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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第15回 後編 林 章さん(仮名)32歳/SE
仕事で成長しなければ意味がない!異国の地で望みの仕事を手に入れた 32歳中国人SEのど根性
希望の仕事に就けるなら、住み慣れた大阪を離れてもいい——。そんな思いで転職活動を開始した林さんだが、事態は予想外の展開を見せ、いよいよ大阪を離れることが現実に。しかしその時、見知らぬ土地で働く故の、孤独への不安と迷いが、林さんを襲う。
キャリアシート更新&メールで
転職活動をスタート
 

 2005年5月。転職を決意した林さんが最初に手をつけたのは、【人材バンクネット】のキャリアシートを見直して更新すること。実は林さんは、3年前の転職の際、【人材バンクネット】に登録(※1)をしていた。

「でもその時は、いいなと思うスカウトメールがあんまり来なかった。多分、当時の私のキャリアやスキルのレベルが今ひとつだったんでしょう(笑)」

 だが今回転職に臨まんとしている林さんは、3年前と同じではなかった。激務の傍ら、オラクルマスタプラチナをはじめ、SUN認定Javaプログラマなど、仕事に活かせるさまざまな資格を取得し、着々とスキルアップ(※2)を図っていたのだ。

 キャリアシートには取得した資格をしっかりと記入し、自分がどんな仕事を希望しているのかも丁寧に書き込んだ。

 今回の転職で、林さんが求める条件は2つ。まず、英語を使う環境であること、そして、職種がシステムエンジニアであること。勤務地は、住み慣れた大阪にないのなら東京に移る意思があることも付け加えて更新すると、翌日から、スカウトメールが続々届いた。

 

「これまでは仕事が忙しくて、スカウトメールや転職に関するメールが届いても、全然開封せずに捨てていた(※3)んです。でも転職を決めてからは、届いたメールがどこから、誰からきたかをしっかりチェックするようにしました」

 また、そのほかの転職サイトもこまめにチェック。「これは」と思った求人内容があると、すぐに問い合わせてみた。

「詳しく話を聞いてみると、自分の希望とズレていたりして……。でも、わずかなズレでも、絶対妥協はしませんでした」

 中国での仕事を紹介するものも少なくはなかったが、林さんが魅力を感じる仕事はなく、「もう少し日本でがんばりたい」との思いから、すべて断った。

メールのやり取りで芽生えた
より良い転職先への期待
 

 こうして、仕事と並行しながら本腰を入れて転職活動を続けて2カ月。7月のある日、1通のスカウトメールが目にとまった。送り主は、サーチファーム・ジャパン株式会社の原田周作コンサルタントだった。

「メールを見た時、『ヘッドハンティングの会社からだ!』と思ってうれしくなりました。中国では給料が高くて質の良い仕事はヘッドハンティング経由じゃないと巡り合えないという風潮が強いんです。『サーチファーム』というくらいだから、ヘッドハンティングの会社だろうと。だから、いい仕事を紹介してもらえるかもしれないという期待がありましたね」

 メールには具体的な求人案件は書かれてはいなかったものの、林さんがすぐさま返信すると、即座に原田氏から返信が来た。それ以降、東京の原田氏と大阪の林さんとの間で、何度かメールのやり取りが続けられた。

 

「原田さんからは、これまでの私の具体的な経歴や、現在どういうスキルを持っているか、なぜ転職したいのか、といったことを詳しく尋ねられました。質問しながら、私が希望する仕事を、しっかりとサーチしている感じ。メールのやりとりだけでも、原田さんは親切で、とても頭がいい人だという印象を受けましたね」

 やがて7月下旬、林さんとの面談のために、とうとう原田氏が大阪にやって来た(※4)。原田氏は、林さんに1冊のパンフレットを差し出しながら、ある会社を紹介した。大手システム会社のグループ企業でもある、日米合弁のシステム会社。募集職種はシステムエンジニアで、勤務地は東京。

「業務内容は、データベース系のサポート業務ということでした。そして、マニュアルは基本的に英語が使用されている、と。英語をよく使う環境だと聞いて、英語を使うならいいかなと思いました」

 自分の希望条件はすべて満たされていた。林さんは、紹介された会社を受けてみたいと原田氏に告げた。

転職活動は急展開
予想外の結果に驚きと不安
 

 1回目の面接は、原田氏との面談から約2週間後の8月中旬に東京で行われた。専務との面接は、しかし、林さんの予想を超えた内容だった。

「もちろん業務内容の説明もありましたが、いきなり『いつから来られるの?』と聞かれて……。ええっ!?  って感じですよ」

 年収などの条件面の話もして、その日は終了。なんだか狐につままれたような気持ちで大阪に戻った林さんは、またそれから約2週間後、今度は出張に来ていた社長と、大阪で2回目の面接に臨んだ。

 

「社長との面接だし、顔合わせという感じで、その時も『いつから来られそう?』と聞かれました。東京への転居にかかる引越し費用の一部は、会社が負担してくれると言ってもらえて……。その時に勤めていた会社に内定するまでは、3回面接して、けっこう時間がかかったんです。それなのに、こんなに早くていいのかと本当にびっくりしました」

 入社日も10月中旬と決定。会社を紹介されてから1カ月もしないうちに、もう次の転職先が決まってしまった。こんなに早く決まって大丈夫なのだろうか——。予想外の早い展開に、林さんは半分夢を見ているような気持ちだったが、そのころからある迷いが心の中に巣食い始めた。

望みの仕事を目の前に
煩悶する自分を励ましたのは…
 

 自分の求める仕事が大阪にないのなら、東京へ行こうと決めていたはずだった。それなのに……。

「仕事以外では、大阪をとても気に入ってたんです。物価も安いし、住みやすくて友達もたくさん(※5)いる。なにしろ、日本に来てから7年間、ずっと暮らした町ですから。妻も、転職はいいけど、住み慣れた大阪を離れたくないと言っていたので、それも心に引っかかっていました」

 新婚早々、日本に行くと決めた自分に、反対もせず黙ってついてきてくれた妻。仕事の忙しさと言葉のストレスで弱気になっていた自分を励ましてくれた……。その妻の気持ちを無下にしたくない。思い悩むうちに、まだ始まってもいない東京での生活がどんどん不安になってきた。

「ほとんどの友達は大阪にいるから、東京に移ったらもう頻繁には会えないと思うと、寂しいというか心細い気持ちがあったんです。妻がその頃、出産と育児で上海に帰っていたので、一人で東京での生活をスタートさせなくちゃいけないことも、寂しさに拍車をかけた。それ以前に入社までの1カ月ほどの間に、一人で引越しも、東京での部屋探しもしなくてはいけない。もちろん、仕事の整理もしなくてはいけませんでしたしね」

 仕事も生活も人間関係も、また一からの構築。しかも当面は一人きり——。

 しかし、悶々と思い悩む林さんの背中を、東京へと押してくれたのは、友人たちだった。

 

「自分が望む仕事をしたいなら、東京へ行かなくちゃだめだって。友達も全員、プログラマなどIT関係の仕事をしているのですが、自分たちもいい仕事を求めて、近い将来東京に行くかもしれない、と。それを聞きながら、そうだ、何事もやってみないとわからない、目の前のチャンスを捕まえてみようかなと思って……」

 今よりもスキルアップできる職場を探し求め、自分のニーズにぴったりの仕事を探していたはずじゃないか—。

 決心は固まった。保留にしていた入社の受諾を原田氏に伝え、同時に、退職願も出した。その頃には若手育成にも携わっていたので、上司には残ってほしいと慰留されたが、林さんは自分の気持ちを誠意を持って説明し、仕事を片付けて円満退職。そして10月、林さんは東京に降り立った。将来に向けて、自分がスキルアップできる仕事にチャレンジするために。

心機一転の東京生活
そして将来への思い
 

「実は東京での部屋探しや引越しには、原田さんが相談に乗って下さったんですよ。通勤に使う電車はどの路線がいいかとか、職場から電車1本で通いたいならこのあたりに住んだ方がいいとかね。家探しはどうしようと内心思っていたので、本当に助かりました。原田さんとは、仕事が決まってから2、3回お会いしましたが、仕事を探している時よりもたくさん会っていましたね(笑)」
 
 無事引越しもすませ、新しい会社に入社して約5カ月。現在は企業向け検索エンジンの開発業務に携わっている。日米合弁企業ということもあるが、同僚にはインド人やラオス人など外国人が多く、事前に聞いていた通り、職場には英語が飛び交い、以前とは比べ物にならないほど英語を使う毎日だ。もちろん、システムエンジニアとしての業務にも専念できている。

「今のところ、同じフロアの人としか話す機会はないのですが、友達もできて徐々にこちらの生活に慣れているという感じです。新しいことをどんどん覚えられる仕事にも不満はありません。それに、原田さんの交渉で年収も上がったんですよ。転職して本当によかったと思いますね」

 現在SEとして働いているが、将来は、プロジェクトマネージャーとして人材や予算などの管理に携わるよりは、技術者としての能力を磨いていきたいという。

「人材管理にはあんまり向いていないと思うんです。だから余計に技術者としてさまざまな資格取得に燃えているともいえるかもしれませんね。自分という商品の値段は、買う側(企業側)ではなく、売る側(自分自身)が決めることが大切だと思っているんです。選ばれるよりは、選びたい。それが私の理想ですね」

「しばらく使っていなかったせいで、なまってしまった英語の能力を取り戻す(※6)のが、現在最優先の目標。日本で働く限り、英語ができれば、さらに質と報酬の良い仕事に就ける確率が高いので、頑張らないと……」。

 では、将来また転職することも視野にいれているのだろうか。

「その可能性もあると思っています。僕にとっての転職は『仕事』を変えるんじゃなくて、『職場』を変えるだけですから。自分という『商品』を会社に売るのが転職。よりよい仕事と収入を求めるのは当然のことだと思ってますから。ただ、今よりもステップアップや収入アップを目指して転職をするのなら、自分自身の商品価値を高める努力は必要。自分の商品価値や存在価値がないと、会社にはいられないと思うんです」

 そう熱っぽく話す林さんは現在、仕事の傍ら、XMLマスターやMCSE、CCNAなどの資格取得も目指し、その言葉通り、自分の商品価値向上に余念がない。

 

「日本では、転職は35歳が限界だと言われることがありますよね? でも、能力がある人には関係ないんじゃないでしょうか。しばらくは日本で頑張っていくけど、将来、もしチャンスがあるなら、アメリカで働いてみたい。中国で働くこともあるかもしれないと思っていますよ。もちろん、今よりもさらに高い技術と知識を身に付けてね」

 決して現状に満足しない林さん。その視線は、5年先、10年先の将来に設定した目標や夢を見据えて、すでに走り出している。だが林さんなら、その目標にきっと辿り着けるに違いない。現在よりも、もっともっと大きく、逞しく成長して——。

コンサルタントより
サーチファーム・ジャパン株式会社
 アシスタントディレクター 原田 周作氏
資格やスキルはもちろんだが
コミュニケーション能力も重要!

原田 周作氏
 林章さんにスカウトメールを送ったのは、なんといっても、彼の持っている資格に注目したからです。

今回紹介した企業はソフトウェアの開発を手がけているため、データベースに強いエンジニアが求められていました。さらに、海外とのやりとりが多いということで、英語ができることも絶対条件だった。そのため、オラクルプラチナやTOEIC890点といったスキルを持つ林章さんは、企業の求める人材にぴったりだと直感したわけです。
 
メールで多少のやりとりは行いましたが、良いと思った人材には、どこへでも足を運び、実際に会ってみるのが、ヘッドハンティングを中心に行っている弊社のスタンス。1週間後には、林章さんを訪ねて大阪に向かいました。

林章さんの第一印象は、とても人懐っこくて明るいという感じ。日本語ができると同時に、コミュニケーション能力の高さも印象的でしたね。林章さんには、企業の将来性や、データベースのスキルを高く評価している点などを説明。面談を通じて、林章さんのプログラマとしての生産性の高さや、日本企業になじみ、かつ日本人をマネジメントしている実績に、「これはいけそうだ」という確信を深めたことを覚えています。

1回目の面接には私も同行したのですが、面接された専務がいきなり「いつから来られるの?」とおっしゃった背景には、林章さんの持つスキルはもちろん、彼の人間性やコミュニケーション能力への評価によるものではないでしょうか。そしてそれが、私自身も予想しなかった、超スピード内定につながったのだと思います。

IT技術者というと、どうしても技術力とその知識の高さが注目されがちですが、実は現場では、コミュニケーション能力も強く求められているんです。システムといえども、人が作り、使うもの。周りの人とのスムーズな意思疎通ができるかどうかは大きなポイントです。また、「データベース系」「Web開発」など、一つの分野に特化していることも、これからますます、重要視されるのではないでしょうか。

林章さんが入社して5カ月。企業からは、彼の真面目さと人柄の良さに対する評価をお聞きしています。林章さんのあの明るさは、誰からも愛され、きっとこれからも周りとうまくやっていけるのではないかと思っています。

 
プロフィール
photo
千葉県在住の32歳。中国・上海生まれ。8年前に来日して、大阪でプログラマとして4年間働く。ブリッジSEとして大手電気メーカー系列の会社に採用されたものの、実質的な仕事はプログラマであることに疑問を抱き、3年後、自身のステップアップを目指して転職活動を開始。現在、東京の日米合弁のシステム会社で、システムエンジニアとして活躍中。
林さんの経歴はこちら

【人材バンクネット】に登録(※1)
「【人材バンクネット】は、検索エンジンで「転職」などの言葉で検索している過程で見つけました。『人材バンク』という名前は、中国人の私でもその意味するところをイメージしやすく、すごく覚えやすかったですね」

 

着々とスキルアップ(※2)
林さんはIT系だけでなく、英語でも、TOEIC890点のスコアを記録している。「資格は自分という商品価値を高めるもの。持っていて決して損はしない。日本国籍を取得したとはいえ、将来のことはどうなるかわからない不安は拭えません。資格取得は、リスクマネジメントの一環。資格があれば、自分の能力の証明にもなり、どこでも働ける。資格は私を裏切らないと思っています」

 

全然開封せずに捨てていた(※3)
「ある人材紹介会社とやりとりした時、そこが紹介してくれた会社は、私としてはあんまり興味はなかったのにも関わらず、何度も入社を説得されたことがあって……。あんまり説得されて誘われると断りづらくなってしまうので、むやみに接触しないようにしていたところもありますね」

 

大阪にやって来た(※4)
「原田さんに実際に会ってみると、メールの印象通り、とても頭がよくて親切でした。でも何より自分と年齢が近いせいか、親しみやすくてすごく話しやすかったですね」

 

友達もたくさん(※5)
林さんの友人のほとんどは、来日して一番最初に勤めた会社で知り合った中国人。同胞であり、同じITの仕事に携わる者同士ということで、お互いに相談に乗り合い、情報交換などもしていた。

 

英語の能力を取り戻す(※6)
林さんの、英語の勉強法とはどのようなものなのだろうか?「とにかく環境を英語にしてしまうんです。テレビはCSの、アメリカのニュース番組やドラマなどを放映するチャンネルだけ。電車でも英語をずっと聞いています。映画が好きなのですが、見る映画も英語のものだけですね。日本語をマスターした時もそうですが、とにかく語学は環境が大事ですよ」

 
取材を終えて

 時々、大阪弁特有の言葉やイントネーションを交えながら話す林章さんの、その前向きな姿勢や思考に、ただただ圧倒され続けたインタビューでした。「よい仕事を得る手段=転職」「転職=自分を売ること」「自分の商品価値=収入」と、はっきり言い切る自信と、いっそ清々しいまでのドライさは、私の周りでは見られない新鮮なものでした。

 確かに前向きな考え方の持ち主であり、何事に対しても攻めの気持ちを持っている人ではありますが、しかし林章さんは、人一倍努力の人でもあると思うのです。来日してわずか8年で、仕事に支障のないレベルまで日本語の読み書き能力を身に付けるのは、並大抵のことではなかったはず。さまざまな資格の取得も努力の賜物でしょう。

 そういえば、自分の将来の夢や目標を、林章さんのように熱っぽく話す人はあまり見かけないと、取材後に思いました。林章さんの前向きさや攻めの気持ちを支えるものは、目標にかける情熱なのかもしれません。そして同時に、それがあるからこそ、外国でも活躍できるのではないか。私も、愚痴ったりぼやいたりする前に行動しようと、元気と意欲をいただいたような気がします。

第16回「ニート寸前からカムバック! 退職推奨のイヤミもはねのけて ようやく手にした理想の仕事」へ
 

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