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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第23回(前編) 上原文生さん(仮名)29歳/商社営業
“新卒”でも“中途”でもない 就職浪人が見つけた 新たなる可能性

大学でロシア語を学び、さらに大学院にまで進み、留学も経験した上原文生さん(仮名)が目指したのは外務省専門職員。しかし、2度の挑戦に失敗、年齢制限のためその可能性が途絶えてしまった。未来が見えなくなり、しばらくは茫然自失状態だったが、心機一転、初めての就職活動をスタート。29歳での初めての就職活動だけに苦難の連続だったが、ある「出会い」で上原さんの運命は劇的に好転していった。

 大学、大学院とロシア語を学んできた上原さんにとって、自分の取り柄は唯一、ロシア語・英語の語学力だと思っていた。特にロシア語をここまで勉強してきた人は、この日本でそう多くはないはずだ。これこそ自分にとって唯一の武器であり、仕事に生かしてこそ、長く学んできた意味があるはずだ。

 そう思って上原さんはハローワークに出掛けて職探しを始めた。大学院を卒業し、外務省専門職員の採用試験を2度に渡り受験、いずれも2次試験で失敗し、前途を絶たれたショックも癒えきっていない2006年の9月中頃(※1)のころだった。

 

 しかし、ロシア語を必要とする仕事はそう多くはない。もはや職種にこだわる余裕もないので、どんな仕事でもかまわないと、翻訳者から海外支店を持つ中古車販売の営業まで、目についた求人にはとにかく履歴書を送ってみた。

 やはり、結果は厳しかった。8社ほどに履歴書を送ったが、そのうち、面接まで進んだ会社はわずか2社。なんとか内定までこぎつけた中古車販売の会社も、収入の面で、上原さんの年齢から考えると妥当な額とはいえず、離職率もかなり高い(※2)という話も聞こえてきた。

「焦ってこの会社に決めてしまっていいのだろうかとは思っていたのですが、この段階では、ほかのあては全くない状態でした。どうしようかと考えていたときに思い立ったのが【人材バンクネット】だったのです」

匿名キャリアシートを公開した途端に
思いもよらぬスカウトメールが
 

 上原さんは、インターネットで検索して見つけた【人材バンクネット】を思い出し、匿名でキャリアシートを公開してみることにした。今の行き詰まった状態を打破するため、どんな可能性でも試してみよう。そんな気持ちだった。

 すると匿名公開した2日後に、2件のスカウトメールが届いた。そのうちの1件は大手商事会社のグループ企業で、電力プラントに関わる機械を扱う商社を紹介するメールだった。特にロシア語に堪能な人材を求めているということで、上原さんに白羽の矢が立ったようだ。

「電力プラントを扱う商事会社といわれても、それ自体はピンときませんでした。しかし、有名なグループ企業で、なによりロシア語が使える人ということでためらいは全くありませんでした。その案件を紹介してくれた人材バンクの株式会社メイツに早速メールを送ったところ、その日のうちに、ぜひ会って話を聞きたいという電話が入りました。対応が迅速なのには驚きましたね」

 早速株式会社メイツを訪れると、出迎えてくれた中島靖友コンサルタントが、商社の概要や応募についての説明をきびきびとしてくれた。かなり経験、実績のある人だと想像される無駄のない説明。聞いてみると、すでにその企業に多くの人材を紹介しているのだという。

 

「私はまず、自分の経歴を話し、語学以外にこれといって得意なものなく、経験もないということを素直に伝えました。これは正直なところですし、また、ほかの企業でも同様に説明してきたことでした。すると、中島さんは、少し考えて、メンタルな部分も含めて何かアピールできる点はありませんかと尋ねました」

 そこで「性格的には我慢強い方だと思います」と答えてはみたが、小学校のお受験でもないのに、こんな抽象的な話ではしかたないな、と少し恥ずかしい気持ちがした。しかし、中島コンサルタントは笑いもせずに、「何か長く続けたもの、エピソードはありますか」と聞いてきた。

「そういえば、とお話ししたのが、アルバイトのことです。といっても近所のファミリーレストランの厨房で働いていただけだったのですが、学部生のころから大学院を卒業するまで6年間続けてやっていたことを告げると、中島さんは、にっこり笑って、それは十分説得力のあるアピールポイントになりますよと言ってくれました」

 物事を長く継続できることは、会社員として働く上で重要な適性のひとつだ。気分が変わったり、ちょっとした障害に当たったりしただけで会社を辞めてしまうような人は、雇う側としては受け入れることができない。そう説明されれば確かにその通りだが、たかがアルバイトの経験だけで、企業にアピールできるものだろうか。上原さんには少し意外だった(※3)

「意外なことといえば、その会社の募集の条件が営業経験3年以上となっており、私にその経験がないことを承知で、応募を勧めてくれるのにも驚きました。そのことを尋ねると、中島さんは全く問題にされていない様子で、その点は、私が押してみましょう、とおっしゃいました。企業がどんな人材を捜しているかは把握しているので、募集の条件にぴったり当てはまっていなくても、それに相当する能力があれば問題ないのだとおっしゃるのです。私ひとりで就職活動をしていたら到底見つけられない求人でした。なるほど、幾人もの転職相談を受けているプロなんだなと感じました」

「最後の質問」が
最大のネックですよ
 

 話が進み、その企業に応募する意志を固めた上原さんに、中島コンサルタントは、面接の際のアドバイスをしてくれた。

「ロシア語に堪能な人という募集ですが、上原さんはロシア語や英語にこだわっていますか。もし、ロシア語に全く関わりない仕事に就いてもやっていけますか。面接の際にはそんな質問をされるでしょう。その時どう答えますかと、中島さんに聞かれました。私はそれまで、得意なロシア語を強調することで自分の価値をアピールできると思っていたのですが、それがかえって企業の方に警戒心を与えてしまったのではないかと、その時気づきました。『ロシア語ができる』と言ってきたつもりが、『ロシア語しかできない』あるいは『ロシア語しかやらない』と聞き取られていたのではないかと思ったのです。考えてみれば、私の経歴からも、そう思われるかもしれません。これは改めるべきだと思いました。なんだか、面接に向けて少し自信がついてきたような気になりました」

 中島コンサルタントは、そのほかに、収入のこと、会社の雰囲気のことなど、募集情報や会社案内などではなかなか知り得ない情報を端的に説明してくれた。そんな中で、「最後の質問」が話題になった。

 

「面接の後で、いつも『何か質問はありませんか』と聞かれますが、あれにどう対応してよいかよくわからなくて、戸惑っているのです、と素直に言ったところ、『それはいい質問です』と話してくれました。この質問のとき、先方は、自分の会社にどれほど興味を持っているか、どこに着眼点を置き、どれくらい分析しているかを判断し、その質問の仕方の良し悪しで、結果が大きく変わることがよくあるのだと、中島さんは説明してくれました。これもなるほど、と思ったことです。早速最後に聞かれる質問の内容を自分なりに考えて、面接に望むことにしました」

 こうして、中島コンサルタントとの1、2時間程度の面談は、上原さんにとって貴重な体験となっていた(※4)。自分では探しようもなかった求人案件。自分では調べようもなかった情報。そして、自分では知り得なかった面接の検証とアドバイス。これらは、仮にこの企業がダメだったとしても、次につながるノウハウになるに違いなかった。

数十ページに及ぶ
面接シミュレーションのメモ
 

 その面談以降、ことは信じられないほどとんとん拍子に進んで行く。面談当日、中島コンサルタントの手を通して履歴書が応募会社に送られると、1週間を待たずして、一次面接が行われることになった。出てきたのは2名の人事担当者。その数日後に担当部署の部長と人事部長との2次面接。これまでになく順調な展開だった。

「中島さんのアドバイスの通り、ロシア語とは関係のない仕事についてもよいか、外交官への未練はないか、そしてロシア語以外に興味を持っているものはないかという質問が出ました。特にロシア語にこだわらず仕事をしたいと返答したところ、それを聞いて安心しましたとおっしゃっていただき、面接の雰囲気も変わってきたという手応えを感じました」

 面接の最後に聞かれる「質問はありませんか」という問いにも、あらかじめ対応を準備してきた。事前にしっかりと面接対策のノートをつくり整理していたのだ。質疑応答のシミュレーションを組み立て、問題点をチェック。面接を受けた後は、その内容や感想、反省点を記していく。さらに、切り抜き記事やホームページなどのデータなども挟み込んでいくと、数日の間に数十ページにも及んでいた。

「前回の面接と代わり映えしない質問ではダメ。さらに深い視点で考えた質問をしよう。問われて、答えに窮してしまったことについては、次に質問されるチャンスを狙って、きちんとした意見を考えておこう……。いろいろあって落ち着かない気持ちで書き殴っているようなものでしたが、そうした分析が、自分を冷静に見る余裕につながったし、次の面接でも何らかの形で役に立ったのではないかと思います」

 そんな中島コンサルタントのアドバイスと緻密な面接準備が功を奏してか、最終面接もすんなりと通り、あっけないほどあっさりと内定が決まった。自分を買ってくれる企業なんてどこにもないのではとうつむき加減に考えていたころから、わずか2週間ほどしか経っていない10月のことだった。

 

「今回の就職活動はごく短期間ではありましたが、中島さんとの面談などを通し、自分や社会に対してこれまでとは全く違う見方ができるようになって、世界が広がった気がします。それに今年は、久しぶりに家族全員で穏やかにお正月を迎えることができました。考えてみれば、ここ数年は、卒論の勉強だ、受験対策だとあわただしく、家族でのんびり過ごした記憶がありません。試験に失敗してしょげていた私に旅行を勧めてくれた母は、あのころ何も言いませんでしたが、おそらく相当負担をかけていたのだと思います。この次は、私が両親に旅行をプレゼントしてあげたいですね」

 新しい仕事に就いてまだ3カ月。現在の主な仕事は海外に提出する書類の作成だが、慣れない仕事だけに、辞書と首っ引きで悪戦苦闘している。しかし、学生のころとは違う充実感を感じているという。

「貿易の仕事は、現地でのフレッシュな情報こそ命。そこで他社との差異化ができると思います。ですから、私も将来は海外に駐在して、会社に大きく貢献するような情報を提供していきたいと思っています。さらにいえば、今は大きなグループ会社の一部、いわば親会社の旗本で仕事をしているという面もあるかもしれませんが、いずれは、ウチの会社の一枚看板で、どんどん仕事が広げられるようなものにできればなあ、なんて思っています。……まだまだ新米で、今は今日の業務をこなすのに精一杯ですが」

新しい世界に向かって、確実に一歩を踏み出した上原さん。その顔は新しい目標を見つけた喜びで輝いていた。

コンサルタントより
株式会社メイツ 紹介事業本部
 主任コンサルタント 中島靖友氏
ネガティブな面にとらわれない
姿勢が大きな成果につながります

中島靖友氏

上原さんの場合は、ロシア語と英語に優れたスキルを持ち、なおかつ20代という年齢ということに注目して

今回の案件をご紹介しました。実際のところ、ビジネスレベルでロシア語が堪能だという人材はそう多くいらっしゃるわけではありません。逆に、そこまでのレベルでロシア語のスキルを必要とする案件がそう多くないことも事実です。ざっと数えても50件に1件程度でしょうか。企業も求職する人も場合によっては数カ月に1件巡り会えるかどうかということもあります。その点で、上原さんの場合は、タイミングとしても最適だったと思います。

上原さんとお会いして、気になった点は、ご自身に就職の経験がなく、語学以外にこれといってアピールできる要素がないと話されていた点でした。正直なお人柄がうかがえるものではありますが、それだけではネガティブなポイントとして受け取られかねません。聞けば同じアルバイトを6年間も続けられており、単なるアルバイトの仕事に留まらず職場全体の調整管理までできるレベルに達していたそうです。そこまで継続したという事実は、人物面として高く認められるものでしょう。また、上原さんと連絡を取る際も、レスポンスが速やかで、意欲や誠意が感じられました。上原さんは、スキル面でも人物面でもアピールできる要素を持っていらっしゃるようでした。それをご本人が自覚すること、つまりネガティブな要素にとらわれないことで、それ以前とは全く違ったアプローチができますし、それで状況も大きく動くことも考えられます。上原さんが、比較的すんなり内定を決めることができたのは、タイミングが合ったことと、こうしたポジティブな姿勢で面接に臨めたことが要因だったと思われます。

実は、上原さんの場合、職業に就いた経験がないことで、企業が求める条件にかなってはいませんでした。ただ、ご本人とお会いして、人物面に光るものがあったので、推薦できると判断しました。企業の募集要項はもちろん重要な“ものさし”であり、無視するものではありませんが、必ずしも完全に合致していなくても、時には推薦することもあります。これはわれわれコンサルタントと企業との長年の信頼関係からできることで、これから転職をしようと考えている方も、杓子定規に考えず、まずはわれわれに相談してほしいと思います。

私個人も、上原さんが満足のいく就職がかなったというご感想を持たれているようで、とてもうれしく思います。いずれ会社の中で中核を担う人材になってほしいと期待していますし、応援もしています。このように求職する人たちと信頼関係を持ちながらタッグを組むことができたときは、われわれコンサルタントとしても、強くやりがいを感じますね。

 
プロフィール
photo

東京都在住の29歳。語学に興味を持ち、某外語大のロシア語学科に入学。さらに大学院へ進む。卒業後、外務省専門職員を目指して試験を受けるが、失敗。年齢制限があるため、外務省を断念し、新規採用でも中途採用でもない、いわばフリーターからの就職活動を始める。最終的には、大手商事会社の子会社に入社が決まり、将来は海外駐在員を目指して頑張っている。

上原さんの経歴はこちら

2006年の9月中頃(※1)
外務省に入省し、在外公館の館務に就くには、国家公務員試験Ⅰ種試験に合格し、外務省に希望を出すというルートと、外務省の専門職員の採用試験に合格するというルートの2つがある。上原さんが選んだのは後者の方で、最終合格者発表は8月の末日ごろになる。ちなみに合格率は10%程度。外務省試験の結果が判明して2週間ほどは気力が抜け、自分の部屋からほとんど出ない日々が続いた(前編参照)。

 

妥当とはいえず、離職率もかなり高い(※2)
給料は、残業などはなく、年俸300万円で固定給という話だった。「経験がない分、年齢に応じた額は無理だとしても、その後の成果で認められなければとは思っていました。また、インターネットで調べてみると、いくつかのサイトにその企業のことが書き込まれており、離職者も多いような印象を持ったので、不安を感じていました」

 

上原さんには少し意外だった(※3)
ファミリーレストランでアルバイトをしていたという経験自体は、もちろんキャリアにはならないし、強いアピールにはならない。しかし、大学・大学院の授業をきちんと受け、サークル活動などにも打ち込みつつ、アルバイトの欠勤もほとんどないという生活を続けていたという事実は、上原さんの人となりの一端を象徴的に表していると見なされるだろう。物事に対して誠実にコツコツ取り組む性格は、ある意味でオールマイティにアピールできるポイントになる。

 

上原さんにとって貴重な体験となっていた(※4)
ある意味では、上原さんは、この段階で1次面接にパスしたといってもよい状況だった。というのは、企業に通じたベテランのコンサルタントが時間をかけて面談をし、推薦された転職者は、企業側も好意的に見てくれることが多いし、転職者自身もリラックスして面接に臨めアドバイスや対策を元に、受け答えができるからだ。逆にいえば、転職希望者がいい加減な態度コンサルタントとの面談に臨むと、その後の結果もよい方に進まない可能性がある。

 
取材を終えて

「就活中は、とにかくメモをつけていたのですよ」と、取り出して見せていただいた上原さんのメモは、面接時の会話が逐一記され、コメントが加えられていました。かなり厚いものです。これを見ても、上原さんが几帳面でまめなタイプだということが想像できます。

 実際にお会いして、お話を聞いてみると、その人柄はすぐにわかるのですが、履歴書や職歴書だけでは、必ずしもそれは伝わりやすいとはいえません。形式だけの簡略な書類では、語学、外務省へのこだわりばかりが目について、「難しそうな人」と読まれてしまうのではないでしょうか。

 上原さんのそんな状況も、ほとんど偶然ともいえる人材バンクのコンサルタントとの出会いにより一変しました。初心者には見つけられないいくつものドアや通り道を、ベテランはいともたやすく指摘できます。就職活動では、少しでも「パターン」からはずれてしまうと、いきなり迷子になってしまうという図式を、はからずも体現してしまったのが上原さんだったように感じます。

 今年のお正月は本当に久しぶりに家族みんなで穏やかに過ごせました、という上原さんの言葉には実感がこもっていました。上原さんとそのご家族には、心からお祝いの言葉を贈りたい気持ちになりました。
(ジャネットインターナショナル・有竹真)

 

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