キャリア&転職研究室|転職する人びと|第2回・前編 「出会い」で開いた突破口

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普通の人HOTインタビュー 転職する人々
第2回 鈴木愛子さん(仮名)31歳/アカウントマネジャー
「出会い」で開いた突破口 希望の職へのエクソダス(前編)
仕事にはやりがいと誇りを感じているけど、将来なりたい自分へのキャリアパスが見えない——。在籍4年目にして転職を決意した鈴木さんだったが、いきなり壁にぶち当たる。孤独と不安の中、手探りの転職活動が始まった。
膀胱炎4回、腎盂炎1回 超激務で身も心も限界
 吹く風に思わず身体がこわばる2004年2月深夜、鈴木愛子さん(仮名)はマフラーに顔をうずめるようにして、駅に向かって歩いていた。うつむき加減で、家路を急ぐ人の流れに逆らうように。最終電車の行き先は自宅ではなく会社だった。
 鈴木さんが働いていたのは外資、日系の大企業をメイン顧客にもつ外資系メーカー。カスタマーサポート部のヘルプデスクとして毎日顧客対応に追われていた。しかしかかってくる電話は自社製品のトラブル、質問、クレームだけではなかった。

 「単なる顧客対応だけではなく、他部署への質問、取次ぎなどさまざまな用件の電話がかかってきました。自社製品の詳細に加え、会社内部のこともすべて知っておかなくてはなりませんでした」

 
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顧客からのトラブルや質問の電話に対応するヘルプデスクとして働いていた鈴木さん。顧客の問題解決に貢献できるこの仕事にやりがいと誇りを感じていたのだが・・・・・・
(写真はイメージ)
 そのため、カスタマーサポート部は24時間4交代制【注1】で業務をまわしていた。しかも、一度電話で受けた限りは、問題が解決するまで担当者の帰宅は許されなかった。6時−15時の早番はおろか、22時で業務が終了する遅番ですら定時で帰宅できることはまずなかった。深夜2時3時は当たり前。22時で帰れたとしてもそれは一瞬。シャワーを浴びに帰るだけ。その後身支度して終電で再び会社へ。仮眠を挟んで朝まで業務。そんな毎日が4カ月続いた。

 「あのころは会社に住んでいましたね。カスタマーサポート業務のほかに別のプロジェクトにも関わっていましたので」

 不規則な生活。間断なく鳴り続ける電話。トイレに立つ時間すらない。そんな毎日を送るうち、鈴木さんは膀胱炎を4度も発症。しかもそのうち一回はこじらせて腎盂(じんう)炎にまでなってしまった。

できることなら辞めたくなかった— メリットとデメリットのシーソーは…
 しかし、鈴木さんとて現状に耐え忍んでいるばかりではなかった。スタッフの増員、シフトの改善などを直属の上司に掛け合った。しかし12月に赴任してきたフランス人の上司は聞く耳を持たなかった。会社がダメなら労働基準局へと思い、以前直談判したことのある友人に話をしてみた。対応はそっけないものだった。

 「労基に行ったって無駄無駄。『そういう会社はたくさんあるからねぇ』って相談に乗ってもらうどころか、まともに取り合ってもくれないから」

 この上司が赴任して以来、同僚が次々と会社を去っていった【注2】。万策尽きた鈴木さんもまた転職を考えるようになる。

 もうこれ以上は体も心ももたない──。加え、不信感が転職欲求に拍車をかけた。

 「スタッフを単なる部品のひとつとしてしか見ていない上司はもちろんですが、そんな上司を管理職のポストに置く会社そのものに対して信頼・尊敬の念が抱けなくなってしまったんです」

 入社したときからこの会社が好きだった。顧客はいずれも日本経済を支える大企業。その業務を支えるサービスを提供することで、自分もその一端を担っているという自負もあった。

 顧客サポートという仕事にも誇りをもっていた。体を壊しつつも限界まで働き続けようとした理由もここにある。

 「困っている人を助ける仕事に、心地よい緊張感とやりがいを感じていました。顧客にも恵まれ、きついけど楽しい毎日でした」

 それも上司が変わったことで、デメリットの方が大きくなりつつあった。

 そして決定的だったのが、なりたい自分へのキャリアパスがこの会社では見えないことだった。

この会社でこの先10年はありえない 見えないキャリアパスに転職を決意
 現職に就いて4年。仕事そのものは好きだけど、ずっとこのままというわけにはいかない。そろそろ次のステージに行きたいという欲求が頭をもたげてきた。

 考えられるキャリアパスは二通り。ひとつは、システムを動かすオペレーターなど技術系に転進する道。だが顧客に会う可能性は皆無に近くなる。

 しかし一度技術を勉強してみるのも今後のプラスになるかもしれない。そんな思いでITエンジニア系のいくつかの資格を取得しようと勉強を始めた。しかし半年で挫折。

 「勉強してても全然楽しくなく、苦痛でしかありませんでした」

 私には向いていない。そう判断した鈴木さんは資格取得を断念。しかし、このチャレンジが後に効いてくる。

 残るもうひとつの道はやはり対顧客の業務。あくまで本命はこちらのコース。基本は現職と変わらない。違うのは、顧客と「直接会って」トラブルの解決に取り組んだり、相談に乗ったりするという点。いわゆるアカウントマネジメント【注3】と呼ばれている仕事だ。アカウントマネジャーは、顧客のところへ自社の代表としていく。プレッシャーもあるが、やりがいも大きい。

 「顧客サポートに限ったことではありませんが、やはり人間同士は直接会って話すのが一番ですよね」

 しかし、会って直接説明したいと思っても、現状ではヘルプデスク担当者が顧客と会うことは禁じられていた。そこで社内の営業担当者と夜勤明けでも食事に行くなどしてコネクションを築き、顧客に会えるチャンスをできるだけ増やす工夫をしていた。

 「一度お会いしたお客様は、その後の応対が全く違うんです。ただ怒鳴り散らすだけだった方が、こちらの話をよく聞いてくれるようになったり。やはり直接会って話したほうが、サポートも格段にしやすくなるんですよね」

 会って話せば心も通う。やはり私は顧客と直接会ってサポートする業務【注4】に就きたい──。

 そんな思いは日増しに強くなっていった。

 だが、社内はオープンポスト制にはほど遠く、周りを見渡しても部署異動願いが通る可能性はほぼゼロに近かった。

 やりがいと誇りを感じられる仕事、一方で募る会社への不信感と見えないキャリアパス。その危ういバランスが崩れ、後者が前者を上回ったとき、鈴木さんは転職を決意した。

 「できることなら辞めたくなかった。しかし、デメリットがメリットを上回ってしまった。それだけです」

 この会社でこの先10年勤めることはありえない──。

 鈴木さんは転職を決意した。2004年4月、30歳の春だった。

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昭和48年生まれの31歳。独身。外資系メーカーのヘルプデスクを約3年間勤め、この冬からアカウントマネジャーとして新たなキャリアをスタート。本格的な転職活動は今回が初めて。
鈴木さんの経歴はこちら







【注1】24時間4交代制

基本的には
早朝番:6:00〜15:00
早番:9:00〜17:00
遅番:14:00〜22:00
夜番:22:00〜翌朝7:00
というシフトだった


















【注2】会社を去っていった

フランス人上司の赴任以来、1年間で12人のスタッフが退職した。インタビューしたちょうどその日にも一人退職が決まった



























【注3】アカウントマネジメント

ヘルプデスクよりも一歩進んだ顧客サポートの仕事。電話やメールが主なヘルプデスクと異なり、トラブルの際には顧客と直接会って問題解決に尽力したり、相談に乗ったりする。そうして築いた信頼関係が顧客を逃がさず、さらに新規受注につながる。得にIT業界で、この売った後の顧客ケアに携わるポストセールスのニーズが近年高まっている。





【注4】顧客と直接会ってサポートする業務

その原点は学生時代に経験したコンビニエンスストアでのアルバイト。お客さんの笑顔が見られる仕事にやりがいを感じていた。前職は某サービス会社での顧客サービスと、その後も一貫して対顧客の仕事に就いている

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