キャリア&転職研究室|転職する人びと|第7回・後編 うつ病で退職、暗闇の2年間

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  普通の人HOTインタビュー 転職する人びと    
       
 
一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第7回 後編 岡崎佐智子さん(仮名) 28歳/貿易事務
うつ病で退職、暗闇の2年間 それでも衰えなかった仕事への情熱
転職活動を開始した岡崎さんは、大手人材バンクで紹介してもらった求人や転職サイトで見つけた求人に精力的に応募。しかしなかなか内定をもらえなかった。そんなとき、ある人材バンクから届いた一通のスカウトメールが岡崎さんの人生を変えた。
「責任ある仕事」を求めて40社応募
【人材バンクネット】経由で魅力的な求人が
 
 貿易事務の仕事に新たなやりがいを見出した岡崎さんは、次も同じ職種を希望。しかしどうしてもゆずれないこだわりがいくつかあった。中でも強かったのが、これまで手がけてきたような「責任のある仕事」ということ。

 「単なる事務作業のようなルーティーンワークはすぐ飽きてしまうんです。単純作業をするために、毎日満員電車に乗る気にはなれません。ですから、単なる貿易事務ではなく、業務範囲が広く、責任のある仕事を任せてくれそうな会社を希望していました」 

 2005年2月、そんなこだわりを胸に転職活動を開始。まずは大手人材バンクに相談に行くと同時に、転職サイトでキャリアシートを登録、スカウトを待ってみた。しかしほとんどがSE職や単純作業の貿易事務。上記のこだわりを満たした求人にはなかなか出会えなかった。とはいってもただ黙って待っていても前には進めない。少しでも条件にひっかかった求人には片っ端から応募してみた。その数約40社。しかし事前情報と面接で実際に聞く話が食い違うことが多かった。

 やはり希望条件を満たす貿易事務の仕事ってなかなかないのかしら。1カ月が経ち、少し不安が頭を持ち上げようとしていたころ、【人材バンクネット】から一通のスカウトメールが届いた。ここから望む方向への道が一気に開けていく。

 
希望条件
●単純作業ではなく、責任のある仕事を
 任せてくれる
  ●企業倫理がしっかりしているところ
  ●食品を扱う会社
  ●貿易に関する実務
  ●年収450万円以上
希望以上のぴったり求人に応募
コンサルタントと二人三脚で内定をゲット!
 
 スカウトメールの差出人はサーチファーム・ジャパン株式会社のコンサルタント・ジミー古賀氏だった。中身を読むと、希望する仕事に近い求人があるので、一度会って話したいとのことだった。その文面から、ちゃんと自分のキャリアシートを読み込んで、求人を紹介してくれていると感じた岡崎さんは、すぐに返信し、サーチファーム・ジャパンに赴いた。  
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 古賀氏との面談(※1)で紹介されたのは、欧州でトップシェアを争う外資系食品加工会社の日本支社。職種は貿易事務だが、年間契約交渉、国内営業、為替損益のリスク管理など、一般事務以上の仕事もさせてもらえそうだと感じた。さらに決定打となったのが、海外研修。入社から2年後には、欧州の本社へ1年以上の研修に行かせてくれるという。希望にぴったりかつプラスアルファの魅力を感じた岡崎さんは古賀氏に応募を依頼(※2)した。

 ジミー氏の指導を受けて作成した英文の職務経歴書を提出したところ、無事書類選考を通過。一週間後に行われた一次面接は、直属の上司となる人との1対1面接。会社概要や仕事内容の説明とこれまでの経歴を簡単に聞かれたあとは、性格や趣味の話で盛り上がり、気がつけばあっという間に2時間が経過していた。

 その一週間後に行われた二次面接はイギリス人の社長と一次面接に出てきた上司との2対1。すべて英語での面接となったが、直前に、英会話学校の外国人講師に頼んで面接シミュレーションを行ったおかげでなんとか切り抜けられた。

 「面接では、まずこれまでの仕事で上げてきた成果を数字を出しながらアピールしました。また趣味の話など、仕事以外でもアクティブな人間だということを強調しました」

 2次面接から3日後、古賀氏を通じて内定が告げられた(※3)

 
 転職活動データ
  応募:40社
(8割は大手人材バンク1社から応募)
面接:10社
内定:2社
仕事に多くの時間を費やしたい
だからこそ楽しいと思える仕事がやりたい
 
 今、岡崎さんは新天地で生き生きと働いている。SE時代、過労で倒れてうつ病になったときは、もうしんどい仕事はイヤだと思った。しかし休養して体調が戻り、次に勤めた会社で仕事の楽しさを再び感じたら、やはり責任とやりがいのある仕事がしたいと思うようになった。
 
   「最初に勤めた会社で身も心もボロボロになって休養していたころは、これからはそんなに頑張って働かなくても、アルバイトやフリーターでいいんじゃないかと思ってました。でも心身ともに復調して、自分の人生の中で仕事にどのくらい重きを置くか、本当に私は今後も働き続けたいのかと考えたとき、独身の間は仕事に賭けたいと思ったんです。やはり、私は仕事をするのが好きなんだと改めて思いました」
 
 人生の中で仕事に費やす時間は多い。だったら興味が持てて、楽しいと思える仕事の方がいいに決まっている。さらにより大きな喜びを得るためには自分の能力が生かせて、ある程度責任のある仕事がいい。続けていくことでやりがいや達成感が得られ、ますます仕事が好きになっていく。

 「今の目標は一刻も早く一人前になることです。仕事では取引先を増やす営業的な仕事もやってみたいですね」

 3年後、欧州の本社で外国人を相手にバリバリ、楽しみながら仕事をしている岡崎さんの姿が脳裏に浮かんだ。

コンサルタントより
サーチファーム・ジャパン株式会社
 ジミー古賀氏
コンサルタントphoto
  求職者と企業のニーズが
ぴったり一致したケース
 
 岡崎さんは決してしゃべり上手ではなく、静かでおっとりとしたタイプですが、独特のいい雰囲気をかもし出しており、そこに好感を持てました。

 それでいて論理的思考ができ、一生懸命さも感じられました。また話の節々で、やる気や責任感が強く感じられ、ただのおとなしい人じゃないなって思いましたね。

 これまでの職務経歴を聞いても、仕事のワクを限定せず、自ら考えて積極的に職務領域を広げていました。前職では単なる貿易事務をはるかに超える職務を遂行し、結果を出していました。ここがまさに今回紹介した企業が求めている人材の大きなポイントだったのです。

 岡崎さんも通常の貿易事務以上の仕事ができる企業を望んでいました。あとは相性だけでしたが、こちらも問題ありませんでした。企業の風土やカルチャーも岡崎さんに合うと思いましたし、岡崎さんの独特のキャラクターを企業側の上司となる人がとても気に入ってくれましたからね。まさに相思相愛というわけです。あとは、その相思相愛を成就するための「最高の出会いのタイミング」をお膳立てするセッティングをするだけでした。

 SE後の2年間のブランクは全く気になりませんでした。誰もが順調に人生を送れるわけではありません。岡崎さんはその2年間にいろんなことを考えたわけですから、逆に「その2年間があったから、今の私がある」といったふうにポジティブにとらえ、面接でも話すようにアドバイスしました。もちろん面接前に私から企業に伝えたのですが、十分理解してくれました。紹介した企業は欧州では屈指の食品加工会社ですが、やはり歴史がある分、紳士的で懐が深く、とても洗練された会社なんですよ。担当者からも本当にいい人材を紹介してくれたと、とても感謝されました。

 人と企業の相関関係のレベルはとても興味深いものです。 自分にピッタリ合う企業に入れれば、普通の人の何倍ものスピードで成長できます。まさに、岡崎さんもこのケースに当てはまると見ています。彼女の2年後、3年後がとても楽しみですね。


採用のポイント
   
 論理的思考ができる
 ポイントをつかんで話せる
 一生懸命さ、素直さ
● やりたい仕事、目標がはっきりしていた
  ● 積極的に職務領域を広げていける  
  ● 営業的な仕事もできる  
 
プロフィール
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東京都出身の28歳。大学卒業後、大手システム会社でSEを2年経験したのち体を壊して退職、2年間の休養期間を経て都立技術専門学校に入学、貿易実務を勉強。修了後は食品商社へ入社。貿易部門の主任を務めるまでになったが、会社への不信感から転職活動を開始。今年7月から新天地の外資系食品商社で新たなスタートを切った。
岡崎さんの経歴はこちら

※1 古賀氏との面談
「驚いたのが、まず、『これまでどんな人生を歩んできたか』を聞かれたことです。その後、古賀さん自身の人生経験も聞かされました。実際の求人の紹介までに長い時間がかかりましたが、多分その話をしながら、私の性格、人間性を見極めようとしていたのでしょうね。ひととおり話が終わったあと、『キミにはこちらの求人の方が合ってると思う』と、別の求人を紹介されました。それが今の会社なんです」(岡崎さん)

※2 応募を依頼
古賀氏は英文の職務経歴書の書き方を徹底指導。「英文の職務経歴書を作るのは初めてで、アピールの仕方など全然分からなかったのですごく助かりました」(岡崎さん)。細かいところまでアドバイスできるのは、実際にアメリカで4回もの転職を経験している古賀さんならではだろう


※3 内定が告げられた
「面接の後、もうひとりの面接官に『自分は岡崎さんに決めたい。また社長の質問の内容が深かったから岡崎さんだと思う』と言われたので、絶対私で決まりだろうなって思ってました。でも自信があったとはいえ、実際に内定を知らされたときはやはりうれしかったですね」


 
 
取材を終えて

取材場所に現れた岡崎さんは小柄で細身のキュートな女性でした。カゼ気味のようで、取材中もときおり咳をしていました。

こんな華奢な体でSE時代、激務で倒れるまで仕事をして、退職後も約1年半もの間、心身ともに病み、寝たきりの生活をしていたのかと思うと思わず目頭が熱くなる思いでした。

だからこそ、現在、自分に合っていて、やりたい仕事ができる会社に転職することができて本当によかったと思いました。

単なるスキルマッチングではなく、その強力なサポーターとなったのが、ジミー古賀氏。転職者の気持ちになって考えられるプロのコンサルタントに出会えたことも大きかったでしょう。

やはり人との出会いが大事なんだなあと感じた今回の取材でした。

「転職に年齢なんて関係ない!3度目の転職で証明した46歳・前編」へ
 

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