転職お役立ち情報|キャリアデザイナー|「国際的な仕事がしたい!」転職を重ねて得た仕事

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日系ITメーカー 法務アシスタント

野口 正子さん

夢を実現するための「転職」がある。多感な10代の頃抱いた米国への憧れを原動力として、「英語力が活かせる国際的な職」を求め、何度も転職を試みた野口さん。心に抱いた思いをあきらめることなくチャレンジしつづけることが、夢を「職」へと形成していくのであろう。
profile: 1972年生まれ/東京スチュワーデス専門学院卒業、及び、産能短期大学秘書コース修了後、旅行会社 に就職。主に営業として働くが、国際的企業で活躍するため、ドイツ系家電メーカーの営業職、米国系情報処理会社のシステムサポート職を経て、1999年9月より1年2ケ月余りロンドンへの語学留学。帰国後、派遣社員として米国系医療器具メーカーを経て、2001年海外進出を展開する日系ITメーカーに法務アシスタントとして転職。11月より現職。

英語力が活かせる国際的な職」を求めて
 「中学生時代、校則の厳しい学校で息苦しさを感じていた反動から、自由・平等で、個性を尊重するアメリカにとても憧れを抱きました。さらに高校で留学経験者と接し、大人になったら英語力が活かせる国際的な職に就こうと考えるようになったのです」
 夢を実現するために中学生時代から英語のスキルUPを図り続け、明確なビジョンを持って就職したつもりだったが、そこには野口さんの期待と異なる展開が待ち受けていた。

 「英語力も活かせ、世界へ出て行ける仕事をと思い、旅行会社に入社しました。しかし営業として数字を伸ばすことはできましたが、英語を使う機会はありませんでしたね」
 予想と違う現実に転職を決意し、ドイツ系家電メーカーに入社。営業に携わり実績を残すこともできたが、国内の活動に留まるだけで、やはり夢を実現する職場とはいえず、再度転職を考える。

不況のなか新たに定まる仕事の方向性
 その企業では4年半、基幹業務システムSAPによるシステム開発プロジェクトのメンバーとして働いていたが、徐々にシステムが安定期に入っていく中で、技術をブラッシュアップする機会が少ないという思いが募っていく。半年悩んだ末、転職活動をはじめた。
 「営業職に体力的限界を感じはじめていたころ、社会全体には不況の声が響いていました。20年30年と長く続けられしかも深く追求していける職種に転向しようと考え、PCスキルを習得することに。営業職でPCに触っていましたし、もともと好奇心が強いので、自分で本を購入して独学でスキルUPを図りました」

 希望通り、米国系情報処理技術提供会社へシステムサポートとして入社。
「実力主義という外資系の会社の社風が、私自身にすごく合っているのだと思います。仕事の喜びも大きかったですし、国内だけの作業でしたが満足でき、今考えると働きやすい職場でしたね。けれども安定してくるにしたがって10代の頃の夢が思い出され、それと同時に20代のうちにできることをやっておきたいという気持ちも湧いてきました」

 半年間悩み抜いた末に会社を辞め、ロンドンに語学留学することを決意。私費留学の経済的な問題をクリアすることはもとより、野口さんは何もかもを単身で行った。途中病気のため一時帰国し、再度留学し直すというアクシデントにも見舞われる。
 「今しかできないと思って念願の語学留学を果たしました。生活の必要に迫られての英語、自分の考えを相手にわからせるための英語を使うことで、本当に語学力はUPしたと思います」
 力強く語る野口さんからは、語学だけではなく人生の貴重な体験を積んだ留学生活だったことが伺える。

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