたが、何もしないほど疲労し、ストレスがたまっていく自分に気づいた。

「このままでは自分がダメになってしまう!」山口さんはついに転職を決断した。

 
プロフィール
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埼玉県在住の45歳。大学時代に父親が他界したのを機に外資系商社に就職。建築資材の輸入、食品容器の開発などを手掛けた。妻が体調を崩したため会社を退職し、飲食店勤務や運送会社の仕事をしながら生活の立て直しを図った。その後、商社に入社し業務改善を手掛けた後、加工機械のプログラマーとして独立を果たした。3年ほど事業を続けたが、製造業の景気に左右される仕事に見切りをつけ、業務用機器メーカーに入社。会社の体質改善を任されていたのだが、どんな提案をしても社長はまったく動こうとしなかったため、会社ですることがないという状況に陥ってしまった。

山口さんの経歴はこちら
 

父親は建築資材を扱う会社の経営者(※1)
父親は学生だった山口さんを時折、商談の場に同席させることもあったという。「相手の目を見ていれば、商談が成立するかどうかがわかります。現場を体験することで、知らず知らずのうちに商売のカンを養っていたのかもしれませんね」

 

「社員にならないか?」と声をかけられるほど(※2)
「本格的に飲食店の仕事をするなら、雇われるより経営する立場になりたいと思いました。やはり自分で決めて動くほうが私のやりたい道だったんだと思います」

 

社員の反応は冷ややかだった(※3)
入社後にわかったことだが、社員のほとんどが身内で固められており、なあなあの体質が日常化していた。修理用部品の管理などもずさんで、それを正そうという空気も感じられなかったという。

 

机に向かって時間が過ぎるのを待つ(※4)
仕事がなくても新聞を読むなど自由に過ごせるわけではなかった。「周りの社員への影響を考えてか、社長からは『仕事をしているフリをしていればいい』と言われ、ますます困りました」

 
第37回(後編)スカウトメールがこなくてもタイミングさえつかめば希望の転職は必ずかなう!
 

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