キャリア&転職研究室|転職する人びと|第3回・前編 未経験のハンデはやる気でカバー

TOP の中の転職研究室 の中の転職する人びと の中の第3回・前編 未経験のハンデはやる気でカバー

普通の人HOTインタビュー 転職する人々
第2回 鈴木愛子さん(仮名)31歳/アカウントマネジャー
「出会い」で開いた突破口 希望の職へのエクソダス(後編)
入社以来順調にキャリアを積み重ねてきた宮本さん。仕事も充実、人間関係も良好だった。しかしたった一つだけ足りないものがあった。それを追い求め、入社5年目に転職を決意。しかしその直後、大きな壁が立ちはだかった。
「どうしても辞めるのか」
「はい。今までお世話になっておきながら申し訳ないのですが・・・・・・」

2004年1月某日。宮本洋介さん(仮名)は直属の上司である情報管理部の係長と、行きつけの小料理屋のカウンター席に座っていた。外は冷たい雨が降っていた。

 今日、係長に辞表を提出した。それまで全く相談していなかったので、かなりショックを受けていたようだった。とにかく酒でも飲みながらゆっくり話そう。そういわれてここに連れてこられた。

 一杯目の生ビールを飲み干したあと、係長が言った。

「理由はなんだ? 現状に不満でもあるのか?」

「いえ、決してそういうわけじゃないんです。ただ・・・・・・」

「ただ?」

 宮本さんはこれまでの5年間を思い返していた。ここは自分の気持ちを正直にぶつけるしかない。たとえそれが同僚・上司・会社を裏切ることになったとしても。

人材バンクでいきなりのダメ出し 目からウロコの連続

 宮本さんは仙台の電子工学系の専門学校を卒業後、半導体関連事業を全国規模で展開するA社に入社。一年間経理【注1】を経験した後、A社の基幹システムの導入のプロジェクト【注2】メンバーに選出。社内SEとして活躍の場を新しく設立された情報システム部に移すことになった。

「会社始まって以来のビッグプロジェクトに、こいつならやれると思って加えてくれたのがうれしかったですね。その信頼と期待に絶対応えてやる!って燃えてました」

 
 しかし、その業務は想像以上にハードだった。基幹システムの開発・構築・導入は社内ではできないので、外部システム会社に頼らねばならなかった。その発注先のシステム会社の選定作業から始まり、全国の事業所へ赴いての情報収集【注3】、システム設計のための会議【注4】と、まさに東奔西走の毎日だった。未経験で分からないことだらけの仕事。片時も技術書を手放せなかった【注5】

 特にシステム始動の2カ月前は多忙を極めた【注6】。徹夜で仕事、始発で帰宅。シャワーを浴びてそのまま出社という日々。

 しかし、嫌だと思ったことは一度もなかった。企業グループ全体の基幹業務そのものを変える新しいシステムの導入。その中心を担えるのだ。

 「確かに体力的にはつらかったですが、毎日がとても充実していました。日々新しいことを吸収できていましたから。当時は"これを最後まで成し遂げたら会社に名を残せる"と思いながら頑張ってました」

 そんな宮本さんたちの不眠不休の努力が実を結び、システムは無事始動の日【注7】を迎えた。スタートから二年が経っていた。

運命の会社・コンサルタントと邂逅 自動配信メールも見逃すべからず

 その後、宮本さんの仕事は基幹システムのユーザーサポート【注8】、およびサブシステムの開発に移行した。

 ユーザーサポートもサブシステムの開発もそれなりにやりがいのある仕事ではあった。システム導入の過程で必死に勉強したこともあり、エンドユーザーからのたいていの質問には答えることができた【注9】し、サブシステムなら独力でカスタマイズすることもできるようになっていた。

 しかし何かが足りなかった。いくらユーザーに感謝されるやりがいのある仕事とはいえ、基本的に同じことの繰り返し。ゼロから作りあげたあの熱い二年間とは比べようもない。

   あのころ、システム会社のエンジニアとの打ち合わせが楽しみだった。社内に技術者がいないこともあり、本物のSEと話ができる打ち合わせは貴重な時間だった。システムの仕様、設計について真剣に議論するSEたちの姿を見ているうちに尊敬は羨望【注10】へと姿を変えていった。

 

人材バンクでいきなりのダメ出し 目からウロコの連続
 手始めに5つの大手転職サイトに登録。キャリアシートを公開してみた。目的は自分の市場価値を知ること。

「今の自分を買ってくれる企業がどれだけあるのだろうか。そこを知りたかったんです」

 しかし結果は散々だった。公開からしばらく経ってもスカウトメールはほとんど届かなかった。いきなりの挫折。ショックは大きかった。

 それでもわずかに届いた内の一件のスカウトメールに応募。職種は小規模ソフトハウスのSEだった。目的は採用通知が取れるか否かだったので、内定をもらっても行くつもりはなかった。しかし結果は不採用。

「面接時、経営者に"今のままじゃウチだけじゃなくどこの企業も買ってくれない。このまま30歳になったらやばいよ"とズバっと言われました」

 やはり本格的な開発経験のないことがネックだった。

 では今後どうするか。市場価値を上げるために今できること。それは資格取得だった。

 
人材バンクでいきなりのダメ出し 目からウロコの連続
 宮本さんはいったん転職活動は休止し、業務の合間を縫って勉強し、オラクル・シルバー・フェロー【注12】XMLマスター・ベーシック【注13】を取得。

 そして25歳になり、入社五年目に突入したとき、再び転職への決意を新たに【注14】した。

「本格的な開発経験がない私がSE職での内定を勝ち取るためには、ポテンシャルと将来性を買ってもらうしかありません。25歳はそれを狙えるぎりぎり【注15】の年齢だと思ったので、今年度中に転職しようと決めました。あと一年遅れていたら勇気が出なかったかもしれません」

 しかしそう決意するまでには葛藤があった。

 同僚には支えられ、上司には育ててもらった。彼らとはプライベートでも時間をともにすごす間柄だった。転職は、同僚、上司に対する裏切り行為にはならないかと、心を痛めた。

 会社には何の不満もなかった。ただひとつ、希望だけがなかった。

  「このまま現状の会社で上を目指すか、別のフィールドで一から出直すか、かなり悩みました。でも本当はどうしたいのか、自分に問いかけると、やっぱり、やりたい仕事に打ち込みたい、"なりたい自分"を目指したい、もう一度成長したいという気持ちが勝ったんです」

 

 
   
 SEとしての本格的な経験を積みたいが社内にその場がない
 上流工程へのキャリアパスが見えない
 成長の伸びがにぶくなっていると感じる
● ポテンシャル採用を勝ち取るにはギリギリの年齢だと思った
人材バンクでいきなりのダメ出し 目からウロコの連続
 本気で転職を考えるにあたって、長期のキャリア目標を考えてみた。当面はSEとしてのキャリアを積むこと。そしてその先に見据えていたのは、「セールス」、「プロジェクトマネジャー」、「コンサルタント」、「ITアーキテクト」など、顧客と直接話せるエンジニア、上流工程のポジションだった。

「開発を究めたいという気持ちもありますが、それだけでは物足りないんです。IT技術の進歩で、スーパープログラマーやSEじゃなくても高度なシステムを組める時代が来ると思うし。しかし上流工程の職種は経験がものをいいますから」

 顧客が業務上で困っていること、もっとこうしたいという希望を正しく理解し、ITを使ってそれらを解決、実現するためのプランを作成、実行していくのが上流工程の職種。技術力以上にヒアリング力、交渉力、折衝力、説得力などが必要とされる。それは顧客との対話やプロジェクトメンバーをまとめる経験の中でこそ磨かれる。技術の進歩が及ばない「人間力」の領域だ。

「だからこそ魅力とやりがいがあります。顧客から"宮本さんにお願いしたい"って言われるようになりたいですよね」

 しかし上流工程のポジションに就いても技術のことが分からなければ、エンジニアをまとめることはできない。そのためにはプログラマーやSEとしてのキャリアがどうしても必要だった。

「直接顧客とやりとりできる上流工程のポジションがあれば、プログラマーからのスタートでも"望むところ"でした」

 
 
プロフィール
photo
昭和53年生まれの26歳。独身。転職回数1回。昨年4月、社内SEからシステム会社のSEとして転職。
宮本さんの経歴はこちら











【注1】経理

当初予定されていた職種はエンジニアだったが、諸事情により急遽経理へ。もちろん経理の勉強などしたことはなく、知識、資格も皆無。おまけに数学も不得意だった。ゆえに「簿記はもちろん、現金出納帳の付け方も分からない」ところからのスタート。しかし業務の傍ら独学で簿記の3級を取得。知識と経験を積んでいくうちに経理の仕事も楽しいと感じるようになっていった

【注2】基幹システムの導入のプロジェクト
A社首脳陣は1988年にグループ全体のIT化を決断。基幹システムを導入し、全国100社以上の各支社、関連会社の基幹情報を一元的に集約、処理し、どこにいても必要な情報を簡単に引き出せるようにすることで仕事の効率、生産性を高めることが狙いだった。

【注3】情報収集
「システムの仕様を決めるために、全国の事業所、関連会社を回り、一人ひとりの社員に今抱えている業務の問題点やこうなれば能率が上がるという希望を詳しく聞いて回りました。一回では終わらず、同じ事業所に二度三度と通いました。おかげでヒアリング能力やコミュニケーション能力が向上しました」


【注4】会議
「出張から帰ってきたらヒアリングした膨大なデータを元に、システム会社の担当者と機能的でかつ社員みんなが使いやすいシステムにするにはどうするか、夜を徹して議論しました」


【注5】片時も技術書を手放せなかった
「社内にIT技術者がいなかったので、技術書をバンバン買って独学で勉強するしかありませんでした。でも技術書って一冊4〜5000円するものもあって、値段が高いんですよね。でも上司に頼むとそれも会社の資産になるからと経費で買ってくれました。すごく助けられましたね」

【注6】多忙を極めた
「出張で新幹線に乗るのが楽しみでした。"これでやっと3時間眠れる"って。あのころは周囲からも近寄りがたいって思われてたみたいですね。常にまなじりを吊り上げて社内をウロついていたらしいので(笑)」


【注7】始動の日
「やったって気持ちより、不安の方が大きかったですね。エンドユーザーが使いやすいようにマスタ設計や運用ルールなど相当悩んで作ったので。使いづらいって言われないかヒヤヒヤでした」

【注8】ユーザーサポート
「全国の支店からシステムに関するトラブル、使い方、疑問、質問に対応しました。中にはパソコンそのものに慣れていない女性や年配の社員もいたので、専門用語をなるべく使わずに、わかりやすく説明しました。ここで説明能力を磨くいい訓練ができました」

【注9】たいていの質問には答えることができた
「システム会社とは保守・運営の契約を結んでいましたが、できるだけ自分で解決しようとしました。トラブルもなんとなく解決したでは気が済まず、その発生原因を徹底的に突き止め、二度と起こらないようにするためにはどうすればいいかを技術書と首っ引きで考えました。そのうち、システム会社しか触れない範囲以外は、大抵は自分で解決できるようになりました。ここでさらに知識を吸収できたことが大きかったですね」

【注10】羨望
「SEが"俺だったらこう作る"って言ってるのを聞くたびに、いいなあ〜、俺もそんなことを言ってみたいな〜って、うらやましかったですね」


【注11】転職を考え始めた
「年末の会社の納会で役員が『今年一年を振り返って将来のプランを考えろ』って言ったのも転職を考えるひとつのきっかけになったと思います。何でも真に受けちゃうんですよね(笑)」

【注12】オラクル・シルバー・フェロー
SEの登竜門的資格。日本オラクルがオラクルデータベースの入門レベルの知識があることを証明する資格で、「SQL」 「Oracle入門」の2科目に合格すると認定される。「資格取得に参考書含めて5万円くらいかかりました。結構いたい出費でした」

【注13】XMLマスター・ベーシック
電子ドキュメント記述言語であるXMLの基礎知識を認定する資格。「セミナーを受けて面白そうだと思ったので受けました。これが今の仕事に生きてます。2つの資格を取ったときはこれで履歴書や職務経歴書の資格欄にちゃんとしたIT系の資格を記入できるってうれしかったですね(笑)」


【注14】決意を新たに
「本当に信頼できる会社の同僚にだけ『来年は今の会社にいないと思う』とあえて言うことで、後戻りできない環境を作りました。なんせそうでもしないと自分に甘くなり、すぐに諦めそうだったので」































TOP の中の転職研究室 の中の転職する人びと の中の第3回・前編 未経験のハンデはやる気でカバー