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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第23回(前編) 上原文生さん(仮名)29歳/商社営業
“新卒”でも“中途”でもない 就職浪人が見つけた 新たなる可能性

語学で有名な大学に入学、さらに大学院、留学と、好きなロシア語の力をステップアップさせていった上原文生さん(仮名)。就職先は、その能力が遺憾なく発揮できる場所——外務省の専門職員しか頭になかった。だが、地道な努力を重ねていったにもかかわらず、2度にわたり受験に失敗。年齢制限でその道が絶たれてしまった。高学歴、就業未経験。新しい活路が見いだせず、上原さんはひとりもがいていた──。

生真面目な勉強家の息子が一転
引きこもりに!?
 

 そのころの息子の様子を見て、母は少なからず動揺していた。

 いつも早朝、1時間半もかけて学校に行き、夜遅く帰宅していた息子——上原文生(仮名)さんが、今は一日中家に籠もり、ぼんやりと音楽を聴いたり、本を読んだりして過ごしている。一日中パジャマのままで過ごすなどということは、これまでの28年間の彼の人生の中であり得ないことだった。

 しかし、彼のそんな生活も無理もないことではあった。

「言葉」に興味を持ち、外国語教育では日本でも有数の大学に入学した上原さんは、そこでロシア語を学び、卒業後もさらに学びたいという気持ちから、ほとんど就職は考えもせずに大学院に進んだ。在学中に約1年間、モスクワへの留学まで経験した。

 そんな彼は、大学院を卒業するころ、就職するなら自分の能力が最大限に生かせる外務省しかないと宣言、ひたすら外務省専門職員試験合格を目指して勉強に打ち込んだ。しかし、だれもが彼なら大丈夫と太鼓判を押していたのだが、まさかの不合格。さらに翌年も挑戦したが、合格できなかった。

「自分の人生って何なんだろう——」

 ただ黙って自分の部屋に閉じこもっている息子の心のつぶやきが、母の耳にははっきりと聞こえるようだった。

過去の自分との決別を期して
京都への一人旅
 

 今年のお正月こそは、家族全員明るく過ごすはずだったのに……。

 息子が外務省職員を目指し、勉強に明け暮れていた上原家では、おだやかな家族水入らずの正月を久しく迎えていなかった。

 試験の結果が判明してから約2週間。母はいたたまれず息子に声をかけてみた。

「ちょっと気分転換に旅行なんかしてみたらどうだい? 京都や大阪なんてしばらく行ってないし、そんなところでのんびりしてみるのも、たまにはいいもんだよ」

 その温かい母の言葉は、上原さんの胸に少し響いた。ぐずぐずしてはいられないんだな。自分ばかりか家族にも重い気持ちにさせているじゃないか……。

 

 実は彼はそのとき、何も考えていないわけではなかった。外務省というルートは確かに絶たれた。しかし、次のルートを模索する「気持ちの切り替え」は次第に固まりつつあったのだ。ただ、これまで脇目もふらず、ずっとこの道だけを信じて、努力してきただけなので、どこからどうやって切り込んでいけばよいのか、それが見つからずに手をこまねいている状態だったのだ。

「確かに今の自分は行き詰まっている。ここでちょっと気分転換をするのもいいかもしれない」そう思った上原さんは、とりあえず母の勧めに従って、京都・大阪のひとり旅に行くことにした。旅から帰ったら、新しい自分になるつもりで頑張ってみよう。もう自分も30歳目前だ。次のステップを踏み出さなければならない──。

 上原さんは、自ら過去にピリオドを打つための小さな旅行に出掛けることにしたのだった。

外国語を極めた先にあるものは
外務省職員という職業
 

 上原さんが、数ある語学の中でもロシア語を選んだのは、彼なりの算段があった。英語や中国語はだれもが勉強する言葉だ。これに堪能な人間になったところで、特別珍しいことでもないし、それを生かして仕事をしている人は余るほどいるだろう。

 それよりは、自分だけの価値として認められる言葉。それでいて、将来仕事に就くにも生かせるメジャーなものがよい。そう考えて選んだのがロシア語だった。それに好きなチャイコフスキーの国の言葉でもある。こうして、上原さんは大学4年間、さらに大学院とロシア語を学んでいったのである。

 いよいよ大学院も卒業というとき、上原さんは、どんな仕事に就こうかと思いをめぐらせた。せっかく6年間もロシア語の勉強を続け、留学の経験もあるのだ。これで身につけたものを生かすのにふさわしい仕事に就くべきだろう。そう考えると、選択肢は絞られる。

 外務省に入り、海外で仕事をしよう。

 彼の中には常に目標があり、一つひとつ達成することでこれまでの自分を築き上げてきた。今度は「外務省専門職員」という目標に向けて歩を進めたのだった。

年齢制限は29歳
2回の挑戦はラストチャンス
 

 外務省専門職員の採用試験は、6月に1次試験として筆記試験、8月に面接などを課す2次試験がある。大学院在学中から、公務員試験の予備校に通い、ともかく合格に向けて勉強を進めていたので、1次試験は問題なくクリアした。しかし、2次試験で不合格となってしまった(※1)

「自分でも納得がいかなかったし、もう一度チャンスがあれば必ず合格できるという自信がありました。そこで、もう1年頑張ってみる決心をしたのです。それからは毎日欠かさず予備校の自習室に通い(※2)、試験が迫ってくると1日12〜13時間ほど勉強していました」

 外務省の試験は、29歳未満という年齢制限があり、受験するチャンスはその年が最後だった。上原さん自身も、必ず合格できるものと信じて勉強していたし、模擬試験の成績でも十分合格レベルに達していた。

 しかし、結果はやはり2次試験で失敗。面接がネックだったようだ。

「面接で落とされるとなると、自分の全人格を否定されているような気がして、一時期は心底落ち込んでしまいました。結果が判明した8月の終わりから2週間ほどは、今までのこの勉強漬けの日々はいったいなんだったんだろうと暗い日々を過ごしていました」

外務省へのこだわりは
ちっぽけなプライド?
 

 しかし、上原さん自身は、ただ失敗のショックで呆然として立ちすくんでいたわけではなかった。ショックが和らぐと共に、現実の問題が頭をもたげる。

 

「自分もその時28歳。友人の多くは職に就き、なかには結婚している人もいます。そんな中で、私は、仕事の経験といえば学部・院の6年間でやったアルバイトくらい(※3)。新卒でもなければ中途採用の人に求められる職務経験もない。高学歴がかえってマイナスになり、これといった仕事を見つけることができませんでした」

 上原さんは、ともかく何かしなければと重い腰を上げ、ハローワークに出向くことにした。家に閉じこもって漫然としていても始まらない。少しでも前に進もうと考えたのである。

「ロシア語をキーワードに検索しても出てくる仕事はほとんどありません。幅を広げて外国語、英語と入力してもこれだと思う仕事にはヒットしませんでした。次第にレベルを下げ、業種はもちろん、企業の規模や待遇なども考えずに、とにかく語学力を生かせそうな仕事を見つけては、履歴書を出してみました。しかし、ほぼ書類選考でNGでしたね」

 そんな中、とりあえず仕切り直しにと出掛けた京都・大阪の小旅行をつかの間楽しんでいる最中に、ハローワーク経由で企業から履歴書が見たいという話が来た。不合格の痛手と入れ替わるように、今ここにある現実が色濃くなっていく。

「まあ、落ち着いて考えてみれば、私は何が何でも外務省で働きたかったわけではなく、語学を発揮できる仕事、海外に出て活躍する仕事を望んでいたのです。外務省にこだわったのは、私の、いわば意地に過ぎなかったのではないか。それなら、そんなちっぽけなプライドなど持っていても意味がないのではないかと思えてきたのです」

 旅行の最後は、ほとんど宿で履歴書を書いて企業に送るというあわただしいものになってしまった。

「当社にはもったいない」と
断ってくる企業
 

 しかし、履歴書を送り、面接に行っても、やはりこれだという手応えは得られなかった(※4)。例えば通訳コーディネーターの仕事では、「あなたほどの優秀な学歴では、当社の仕事はもったいない」といわれた。海外にオフィスを持つ中古車販売の会社も当たってみたものの、元々自動車に興味を持っているわけでもなく、これでやっていけるかという不安が残った。

 今まで学生であり、試験勉強を続けてきた上原さんにとって、就職活動は、すべてが手探りの状態だった。

「とにかくどんな企業でも3年も勤めれば、自分のキャリアになる。だからとにかく雇ってくれる会社があるならなんでもOKという気持ちで、ハローワークに通っていました」

 少々投げやりな気持ちで、その時点で唯一内定をもらった中古車販売の会社に行こうかと思った矢先、ネットで情報収集している際に見つけ、登録していた【人材バンクネット】からメッセージが届いた。開いてみると、差出人はメイツという人材バンク。一度会って話を聞いてみたいというスカウトメールだった。

 

「その時点では、少しでも可能性があるのなら、という程度の気持ちでしたから、すぐに会ってみることにしました」

 これが、上原さんのコースを大きく変えるきっかけになった。

 未知の世界に足を踏み入れた人は、闇雲に動き回り、途方もないエネルギーを使うが、多くが徒労に終わってしまう。しかし、その世界の事情を知る人がぽんと肩を叩き、道を指し示せば、これまでの苦労がうそのように、一直線に目的地にたどり着してしまうというようなことが往々にして起こるものだ。

 この一通のメールは、上原さんにとって、まさにそんな転機となるものだった——。

 
プロフィール
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東京都在住の29歳。語学に興味を持ち、某外語大のロシア語学科に入学。さらに大学院へ進む。卒業後、外務省専門職員を目指して試験を受けるが、失敗。年齢制限があるため、外務省を断念し、新規採用でも中途採用でもない、いわばフリーターからの就職活動を始める。最終的には、大手商事会社の子会社に入社が決まり、将来は海外駐在員を目指して頑張っている。

上原さんの経歴はこちら
 

1次試験は問題なくクリアした。しかし、2次試験で不合格となってしまった(※1)
外務省専門職員試験は、1次試験が一般教養、憲法、国際法、経済学、時事論文、外国語和訳、和文外国語訳という筆記。2次試験が外国語会話、面接(個別・集団討論)、身体検査。ちなみに平成17年度の最終合格率は10.0倍だった。

 

それからは毎日欠かさず予備校の自習室に通い(※2)
2年間、公務員試験を目指す予備校に通ったが、2年目は授業を受ける必要がなかったので、もっぱら学校の自習室で勉強していた。朝開校する7時半から夜は遅くなれば10時ごろまで、黙々と勉強を続けていたという。

 

アルバイトくらい(※3)
上原さんは、大学時代の4年間と大学院の2年間の計6年を近所のファミリーレストランの厨房で働いていた。語学系の学部は課題も多く、それなりの勉強時間が必要であるうえ、上原さんはサークル活動もやっていたので、学生時代は多忙を極めていた。しかし、アルバイトは欠勤することなく継続してきちんと勤め上げていた。これは、彼自身の時間管理能力を高める訓練になったことのほか、就業経験のない彼の長所として、面接でアピールすることもできたのだった(後編で詳述)。

 

これだという手応えは得られなかった(※4)
このとき、履歴書は8社ほどの企業に送った。語学さえ生かせれば、会社の規模は20人未満の小さな企業でも、また待遇面でも特に条件を申し出ることはしなかった。しかし、面接にまで進めたのは、先に紹介した通訳のコーディネーターの仕事と自動車の中古販売の企業の2社だけだった。

 
次回は1月29日配信予定
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取材・文/有竹真(ジャネットインターナショナル)

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