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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第36回 (前編) 武田弥生さん(仮名)33歳/カスタマーセンター
横暴な上司、最悪な人間関係で ストレスは最高潮。声まで失われ転職を決意

短大卒業後、化粧品会社の美容部員として社会人生活をスタートした武田弥生さん(仮名)は、持ち前の明るさとコミュニケーション力を武器に仕事に励んだ。6年目を迎えたとき、さらなるやりがいを求めて転職。しかし、その後は派遣社員としてさまざまな職場を経験することになってしまう。数年後、ある中小企業向けコンサルティング会社で念願の正社員になったのだが、その職場には横暴な上司がいた。

 深夜のオフィス街。近隣のビルに人影がなくなっても、その会社の明かりが消えることはなく、毎日夜遅くまでスタッフが机に向かっていた。上司の姿はない。とっくに帰宅していた。

「今日も終電か……」

 武田弥生さん(仮名)が窓に目を向けると、そこには疲れ切った表情の自分が映っていた。

 武田さんは中小企業向けのコンサルティング会社で働いていた。数カ月前の入社当初に抱いた「この会社、なんかヘンだなぁ」という直感は日が経つにつれて確信に変わっていった。

 所属部門にはいくつかのチームがあり、各リーダーが営業成績をめぐってしのぎを削っていた。表面上は仲のいいリーダーたちだが、陰ではライバルの悪口を言い合い、自分の成果を上げるために部下を奴隷のようにこき使う。部下は上司よりも早く出社し、先に帰ってはいけない——会社にはそんな不文律もあった。

 武田さん自身、上司から毎日のように罵声を浴びせられた。たとえば、顧客との契約がうまくいかないと「お前のせいだ!」と八つ当たり。そんな上司の人間性や社内の雰囲気に嫌悪感を持っていたが、やっと正社員になったばかりだし、仕事にもやりがいがあったため、なかなか辞める決心がつかなかったのだ。

 そんなある朝のこと。

(あれ? 声が出ない……!)

 必死に言葉を発しようとしても、全く声にならなかった。

(でも、これで会社を辞められる……転職できる)

 たいへんな状況に陥りながらも、武田さんの心の中には安堵に似た気持ちが湧いていた。

やりがいのある仕事を求めて
目指した仕事が誤算だった
 

 武田さんが短大を卒業したのは1994年春。多くの会社が新卒採用を手控えた時期で、いわゆる「就職氷河期」だ。そんな状況ではあったが、武田さんは早々に化粧品会社に就職を決めていた。知人からの誘いで美容部員の仕事に就くことになったのだ。

「周りの友人たちを見ても、とにかく就職が厳しくて、自分がどんな仕事をしたいかなんて考えている場合じゃなかった。接客には興味があったので、知人から話をいただいて渡りに船とばかりに応募しました。ラッキーでしたね」

 入社後は持ち前の明るさとコミュニケーション力の高さを発揮。なじみの顧客が次々と増え、順調に仕事をこなしていた。しかし、年月が経つにつれ、将来に疑問を持つようになった。

「どんどん後輩が入ってくるので自然と立場が上になっていくのですが、先輩たちの姿を見ていると、自分も将来そうなりたいという希望が見出せなかったんです。もっと自分の力を生かせる場を探そうと思うようになりました」

 そこで、5年半勤めた化粧品会社を退職し、通信関連会社に転職。半年ほど営業に従事した後、顧客からの問い合わせを受け付けるカスタマー部門のオペレーターに配置転換となった。そうして2年が経とうとしていたとき、武田さんに転機が訪れた。ある福祉の専門学校の存在を知ったのだ。

「以前から福祉には関心があって、生涯の仕事として携わっていけたらなぁという希望があったんです。もし、福祉の仕事に就かなくても、将来的には何かの役に立つと思い、専門学校に応募しました。希望者はとても多かったんですが、運よく勉強できることになったんです」

 3カ月間のカリキュラムで専門知識の習得に励み、ホームヘルパー、福祉住環境コーディネーター2級などの資格を取得。その後、念願の介護施設にヘルパーとして就職した。

「仕事はつらいことももちろんありました(※1)が、やりがいがあり、待遇や職場環境はとてもよかったので充実していました。でも仕事をしていくうちに、福祉住環境コーディネーターの1級の資格を取りたいという気持ちが強くなってきました。だけど、資格取得のための講習費や研修会に参加する費用を払える経済的な余裕はありませんでした。普通に生活する分には全く問題ないのですが、これらの費用を出す余裕はありませんでした。福祉住環境コーディネーターとして活動していくためには当時のお給料では無理だったので、仕方なく辞めることにしたのですが……ここから私のキャリアは迷い道に入ったようなものです」

自身のキャリア構築に悩んだ末
ある会社にたどり着く
 

 福祉の仕事を辞めた後、とりあえず、営業もしくは営業事務で希望を出し、期間限定で派遣の仕事をこなした。あくまでも「正社員として働ける場を見つけるまでの間」との考えだった。

 その後、ハローワークの紹介で建築関係の会社に入社したが、保険制度がなかったため、長く働ける場ではないと判断し、早々に退職。その次に紹介予定派遣(※2)として入社したのが、中小企業向けのコンサルティング会社だった。営業部門の一員として、集客率アップの企画・提案、業務効率化のシステム導入提案などを担当することになった。

 しかし入社当初から会社の雰囲気に言葉にならない違和感を持っていた。時間が経つにつれ、上司の性格や社内の人間関係がわかり、「正社員になる前に辞めなければ」と思った。

 しかし、武田さんの意志とは関係なく、事態はとんでもない方向に進んでいた。派遣会社の担当者の手違いで武田さんの採用の話がまとまっていたのだ。

「契約期間終了と同時に辞めるつもりだったので、『どうして?』という思いでした。でも、年齢的にこの機会を逃したら正社員として働けるチャンスがなくなってしまうんじゃないかという気持ちもあって受け入れることにしたんです。仕事自体にはやりがいがあったし、営業としての手ごたえも感じていたので、こうなったらやれるところまでやってみよう、と腹をくくりました」

横暴な上司に気を遣い
ストレスがたまっていく日々
 

 武田さんの直属の上司は、リーダーたちの中でもとりわけお金や名誉にどん欲だった。顧客の前では素朴な好青年を装っていたが、社内では全く違った顔を見せていた。自己中心的で、女性にもだらしがないと評判の人物。耳をふさぎたくなるような噂話が頻繁に耳に入ってきたが、武田さんは「プライベートと仕事は別」と割り切って仕事に集中した。

 しかし、その仕事の場で横暴な態度を取られるのは本当にうんざりした。嫉妬心が強いのか、武田さんの営業がうまくいくと「女だからだろ」と嫌味を言われ、うまくいかなかったときは「お前のせいで俺の給料が下がる」と罵倒された。

「部下は上司に従うのが当然、とばかりに膨大な量の仕事を押しつけられ、成果が上がれば自分の手柄、成果が出なければ部下のせい、そんな人でしたね。だから、言葉遣いや行動には細心の注意を払いました。新規顧客に営業に行くときも、『私がやります』ではなく『私にやらせてください』といちいち下手に出るようにして。そうじゃないと、いちいち汚い言葉を浴びせられるんです。本当にイヤでイヤでたまらなかったですね」

「武田さん、よくあんな上司と組んで仕事ができるな。あいつ、サイテーだろ?」

 周りが上司の悪口を言っても、決して乗せられないように気をつけた。同調したいのは山々だったが、ぐっと我慢して受け流した。なぜなら、「武田がおまえの悪口を言っていた」などと上司に告げ口される危険性が高く、そうなれば仕事がやりにくくなるからだ。

 しかし、そんな武田さんの思いも同僚たちには理解されず(※3)武田さんのストレスはたまる一方だった。

声が出ない!
これで会社を辞められる……
 

 武田さんの脳裏には時に転職の二文字が頭をよぎることもあったが、仕事のやりがいが大きく、決心はつかなかった。営業先で出会う中小企業の社長たちには教えられることが多く、とても楽しかった。契約数も伸びていた。またひどい人間関係に悩まされたのは大阪支社だけで、本社や他支店の社員たちにはかわいがってもらっていた。

 それに、辞めるにしても、所属チームをナンバーワンにしてから、自分の力で誰からも文句を言われない結果を残してからだ——いつからか、武田さんはそんな思いに取りつかれるようになっていた。自分の身も顧みず、早朝から深夜まで意地になって仕事に取り組んだ。休日もほとんど取らなかった。

 声が出ない、という体の異変が起きたのはそんなある日のことだった。何か言おうとしてもどうしても言葉が出ない。初めての経験に、武田さんは慌てた。

(どうしよう!? これじゃ、仕事にならない)

 しかし、焦りと同時に別の思いも込み上げてきた。

「仕事ができなくなれば、会社を辞められる……」

 病院に行くとストレスからくる症状であることがわかったので、とりあえずは声を出さずにできる仕事に従事しながら、様子を見ることにした。上司は武田さんのことを心配するどころか、大いに攻め立てた。

「すぐにでも辞めます」と上司の上の立場に当たるマネージャーに申し出てみたが、武田さんが辞めると営業成績に響くと判断したのか、「あなたの上司に問題があるのはわかっている。部署を変えるから残ってくれないか(※4)」と慰留された。マネージャーと上司の関係も険悪だったのだ。両者の確執も大きなストレスとなっていた。

 しかし、武田さんはマネージャーからの提案を受け入れる気にはなれなかった。そのころの武田さんは心身ともにボロボロだった。力を入れて引っ張ったわけでもないのに、髪の毛が途中でプツプツと切れてしまう。行きつけの美容室で、美容師に驚かれた。気がつけば肌も荒れ、やせ細っていた。鏡の中にはかつての自分とはかけ離れた姿の自分がいた。

 そこまで追い詰められていたものの、武田さんは出社すると意地になって仕事に取り組んだ。

「こうなってしまったのは私のせいじゃない。誰にも後ろ指を指されるもんか」

 もはや気力だけで仕事をしているようなものだった。

 声が出なくなってから2カ月後、ようやく退職願いが受理された。後輩への引き継ぎを完璧に済ませ、先々の営業アポイント先も確保して、会社を去った(※5)。もう二度とこんな会社で働きたくない。今度こそ、長く働ける職場を見つけたい——武田さんは強く決意した。

 
プロフィール
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大阪府在住の33歳。短大卒業後、化粧品会社の美容部員として5年半ほど勤務。通信関連会社の営業を経て、福祉施設へ。その後は派遣社員としてさまざまな会社で営業の仕事をした。2007年春、中小企業を対象としたコンサルティング会社に派遣社員として入社、2カ月後に正社員として採用されたが、会社の雰囲気や横暴な上司になじめず、体調を崩したことから、転職に踏み切った。

武田さんの経歴はこちら
 

つらいことももちろんありました(※1)
「一番つらいのは、入居者さんの死と、法律や市町村の決めた意味不明な規則との戦いです。福祉社会は誤解が多くて……。だから体力的にというよりも精神的にキツいんです。“人生の終末とは何なのか?”と常に考えさせられる職場ですから」

 

紹介予定派遣(※2)
派遣社員として一定期間だけ就業した後、就業先の会社と派遣社員(求職者)の意志が一致すれば正社員への雇用切り替えを行う制度。

 

同僚たちには理解されず(※3)
武田さんが上司に好意を寄せていると疑う同僚もいたという。「冗談じゃない!って思いましたね。すごく悔しくて、人間不信になりました」

 

部署を変えるから残ってくれないか(※4)
「マネージャーも上昇志向の強い人でしたから、自分の管理下でこんな問題が起こったことが会社に知れると、出世に響くと思ったんでしょうね」。武田さんはますます人間不信になり、会社を辞めたいという気持ちがさらに強くなったという。

 

会社を去った(※5)
「精神的にも不安定になって、友達にもずいぶん迷惑をかけました。友達からのメールに一切返信できず、電話にも出られなくなって。精神的余裕が全くなくなっていましたね」

 
 

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