「人よりちょっといい○○」に惑わされると、コピー人生になることも
焦りをともなう憧れは、下手をすると「コピー人生を生きる」ことに繋がってしまうからだ。「世の中で評価されている凄い人みたいになりたい」の中身をよーく考えてみると、「世の中で評価されたい」「人よりちょっといいキャリア・生活・人生」願望のほかは空虚だったりしないだろうか。憧れの凄い人のやっている仕事、価値観、世の中に生み出しているものを、あなたは心から「いい」と感じたうえで「なりたい」と思っているのとは、ちょっと違わないだろうか。
「人よりちょっといい」願望は、きっと誰にでもあるものだし、実際に抜きん出られたらちょっといい気分かもしれない。しかし、そこを拠り所に努力して、それなりのポジションに就いたその裏で、「本当はこの仕事、自分には向いていない。毎日が辛い。でも、降りるに降りられない」との思いを抱えている人もいる。ただの憧れからコピー人生を生きたって、納得する人生を送れる確率は、高くない。
もし自分の中にある「焦りをともなう憧れ」に気付いたなら、一度、自分を見つめ直してみることだ。「どんなことだったら、自然と力が沸いてくるんだっけ?」「自然とアイデアが出てくるのって、どんなときだっけ」。
これまでやってきたことや今生きている時間の中にこそ、自分を生かす芽は存在する。目の前にあることに真剣に身を投じているうちに、ふと「あ、これだ!」と思える何か——世の中に生み出したいテーマ、人の役に立ちそうなサービス、ぜひサポートしたいと思える人に出会うもの。世の中の凄い人だって、どこかの時点で「あ、これ!」と思える何かに出会って身を投じただけで、最初から「成功するはず」なんて確信はなかったに違いない。そうなのだ。凄いといわれるようになったのはただの結果。
焦る必要なんて、どこにもない。やりたいことが具体的に見えていなくたってかまわない。今いる場で打ち込んでいるうちに、「これだ!」に出会える日はやってくる。
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